第八十八話 新たな依頼

 偶にリサとアルも加わる中で、日々が過ぎていく。

 暗殺依頼はあるし、災厄が近づいてきている影響か天候の変化が急激になっていることくらいか。魔物もまともに戦えば勝てないくらいに強くなってきている。まぁまともに戦ったことの方が少ないんだけど。


 そんなある日のこと。


「……」


 師匠が難しい顔をしてリビングの椅子に腰かけていた。師匠がこんなにも悩んでいる様子を見せるのは珍しい。テーブルの上に広げられた資料から察するに、暗殺依頼だとは思うのだが。


「アネシア様、どうかされましたか?」


 別の部屋の掃除をしていたノルンが来て、尋ねていた。師匠は顔を上げてから俺の方も見る。


「丁度いい、シゲオもいるね。二人共座りな」


 神妙な表情をする師匠に言われて、俺とノルンは顔を見合わせた後対面の席に座った。

 リリィは今布が足りなくなったとかで買い物に出かけていていないタイミングだ。リリィには関係のない暗殺依頼なのだろうか。


「……政府から新しい暗殺依頼が来た」


 師匠は難しい顔をしたまま依頼内容が記載された紙を俺達に差し向けてくる。


「――え?」


 目を通すより前に、内容の見出しを見たところで思考が停止した。ノルンの呆然とした声が聞こえてくる。


 そこに書いてあったのは――“”の暗殺依頼という内容だった。


 “復讐の剣鬼”。

 二つ名で記載されているが、誰のことを言っているかわかる。というか知らないはずがなかった。


 だがなぜ、どうして、と脳がそれ以上先のことを考えてくれない。いや、わざとらしく思考を止めている。


「今回の内容は見ての通り。“復讐の剣鬼”の暗殺依頼……即ち、リリィ・アランスカを暗殺しろって内容だ」


 師匠はわざと、思考停止している俺達二人に突きつけるように、内容を口にした。……リリィを暗殺? だが納得がいかない。彼女はここに来てから無暗な殺しをしていなかったはずだ。誰かが斬られた、殺されたという話も耳に入ってきていない。政府がなにかを誤解している? それとも復讐の旅の過程で殺してきたことが理由? いや、あり得ない。いつか誰かに殺されてもおかしくない連中だったはずだ。


 頭が混乱する。だが俺はリリィのことを知っている。これまでの暗殺対象とは違う。


 だから、依頼内容を読み進めることにした。政府からの依頼だ。正当な理由が書いてあるはず。


 依頼理由について目を通した。

 最初は“復讐の剣鬼”がどういう人物なのか記載されている。ただし本名が書いていない。調べられていないのではなく、伏せられている。昔に暗殺した路地裏に出没する薬売りの時もそうだった。個人名に意味のない、こういう人物を殺せと書いてある依頼特有のモノだった。


 『剣聖』の才能を持ち、地獄へ堕ちたことで自らを地獄へ追いやった者達への復讐を決行し続けた鬼。そう説明されている。特定の個人のことを差しているのに名前が出てこない。お前達がわからないはずがないだろう? と言わんばかりにも感じる

 依頼理由はその復讐の旅路で人を殺しすぎたこと。大半は悪逆の限りを尽くす罪人で、それらについては罪に問わない。問おうとする国もあるとは思うが。ただ目的の人物を殺す過程で斬殺された人達の中には、悪人でない人もいたという。


 ここ最近は鳴りを潜めていたが、殺されると思ったという報告を受け、未だに“復讐の剣鬼”が健在であると認識して暗殺を依頼する。


 とのことだった。


 なるほど、大体はわかった。

 要するに、大人しくしているなら見逃そうと思ったがやっぱり危険だと思ったから殺して欲しいと。


 問題は復讐で人を殺しまくったことではない。今も殺人鬼であることが問題なのだ。


「……」


 考え込んで黙ってしまう。

 師匠が難しい顔をしていたのも納得だ。彼女と過ごした時間はここの三人で共通。情がないわけがなかった。


「……アネシア様、これは……」


 ノルンの声が震えている。アルを同志、先輩とするなら友達はリリィだ。ノルンの中では唯一同年代で友人と呼べる人物。殺したいわけがなかった。


「ああ。あたしも予想してなかった。リリィのことは、政府も理解してる。だからこういう依頼はしてこないと踏んでた。……んだけどね」


 師匠が少し目を伏せる。思い悩んでいるようだ。当たり前だ。俺も考えがまとまっていない。


「断れない、のですか?」


 ノルンは恐る恐るといった風に尋ねた。


「断れはする」


 師匠の答えを聞いて、ノルンの顔に生気が戻り始めたが途中で止まる。言い方が引っかかったのだろう。


「ただ断っても、別の暗殺者へ依頼が行くだけだね。それにリリィはここにいる。あたし達が匿っていると思われても仕方がない。ここで依頼を断っても、別の暗殺者が差し向けられて、それを見て見ぬフリできると思うかい?」


 できない。断言できる。リリィを助けようと、暗殺対象を庇おうとしてしまうはずだ。


「それは……」


 ノルンも答えられなかった。


「そう。だから、断るってことはこの国から逃げることにも繋がる。そうなれば全員お尋ね者。いや、場合によっては全員始末する方針ってのも考えられるね」


 師匠は続ける。俺やノルンはいいが、特に師匠は他国へ逃がすには厄介な人物だ。これまでの実績があるからこそ、それが今度は自分達にも向くかもしれないと思ったら。できるだけ殺しておきたいだろう。


 ノルンは師匠の言葉を聞いて黙り込んでしまう。なにか方法はないのかと、考えているのだと思う。


「でも、あたしは受けたくない」


 珍しく、師匠が弱々しく呟いた。脱力して背凭れに身体を預け、天井を仰いでいる。


「あたしはリリィを知ってる。資料としてじゃなくて、上っ面の部分だけじゃなくて、あの子の人となりを知ってる。だからあたしは、暗殺するに相応しくないと思ってる。けどそれは、内側からの意見だね」


 傍から見た時、リリィの危険度はこれまで暗殺依頼を受けてきた連中と変わらないということか。

 依頼理由にあった「殺されるかと思った」という部分については殺されたわけではなく逃げたということなのだろう。リリィの腕で殺せないわけがない。つまり逃がしたのだ。そう言っても、客観的でない擁護と言われてしまえばそれまで。


「私も、リリィを殺したくはありません。リリィは確かに危うい部分もありますが、決定的な一線は踏み越えていないように思います。殺しが日常になり、なんの躊躇もなくできる者達を私は知っています。リリィは、そいつらとは違います」


 俺もノルンに賛同する。ただ非情な言い方をすれば、友達を庇っているだけとも取れる。それが政府や世間側の見方なのだ。


「けどどうしようもないこともある。それでね、シゲオ」


 師匠が俺の名前を呼んだ。彼女の視線が俺を射抜く。


「今回、リリィを殺すか殺さないかはあんたに任せるよ」

「……え?」


 殺さないという話ではなかったのか、と少し驚いてしまう。


「アネシア様、どうして……?」

「シゲオが一番、リリィのことをよくわかってるからだよ」


 ノルンの言葉に師匠が返す。……俺が一番、リリィのことを? そうは思えなかった。


「依頼を受けるかどうかは一旦置いておいて、リリィを殺すか殺さないかを最初に決めな。その方針が決まってなきゃ考えることも考えられない。まぁシゲオも殺したくないのは一緒だろうけど、リリィにとってどっちがいいのかは……あたしは自信ないからね」


 こういう選択を迫る時、師匠は有無を言わない様子だった。ただ今回に関しては、多分、師匠も答えが出せないのだろう。自分達が殺したくない。ただリリィが苦しんでいるのなら、殺すことも考えなければならない。

 だから師匠曰くリリィのことを一番よくわかっている俺に、判断を委ねると。


 俺が答える前に、玄関の方から扉を開く音が聞こえた。慌てて気配を探るとリリィが帰ってきたようだ。


「ただいまー」


 呑気な声が聞こえてきて、彼女の気配がこちらに向かってくる。どうすればいいかわからない、動けない。他の二人も同じようだった。


「あれ? 三人揃ってどうしたの――」


 おかえりも返せず目を合わせられない俺達の様子を見て、リリィが固まる。

 なんだか神妙な面持ちの俺達と、重たい空気、そしてテーブルの上に広げられた資料。


「――そっか」


 感情のない呟きが聞こえてきた。全てを理解したかのような声だ。そこで初めて、リリィの方を見る。悲哀、諦観、といった表現が相応しい表情。両腕で抱えた袋にはコスプレ衣装に使う用の布が入っているのだと思う。


 次の瞬間、リリィは荷物を放り出して家の外へと駆け出した。


「リリィ!」


 ノルンの呼び止める声も無視して、気配が遠ざかっていく。

 少しの間呆然としてしまったが、俺は椅子から立ち上がって彼女を追いかけた。


 まだなにも決まっていない。決められていない。だから今彼女から目を離すのはマズい。


 気配を捉えながら追いかけるが、夕方ということもあって彼女の方が速い。精神状態が乱れているのか、間違いなく全力疾走だ。どこへ向かっているのかはわからない。彼女自身もわかっていないのだろう。兎に角俺達から離れたいと思っているのかもしれない。


 距離が離されてしまうが、どうにか気配を捉え続けているとリリィが止まる。安心はない。すぐ近くに二つの気配があって、彼女に近づいていっているからだ。女性ならいいが、男性だとマズい。今度こそ取り返しのつかないことになるかもしれない。

 俺は裏路地に入って影の多い場所を走る。少しでも早く追いつけるように。


 俺がリリィの下に辿り着いた時、リリィは男二人に言い寄られている状況だった。


「ねーねー、君可愛いね。この街の人? 一人なら俺らと遊ばない?」


 なんて典型的なナンパ。いや、そんなことより良くない状況だ。リリィが腰の刀に手をかけている。二人のどちらかでも触れようとしたら殺すつもりだろう。いや、それより先に殺すかもしれない。

 いつ行動を起こしてもおかしくなかった。


 俺は考えるより先に行動に移していた。声をかける間も入れずに走り、横から二人まとめて思い切り蹴っ飛ばす。悲鳴を上げる隙も与えず地面に転がしておいた。……死んでないとは思う。気絶はしてもらったが。


 無事どうにかできて、息を切らしながらもほっとした。のも束の間、首筋に刃が突きつけられた。


「なんのつもり?」


 刀を抜き放ったリリィが鋭く睨みつけてくる。


「……えっと、現状維持?」

「はあ?」


 苛立った声が返ってきた。だが俺の行動はそれが目的だったと思う。今リリィに人を殺させたら、政府の依頼が正しいと認めてしまうことになる。

 俺は師匠にリリィを殺すか殺さないかを任された。だからここでリリィが人を殺して殺すべきという意見に傾けてしまうことを危惧した。というのが後づけの理由。


「私の暗殺依頼が来たんでしょ?」


 話が進まないと思ってか、リリィが聞いてくる。俺は答えられなかった。だから肯定になる。


「やっぱり。じゃあなんで私を助ける必要があるわけ?」

「……それは」

「どうせ殺すなら助けなくてもいいじゃない! 私が誰を殺したって、もう関係ないんでしょ!?」


 強く糾弾される。彼女からしたら当然のことだ。暗殺依頼が出ているのに助ける意味がわからない。


「……殺す殺さないは、まだ決まってないから」

「はあ?」

「……暗殺依頼は出たけど、遂行するかどうかは、決まってない」


 意味がわかっていない様子のリリィに繰り返す。


「なによそれ。意味わかんないんだけど」

「……ごめん。でも、師匠から俺が決めていいって言われたから」


 俺も突然のことで頭が回っていない。どうするのか考えている最中だった。


「……なにそれ」


 言い訳がましい俺の言葉を聞いてか、リリィの声音が愕然としたモノに変わる。


「そんなに迷うんだったら、いっそのこと殺された方がマシよ!!」


 目尻に涙を浮かべたリリィが強く怒鳴った。……リリィが怒っているのは理解できる。ただ、言葉の意味が頭に入ってこなかった。


「……リリィ」

「煩い!」


 ぴしゃりと言い放つ。


「殺すなら殺せばいいわ! シゲオくんが決めるなら好きにすればいいじゃない!」


 激昂した彼女の様子を見て胸が苦しくなる。リリィにそんな顔をさせてしまっていることが、させている自分が嫌になった。


 リリィは浅く呼吸した後、呼吸を整えると顔を伏せる。


「……私、知ってるもの。シゲオくんは譲れない時迷わない」


 声が震えている。表情は見えないが、頬を涙が伝っているのが見えた。


「迷ってるってことは、そういうことよね」


 顔を上げたので彼女の泣き顔と向き合うことになる。あれだけ怒っていたのに、悲しげだった。……言葉がぐさりと突き刺さる。


「……それはちが」

「違わないでしょ」


 俺の返答は遮られる。違うと断言できる。できるが、言葉にしただけじゃリリィには届かない。説得力がない。行動で示せていないのだから。


「曖昧な言い方をする時は、答え決まってない時じゃん。シゲオくん、誤魔化す器用さないし」


 涙を袖で拭いながら言われて、確かにその通りだと納得してしまう。


「殺すなら、勝手にすれば。じゃ」

「……リリィ、待っ……」


 待ってと言おうとして、待ってもらってなにを言えばいいのか浮かんでこなかった。俺は事前に行動指標、方針が決まっていればある程度動けるようになってきた、と思う。ただなにも決まっていない状況ではうだうだする自分のままだ。


 彼女は怒るでもなく、悲しむでもなく、ただもう俺と話す必要はないとばかりに背を向けて歩き出した。


 俺はリリィを追いかけられなかった。

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