第九十四話 幸せに

「俺と、結婚を前提に付き合ってくれ」


 理解不能。

 意味不明。


 普段やる気のない目が真っ直ぐに私を貫いている。見たことがないくらいの力強さに視線を逸らせない。いや、逸らすことを許していない。そういう目だ。


 ケッコン。ツキアッテ。

 聞き覚えのある言葉なのに、頭に入ってこない。


 ……え、待って? もしかして私、シゲオくんに告白された?


 少し経ってようやく理解が及んでくる。


 シゲオくんが、私に、告白……?


「はあ!?」


 理解してもわからなかった。なにを言っているかわからないと思うが私にもわからない。

 言葉は入ってきたが、どうして、この場面でそんなことを言ってきたのか。


 ドッキリ大成功とか言いながらノルンに看板持って出てきて欲しい。


 真面目な顔でじっと見つめてこないで欲しい。


 いや、なんとなくはわかっている。シゲオくんがそういう冗談を言うとは思えない。なによりも目が本気っぽい。

 余計に意味がわからなかった。


「……な、なんで急にそんなこと!?」


 私は顔が熱くなっているのを自覚しながら、上擦った声で聞いた。構えたままだったので、体勢を楽にした。ただ私の手は放してくれない。


「んー……。俺がそうしたいと思ったから」


 少し悩む素振りを見せながらも、そう言ってきた。


「ど、どういう意味よ」


 私は話しながらばくばくと鳴っている心臓が落ち着くまでの時間を稼ごうとする。

 動揺しすぎだ。予想外の攻撃に気が動転していて、正常な判断ができそうにない。


 ……落ち着け、私。元の世界含めて告白されたことなんていっぱいある。全部断ってきたんだから。相手がシゲオくんだからってなにも変わらない。


 自分に言い聞かせて落ち着きを取り戻していく。


「……いや、なんて言うか。リリィのこと好きだなって」

「っ……」


 ダメだ。一時の気の迷いとかではないらしい。というかシゲオくんってこんなにはっきりと言うヤツだったっけ? 話に聞いたお酒飲んだ時に近くない?


「……リリィが楽しそうに笑ってる時が好きだから、俺はリリィに生きていて欲しい」

「そんな、こと言われても……」


 急すぎる。こんなこと予想してなかった。


「……リリィ」


 名前を呼ばれて、そっちを見てしまう。真剣なシゲオくんと目が合った。


「俺だけがリリィを幸せにできるとは言わないけど、俺がリリィを一番幸せにしてみせる」


 彼の言葉に、心臓を鷲掴みされたような感覚に陥る。……これは、ダメなヤツだ。


 私が今、一番欲している言葉だった。


「……だから、一緒に生きてくれないか?」


 同じように問われた。けど私は顔を上げていられず、俯く。鼓動が煩くて、けど止められない。むしろどんどん早くなっているようにも感じた。


「……急に、なんで」


 私は声を絞り出す。気を緩めると顔が緩んでしまいそうで、顔を見せられなかった。


「……まぁ、言い出したのは急だろうけど。色々な人に言われて、自分なりに考えて。リリィにはずっと幸せになって欲しいと思ってたんだけど。よく考えたら幸せを願ってるのに人任せなのは、ちょっと無責任かなって」


 知っている。そういうところが嫌いなところだった。


「……でもこの場合、自分で動くってことはそういうことになるし、一生かけてリリィを幸せにしないといけない。……俺はその覚悟が持てなかった」


 それも知っている。私だけの話じゃない。アネシアさんやノルンに対してもそうだったから。


「……けどそれじゃいけないって言われて、でもどうすればいいかわからないからとりあえず幸せそうなリリィを思い浮かべてみたら、オタトークしてる時のリリィは凄く楽しそうで、もっとそういう顔が見たいんだなって思った」


 それは知らない。知るわけがなかった。


「……根本的には多分、リリィが幸せなら誰とどこでもいいんだと思う。けど俺は、一番近くでリリィの幸せそうな顔見たいと思ったから」


 一番近く。それはつまり、シゲオくん自身が私を幸せにするということ。さっきの宣言通りに。


「……じゃあなんで、戦う必要があったのよ。普通に呼び出して告白すれば良かったじゃない」

「……師匠が、一回失望させた方が効くって言うから」


 アネシアさんの入れ知恵らしい。殴ってやりたい気分になった。あのせいで取り乱して、中途半端なシゲオくんに苛立って、だからこそその後の告白が効いた、と言われればまぁそうかもしれない。ストレートに言われても効いたとは思うが。

 とはいえ、確かに手紙が届いた時は中途半端で殺すつもりなのかどうなのかよくわからなかったし、なにがしたいかわからなくて困惑してたし。


「なんで途中で降参しなかったの? 傷だらけになる必要ないじゃん」


 深手を負っているわけではないが、かなり本気で斬りかかってしまった。


「……まぁその、好きな子の前でカッコ悪いまま終われなかったし」


 好きな子とか言うなよ、本人の前で。……全く以って予想外だ。シゲオくんからこんな風に浮いた台詞が次々に出てくるなんて。


「そもそも、シゲオくんにはもうアネシアさんもノルンもいるでしょ」

「……まぁ」

「なんで私に告白するのよ。三股かけるつもり?」

「……そう言われると痛いんだが」


 シゲオくんは多分苦笑している。狡い質問だとは思う。


「……自分でも不思議だったんだけど、なんとなく理由はわかった。俺は多分、友達みたいな浅い付き合いが苦手なんだと思う。距離感がわからないと言うか。どこからが友達で、どこからが親友とか恋人になるのか、よくわからない。だから浅く広い交友関係なんて作れないし。逆に、その分周りに人がいれば関係が深くなるんだと思う」


 多分だけど。シゲオくんは大勢から好かれるような人間じゃないことを自覚していて、だからこそ自分を好いてくれる(自分と関わりを持ってくれる)人に対してはその人に応えたいと思ってしまうのだと思っている。ノルンがいい例だ。


「……だから、俺がアネシアを好きな気持ちも、ノルンを好きな気持ちも、リリィを好きな気持ちも、俺にとっては別々で、それぞれが大切な気持ちだよ。まぁ、都合のいい答えではあるだろうけど」


 仲いい人が限られていると、多分そうなるのだと思う。実際、私がそうだから。

 元の世界では、楽観的で明るい性格もあって友達が多い方だったと思う。でも代わりに、特別親しい人もあまりいなかった。

 こっちに来てからは逆で、関わる人が少なくなった。色々あってからは特に。そうなってから思ったが、今仲いい人ともっと仲良くなりたくなっていく。関係を進めて、深めていきたくなる。それが必ずしも恋愛でなくてもいいのだが。


 というか、既に二人と関係を持っているヤツに告白されて動揺している時点で、私自身がそんなに気にしていないことなんだとは思う。


 それでも、自分を取り繕って彼を押し留めようとする。


「でも私、殺人鬼だし」

「知ってる」

「男自体が嫌いだし」

「知ってる」

「オタクだし」

「知ってる」

「……複数人に、されたし」

「知ってる」


 そう。ただ、彼は私のことをよく知っている。深くは聞いていなくても、大体のことを把握している。


 その上で――


「それでも、俺はリリィのことが好きだよ」


 シゲオくんは私に告白してくれた。


「っ……!」


 はっきりとした答えを聞いた瞬間、私の身体は動いていた。というか、もう我慢できなかった。

 彼の身体に激突するように、抱き着く。掴まれていた手は振り解いた。


 シゲオくんの匂いがする。鍛えられた見かけに寄らず逞しい身体の感触がする。顔と身体が熱い。目頭も熱くなって自覚するより早く涙が溢れてきた。


 シゲオくんはそんな私を優しく抱き締め返してくれる。


「……遅いよ」

「……ごめん」

「ずっと待ってたのに。どっちかに、して欲しかったのに」

「……ごめん」


 ノルンが言っていたことは正しい。私はずっと、シゲオくんに自分のことを委ねていた。心ない殺人鬼になるか、普通の女の子になるか。あの時シゲオくんに救われたせいで、私はどっちにも振り切れないままだったから。


「……でも、もうそんな想いはさせないから」

「うん」


 触れ合っている身体が温かい。他の誰かなら絶対に嫌なのに、シゲオくんなら嫌じゃないと思える。むしろ、こうしているのがとても心地いい。


「言ったのはシゲオくんなんだから。絶対、私のこと幸せにしてね」


 自分を取り繕うのをやめて、私は顔を上げて素直に告げる。自然な笑顔が零れていたと思う。


「……その顔が見たかった」


 嬉しいのは私なのに、シゲオくんが嬉しそうな顔をしていた。顔が近づいてきて、まさかとは思ったが身体は拒もうとしない。目を閉じて受け入れると、唇に唇が触れてくる。いきなりのことで驚くかと思ったが、そんなことはなかった。意外とすんなり受け入れられている。


 しばらくそうして口づけを交わした後に、離れていく。


「……急すぎない?」


 私は頬が余計に火照っていることを自覚しながら尋ねた。


「可愛かったから、つい」

「なによそれ」


 いくらなんでもデレデレしすぎだと思う。これまでのシゲオくんだったら絶対にこんなことしない。

 だからだろうか。余計に、自分が大切に想われていることが伝わってくる。


 そもそもの話、近くでシゲオくんとアネシアさんとノルンのことを見ていて、二人のことを羨ましいと思っていたから。嫉妬なんて起こらなかった。自分はないと思っていたから、同じ立場にまで来れたことが嬉しい。


 あの幸せそうなところに、私も混ざりたかった。


「あ。でも、えっちなのは当分なしだからね」

「……え? あぁ、わかってるよ」


 一応釘を刺しておく。……多分、多分大丈夫だとは思う。こうして触れ合っていて嫌な気分にならないし。でもうっかり斬りかかってしまうことが、私は怖い。不意にシゲオくんを傷つけてしまうことが、耐えられない。


「……リリィが幸せそうに笑っていてくれれば、それでいいんだから」


 シゲオくんは特に気にした風もなく言った。ただ私はジト目を向ける。


「ホントに? 二人とのことを考えると、そんな風に思えないんだけど」

「……あー」


 シゲオくんは私の言葉に目を逸らした。


「……あれは、そうなった時だけだから」

「ふぅん?」


 本当にそうだろうか、とつい勘繰ってしまう。普段から下心満載で関わっているわけではないのはわかっているのだが、あまりのその……激しさ? に人格の裏表を疑ってしまうくらいだった。


「じゃあ、その時は、その……私から言うから」

「……ああ。無理はしなくていいから」


 意を決して告げる。

 無理ではない。決心がつかないだけ。


 私にとっては嫌なことの象徴でしかないが、二人にとっては幸せなことの象徴なんじゃないかってくらいのこと。全く以って逆だから、好き合ってるしさぁやろうっていうことにはなれない。


 ただ、いつかは変えて欲しいと思っている。

 地獄のような記憶を、幸福に塗り替えて欲しい。嫌な記憶を払拭して欲しい。


「――いつか、私のこと染めてね」


 改めて、そして今度こそ一つの意味で、私は言った。


「ああ」


 彼は一言、頷くだけで応えた。


 私はずっとシゲオくんにそう言って欲しかったんだ。

 自分の心を自覚して、私はまた笑った。

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