第37話 家久の来し方を天井裏で




 眼下の貪欲な鷹と無抵抗の雛鳥。

 事ここに至るまでの家久の来し方が、お涼の脳裏にいやでも思い浮かんで来る。


 剣術ごっこは好きだが、読み書き算盤はからっきし。我欲には甚だしく執着するが、他人の苦悩や悲しみは寸毫すんごうたりともわかろうとせぬ。生まれついて粗暴な質の少年を「まあ、いいか、跡取りではないんだし」周囲も無責任に放っておいた。


 いびつに成長した子どもの頭上に、ある日とつぜん降って来た、


 ――島津77万石。


 想像もしなかった玩具に、大人子どもは狂喜し、惑乱する。

 ひとたび抱え込んだものは二度と放すまいと武者ぶりつく。

 なれど、婿養子の自分の命運は、舅・義久に握られている。


 ――うぬ、老いぼれめ。いつまで生きておるつもりだ。


 おかげでこっちはいつまで経っても安心できぬではないか。

 練られる機会を与えられなかった心はもはや制動が利かぬ。

 

 ――どこかで自分を陥れる陰謀が図られているのではないか。


 国主の器に自信が持てぬ男、じっとしていれば不安が募る。

 自身を苛む強迫から逃れようとて、ますます酒色に溺れた。


 国主以前の、ひとりの人間の半生として、かように無為な所業があるだろうか。


 もしも、である。

 亀寿ノ方さまへの身贔屓に過ぎる。

 そういうのであれば、百歩譲り、家久の立場になって考えてやってもよい。


 国主としてのおのれの悪評は百も承知だが、見るからに険しい悪相の改善はもとより、いまさら人徳など積めるはずもない。とすれば、せめて家臣どもの目の底にひそむ失望や侮蔑、その他もろもろの不快と、正面から向き合わずに済ませたい。


 野獣のごとき粗暴な所業の因は、案外、奈辺に潜んでいるのかも知れなかった。


 ――古今東西、小人君主の行き着く先は、すべからく恐怖政治ゆえに……。


 だからといって、おのれの妻・亀寿ノ方さまのご人望を妬んで逆恨みする。

 ましてや、イボイボの触覚で甚振いたぶるなど、あってはならないことであるが。

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