第八十九話 悩みに悩んで

 俺はリリィを追いかけたが、一線を越えさせないことしかできなかった。

 リリィはあの後、家に戻ったようだ。ただ、俺が時間を置いて帰るとリリィはいなかった。ノルンも。


「シゲオ」


 家には師匠しかいない。リリィが先に帰ってきたこと、そして俺の表情からなんとなく察しをつけたのだろう。労わるような表情をしていた。


「……師匠」

「話を聞く前に、なにがあったかだけ言っとくよ。リリィはこの家から出ていった」


 自分の声から普段以上に生気を感じられないのがわかる。師匠は先に決まり切ったことを告げる。……やっぱりか。


「ただ自分から殺しに走るようなことも、死ぬようなこともしないってさ。あんたの答えを待つって。ただ不安定そうだったから、ノルンがついていった。しばらくは二人で宿屋に泊まるみたいだよ」


 友人が心配でついていったということか。俺のせいでここでも一悶着あったのだろうか。


「で、あんたの話を聞こうか?」

「……俺の話、ですか」

「ああ。座りな、聞いてあげるから」


 気は進まなかったが、俺は師匠の対面に座る。


「リリィ、泣いてたみたいだね」

「……そうですね」

「なんで泣いたんだと思う?」

「……」


 すぐには答えられなかった。


「ま、あんたも冷静じゃないってことだね。なにがあったか、話の流れも踏まえてあたしに話しな」


 師匠は頬杖を突いて言う。俺の考えがまとまっていないことを理解してのことだろう。気遣いに感謝して、俺はぽつりぽつりと話し始めた。頭は上手く働いていなかったが、会話の内容は覚えていた。


「……なるほどね」


 話を聞き終えた師匠は納得したように頷く。


「リリィのことは大体わかった」


 本当だろうか。俺にはよくわからなかった。改めて思い返してみても、リリィのことがわからない。完全に理解しなくても足がかりにできればいいと思うのだが、それすらできていなかった。ホントに動揺してるんだな。いや、師匠の察しがいいのもあるか。


「じゃあ、色々取っ払って、リリィを殺すか殺さないかについて聞こうか?」

「……」


 これも答えられない。迷っているということは、俺にはリリィを殺す気が僅かでもあるということ。本人に指摘されたことを考えてしまって答えを出せないでいた。


「んー……。あたしが一から十まで説明してもいいんだけど」


 俺の迷いを見て取ってか、師匠がそんなことを言う。ただ俺は知っている。誰かに言われたことを言われた通りにやるだけでは、なにも得られないのだと。


「今回は、シゲオが心を決めないとどうにもならないからね」


 そう言われましても。こうしてなにも前進しないまま悩んでいるわけだし。


「あぁ、殺すか殺さないかの話じゃないよ」

「……え?」


 今までの話の流れからしてそうだと思っていた。驚く俺に師匠はやっぱりと苦笑する。


「まぁ全く関係ないわけじゃないけど、その先の話? 兎に角、今のシゲオじゃその話もできないかねぇ」

「……すみません」

「謝らなくていいよ。謝ることじゃない。迷って当然、悩みに悩めばいい」


 師匠はおそらく、なんらかの答えに行き着いたのだと思う。ただその答えに行き着くには俺が心を決めなければならず、今の俺は悩みに悩んで上手く考えがまとまっていない状態。


「だから今回、あたしはシゲオの答えを聞いてから道を示すことにする」


 それはつまり、悩んでいる俺には道を示さないということだ。


「あんたがリリィを殺すって言うなら、殺す方法を示す。あんたがリリィを殺さないって言うなら、殺さずに済む方法を示す。それらの方法を実行するために全力で手助けする。あんたがどっちを選んでも、あたしはそれを尊重するよ」


 優しく、そして厳しい言葉だ。

 一人の命を左右する選択肢だけは、必ず俺がやれと言っている。その上で、どちらを選んでも責める気はないと。


「……はい」


 甘えるつもりはなかった。でも、心のどこかで彼女が「こうすればいいよ」と言ってくれる気がしていたのだろう。


「猶予がある。だからいっぱい悩みな。決まったら、あたしに話すんだよ」

「……わかりました」


 俺は言って席を立ち、そのまま自室に向かった。


 ベッドで横になり、すっかり見慣れた天井を見上げる。


「……」


 一旦、なにも考えようとしない。考えよう考えようと焦って思っていると、考えられることも考えられない。一先ず冷静になって、頭が冷えた状態で考えてみるべきだ。


 ただどれだけの時間が経っても、心の整理がつかなかった。


 全てを解決できる妙案が思いつくことを期待していたわけではない。だが健全に物事を考えられているわけではなかった。

 色々理由はあると思う。ただ一番大きな理由はわかっていた。


 ――あの時のリリィの泣き顔が頭が離れてくれない。


「……迷うくらいなら殺された方がマシ、か」


 怒ってはいた。ただ悲しみの方が強かったような気がする。……それはわかる。ただどうしてリリィがそう思ったのか、明確な答えに辿り着けないでいた。


 鮮明に残ってしまって、心が落ち着かない。少し頭が冷えてきたとは思うが、悩みが晴れることはなかった。

 リリィの泣き顔を思い出すと、心がざわつく。彼女の心内について考えるよりも先に、彼女にそんな顔をさせてしまったことの後悔が襲ってくる。


 胸中は晴れないまま、俺はその日眠りに着いた。


 翌日になって自室から出ると、師匠が朝食を作っていたので食べる。挨拶は交わしたが、会話は少なかった。ノルンは帰ってきていない。リリィに付き添い続けるのだろう。久し振りに師匠と二人だけで家にいる。元に戻っただけだというのに、なんだか寂しく感じた。


 俺は気が晴れないまま、シャワーを浴びて着替えた後に家を出た。どこかに行きたかったわけではない。目的地もない。リリィに会うことを望んでいるわけでもなかった。今の俺では、なにも変わらない。


 俺は街を歩く。もう三年半近く住んでいる街。

 リュイルの母と妹が営んでいるパン屋。フラウさんのいる教会。アベルさんが眠る墓地。ベルベットさんのいる監獄を有する騎士団の詰め所。グレウカさんのいる鍛冶屋。


 他にも色々なことがあって、色々なところに行って、色々な人に関わった。

 もう元の世界の地元より故郷って感じがしている。年月だけなら向こうの方が長いが、街は所詮自分にとって誰がいてなにがあるかが大事なのだろう。両親としか関わってこなかったことを考えると、思い入れが薄いのも当然なのかもしれない。


 俺は多分、こっちに来てからちゃんと“生きて”きた。


 だから思い入れがあって、こうして適当に歩いているだけで「あぁ、あそこであんなことがあったな」と思い出すことができる。なにもなく生きていれば、そこにあるのはただの道。家と学校の間にある道路だ。


 途中フラウさんにでも話を聞いてもらおうかと思ったが、やめた。男同士でしかできない話にも付き合ってもらっている。無理に押しかけるのも迷惑だろう。というか、俺が誰かに話すつもりになれなかっただけかもしれない。


 気分転換のつもりで外を歩いてみたが、思っていたより長引いてしまった。


 気分がマシになったかと言えば、そうとも言い切れない。ただ睡眠と散歩が頭を冷やす要因になったことは確かだろう。


 少し考え事がしたくなって、人気のないところに置いてあるベンチに腰かけた。時刻はもう夕方になっていた。


 顔を伏せて目を閉じる。

 今でもリリィとの会話は鮮明に思い出すことができる。というか薄れるわけがなかった。


 リリィは怒って泣いていた。その理由は、未だにわからずにいる。


 リリィを殺すか、殺さないか。

 この選択に近づけるように一つずつ考えていこうと思う。


 気持ちだけで考えるなら、殺したくはない。だが彼女は迷うくらいなら殺してと言った。俺が迷っているのは、彼女が苦しんでいると思っているからだ。初めて会った時から既に、リリィは冷静な判断をしていた。正直異常なことだ。剣などの武道は精神状態も大事、だから精神が異常なまでに強いことも『剣聖』という才能を得る条件になっているのだとしたら、まぁ納得はできなくもない。兎に角、精神の強いリリィが危うい均衡の内に成り立っていた平穏があるとして。殺したくて殺したくて仕方がない衝動を抑え込むのに苦心しているのなら、いっそ……。


「シゲオじゃない」


 俺の思考を阻むように、前から声が聞こえてきた。驚いて上体を起こす。そこには、庶民らしい服装に身を包んだリサが立っていた。後ろにはアルもいる。


 予想外の出会いに、顔を上げた。

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