第44話 家久・豊久・以久の相次ぐ客死

 




 慌てて平伏した娘に満足げな父は、ふっと遠くを見るまなざしになった。


「そなたには事の次第を申し伝えておこう。発端は関白さまの九州攻めであった。あの頃、天下は関白さまのもとに急速に収斂しゅうれんしつつあった。それは紛れもない事実だったが、わが九州は何と言っても倭の最南端に位置するゆえに、島津一族のご覚悟には、他国の諸大名と比すればやや悠長なところがおありになったやも知れぬ」


 父子揃って勇将の誉れ高い祖父・忠良、父・貴久の血を引いた「島津4兄弟」(義久、義弘、歳久、家久)は文武共に優秀とされ、堅い団結心を誇っていた。


 なれど、4人の兄弟には、最大で14歳の年齢差がある。

 先行きの見通しに差異が生じるのは当然の成り行きだったろう。

 そのうえ、得てして加齢は保守の風土を培いがちなものでもある。

 逆に、最も若い家久は、風雲急を告げる天下の動向に敏感だった。


 行く末を案じた家久は、3兄に先駆けるかたちで関白に服属した。

 その報奨として、関白秀吉から島津の旧領の佐土原が安堵された。


「時代を先駆ける殿のご心中を承知しておったわれら家臣からすれば、一刻も早く関白に降るのは当然であった。だが、義久、義弘、歳久さまには、末弟の身でありながら出過ぎた行為、分を弁えぬ輩と、怒りを持って受け取られたやも知れぬ」


 口を噤んだ父のあとを引き取ったのは、ほかならぬ大将の亡霊だった。


「一之進の娘御よ、聞いてくれるか。苦しかったぞよ、鳥兜とりかぶとの毒はな……。兄たちがな、開いてくれたのじゃわ、佐土原城の安堵祝いをとやらを。まずは目出度い、さあ一杯と勧められて杯をぐいっと呷ったら、かっと喉が燃えおった。苦しさに胸を掻きむしり、ずらっと並んだ膳の上を独楽こまのように転げまわった……」


 絶句した大将に代わり、父の亡霊が再び重い口を開く。

 殿さまの客死に、10人の忠臣が殉死した。

 家久の変死は病死として発表され、佐土原城は嫡男・豊久が継いだが、それから13年後の関ヶ原合戦で、豊久は叔父・義弘の身代わりになって戦死した。


 悲劇はそれだけで終わらなかった。


 徳川の直轄時代を経た慶長8年、同族の島津以久しまづもちひさが初代・佐土原藩主として就任した。愛着のある垂水たるみずの旧領地を孫・忠仇ただのりに譲っての、断腸の思いの入城だった。


 だが、その以久もまた、慶長15年(すなわち昨年)、家康の「天下普請の命」により篠山城ささやまじょうの建築に駆り出された最中、伏見において不審死を遂げている。


「島津宗家」の跡目相続問題を巡る現国主・家久による暗殺説が囁かれたが、死因の解明はなされぬまま、現在の佐土原城主には以久の嫡男・忠興ただおきが就いている。

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