第16話 御所模様の衝立のかげの「魔鏡」




 

 卯の刻。

 国分城に帰り着いたお涼は、阿久津の館での模様をあらためて思い返してみた。


 ――お伊都姫さまは熱心なキリシタンと伺っているが、先刻のお寝間に、信仰の証しらしきものはあったろうか。十字架の首飾りとか、マリア像や燭台とか……。


 天正15年(1587)7月24日、九州征伐により念願の天下統一をほぼ果たした太閤秀吉は、唐突に、キリスト教禁止策を打ち出した。それまで黙認していたキリシタン大名・高山右近を改易、宣教師の国外退去を命じる「バテレン追放令」を発布し、慶長2年(1597)2月には長崎で26聖人の十字架刑を断行した。


 その翌年に秀吉が没すると、峻烈を極めたキリシタン弾圧はとつぜん宙に浮く。


 慶長5年(1600)、関ヶ原合戦。同8年、征夷大将軍に就任した徳川家康は江戸に幕府を開く……という流れで、目下のところ、徳川政権からキリスト教禁止令は出されていないが、何かと波乱含みの東風こちは、秋津洲あきつしまの最南端に位置する薩摩にも頻々と伝播されて来ていた。


 大坂の陣から16年を経たいまなお、西国には豊家ほうけの熱烈な信奉者が少なくなく、武家や庶民から朝廷の内部に至るまで茸の菌のように敷衍ふえんしたキリスト教は、東国に根拠を置く為政者にとって、とうてい看過できぬたねには違いなかろう。

 となれば、お伊都姫が極めて用心深くなるのも当然だった。


 だが。

 お涼の生々しい記憶の隅に、かすかに引っ掛かるものがある。


 ――御所模様の雅な衝立の蔭にちらっと見えた……あれはもしや「魔鏡」? 

 

 一見、何の変哲もなさげな手鏡だが、外光を当てる角度により天井や壁に十字架を背負うキリスト像が浮かび上がるという、何やら、おどろおどろしき道具……。


 とすると、危険を冒してまで手許に置く状況に、信仰の深さが推察される。

 お伊都姫さま、ご用心なさってくださいませ、茅乃姫さまのためにも……。


 発覚の不安に打ち震えるお涼の眼前に、ぬっと大きな塊が立ちはだかった。


 ――ひぇーっ!


 お涼は悲鳴を挙げそうになる。

 黒い塊が「ふっ」と薄く嗤う。


 ――あ、兄弟子どの! 


 やだもう、いきなり現れるんですもの、心ノ臓が縮み上がりましたよ~。

 お涼が膨れると、東郷重位は耳聡い犬にしか聞こえぬ忍の舌づかいで、

「ふふ、この程度のことにいちいち驚いておって、くノ一が務まろうかよ」


 ――あちゃあ……。


 もっともである。

 恥ずかしさに俯くと「まあ、よいわ。そなたが今宵どこまで忍走しのびばしってまいったか、大方の見当はついておるからのう」今度はいきなり氷水を浴びせられた。


 気心の知れた兄弟子とはいえ、現在の東郷重位が仕えるのは、ほかならぬ家久。

 万一、亀寿ノ方さまからの密命を、小憎らしい敵方に知られでもしたら……。


 お涼は思わず懐剣を探る。

 東郷重位は再び薄く嗤う。


「いまの拙者は、たしかに宮仕えで禄を食んでおるが、心までは売り渡しておらぬつもりじゃ。むさ苦しい中年男の見かけばかりはどうにもならぬが、尻が青かった往時のまま、如何なるときも、是々非々を貫く覚悟だけはできておるつもりじゃ」


 あまりに率直な兄弟子の告白にお涼は、ふと涙ぐみそうになった。

「わたしとしたことが大変なご無礼を。どうかお許しくださりませ」


「よいよい。せっかく人として生まれついたのじゃ。大手柄は望まぬが、せめて、小さくとも善きことを成し、つたなき生を全うしたいではないか。のう、お涼……」

 潮騒にも似た低い呟きがすぼまると同時に、東郷重位のすがたは消えていた。


 一部始終を目撃していた下弦の月は、山の端に隠れている。

 満点の星ぼしは、今宵最後の瞬きを無心に煌めかせている。

 にわかに濃度を増す払暁ふつぎょうの闇に、梔子くちなしの花の香がひときわ甘い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る