第17話 真紅に白抜き「艶」の一枚暖簾


 



 6月8日(陽暦7月17日)酉の刻。

 闇に溶け込む鉛丹色えんたんいろの忍者装束に身を固めたお涼は、鶴丸城下に潜んでいた。

 そばにもうひとり、同じ装束の東郷重位が妹弟子を守るように寄り添っている。


 生温かい風が立った。

 土埃が舞う青朽葉色の夕闇から、忽然と1挺の男駕籠が現れる。

 剣士でくノ一のお涼は、獲物を見極める昆虫の視線で凝視する。


 豪奢な飾りの類いをいっさい廃している。

 どう処理したものか、家紋も見当たらぬ。

 が、秘して秘しきれぬ風格が滲んでいる。

 

 ――あれでございましょうか?


 となりの兄弟子を覆面の目で仰ぐと、


 ――さよう。間違いはござらぬ。


 東郷重位も覆面の目で答えてくれる。


 目深に笠をかぶった供侍どもに守られた駕籠は、突如、直角に方向を変えると、


 ――艶。


 肉太の一文字が真っ白に染め抜かれた、真紅の一枚暖簾へと吸い込まれて行く。


 それを見届けた東郷重位は、にわかに落ち着きを失くし、覆面の口を割った。

「こほん。拙者のな……何というか、その……古き弟子筋に当たる者がな、ほんの手慰みにやっておる、いささか訳ありの店なのじゃ……ふん、そういうことじゃ」

 

 ――訳ありとは、いかような?


 訝しげな妹弟子に、兄弟子は覆面の中の蟹顔をさらに横長に広げたものと見え、

「いや、何、その……少しばかり年若のな、美形の娘たちを置いておるのじゃよ」

 いかにも言いづらそうに、モグモグと口ごもっている。


 ――年若って、いくつぐらいの?


 妹弟子が遠慮のない咎め立て視線を発すると、果たして兄弟子はさらに狼狽え、

「じつは拙者もよくは知らぬのだがな、まあ、あれじゃろう、その……ほとんど、子どもといってもいいくらいの年頃の……」しどろもどろに語尾をぼかした。


 こうなると、お涼も目顔だけというわけにはいかぬ。

「んまあぁ、そんなに幼い娘たちでございますか? あの、こう申し上げては何でございますけれど、兄弟子さまのお弟子筋とやらも、碌な者ではございませぬね」


「ふうむ……まあ、そう言われれば、たしかに。だが、彼奴きゃつにもそれなりの事情やら考えやらがあるのじゃろう。ここはひとつ大目に見てやってくれぬか。な、頼む」

「そう仰せになられましても、かような胡乱うろんを見過ごすわけにはまいりませぬ」


 ふたりが闇で肘を突き合っている間にも、目の前の店には絶えず動きがあった。


 ――さよう、拙者にはやましいところ大ありでござる。


 とでも言いたげに笠を深くした侍どもが、ひとり、またひとりと「艶」の店内へ入って行く。着ているものや所作物腰からしても、いずれも身分のある侍らしい。


 ――なんと下品げぼんな!


 お涼は不品行な輩の背という背を、視線の矢束でずっぷりと突き刺してやった。

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