第14話 島津家随一の美女・お伊都姫と茅乃姫




 

 お涼は疾風になって吹き抜けた。

 忍の足先には目玉が付いている。

 石ころだらけの道、ぬかるんだ道、険阻な山道、笹の葉を鳴らす獣道、渓流沿いの岩間の道……どのような悪条件にあっても、真っ直ぐ風神のように駆け抜ける。

 上下動を抑えた剣法の摺り足が「忍走しのびばしり」の鉄則である。


 丑の刻。

 鬱蒼たる欅林に囲まれた、阿久根の屋敷の門前に到着した。

 生温かい風が丈高い樹林の梢をざわめかせるたびに、天狗か幽鬼か、はたまたぬえか知らぬ魑魅魍魎ちみもうりょうどもが、ボウボウと気味わるげな声を上げている。


 ――ムッ!


 音無しの気合を入れると、奥御殿の天井裏に飛んだ。

 青白い月光に、2組の豪奢な夜具が照らされている。

 そこに並ぶ大と小、仰向けの面差しがよく似ている。


 ――トン。


 畳の上に飛び降り、大きな影のかたわらにひざまずく。


 ――ん?


 絡繰り人形のように、ぱかんと大きな目が割れた。

「く、曲者! た、たれかおる?!」

 叫びかける影を目で制し、懐のかんざしを翳して見せる。

「あ、それは……」

 島津の十字轡じゅうじぐつわの家紋入り金簪きんしんは、亀寿ノ方さまのご生母のお形見だった。


 お涼は、薄い白羽二重の半身を起こしたお伊都姫のあまりの美しさに見惚れた。


 華奢な双肩と細い腕。

 丸く堅く盛り上がったふたつの乳房。

 夜目にも艶やかな黒髪。

 対照的に白い肌。

 消し炭で暈したような眉と大きな目。

 掌ほどの小さな顔に花の唇。

 ことに、右まぶたの下、細筆の先でそっと突いたような「泣き黒子」の愛しさと言ったらどうだろう。同性のお涼も震い付きたくなるほど嫋々じょうじょうたる美形である。


「あの……お伊都姫さまでいらっしゃますね」

 妖しいまでの魅力に、不覚にも声が掠れた。

「如何にも、そうである。で、そなたは?」

「お初にお目にかからせていただきます。国分城の亀寿ノ方さまにお仕えする涼と申します。長居は無用にて、手短かにご説明申し上げます。明後日の未の刻、隠密にて国分城へお運びくださいませ。ご用件はそのときに、とのことでございます」


 いたって素直な性質なのだろう。

 お伊都姫は即座に響いてくれた。

「相わかり申した。お申し越しの時刻に、必ずお伺い致しましょう」

「それから……ご息女の茅乃姫さまも、ぜひご一緒にとの仰せにござります」


 お伊都姫は夢のように儚げな眉を少ししかめ、となりに並んだ夜具を見やる。

 年の頃にして10歳ばかりか。

 お伊都姫に瓜ふたつの美少女が、すやすやと穏やかな寝息を立てている。

 母も美しいが、娘は娘でこの世のものとは思われぬ完璧な造形美である。


 畏れ多くも亀寿ノ方さまは、家久への報復の手段に幼い姫をお遣いになるのだ。

 類い稀れな美貌が招く不幸をくノ一の勘で予感したお涼は、ぶるっと戦慄する。

 

 覚悟を決めたかのように、お伊都姫はお涼に向き直り、

「すべて承知仕ったと、亀寿ノ方さまにお伝えくだされ」

 蠱惑的こわくてきな双眸が寝室の闇にぬれぬれと光っている。


 浅く目礼した瞬間、お涼はもう天井に吸い込まれていた。

 瞬時に壁を上る蜘蛛の術も、丸目蔵人師の折り紙付きだ。


 身体に刻印された忍術の記憶をひとつずつ確かめてみる営みが、お涼には愉しくてならない。美し過ぎる母娘への哀憐は、敢えて念頭から消し去ることにした。


 ――キエェーイッ!


 くノ一ならではの喜悦を獣のように咆哮しつつ、お涼は闇の帰路を疾走する。

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