第27話 なゐと野兎の子と神罰の一件
同日戌の刻。
阿久根からの帰途、獣道を疾走していたお涼は、ふと足を止めた。
――ゴーゴゴゴ。ゴーゴゴゴゴー。
耳慣れない音が地を這って来る。
――はて?
訝しむ暇もなく、地底からいきなりズシーンと突き上げられる。
もんどり打って物のように地面に投げ出されたお涼の身体は、縦揺れとも横揺れとも判別のつかぬ滅茶苦茶な振動に、箕の中の大豆のように揺すぶられている。
――
小さい揺れは何度か経験済みだが、これほどの揺れの記憶はない。
山が歪み、岩が軋み、水が噴き出し、断末魔の悲鳴を上げている。
雲を突く大男どもが、群れを成して地層を揺すぶっているごとし。
――山の神が怒っておられるのか?!
如何に非道な藩主とはいえ、かように
慄きながら、地中から剥き出しになった老木の走り根に取り縋る。
――どうかお許しくださりませ。われらが大義に免じてどうか……。
這いつくばって一心に祈りを捧げるうちに、いつしか揺れは止んでいた。
無人の山中の静けさは、いまさっきの大震動など、なかったかのようだ。
顔を上げると、すぐそばに、小柄な野兎がいた。🐇
なゐの恐怖に丸い目を見張っているようにも見える。
しかし、白目がないので、本当のところはわからぬ。
起き上がったお涼は艶々した薄茶の兎に語りかけた。
「怖かったな。大事ない、なゐじゃ。いや、そうではない、大事ないのがないのでなく、いまの揺れはなゐだったという意味じゃ。そのなゐがな、
野兎の子はキョトンとしたまま。
「ま、よいわ。そなたも大事なくて何よりじゃ。さあ、早く、おっかさんのところへお帰り」
野兎の子は、くるりと背を向け、素早く笹薮に消えた。
先刻まで頭上にあった下弦の月は、不穏な雲間にある。
忍者装束の土を払ったお涼は、夜道の疾走を再開した。
🌙
途中の村の百姓家も藁葺屋根や納屋が崩れ落ち、相当な被害があった模様。
帰り着いた国分城は屋根瓦の一部が剥がれ落ち、石垣も下段が崩れていた。
奥の部屋へ向かう廊下で、横から出て来た黒い影とぶつかりそうになった。
――あっ、種子島矢八郎剛正!
棒立ちになった種子島は、敵意に満ちた眼差しをお涼に投げつけると、何が気に入らぬのか舌打ちせんばかりの形相で睨み付けて、さっと
お涼のくノ一の繊毛が震える。
忍の勘が怪しいと訴えかける。
しかし。
お涼を迎えた亀寿ノ方さまは、如何にも可笑しそうに報告してくださった。
「あのな、先刻のなゐでは、女衆よりも男衆のほうがアレだったようじゃわ」
とつぜんの大揺れに狼狽えたのは男衆で、侍女たちは毅然としていた、と。
「ここだけの話じゃがな。日頃ふんぞり返っている『国分衆』の
意気揚々と告げ口なさる亀寿ノ方さまは、子どものように喜々としておられる。
――さてもお気の毒な。
某氏は、生涯、文字どおり「腰抜け侍」の冠につきまとわれようぞ。(笑)
神妙な面持ちでうなずきながら、お涼は、笑ったり憐れんだりと忙しい。
「でな、いち早く駆け付けてくれた『国分衆』はだれだったと思う?」
笑いを残しながら、亀寿ノ方さまは次なる謎をかけて来られる。
「それはもう、わが兄弟子さま以外にはいらっしゃいませんでしょう?」
お涼の即答に、亀寿ノ方さまはさらに悪戯っぽく畳み込んで来られた。
「その備前守とな、ほとんど同時に来てくれた者が、もうひとりおったのじゃわ」
もしや?
果たして、亀寿ノ方さまは、やっぱりな名を口にされた。
「種子島矢八郎じゃ。部屋の入り口でな、肥前守とばったり鉢合わせしおったわ」
だが、根拠のない不安は無為な混乱を招くだけ。
真実は自ずから明らかになるのが道理でもある。
ここはひとつ様子見としておくのが賢明だろう。
冷静を取りもどしたお涼は、なゐの山中で、ほんの一瞬だけ感じた神罰の件も、軽率に亀寿ノ方さまに打ち明けたりはしない。お涼は全身全霊で確信していた。
🍃
万が一、われらが聖なる謀に神罰が下るとするならば、義久さまや亀寿ノ方さまを初めとする周囲に悪行の限りを尽くして来た(作者註:読者のみなさまにはまだお話していない事実がたくさんあります)、家久の方に先に下るのが道理だろう。
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