第九十五話 幸せの後日談

 俺は色々と考えた末の、素直な気持ちをリリィに伝えることができた。


 ……ただやっぱり、本心を口にするって大変だな。


 これまで適当に濁して過ごしてきたせいだろうか。自覚すると途端に疲労感が押し寄せてくる。

 それに人を好きな気持ちって、相手が好意的に思ってくれているからこそ綺麗なモノなのであって、一方的だとあまり美しくはないのだと思う。特に相手が嫌だと思っている場合。途端に好意を寄せていること自体が気持ち悪く見えてしまう。


 だから俺は、相手に好意を伝えるのが苦手だ。


 相手にどう思われているか、相手が示してくれていても疑ってしまう小心者な部分があるから。


 リリィと一緒に帰り、師匠とノルンに快く迎えられて、疲れたと言って自室でベッドに入ったらこれだ。


 俺の本心は間違いなく、リリィに伝えた通り。

 ただ俺の性分自体が急激に変わるということはない。決心をつけたから、頑張れたというだけで。


 しかし一度やってみると、事態が上手く転んだこともあってか次にやる時も一回目よりは躊躇しなくなったと思う。……実際にその時が来ないことには断言できないが。でも一度決めたことだから、やらないと。


 そうしていると、身体と精神の疲労もあってかいつの間にか眠ってしまっていた。


 朝になったからか目を覚ますと、ベッドにリリィが横たわっていた。……なぜに?


「……」


 寝間着で布団に潜り込んでいる、と言うか寝るつもりがなかったので布団を被っていなかったはずだ。つまり布団を被るついでに同じベッドに入っていたということ。


 正直に言ってしまうと、あまり心臓によろしくない。遅れた思春期を迎えた俺にとって、好きな女の子が隣で寝ているという状況はびっくりと同時にドキドキしてしまう。

 心を落ち着けるように静かに息を吐く。綺麗な寝顔だが、俺のプレゼントした首飾りがシーツの上に放り出されていた。リリィは応えてくれたとはいえ、刃を手放して近づけるほどではないということだろう。


 今も寝ているが触れる素振りを見せればすぐに起きて切り刻まれると思う。それは多分、染みついた反射的行動だ。染みついているのは身体にじゃなく、心にだろうが。


 だから迂闊に触れるようなことはしなかった、のだが。


「なに?」


 リリィはぱちりと目を開いて尋ねてきた。起きていたらしい。


「……いや。リリィがいてびっくりしてただけ」

「そう」


 リリィはなにも言わなかった。俺も別に深掘りする気はなかった。


「……それで、どうしてここに?」

「ちょっと、シゲオくんに言い忘れたことがあって」


 彼女は目を逸らして言い淀む。


「えっと……私、ね」


 緊張しているらしく声が震えていた。頬が染まっていく。なにを言わんとしているか、俺にはわからない。


「シゲオくんのことが好き、と言っていいかわかんないけどシゲオくんだけが私を幸せにできるとは思ってるから」


 なにを言うかと思えば、そういうことか。


「でもシゲオくんが私を好きでいてくれることが嬉しいし、一緒にいたいって思う。多分、好きってことだよね」


 まだ自分の気持ちが断定できていないようだ。俺だって改めて考え直して気持ちを自覚したわけだし。

 というかリリィが「一緒にいたい」とか言う時点でかなり好意的じゃないか。


「……それならまぁ、良かった」


 嫌がっていなかったとはいえ、うっかりキスしてしまった身だ。よくよく考えてみると、いきなりすぎたかもしれない。拒まれていたら一大事だったというのに。賭けに出すぎでは。


「なんか、いつものシゲオくんに戻ってない?」


 リリィは不満そうな顔をする。


「……そんなことないけど。寝起きでちょっと冷静になってはいるかも」

「ふぅん? じゃあ私のこと好きって言って」


 ふむ。言うのはいいんだが、オタク的ネタで返すか迷うな。


「やっぱり即答しないじゃん」

「……いや、そのパターンだとそのまま言うネタの振りなんじゃないかって思って」

「シゲオくんはそんなにバカじゃないでしょ」


 バカとシゲオと殺人鬼。


 ……冗談はさておき、断る理由はない。


「俺はリリィのことが好きだよ」


 俺も内心戻ってしまったのではないかと思ってしまったのだが、すんなりと口にできた。リリィの顔がぼんっと真っ赤に染まる。……自分で言ったんじゃん。


「……そう」

「……昨日あれだけ伝えたのに、なに照れてんの?」

「しょうがないでしょ!? シゲオくんがいつも通りっぽくて、夢なんじゃないかって思っちゃったんだから……」


 自棄っぽく言ってくる。確かに俺も実感はなかったが。


「……それなら、リリィが実感するまで言うとか?」

「はあ!? ……そんなの、恥ずかしいでしょ……」


 確かに。俺も毎日言うとなったら恥ずかしい気持ちがある。それに毎日言っていると軽い言葉になってしまいそうだ。あと独りになったふとした瞬間にフラッシュバックして悶えそう。


「……まぁ、流石に毎日とか言われてもキモいか」

「毎日は多すぎ。薄っぺらい言葉だけならいらないんだから」


 リリィも同じようなことを思ったらしい。


 ……ま、言葉だけで示すようなモノでもないしな。


「……わかってる。それで、わざわざそれを言うために来たのか? それなら起こしてくれても良かったのに」

「それもあるけど、別に起こすほどの急用じゃなかったし」


 それもそうか。起こされても寝惚けていたかもしれない。それにリリィが隣で寝ているというのは、かなり許されている証左でもある。嬉しくないわけがなかった。


 ふと、リリィがくるりと背を向ける。


「……あと、今シゲオくんにどれだけ許せるか知りたかったっていうのもあるし」


 そう言う彼女は耳が赤くなっていた。少し恥ずかしいのかもしれない。ベッドで隣に眠ることができるかということか。多分『剣聖』の効果中はすぐ起きれるとは思うのだが、これくらいの警戒心剥き出しなら眠ることは難しいだろう。現時点でそこまで許してもらえているとは思わなかった。


「……それで寝てたのか」

「う、うん。ちょっと横で寝られるか試してみよっかなーって」

「……なるほど」


 とは言うが、少し動揺しているような気がする。


「……横で寝てただけ?」

「えっ!? も、もちろん。全然、全く、それ以外のことはしてないよ?」


 否定はしているが、明らかに動揺していた。というか後ろ姿でわかるくらいびくっとなっていた。

 鎌をかけただけなのだが、わかりやすい反応だ。俺が寝ている間になにかしたのだろうか。リリィと言えば八つ裂きだが、身体のどこも切り刻まれた様子はない。


 追及したい気持ちはあるが、傷つけられたわけでもないようなので気にしないでおこう。


「……そう」


 俺は上体を起こして、リリィの足元を跨ぎベッドを降りる。いつまでもこうしているわけにもいかない。というか腹減った。


「……リリィも起きたら?」


 振り返って声をかける。彼女は俺に背を向けていた。そんなに顔を見せたくないのか。


「うん。先行ってて」

「……わかった」


 ここ俺の部屋なんだが? と思わないでもなかったが、とりあえずリリィを置いていくことにした。耳まで赤いので、相当恥ずかしいことでもしていたのだろうか。


 俺を殺すべく誘惑していた頃に恥ずかしいことをしていたわけで、それ以上なんてそうそうないとは思うのだが。


 自室を出て階段を降りリビングへ行くと、既に師匠とノルンの二人が朝食の用意をしていた。


「おはようございます」

「おはよう、シゲオ。早かったじゃないか」

「……おはようございます。まぁ、ちょっと話しただけなので」


 師匠が、と言うかノルンも家の中という狭い範囲で誰がどこにいるかわからないはずもなかった。なので隠そうとしても無駄だ。


「主様」


 ふとノルンがじっとこちらを見つめてきた。……なんだろう。昨日は疲れてたし、ノルンとリリィが嬉しそうにしていたので特に話さず部屋に籠もってしまった。リリィについてなにか言いたいことがあるのだろうか。


「リリィはとても嬉しそうでした。ありがとうございます」


 そう言って頭を下げた。

 第三者から見て嬉しそうなのであれば、俺の選択は間違っていなかったのだろうと思う。


 というか、ノルンからすると嬉しいことだけではないだろうに、友達想いなのだろう。


「まぁ、リリィの暗殺なんかして空気が重くなるよりマシだからね」


 師匠も相変わらず受け入れてくれている。……もし暗殺を実行していたら間違いなく不和が起きる。折角ここまでやってきたのに、全てが無駄になることもあり得た。

 そう考えるとホント、タケルの時の俺の態度は狂ってたな。今殺れと言われても……ちょっと自信がない。まぁ、殺らないという選択肢にはならないと思うし、誰かに任せることもしないとは思うが。


 ただ、話し合いはすると思う。


 あの時は行く前提だったから話し合いなんて意味ないと思ってたわけだし。今思い返しても自分勝手だったな。まぁ、話し合っても変わらないなら一緒なんだろうか。


「リリィから詳しくは聞いていないのですが、主様はリリィとお付き合いをされることになったのですか?」


 ……まさか直球で聞かれるとは。いや、言わねばなるまい関係性ではあるが。


「……あぁ、うん」

「そうですか」

「……はい」


 なんだろう、なにを言われたわけでもないのに責められている気がする。


「主様を責めているわけではありません。思うところがないわけではありませんが……それでも、リリィを失望させる主様よりはマシですので」


 ノルンの瞳が冷たくなった気がする。……もしリリィを暗殺でもしていたら、ノルンに見放されるということだろうか。ひぇ……リリィを喪うだけでなくノルンからも見捨てられ、師匠からの評価も多分下がる。多分だが、事情を知る人は全員そうなるだろう。タケルの時とは違う意味で全てを失うことにもなりかねなかった。


 そんなことを話している時に、リリィがゆっくりと階段を下りてきた。


「お、おはよ……」


 若干気まずそうに挨拶してくる。


「おはようございます、リリィ。昨晩はお楽しみでしたね」


 ノルンが少し口端を吊り上げて言った。……おぉ、あの有名なセリフをリアルに聞くことがあるとは。しかも元ネタを知らないであろうノルンに。


「なっ!?」


 リリィは顔を真っ赤にする。

 あれ、でも昨晩はなにもしていないのでそのセリフを言われる筋合いはないんだが。


「……いや、別に昨日はなにも……」

「主様は眠っていたので知らないだけですよ。ね、リリィ?」

「っ……」


 ただノルンは確信があるらしく。リリィを見れば目線を外された。さっき言っていた隣で寝る以外のなにかが関係しているのだろうか。……ホントになにされたかわからんな。


「随分と舞い上がっていたようで、リリィにしては珍しく……」

「ちょっと! 余計なこと言わないでよ!」


 ノルンの口を塞ごうと、リリィが勢いよく飛び出す。ノルンはそれをひらりとかわし、二人の追いかけ合いが始まる。リリィが割りと本気で追っているので、コメディチックな光景なのだがかなり本格的と言うか。昼間の俺では敵いそうにない速度で攻防が繰り広げられている。

 これまではリリィがノルンにからかわれることが多かったのだが、逆にノルンがリリィをからかっている。珍しい光景だった。


 二人の攻防を眺めていたら、師匠が俺の隣に並ぶ。


「今回はあたしの答えと同じところに来たね」

「……え。最初からこうなる可能性を見越してたんですか?」

「もちろん。だって、リリィはあんたが助けたんじゃないか。助けるってのはいい言葉だけど、見方を変えれば“生きることの強制”だよ。命を助けたんなら、生きる手助けもしなきゃ無責任ってもんだろう?」


 師匠は不敵に笑った。……そういえば、師匠が俺を拾ったのと同じことだな。なるほど、助けられた側からすればそうして欲しいと思うのは当然のことか。俺の場合は生きる意思が希薄だったから発破をかけられたわけだが。


「……それもそうですね」

「で、そんなあんたを吹っ切らせたリサなんだけどね。すっきりした顔で首都に戻るって言ってたよ」

「……来たんですか?」

「あんたがいない時にね。わざとじゃないかね?」

「……かもしれないですね。国の代表者の座を奪って会いに来ると言ってたんで」

「あの子らしいじゃないか」

「……そうですね」


 確かに、リサらしいと言うか。彼女にしか言えないセリフだなとは思う。しかもそのリサに相応しい男になりなさいとか。まぁ色眼鏡なしに彼女を見てくれる人はいるだろうから、政府でごたごたしている間に出会いがあるかもしれない。……いや、そういう考えはよそう。ある時はあるで仕方がないが、それと俺が頑張ることは関係ない。


 どちらにせよ、それで言うなら三人に相応しい男にならなければならないのだから。……無理では。


「あんたにも、モテ期が来たんだねぇ」

「……荷が重い気はしますけどね」

「そりゃ五人もいればねぇ」

「……? なんか多くありません?」

「リサとアルの二人を入れれば五人だろう?」

「……いや、なんでアルまで……」

「リサとアルは、まぁ一緒だろうからねぇ」


 師匠は真剣な顔をしていないので、本気か冗談か判断がつかない。……まぁ、流石にないとは思う。いくらアルと言えど、本人の気持ちが重要。


 応えずノルンとリリィの追いかけ合いを眺める。遂にリリィがノルンを捕まえていた。ノルンは仄かに笑っている。


 ……これが守られたなら、良かった。

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