第五話 拾われたぼっち

 異世界ホームレス生活を謳歌していた俺に声をかけ、どこかへ連れていく女性。


 よろよろと引っ張られていたのでどこをどう通ったか定かではないのだが、少なくとも街は出ていない。

 やがて目的地らしき家に到着して、女性は鍵を取り出し穴に差し込んで回すと扉を開いて中へ入っていく。俺もそのまま入れられた。


「まずはシャワーだ。奥の扉を突き当たって右。さぁ行った行った」


 女性は扉の外へ傘を立てかけに戻って俺に指示を出してくる。身形を綺麗にしてから売り出すのだろうか。いや、それだったらまだ女性の方が高値で取引されそうだ。だが男でも若ければ労働力になると見込んだのかもしれない。奴隷としての価格は落ちるだろうが。顔を合わせている他のホームレス達は大体俺よりも年上だったと思う。髪や髭を整えることができないのではっきりとわかるわけではないが。

 ただ俺に拒否権はない。奴隷とホームレスはどちらがいいのかなんてわからない。強制労働がある分奴隷の方がキツいだろう。ただそれならもしブラック企業に就職して、と考えていた元の世界の未来予想図に近い結果だ。案外早く死ぬかもしれないな。四年制大学に行くとしたら就職までに六年も猶予があったわけだし。


 大人しく女性の指示に従う。びしょ濡れなので家具を濡らさないようにだけ気をつけて奥の扉へ向かい、言う通りに突き当たりを右に曲がったところの扉を開ける。脱衣所らしきスペースがあった。とはいえ脱いだ二ヶ月着っ放しの服を脱衣籠に入れるのもどうかと思う。床なら後で雑巾がけなどできそうなので、床に脱ぎ捨てておこう。

 全裸になって浴室へと続く扉を開ける。シャワーがついているだけの簡単な浴室だったが、石鹸などもある。売り物になる可能性が高いので、面倒を増やさないためにも念入りに身体を洗った方がいいかもしれない。なにせ二ヶ月間雨を浴びる以外になかったからな。おそらく以前の俺なら近づくことすら拒否していたような存在と化している。石鹸を大量に使うことになるが、そこは目を瞑ってもらおう。ある程度商品としての体裁を整えなければならないだろうから、結局使うことになると思う。


 ということで、石鹸を使って全身隅なく五周ほど洗い倒した。


 二ヶ月放置していたわけだから当然だが、髪も伸び放題だ。髭はそこまでかな。あまり生えない方だからか。拾ってくれた人は女性だったのだが剃刀らしき道具が置いてあったので、頑張って使ってみた。多少切ったが初めてにしては上手く剃れた方だと思う。こういう細かなところで元の世界の技術力の高さを痛感する。何枚も刃を組み合わせて、とかよく考えたモノだ。


 髪は切る道具がなく、また坊主にする気もなかったので長いままだ。前髪が目に入って鬱陶しい。普段ならこれくらいの時には切ってると思う。


 ともあれまだ臭くないか一通り嗅いでみて(特に脇とか)問題なさそうになったので、一旦上がることにする。長居しすぎると倒れたかとか思われそうだ。


 浴室を出ると俺の着ていた服がなくなっていた。拭いたような跡もあるので女性が処分、掃除をしてくれたのだろう。申し訳ない。代わりに脱衣籠へ男物の服が入っていた。白い長袖に黒いズボンだ。下着もある。これを着ろということか。

 女性以外に人が住んでいるのかはわからないが、男物の衣服や下着が用意できるということは元からホームレスを拾う意思があるということに他ならない。やはり奴隷として売られるのか。


 着替えて浴室を出ると、やけにいい匂いが漂ってきた。以前は当然だったが今では手の届かないモノになった、温かい料理の匂いだ。匂いに釣られるようにふらふらと匂いのする部屋に向かう。

 そしてテーブルの上に置かれた料理の数々に目を奪われた。


 今では残飯でしか見たことのなかった料理達。以前ならなんとも思わなかっただろうが、それらが輝いて見えた。


「食いな。話はそれからだ」


 女性の声を聞いて、俺は手近な椅子に座りフォークを手に取った。腹は鳴らない。常に空腹が続くと空腹を空腹と感じなくなるのだ。食欲も湧いているわけではなかった。なにが俺をそうさせたのか、料理を片っ端から口に運んでいった。

 それはもしかしたら、目の前にある栄養を身体が欲した本能的衝動だったのかもしれない。


 俺が生きたいと思っているかどうかは兎も角、身体は勝手に生きようとしてくれるのだろう。


 もちろん喉を通らなかったが、スープやら飲み物やらで流し込んだ。今は料理を摂取することが大事だ。普段食べていたよりも多い量を食べたので、余程身体が追い詰められていたのかもしれない。胃が受けつけないという話も聞いたことがあるが、背に腹は代えられない。無理矢理にでも詰め込んでいった。……皿などが重く感じたのは、おそらく筋力が大幅に落ちているからだろう。労働力として売られるにしても、筋力を取り戻すのにどれくらいの年月が必要かわかったもんじゃない。別の用途が俺にあれば、そっちかもしれないが。


「……食い終わったね。聞くが、あんたは何者だい?」


 食べ終わった頃を見計らった女性に対面の席から尋ねられる。……何者と聞かれても困るんだが。元日本の高校生にして、異世界に来てからはホームレスやってました、という答えを期待してのことじゃないんだろうが、意図が不明だ。なにか他のホームレスと違う点が女性の中で見つかったのだろうか。

 女性は赤紫色の長髪を後頭部でまとめてポニーテールにしており、赤い切れ長な瞳と端整な顔立ちをしている。美女と呼んで差し支えない。思い返すとそれなりに背が高く手足がスラリと長かったように思う。スタイルもいいので見た目は完璧に近い容姿かもしれない。俺の理想に、という意味ではないが。


「口が利けないのかい?」


 女性に尋ねられ、そういうことではないと首を横に振った。考え中だったのだから返答するもなにもない。


「そうかい。なら答えてもらおうか?」


 尋ね直されてしまったが、正直どう答えたモノか。異世界人であることを隠すなら、ただの浮浪者ですと答えればいいのだが。


「……。質問の意味がわからないのかい。なら仕方がない、こっちから問い詰めるけど」


 俺が答えを返さないことに痺れを切らしたのか女性が話を進めていく。


「まず一つ。随分料理にがっついてたけど、まぁそこは不思議じゃない。ただそれならそれで、もっと汚い食べ方をするもんだ」


 女性が左手の人差し指を立てて言ってくる。言われてから自分の食べた後を見下ろしてみるが、かなり汚いと思う。なにせ形振り構っていなかったから、食べクズがあちこちに散らばっている。到底綺麗とは言い難い。


「あぁ、そういう汚いじゃないよ」


 俺の思っていることが伝わったのか、釘を刺してきた。


「掻き込むように食べるなら、手掴みもありだ。手掴みはなくても、そこにあったステーキ。それをナイフとフォークで切り分けて食べるのは不自然とも取れる」


 女性が言う。指差した皿の上にあったのは確かにステーキだ。コクのあるタレと大根らしきおろしがかかっていてとても美味しかったです。俺としてはステーキはナイフで切り分けフォークで食べるモノだ。そうやって食べるモノだからそうした、というだけに過ぎない。


「そもそも、切り分けられていないステーキを食べるなんて金持ちでもなけりゃ滅多にない機会だ。つまりそのステーキの食べ方のマナーを知っているってことは、貴族かなんかとりあえず金持ちの息子の可能性が高いってことになるね?」


 女性に言われて、そういう推測ができるからステーキをわざと切り分けずナイフと一緒に置いていたのか、と今更になって思う。俺の素性がどういうモノなのかを判断する材料として食事メニューを考えたのかもしれない。恐ろしい相手だ。

 しかし迂闊だと言わないで欲しい。俺だって余裕はなかった。目の前にあるモノを食べるだけで精いっぱいだった。だったらフォークで刺してそのまま食べろよ思われそうだが、大きい肉をそのまま運ぶより切り分けて小さくした方が食べやすいだろう。そこは普段の癖というかなんというか。


「二つ。これを見てみな」


 女性から一枚の紙を差し出され、俺は自身の敗北を悟った。いや最初から勝負にすらなっていなかっただろうが、もう終わったと言っていい。詰みだ。チェスで言うならチェックではなくチェックメイト。


 その紙には、異世界の文字で文章が書かれていた。


 工藤には不思議と読める文字なんだろうが、俺にとっては意味不明な紋様でしかない。


「これを読んでみな」


 女性が告げてくる。これを渡すということは、ある程度俺の素性に当たりをつけているということに他ならない。逃げられない以上、沈黙を返すしかない。


「……どうした、読んでみな。食事マナーの教養もあるなら、文字の読み書きなんて朝飯前だろう?」


 そうだ。もし俺が貴族の息子なら英才教育を受けて一般教養の全てを網羅しているのが普通だ。というよりも、読み書きはこの世界の人ならある程度できるはずなので、読めないという時点で候補が絞れるはずだ。


 俺はゆっくりと、首を横に振った。


「……そうかい。やっぱりね」


 どこか納得したような声が聞こえ、紙が引き下げられる。


「あんた、異世界人だろう。それも突発的に転移してきたタイプの」


 見事、言い当てられてしまった。恐る恐る女性の顔を窺う。


「別にだからと言ってどうこうするわけじゃないんだけどね。厄介だね」


 女性は嘆息していた。なにが厄介なのか、よくわからないのだが。


「あたしらの知るあんたら――異世界人ってのは平和ボケした世界に生きている。平和な代わりに教養が広まっているから、庶民であってもマナーがしっかりしていることが多い。そしてなぜかはわからないが、黒髪黒眼をしたヤツが多い」


 それはどちらかというと海外より日本寄りの異世界人なんだろうな。そういや勇者様は金髪だったが、染めているのか元々そうだったかのどちらかだろう。名前は純日本人だったが。


「あたしは職業柄情報に敏くてね。あんたがもし金持ちの息子なら、一帯に捜索命令が出ているはずだ。家ごとなくなったなら、そういう情報も出てくるだろう。ただ、そういうのが一切なかった。黒髪黒眼でマナーを知っているって時点である程度わかっちゃいたけどね」


 女性は次々とネタばらしをしてくる。


「そしたら大体あんたが異世界人らしい、というところまで判明するわけだ。だからあたしは文字が読めるかどうかを試した。結果、読めなかったわけだけど。そこで切り分けができるのは、正規か非正規か。あんたが知っているかはわからないけど、最近話題の勇者様は正規の手順でこの世界のヤツに召喚されたから、文字が読める。ただし突発的になんらかの偶然でこっちの世界に飛ばされてきた異世界人は、言葉は通じるが文字が読めない。そういう違いがあるんだよ」


 理屈は判明してないけどね、と女性が言う。……なるほど。俺が最初に文字を読めなくて推測を立てた、召喚されたか転移してきたかという違い。あれで大体合っていたわけだ。


「で、最初の質問に戻るよ。あんたは何者だい? あたしはあんたを平和ボケした異世界から突然やってきたと考えている。けどそう考えると不自然なことがある」


 女性は真剣な表情をしていた。最初の質問は「お前は異世界人なのか」を問うモノではなかったらしい。


「あんたらの世界の普通がこっちでは裕福と言える生活ぶりなのは知っている。だとしたらあんたが、路地裏でホームレスとして生活できていたのがおかしい。いやおかしくはないんだけど、ホームレスとして生活していながら正気を保っているのがおかしい」


 女性はそんなことを口にした。……ふむ? 確かによく言われることだが、人は誰かと喋らずに長くいると精神に支障を来たすとかなんとか。まぁ俺は元からぼっちだったので一、二ヶ月程度誰とも話さないで過ごすなんてことが当たり前だったのだが。雑談という観点からすれば思い出す限りなかったくらいだ。娯楽はなかったのでそういう意味では精神的にキツかったような気もするが、すぐにそんな余裕はなくなった。


「正気を保っていると判断した理由を教えようか? 普通、あんな場所に長くいたら精神が弱っていって反応が薄くなっていくもんだ。なのに口は利かないがこっちに反応は返すし、切る道具がなかった髪は兎も角髭は剃っただろう。意識はちゃんと飯食べないとはっきりしないかもしれないが、なんていうんだろうね。自我がはっきりしてるんだよ。この世界のヤツですらそんなことはない。しかもあんたは平和な世界から来たんだ。だから聞いたんだよ、あんたが何者なのか」


 と言われても反応に困る。いや、理由ならあるのか。要は「ただ生きているだけ」という状態が元の世界でも異世界に来ても変わらなかったというだけの話だ。なんの目標もなくただ日々を浪費していくだけの生活。環境が変わりこそすれ、根本的な部分が変わらなかったからだろうか。


「……はぁ。じゃあ答えなくてもいいけど、なにか言ったらどうなんだい」


 俺がどう答えたモノか考えている間にため息を吐かれてしまった。いつも通りの会話(?)模様と言える。


「……なんで、俺を」


 久し振りに声を出したので掠れていたが、なんとか聞けた。


「第一声がそれかい。あたしがなんであんたを拾ったのか、ってことだろ? 気紛れさ。まぁあたしの仕事を手伝ってもらう手足が欲しかった、というのもあるけどね」


 察しが良くてとても助かる。女性の答えは「気紛れ」と「仕事の手伝いが欲しかった」という二つか。だが嘘だな。いや手伝いの方は本当だろうが、気紛れの方は嘘だと思う。手伝いが欲しいならそれこそ奴隷を購入した方がいい。命令も聞くし、俺と違ってある程度管理されていれば状態がいいだろうし。


「喋れるならいいか。で、さっきの質問の答えは?」


 もう一度聞かれて、自分の中で答えを整理し、できるだけ簡潔に答えていく。


「……元々ただ生きてるだけだったから、根本的には変わってない」


 ただ言われるがまま義務教育の次に高校へ通うだけだった頃と、ただどうすることもできず路地裏で生活するだけの時間。環境ぐらいしか違いのない点だ。もう一つ言うのなら、精神という点だろうか。他のヤツが他人との人間関係によって自分の精神を保っているとしたら、俺は独りで一定の精神を保っていた。それが功を奏した例、なのかもしれない。


「なるほどね。大体わかったよ」


 察しが良くて本当に助かります。


「とりあえず、一度拾ったからにはある程度面倒は見てやるよ。これからは体力作りと勉強かね。文字の読み書きができなきゃ使いモノにならない。その細腕でもね」


 女性は言って、不敵に笑った。


 こうして俺はなぜか拾われ、ホームレス生活を脱することとなったのだった。

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