第47話 「贋作の伽麿」にぞっこんのお涼




 

 11月7日巳の刻。

 お涼は再び佐土原にいた。

 今度は城内ではなく城下。


 さすがに鶴丸城下ほどではないが、市が立ち、侍や町人が行き交い、生活の活気に溢れている。

 今日のお涼は旅籠の若女将に扮している。

 黒繻子の襟を抜き、菖蒲色の肩掛けを羽織った、艶っぽい出で立ち。

 長板本藍染の渋い小紋の袖に、丁子茶色の風呂敷包みを載せている。


 とある長屋の前で、嫋々じょうじょうたる紅緒の下駄を止めた。

 さりげなく辺りを窺うと、すっと斜に身を入れる。

 日向に慣れた目に、屋内はほの暗い。


「へい、らっしゃい」

 寂びた男の声がした。


 目が慣れると、かなりの男前がいた。

 歳の頃は30前後か、小粋な職人風。

 精緻な彫刻刀で彫ったような目鼻立ち。

 がっしりとした双肩、分厚い胸板……。

 お涼の心ノ臓が、きゅっと音を立てる。


 ――いかぬ、いかぬ。見映えのいい殿方に惚れやすいのがわるい癖じゃ。


 粛然と反省し、敢えて高飛車な物言いを心掛ける。

「ちょいと訊ねるが、絵師の伽麿とぎまろとは、そなたのことかえ?」

「へい、如何にも」

 伽麿の答えは短い。

 その渋い声がまた、お涼の好みに、どんぴしゃである。(笑)


 ――う、いかぬ、いかぬ。あくまで任務である事実を失念してはならぬ。


 とにかく殿方に惚れやすい性質のお涼は、かような場合の自衛策として、目の前の男の欠点を、無理にも探し出すことにしていた。


 擦り切れた茣蓙に傾いだ机。

 火鉢にはおきも見えない。

 床は足の踏み場もないほどの紙屑で埋まっている。

 破れ放題の障子からは、野良猫が勝手に出入りしている気配。

 土間も散らかっているし、隣接する長屋の厠の匂いも堪らぬ。

 言っては何だが、この歳で鰥夫やもめとは、よほど女にもてぬと見た。


 ――まあ、あれだわ。酒で声を潰したくなる気持ちも、わからぬではないわ。


 憎さげに思ってみるが、そんなことで退散するような伽麿の魅力にあらず。

 内心の動揺を悟られぬよう、お涼はこほんと軽く咳払いをして、

「率直に訊くが、そなたの腕は確かかえ? うわさ倒れということはなかろうな」

「おかしな言いがかりはやめてくれ。その辺の描き損じを見れば一目瞭然だろう」

 売られたけんかを買うつもりなのか、伽麿はにわかに気色ばんで来る。


「どれ……。んまあ、どれも見事な出来じゃないか。捨てちゃうなんて勿体ないよ。気に入らないところをちょいと直せば十分に通用するよぉ、商売物としてさ」

 急に口調を変えたお涼を不審がりもせず、伽麿はにべもなく切って捨てた。

「いんや。駄目なものは駄目さ」


 怯まず、お涼はもうひと押しを試みる。

「けど、あれだろ、通称ってえのかい、それが付くほど有名な絵師ってえ訳じゃあないんだろ?」

「馬鹿ぁ言っちゃあいけねえよ。『贋作の伽麿』を知らなけりゃ、この業界じゃあ潜りだぜ」

 よっしゃ! まんまと掛かってくれた。

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