第41話 もうひとりの家久の幽霊譚




 

「面白いかどうかは知らぬが、幽霊のうわさをな、ちと耳にしたことはある」

「幽霊というと、女の?」

「相場が決まっておる、か? 当たり前のものにいちいち驚いておってどうする。勇猛果敢な武士ならではの話を……と、いま、おぬしが申したばかりではないか」

 客はあくまで自尊心が高い。


「では、男の? お武家さまの幽霊でございますか。曰くありげでございますね。下々には上流社会のお話は無縁でございます。ぜひにもお伺いしたく存じます」

 煽てられて機嫌を直した客は、朋輩から聞いたという、うわさを話し始めた。


      *


 薩摩に隣接する佐土原の鶴松城に、夜な夜な、高貴な武士が出没する。

 武士の名は、島津家久。

 といっても現国主にあらず。

 とうに故人になった、叔父に当たる人物らしい。


 お涼の手の動きが、ほんの瞬時だけ止まった。

 が、客には気取られさせぬ。


「あれで、島津さまも、いろいろとあられたからのう。ん? いろいろはいろいろじゃわ。数多の競争相手を蹴落として、百戦錬磨の戦乱を勝ち抜くためには、それこそいろいろあったはずじゃ……。おおっと、これ以上の口は滑らせられぬぞよ」


 客はそこで、ぴたっと貝のように口を噤んだ。

 頑固な薩摩隼人らしく、梃子てこでも開かぬ様子。

 潮時と見てお涼は最後の仕上げに取りかかる。


「本日はお呼びくださいまして、まことにありがとうございました。如何なる剣術の達人とて、平等にお年を召されます。せいぜいお身体をお労いくださいませ」


 しんみりとしたお涼の口調にほだされたのか、客は喉の奥から湿り声を出し、

「ありがとうよ。稼ぎが少ないせいか、家の者も何かにつけ拙者を軽んじたがってのう。ろくに口も利いてくれぬ。かように親身な言葉を聞いたのは、まことに久方ぶりじゃ。そなたとは気が合いそうじゃ。また来ておくれ。待っておるからのう」

 最後は気弱な老人になった。


「では、ごめんなさいまし」

 暇乞いをしたお涼は、白杖を頼りに外へ出て、夜のとばりに溶け込んだ。

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