第43話 佐土原城の堀から現れた亡霊たち 👻




 

 11月5日丑の刻。

 お涼は佐土原城(鶴松城)に潜んでいた。


 雨が近いのか、おぼろな満月が危うく中空に引っ掛かって滲んでいる。

 ぶんまわしで描いたような完璧な円に挑むように、三重の天守が黒く屹立している。

 侍屋敷と城下を隔て、コの字型の水堀がある。

 静かな水面に、もうひとつの夜空があった。


 ――キー、ギー、ギョエーッ。


 梟か、ぬえか、天狗か。

 城郭の背後の杜から、不気味な鳴き声が殷々と聞こえて来る。

 獣の叫びか、幽霊の嘆きか。

 あるいは大人の忍び泣きか。

 はたまた赤子の泣き声か……。


 ――寄る辺なき魂魄が、このあたりを彷徨さまようておるのか。


 気丈な忍の胸にも、潮のごとき恐怖が競り上がって来る。

 とそのとき、予告もなく、水面の月が、ぱらりと解れた。

 砕け散った金色の欠片を纏い、ぬらりと浮き出た、何か。


 ――うわぁっ!!!!


 甲冑かっちゅうから水を滴らせ、痩せた男が仁王立ちになっている。

 髪はザンバラ、髭は伸び放題、顔は土気色。

 かたわらに10人ほどの供侍がひざまづいている。

 その内の、真ん中にいる侍がふと顔を上げた。


――あっ、父上!!!!


 お涼は甲高い声を迸らせた。

 30年輩の侍は、窪んだ眼窩をぎらっと光らせ、

「お涼、久しぶりじゃ。息災な様子、何よりじゃ」

 井戸の底にいるがごとき暗い声を発した。


「父上。お懐かしゅうございます」

 お涼の目から熱い滴が噴き出す。


「わが娘とは思えぬほど別嬪になりよったな。もっとも、拙者が殿に殉じたのは、そなたがまだ3つのとき。親がなくても子は育つとは、よう申したものじゃ」

 父親の亡霊もまた、幼いころに永訣した娘との再会に滂沱の雫を流している。


 水面の1寸ほど上に立っていた大将の亡霊が、重々しい口を開いた。

「こりゃ、一之進。先刻からひとりで、何をぶつぶつ申しておるのか」

「申し訳ございませぬ。そこなる女人は拙者の不肖の娘にござります」


「ほう。はなはだよき娘御ではないか。かような深更にわざわざ会いに来てくれるとは、父親冥利に尽きるのう、一之進。そなたも承知のとおり、わしにも3人の娘がおったが、あちこちの大名の奥方に収まり、どうにかやっておるようじゃわい。それぞれの暮らしに忙しいのか、とんと顔も見せてはくれぬが……」

 大将の亡霊は、月明に光る肩を悄然とすぼめている。


 お涼の父の亡霊は、こほんと咳払いをして、

「お涼。ここにおわします方こそ、正真正銘の佐土原城主・中務大輔なかつかさたゆうさまにあられるぞ」

 

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