第76話 鶴丸城奥御殿のあれやらこれやら




 

 で、そのお鍋ノ方が、いましもお涼が潜む天井裏の真下の廊下に、巨大なすがたを現わした。

「あ、これ。わらわの裾を踏むでない。あれほど気を付けよと言うたに。まったく、気の利かぬ侍女共じゃ。わらわの命令が聞けぬなら、殿に言いつけてやるぞ」


 身体付きに相応しい胴間声で恫喝している。

 就き従う侍女たちは全員がこぞって可憐。

 一団はさながら閻魔大王と召使のごとし。


 とそこへ、老齢にも拘わらず、ぴんしゃんと背筋を伸ばした竈局がお出ましに。

「お梅どの、何をしておる?」

「あ、これは西条の局さま」

 踏ん反り返っていたお鍋ノ方は、にわかに狼狽えた。

「そなた、かようなところでウロウロしておる場合か」

 竈局は老いの嗄れ声で、ぴしゃっと決めつけた。


「はぁ?……」

 太い首を鈍重に捻るお鍋ノ方は、おつむのほうも、いまいちと見える。

「先ほども殿は『あっち』の部屋へ行かれたぞ、コソコソと泥棒猫よろしくな」

「え、お摩耶どのの?」

 側室になった茅乃姫は、最近、お摩耶ノ方と呼ばれるようになっていた。


「さぞかし今頃は、お楽しみの真っ最中じゃろうて」

 竈局は南蛮渡来の釦のごとき目をピカリと光らせた。

「あんれまあ、わしは少しも気づかなかったに。いつの間に……あんれまあ」

 うっかり出かかったお国言葉に、さっそく竈局の突っ込みが入る。


「わしと申してはならぬと、あれほど言うておいたではないか。ここは種子島ではないのじゃぞ。そういうふうだから、いつまで経ってもそなたという女子は……」

「申し訳ござりませぬ。わらわとしたことが、まことに迂闊でござりました」

 お鍋ノ方は巨体を蟻のように縮めた。


 竈局は竦むお鍋ノ方をじとっと睨め付ける。

「迂闊では済みませぬぞ、お梅ノ方。幸いにも、いまのところ、他の側室方は女子しか産んでおらぬ。だが、新参の『あっち』が万が一男子を産みでもしたら、如何いたすつもりじゃ。よいか、身命を賭しなされ、身命をな」


 きつく厳命されたお鍋ノ方は、太って合わない襟元を掻き合わせ、

「しかと承りました。この梅、今宵からますます閨のことに精進いたしまする」

 まだ何か言いたそうな竈局に一礼したお鍋ノ方は、くるっと踵を返した。


 一方、昼間からお摩耶ノ方の閨に入り浸っている家久は、ひとり夢心地の模様。

「わが殿にも困り者よ。お摩耶ノ方が入城されてこの方、お座布団が温まらぬ」

「まったく。お摩耶ノ方さまはあれだけのご器量ゆえ、殿のご執着もわからぬではないが、せめて先々代の忠良さまからの御家訓は遵守していただきたいものじゃ」

「国主の仕置きに差し支えるゆえ『二日連続の閨通いは厳禁』というあれな。あのように浅ましきおすがた、われら家臣はどういう目で拝見したらよいやら……」

 家来たちの嘆息もどこ吹く風の家久である。

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