第七章 影の女王

第九十六話 災厄の龍

 がたがたと窓が震えている。

 ぎしぎしと家のどこかが軋んでいる。

 ごろごろと雷の重い音が鳴っている。


 窓に勢いよく雨粒が叩きつけられる音が聞こえてくる。


 まごうことなき嵐だ。


 しかもただの嵐ではない。

 世界に災厄が起こる前兆。異常気象に当たる。


 ……ただ、なんだろう。


 寒い。怖い。震える。


 身体が芯から冷えていくようだ。椅子に座っているというのに、足が地面にちゃんとついているのかわからない。指先が冷たく凍えていくようだ。


 気温は確かに低くなっている。時間帯は昼間だというのに真っ暗になっている。


 ただ、そういう寒さではない。これは恐怖だ。


 ふと冷たくなった手に温かな手が触れた。体温が伝わってきて、ようやく余裕が生まれる。


「主様、大丈夫ですか?」


 隣に座っているノルンが声をかけてくれた。


「……どうだろう」


 俺は大丈夫かどうかの確信が持てなくて、そう答える。


「そんなに雷が怖いの?」


 リリィがテーブルに頬杖を突いて呆れたように尋ねてきた。


「……いや、雷じゃなくて」


 雷が怖いわけではない。と言うか、異常気象自体は別に怖くない。


「うーん……。もしかするかもしれないし、外出てみるとしようかね」

「……え」

「シゲオが感じ取ってることの原因が、わかるかもしれないしね」


 師匠の意見に困惑しつつも、見に行くことになってしまった。


 外に出てみれば、風が強すぎて歩くことすら苦労する状態だった。

 嵐が耳に痛いほど煩いというのに、街の全員が籠っているのか人気は一切ない。


「屋根の上にしようかね。気をつけて登るんだよ」


 師匠はとんでもないことを言ってぴょんと屋根の上に跳び乗っていた。……なんで風の影響を受けないで跳べるんだ。


「この強い風の中では、影分身もすぐ消えてしまうかもしれませんね」

「歩くのすら大変なんだけど! なんでアネシアさんは平然としてるの?」

「……まぁ、師匠だし」


 リリィの言葉も尤もだが、師匠は底が知れないのだ。俺にもよくわからない。


 仕方がないので、三人で互いの身体を支えつつゆっくりと家の壁を登って師匠の待つ屋根の上に向かった。


 屋根の上に着けば、師匠が座っている。雨が弾丸のように降り注いでいるというのに、笑顔で迎えてくれる。俺達は登るだけで疲労、身体に当たる雨が痛くて仕方がないというのに。


 ただ師匠の傍に座ると多少雨風がマシになった。どうやら魔法で防護、若しくは軽減しているらしい。それでも暴風雨には違いないのだが、鍛えた身体が耐えてくれている。


 屋根の上から見上げる光景は、この世の終わりと言うほどではない。地球上で起こる異常気象の、世界の終焉を想像してしまうモノと言えばサイクロンなどが挙げられるだろうか。そこまでの絶望感はまだない。


 ただ、本当になぜか、怖いと感じている。


「シゲオ、どうだい?」

「……だんだん近づいてきてます」


 師匠に聞かれて、俺は直感に沿った答えを返した。なにが近づいてきているのか、自分でも理解はしていない。なにかが近づいてきていて、それに対して怖がっているということしかわからない。


「なるほどね。となると、やっぱかねぇ」


 師匠には心当たりがあるようだ。それを聞いて、ノルンがはっとする。


「アネシア様、もしやアレですか?」

「多分ね」


 ノルンにもなにかわかったらしい。わかっていないのは俺とリリィ――異世界人だけだ。


「ちょっと。私にはなんなのかさっぱりわからないんだけど?」

「まず、今回の嵐は災厄の兆候によるモノだ。あたしはずっとこの街で暮らしてきてるけど、ここまで激しい気象は初めてだよ」


 師匠が言っている間にもどこからか看板が飛んでくる。直撃したら即死しそうだ。人より大きな看板が物凄い勢いで飛来してきた。回転しているのでわかったが、肉屋の看板だ。

 ただ慌てることはなく、リリィが動いてくれる。俺達に当たる直前でバラバラに切り刻んで直撃を避けてくれた。


「それはわかりますけど……」

「災厄が起きてしまったらほとんどの文献は消失してしまう。だから確かなことが言えないんだけど、異常気象の段階が終盤に近付くと、あるヤツが現れるんだよ」


 師匠が言った途端、俺ははっとして顔を上げる。これまでは近づいている感覚があったのだが、見える位置までに迫ってきたという確信があった。

 黒い雲に覆われて雷が瞬く空の一点を見つめる。


「災厄の中でも異常気象の化身とされ、勇者一行の強大な障害となるモノ」


 俺の見つめる先で、雲間からちらりと鱗が流れていく。


「災厄の龍」


 雲間から姿を現したのは、巨大な蛇だった。いや、全貌が見えていないので龍なのだろう。

 黒い雲の間を縫うように泳ぐ身体は放電しており、身体に反して小さな手がついているのが確認できた。腹部に鱗はなく、身体が只管に長い。太さも街の幅くらいはあるんじゃないだろうか。


 そして、ヤツが顔を出す。


 鹿のような角に細長い髭、鰐のような顔つきは確かに龍と呼ばれる姿をしていた。


「なにあれ……」


 リリィが呆然と呟くのが聞こえた。なにせ、顔だけでこの街より大きい。首都にも匹敵する大きさだった。

 幸いなのは、こちらには向かってきていないということか。横を通過しようとしている。


「災厄の眷属なんて呼ばれ方もするね。異常気象の終盤になると突如出現して世界を巡行する。あまりにも巨大で影響が大きいから、文献にも残ってることの一つだ。厄介なのは、あいつを倒さないと災厄の核? とかいうのが現れないらしいってことなんだけど」


 あのバカでかい化け物を、倒す?

 信じられない。というか無理だろう。人の大きさなんて米粒みたいなモノだ。攻撃は当てられるかもしれないが、効くわけがない。


「まぁ、勇者一行の役目なんだけど」


 勇者ェ……。

 終わりだよそんなの。まぁ工藤なら乗り越えてくれると思うが。あの時彼の誘いを断っておいて良かったぁ。あんな化け物と戦わされた挙句にラスボスが控えてるとか、やってられない。


「苦戦しそうなら援護してもいいんだけど、今勇者様は別のとこにいるからねぇ」

「いや援護とか言ってますけどあんなの無理でしょ!?」

「無理じゃないよ。やりようはある。とはいえ、なんでシゲオがなにかを感じ取ったのかはわからないね。勇者様と同じ異世界人だからって言うと、リリィが感じてない理由がわからないし」

「うーん……。私にはなにもないので、なにか理由があるんだとは思いますけど」


 リリィが感じ取れなくて、俺が感じ取れる理由。残念ながら俺自身にも心当たりがない。勇者様と会っているか否かであれば、まぁなくはないが。会っただけで感じ取れるようなモノでもない気がする。とはいえ、俺に災厄と関係があるとは思えないんだが。


「あ、こっちに向き変えたね」


 師匠が「あ、UFO」くらいの軽さでとんでもないことを言った。というかマジで顔の向きを変えてこっちに近づいてきていた。……ひぇ。これは外出たの間違いだったかもしれん。


「まぁ通過だけだろうから別にいいんだけど、真上通られると街への被害がねぇ」

「街を襲うことはないんですか?」

「ないよ。あいつは勇者だけに反応を示すからね。この世界の人間なんて気にしちゃいない。近くを通っただけで吹き飛ぶしね」

「それは大問題では。こちらに近づいてきているということは、街の方々が危険に……」

「そうだね。まぁこういう時のためにあたし達がいるわけだし」

「「えっ?」」


 師匠は不安なんて微塵もないようだ。ただ「あたし達」という言葉に驚いてしまう。……まさかあいつを殺せなんて言わないですよね?


「ん? あぁ、違う違う。“達”って言ったのは、あたし含めて元から街にいる連中のことだよ。見てな」


 師匠が言うのでじっと見ていると、街の一角から一つの人影が龍へ向かって飛んでいった。その人は龍の顔の横まで到達すると、両手を前に伸ばしてオーラを纏わせる。

 誰かと思えば、いつかの酒場のマスターだ。確か元盗賊の頭領だったという。


「まず、爺が『強奪』で視力を奪う」


 師匠の言葉通りなのか、視力を奪われたらしい龍が慌てたように蛇行し始める。


「次があたしだね」


 頭領の爺さんが落下していく中、今度は師匠が飛んでいった。いや跳んだのか。龍の近くまで。……というかあの爺さん大きな鱗抱えて落ちてかなかったか? あんな相手に盗みを働くとは、流石元盗賊。


 師匠は頭を振り乱す龍の身体に爪を突き立てる。攻撃ではなく毒を注入するようだ。


 相手が大きいこともあってしばらくそうした後に、離れて落下。素早くこちらに戻ってくる。


「触覚を遮断する毒を注入した。これなら、無理矢理方向を変えてもバレない」


 にやりと笑う師匠。……いやそれが可能な人がどれだけいるんだって話ですが。


「最後は三人同時だね」


 師匠が言った直後、街から三つの人影が飛び上がった。


 一人は赤いオーラを纏っており、流星のように飛んでいた。馴染みのあるフラウさんだ。

 もう一人は文通しているベルベットさん。久し振りに姿を見た。こちらは金色のオーラを纏っている。強そう。あと空中で止まった時に羽織ったコートがはためいてカッコ良かった。あとやっぱり鞭を持っている。

 最後は多分グレウカさん。多分とつけたのは、装備がゴツくて顔が見えなかったからだ。フラウさんを超える巨体を全身装備で包んでいるので更に大きく見える。装備、大きいとなったら思いつくのはグレウカさんしかいない。両足の外側に装着した大砲のようなモノで飛んできたのだろうか。彼女の身の丈はあるハンマーを持っていた。


 三人は混乱しているらしい龍の顔面に、同時に強烈な一撃をかます。巨大すぎる龍の顔の向きがぐんと他所を向いた。


「おぉ、いいんじゃないかい? あっちはしばらく街とかないからね。時間もぴったりだ」


 師匠が言っている間にも、災厄の龍は向きを変えたまま通過していく。時間がなにを差しているのかわからなかったが、龍が落ち着いたので『強奪』や毒の効果時間のことだろうと思う。


「どうだい? 心配なかったろう?」


 通り過ぎる龍を背景に、師匠が笑って振り向く。


「「「……」」」


 ただ、俺達はなにも言えずぽかんとしているだけだったが。


 ……いやだって、おかしいだろ。もしかしたら、この人達ならあの龍を討伐することだってできるのかもしれない。


 桁違いの化け物をどうにかしてしまう桁違いの人達に、俺は驚くことしかできなかった。

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