第31話 女衒の揚羽の泣きどころ




 

 ――あれも気の毒なやつでのう。腕のいい剣士だったんだが……。


 「浜崎太兵衛」というのが、武士の時代の揚羽の名前だった。

 島津家臣に仕える陪臣で、東郷重位に「示現流」を学んでいた。

 あるとき3つ下の妹が暴漢に襲われ、懐剣で喉を突いて死んだ。

 生娘らしい花柄の小袖の裾が、紅色の腰紐で結わえられていた。

 覚悟の華奢な遺骸を抱いた太兵衛は、人目もかまわず号泣した。


 復讐の鬼と化した太兵衛。

 城下中を探し回り、ついに犯人を突き止めた。

 果たして、卑劣な男は太兵衛の道場仲間だった。


 直ちに相手の男を呼び出して果し合いに及んだ。

 死にもの狂いで滅茶苦茶に刃向って来る相手に、一度は斬られかけたが、危ういところで示現流の「八の字斬り」を繰り出し、天晴れみごとに妹の敵を討った。

 その決闘で左脛に深い傷を負った太兵衛は、武士を捨てて、地下へ潜った。


「あの一件については、太兵衛に目を掛け過ぎた拙者にも責任がある。等しく人間の胸に棲みつく嫉妬という恐ろしい魔物をな、いささか軽んじておったのじゃ」

 事件の経緯いきさつを語り終えた東郷重位は、重い口を重ねたものである。


 ――妬心は女の専売特許にあらず。


 なかなかどうして、男の世界は凄まじい。

 聞きながらお涼は身震いしたものだった。


 その後の太兵衛を東郷重位は詳しく語らなかったが、世を捨てた弟子を励まし、曲がりなりにも生の意欲を取りもどさせるまでには、相当な時間を要したらしい。


「ん? あの店か。率直なところ、拙者にも賛成しかねる。だが、剣の師が人生の師ではあるまい。彼奴には、彼奴の生き方があろう。拙者は遠くから見守ってやるまでよ」そう言いながらも、師弟の契りは途切れなかった……。


       *


 揚羽の翳のある表情を前に、お涼は泣き出したいような感懐に駆られていた。

 そんなお涼に、揚羽はさりげなく訊いて来る。

「棟梁に変わりはねえかい、『亀寿組』の……」

 

 ――亀寿組。


 棟梁の東郷重位を中心に「亀寿ノ方さま命」の猛者で組織されている秘密結社。

 お涼の答えを聞くと、女衒になりきった揚羽は形のいい唇をうれしげに弛めた。


 小刀で削いだような頬がピクピクと波打っている。

 お涼にはそんな揚羽が痛ましく思われてならない。


 ――この男、ろくに食べもせず、わが身を傷めつけているのではないか。


「薄汚え酒乱藩主は、てめえの面はさておき名うての美少女好みと来ていやがる。それも、若けりゃ若いほどよだれが出るっちゅうんだから、とんでもねえ助平野郎よ。彼奴に巣くうのは『引け目』の3字。すべてを独占したがるのが何よりの証しさ」


 ぺっとばかりに吐き捨てられた家久に、お涼はむろん異存がない。


「てめえの『引け目』は指先1本で高貴への憧憬に反転する。ゆえに、島津宗家の姫君、しかもすこぶるつきの美形ときたら、文字どおりの垂涎すいぜんの的ってえわけさ」


 じゃあな、次はいよいよ本番だ。

 首尾よく劇的な再会としようぜ。


 そう告げて、あっさり去りかける揚羽を、お涼は慌てて引き留めた。

「あの……。まことに遅ればせですが、妹さんのご冥福をお祈り申し上げます」


 高く通った揚羽の鼻筋が、内側から提灯で照らしたようにうっすらと赤らむ。


「ありがとよ。いまもって、あいつはおいらの泣きどころよ。せっかく武士に生まれながら助けてやれなかったおいらは、肝心なところで役立たずの大馬鹿野郎さ」


 吠え終えた揚羽は、くるりと踵を返した。

 すぼまった背中がひとしきり烈しく震えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る