第42話 鎧を着けた武者輩の影……




 

 同日亥の刻。


 紫紺に「月」。

 金茶に「影」。

 浅黄に「足」。

 漆黒に「下」。


 仄暗い通路を区切る4枚の暖簾を素早く潜り抜けたお涼は、奥の部屋に着いた。


 妖しげに揺れる蝋燭ろうそくの焔。

 その先に、100歳は優に超えていそうな老婆が物のようにうずくまっている。


 顔が皺なのか。

 皺が顔なのか。

 それとも、人間の顔とはまったく別のなにものなのか、如何とも判別しがたい。


 全身黒ずくめの南蛮風の衣装が山姥らしさを際立たせている。

 くの字に曲がった胸の巨大な翡翠の勾玉も前回どおりだった。


 山姥は皺を横に広げた。

「いひひ。また来たのかい」


 ――呼ばれたから来てやったのに、何なのさ、その言い草は……。


 お涼はむっとする。

 だが、気色ばんだお涼に老婆はいっこうに頓着せず、青い蚯蚓がうようよとのたくる両手で勾玉を撫で廻しながら、ぶつぶつと気味のわるい呪文を唱え始めた。


 ――あらむからじゃ、ならむからじゃ、はらむからじゃ……。

   八百万の神々にお願い奉り申す。

   悪は必ず滅ぼさねばなりませぬ。

   われらのはかりごとの行く末をお守りくだされ。


 やがて。

 不透明に沈んだ勾玉の芯に、ぽつんと小さく赤い点が現われた。

 生命が宿るがごとき点には、目を離せなくなる魔力が潜んでいるらしい。

 自ずからすうっと寄り目になったお涼の鼓動は早鐘のように打ち出し始めた。

 いかぬ、いかぬ、と必死で抗うが、どうしても逆らえぬ。


 ――う、眠い……。


 すとんと眠りに落ちた。


 気づくと、老婆の皺が間近に迫っていた。

「今後の首尾は、おまえさんの働き次第じゃ。せいぜいお稼ぎよ、亀寿ノ方さまの御為にな」


 ――卜占のくせに、なんと他力本願な……。


 お涼のなかに、またしても反発心が湧き上がる。

 老婆は炭団のような眸に悪戯っぽい光を浮かべ、

「おまえさんのうしろに、鎧を着けた武者輩の影がちらほらするのじゃよ。ひい、ふう、みい……いや、もっとおろうか。何やらみんなでわいわいと騒いでおる模様じゃ。供養をとか……浮かばれぬとか……死に損じゃとか……口々に申しておる」

 意味ありげに告げると、枯れ枝のような人差し指をお涼の背後に向けた。


 ――ひぇっ!


 お涼は振り返った。

 だが、何もいない。

 蝋燭の灯影が、南蛮渡来の操り人形のようにくねくねと踊っているだけ。

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