第45話 自分の名を甥に横取りされた家久




 

 父の亡霊が一部始終を語り終えると、大将の亡霊が不審げに、

「ところで、わしには、従前から腑に落ちぬことがあるのじゃがのう」

 落ち窪んだ視線がお涼に向けられている。

 

「ほかでもない、名のことじゃ。甥の忠恒は、わしと同じ名を名乗っていると聞くが、伯父と甥が同名という紛らわしいことに何故なったのか、そなた、聞き及んでいないか?」


 ――その件ならば……。


 お涼は童女のように、こっくりと頷いた。


「何でも、忠恒時代のお屋形さまが将軍に拝謁なさったとき、かねてより深く信奉申し上げる将軍さまの『家康』の一字を頂戴できればまことにありがたき幸せ……と、かようにおねだりなさったそうにござります」


 大将の亡霊は「あ」という字に、口を開けた。


「すりゃ、まことか? わが甥ながら、忠恒という奴はこんまいうちから諂笑者てんしょうものじゃったが、それにしても家ではなく康の字を偏諱へんき賜ればよかったものを……」

「まことに。正直、わたしども領民も、いちいち紛らわしくて困っております」


 率直に答えると、大将の亡霊は、落ち窪んだ目でぎろりと睨んで来る。

 しまった、調子に乗って軽口が過ぎたようじゃ。

 お涼は首を竦めたが、大将の亡霊は蒼褪めた顔を愉快そうに破り、

「いや、いまどきの女子は、はっきりしていてよろしい。まことに、よかよか」

 亡霊らしくない真っ白な歯並びを見せ、豪快に肩を揺すぶっている。


 気づけば、月は真上にあった。

 雲が翳ると、瞬時光が失せる。

 夜が深々と更けていた。


 にわかに父の亡霊が心配し始める。

「お涼。かような夜更けに女子のひとり歩きは不用心じゃ。ささ、早うね」

「ははは。一之進の申すことよ。まるで、娑婆におる者がごとき親心ではないか」

 大将の亡霊が揶揄からかうと、供侍たちの亡霊も、どっとばかりに囃し立てた。


 ――何と睦まじげな……。



      ☆彡



 本来なら、いつまでも仲良きご主従であられましたろうに。みなさまのご無念、きっと晴らして差し上げまする。万事をわが「亀寿組」にお任せくださりませ。



      🍃



 甲冑をがちゃつかせながら、亡霊たちは冥府へ帰る準備を始めている。


 ――お涼、さらばじゃ。われら一同、堀の中から大願成就を応援しておるぞ。


 父の亡霊が告げると、大将の亡霊も供侍たちも、いっせいに重々しく首肯する。

 昏く光る目をお涼に向けた亡霊たちは、朧な足許から堀の水に沈んで行った。

 飛び散った金色の欠片が再び寄り合い、ぶんまわしで描いた完璧な円になった。

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