第81話 鳥兜仕込みの吹き矢




 

 1月24日午の刻。

 お涼は再び鶴丸城内に潜んでいた。

 昨夜の今日とて、お摩耶ノ方は白羽二重のまま夜具に伏している。

 昼餉の白粥を匙で掬って口元に運ぶ侍女に、

「要らぬ。欲しゅうないと申しておろうが。くどい。下がりやれ」

 拗ねたように言い放つと、夜具の襟に小さな顔を埋めてしまった。


「大丈夫でござります。二度と昨夜のごとき不祥事が起こらぬよう、わたしたちがお毒見してありますゆえ、ほんのひと口なりとお召し上がりくださりませ」

 困り果てた侍女がしきりに掻き口説いている。

 お摩耶ノ方は亀の子のように首を竦めている。


 ――ご無理もありませぬ、お摩耶ノ方さま。


 お涼は眼下に労りの眼差しを放つと、鼠のように速やかに天井裏を移動した。

 目的の台所では、賄人の幽典がひと仕事のあとの一服を楽しんでいた。

「やれやれ、昨夜は肝を冷やした。危ねえ橋を渡るのは金輪際ご免こうむるぜ」

 鼻から煙を吐きながら幽典が嘆すると、侍女の笛野が蓮っ葉な調子で答える。


「いまさら何を言ってんだい。それだけの謝礼を受け取っておきながらさぁ」

 尖った目つきの幽典が、笛野をぎろっと睨む。

「僅少っちゅう言葉を知ってるかい? 笛野どの。まさにそれだよ、おいらがありがたく賜ったのはよう。こちとら命を賭けてんだ、あれっぽっちの金子じゃ、割に合わねえよ」

 突っかかられた笛野も負けてはいぬ。


「何が僅少だよ。いけ好かぬ小娘が口を付ける汁椀の縁に、ちょいとばかり毒薬を塗っておく。それだけの仕事で金色のおあしがもらえるなんざあ、どこの娑婆でも聞いたことがないよ。ああ、いいともさ。いやなら『竈組』から足抜けしなよ。もっとも明晩には彼岸の住人だろうがね」


 凄味のある脅しに、幽典は口を引き攣らせた。

「いや、そういうわけじゃあねえよ。ちょいと癲狂てんごうを言ってみたまでさ」

「われらは一蓮托生。一度染めた手は、二度とさらにはもどらぬのさ」

 笛野は勝ち誇った。


 すべてを聞き終えたお涼は、やおら懐から吹き矢を取り出した。

 先端に即効性のある鳥兜とりかぶとの猛毒を仕込んである。

 蛇に睨まれた蛙のように悄気返った幽典に、まず狙いを定めた。


 ――ヒュッ!


 音もなく発射。


 ――アツッ!


 吹き矢は煙草の煙を吐く赤い舌に命中し、幽典はものの見事に卒倒した。

 かたわらの笛野が、全身で慄いて驚愕している。

 お涼は冷静に2発目の狙いを付けた。


 ――ピュッ!


 最短距離を正確に飛んだ吹き矢は、笛野の猪首の頸動脈に突き刺さった。

 標的はどたっと仰向けになり、幽典の遺骸に重なって正確な十の字を作った。


 お涼は天井裏を移動して城外へ出た。

 見上げる夜空に、春の兆しがあった。

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