第18話 亀寿ノ方居室の秘密の小扉




 

 6月10日未の刻――。

 美麗な趣向を凝らした2挺の姫駕籠が、音もなく国分城内に吸い込まれて行く。

 父親の監禁先で生まれた不憫な曾孫娘とその母に、生前の義久が贈ったもので、ほんの数人のお供衆も、目立たぬような歩き方で2挺の駕籠のあとに従っている。


 ――ついに始まるのだ、秘密の計略が……。


 心からお慕いする亀寿ノ方さまが身命を賭して発願された、神をも畏れぬ大事業をどこまでお支えできるか、お涼にとっても、ここからが本当の正念場である。


 地味な普段着で朱門の蔭に佇んでいるお涼は、辺りを見渡して安全を確認する。


 ――ふむ、大丈夫じゃ。石燈籠やにれの大木の葉陰にも、怪しい人影は見当たらぬ。とはいえ、お駕籠が着到されるより少し前、種子島剛正らしき黒い人影がちらと目の端をぎったような気がするが、かようなとき、いったい何処へ……。


 不審が掠めかけたとき、賑やかな歓声が弾けた。

 駕籠から降り立った、お伊都姫と茅乃姫である。


「うわぁ、可愛いらしい。母上、ほら、ご覧になってくださりませ。ご廻廊をトコトコ歩いている犬のこの子と、『犬走り』にうずくまっている猫のあの子を……」


「ほんとに。犬さんも猫さんも穏やかなお顔をなさっていらしゃること。飼い主に似ると申します、お二方のご性分も亀寿ノ方さま似でいらっしゃるのでしょうね」


 そのまま足袋裸足で庭に走り降りた茅乃姫が、猫の背中を撫でたらしい。

「まっ、母上。わたくしの手を舐めてくれましたよ。かわいい猫さんですねぇ」

「犬さんも、ほら、あんなに尻尾を振って。何とも愛らしいお子たちですこと」


 あまりに楽しそうなので、お涼もつい朱門の蔭から覗いてみると、先夜、阿久根の館の天井裏から目撃した美々しい母と娘が2輪の花のようにさんざめいていた。


「弱き者に情を掛けるお伊都どのに似て茅乃どのも相当な動物好きと見えますね。犬は雪丸ゆきまる、猫は斑姫まだらひめと申します。ふたりともなかなか利かん気でしてね。つい先日も、わたくしの膝を取り合い、取っ組み合いの大げんか寸前でございました」


 たらたらの自慢は、絵に描いたような「飼い主馬鹿」の亀寿ノ方さまである。


 こちらもまた母親に似て素直な性質なのだろう、金銀色糸を惜しみなくつかった打出の小槌模様の小袖を纏った茅乃姫は、いま教わったばかりの名を呼んでいる。


「犬の雪丸さん、猫の斑姫さん。おふたり共にご機嫌麗しゅう。わたくしは阿久津の館からまいりました島津茅乃と申します。どうぞ、お見知りおきくだされませ」


 あまりの愛らしさに、母のお伊都姫も、大叔母の亀寿ノ方も他愛なく笑み崩れ、

「あらあら、茅乃ったら、お友だちに話しているようではありませぬか」

「ほんとうに、素直な、よいお子ですこと。人一倍ご苦労の多かった境遇のなか、よくぞここまでお育てになられましたな、お伊都どの。まことにご立派ですよ」

「いえ、そんな……。ただ無我夢中で育ててまいっただけにござります」


 高貴なお3方は、梢の美しい3羽の小鳥のように朗らかに笑い喧騒さんざめかれながら、犬の雪丸と猫の斑姫にもう一度声をかけると、一団となって歩き出された。

 華麗な一行は廻廊の鍵の手を折れ、最奥の亀寿ノ方さまのお部屋に向かわれる。


 じつは。

 そこには先代・義久の形見の重物として枯山水の六曲一双屏風が置かれている。

 名のある絵師による第一級の逸品であるが、その丈高い屏風の蔭に、小腰を屈めなければ通れない扉がある秘密を承知しているのは、ごく一部の「国分衆」のみ。


 竣工と共に工事関係者が忽然と消えた。

 そんな話も沙汰やみになって久しい。

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