第46話 高潔な義久のもうひとつの貌



 

 寅の刻。

 お涼は国分城の庭に降り立った。

 寒そうな満月が煌々こうこうと空に張り付いている。

 犬走りで寝ていた犬の雪丸と猫の斑姫が、さも面倒くさげに耳だけ動かす。🐈🐕


 ――相変わらずい奴らめ。


 小さいもの、力の弱いものに弱いお涼は、他愛なく頬を弛める。

 居室で休んでいた亀寿ノ方さまは、寝衣の襟元を整えながら出迎えてくれた。


「お涼か。遅かったのう。つい先刻まで、肥前守も案じておったのじゃぞ」

「それは申し訳ござりませぬ。つい時間を忘れて長居をしてしまいまして……」

 素直に詫びると、亀寿ノ方さまは紅鳶色の虹彩に、悪戯っぽい笑みを浮かべ、

「もっとも、幽霊が出るのは丑三つ時と相場が決まっておるがの」

 恐縮するお涼に、亀寿ノ方さまは可笑しそうに畳み込んで来る。


「で、どうであった? 目的の亡霊たちに、首尾よく行き会えたのか」

「おかげさまで。みなさま、そのう……お元気でいらっしゃいました」

「ははは。戯言ざれごとを申すな。幽霊が元気なはずがあるまいに。で?」

「あのぅ、まことに申し上げにくいのでござりますが……」

 お涼は言い淀む。


「ふむ。如何いたした? 剛毅果断なお涼らしくもない。かまわぬ、申してみよ」

 観念したお涼は慎重に言葉を選び、亡霊との邂逅を亀寿ノ方さまに報告する。

 しかし……。

 末弟・家久暗殺の首謀者が長兄・義久だったという件は、いかにも話し辛い。


 遅く授かった末子。

 幼くして母を亡くし、年端も行かぬうちに京へ人質に出された不憫な娘。

 生え抜きの家来から「至極の御愛子」と囃されるほど密着した親子関係。


 ――大きな背中で世間の雨風から守ってくれた父親は、その愛を一身に受けた娘にとって不可侵のはず。完全無欠と信じていた父が、実は大悪人にも匹敵する別の貌を持っていたやも知れぬなど、娘として、決して認めたくない事実に違いない。


 お涼の懸念をよそに、亀寿ノ方さまは拍子抜けするほど恬淡とされていた。


「あのな、そう気を遣ってくれずともよいぞ。父上にも娘のわたくしには見せない側面があったことは十分に承知しておる。……あれは、いつのことで、相手がだれであったかすら思い出せぬが、わたくしがまだ切り提髪だったころに、家臣や領民に対する父の非道な仕置きぶりをな、親切に耳打ちしてくれた大人もおったしな」


 ――ええっ!


 そんなことがあった?!

 お涼の全身に稲妻が走る。


 母亡き子の耳に毒を流し込む輩が、亀寿ノ方さまのまわりにもいたのだ。

 そのとき、亀寿ノ方さまはきっとご自分がいけないのだと思われたはず。

 言われたご自分を恥じ、だれにも言わず、堅く心に密閉されて来たのだ。


 親切ごかしに甚振いたぶられた苦渋を胸の底にしまっておいた亀寿ノ方さまの孤独を思うとやりきれない。天涯孤独のお涼もまた、親戚の毒に晒されて来た。


 ――人の好さそうな笑顔の下に残忍な刃を忍ばせている。そんな大人がたしかにいる。美々しい袂の下の匕首あいくちで、素早く弱き者を突き刺し、素知らぬ顔をしている悪魔のような人間どもが……。


「つまらぬ愚痴を聞かせたな。許せ」

「亀寿ノ方さまこそ、お労しゅう存じます」

 同じ境遇の主従は、言葉少なに労わり合う。


 やがて。

 凛然たる城主にもどった亀寿ノ方さまは、あらためてお涼に指示を告げた。

「枝葉は捨ておけ。『亀寿組』の目標はただひとつ、殿の野望を阻止し、島津宗家の大義を成就すること。過程は問わぬ。結果がすべてじゃ。首尾よくいたせ」

 揺れ動く感情を透明な氷のように宥めたお涼は、素早く忍者にもどった。

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