第九十七話 伝えること
災厄の龍通過という一大イベントを通り過ぎたある日のこと。
リリィとの一件後、俺はアネシアとノルンにも自分の正直な気持ちを伝えようと思った。
いや。より正確に言えばこれまで彼女らの好意に甘えていたので、伝えなければならないと思った、と言った方がいいかもしれない。
だから俺は夜、寝る前にアネシアの部屋を訪れた。
「入っていいよ」
ドアをノックすると中からアネシアの声が返ってくる。忍び込むような真似をする気はないので気配を消すようなことはしていない。
ただ、本当に自分から誰かの部屋を訪れたことは初めてだった。朝起こしに行かないといけないような人もいないし。リリィだけは朝遅いこともあるが、そういう時はノルンが起こしに行っていた。
ドアを開けて中に入る。
アネシアは寝間着で椅子に腰かけていた。部屋の中は高級感溢れる家具で飾り立てられている。この家自体も大きめではあるが、家具もかなり高価なモノがある。
真紅のカーペット、黒いベッドに淡い紫色のベッドライト。テーブルに椅子、タンスと必要最低限しかないように見えるのだが、オシャレな装飾品などの影響か俺の部屋より煌びやかに映った。これがセンスの差か。
「今日はどうしたんだい、急に」
アネシアはにこやかに尋ねてくる。
「……いやちょっと。なにか作業中でした?」
なんて切り出したモノか迷ってしまい言葉を濁したが、時と場合は弁えたい。
「いいや。なにかしてたわけじゃないよ」
「……それは良かった」
邪魔をしてしまったわけではないようだ。ぱっと見ても気を遣っているわけではなさそう。
「……特に用事ってわけじゃないんですけど、話しておきたいことがあって」
俺はアネシアに近づいていき、俺の言葉を待つ彼女を抱き締めた。
「し、シゲオ……!?」
いきなりの行動に驚いているようだった。ただ、それが許される関係性だとも思っている。
というかアネシアならその気になれば避けられるだろう。
「……いつもありがとう。アネシアが一緒にいてくれたからここまで来れたし、ここにいてもいいって思えた。俺がずっとここにいたいって思ったのは、この場所が初めてだ。アネシアがいなかったらいつまでもなにもしないままだったと思う」
嘘偽りのない感謝の気持ちを伝える。
リリィには本音を伝えておいて、他の人に伝えないというわけにもいかなかった。義務感というよりは、俺がそうしたくなったからするというだけに過ぎないが。
でも、それでいいんだと思う。
「だからその、これからもずっと一緒にいて欲しいと思うし、ずっと一緒にいたいと思ってる」
一度は捨てようとした身で図々しいかもしれないが、紛れもない本心だった。
俺が死んだら他の誰かが、とか考えなくなったわけじゃない。そうならないようにはするが、どんな事態が起こるかもわからないのだから仕方がない。
突如として異世界に放り込まれることだってある。
とはいえ、自分に取って代わる誰かがいるかもしれないというのがいいと思うか悪いと思うかは別の話で。
少なくとも俺は嫌だった。嫌だけどそうなったら仕方がない、と思うようにしていただけで。
「アネシアのことは、誰よりも大切に想ってる」
好きとか、愛してるとか。
それらも別に間違ってはいなくて、むしろ含まれている。
ただ俺のアネシアへ向けた気持ちをより正確に表すのなら、“大切”が当て嵌まると思う。
恋愛感情がないとは言わない。けど、それだけでもないから。
更には、もう元の世界の清算も終わったし。本当に残るところは両親だけになってしまったが、両親については既に終わったモノとしている。
タケルのような例外も、もういなかった。
故に、後ろめたい部分も一切なく断言できた。
伝えたいことは伝えられた。もっと言葉を尽くしても良かったが、口下手な俺が言葉で表現しようとすればボロが出るだろう。
伝えたい気持ちをピンポイントで伝えられればいい。
用件は済んだので一旦離れようかと思い彼女を抱き締める手を緩めたのだが、今度はアネシアから抱き締めてきた。
「……そんなこと言われたら、離れたくなくなるじゃないか」
ぎゅっとしがみついてくるアネシアを可愛らしく思い、改めて抱き返した。
「今日はずっと一緒にいるんだからね」
「わかってるよ」
耳元で囁かれて即答した。それ目的で来たわけではないが、俺なりに気持ちを伝えられる機会は多い方がいい。
言葉にするのは苦手だし、行動に移すのも遅いから。
示せる時に示したい。
◇◆◇◆◇◆
またとある日のこと。
ここ数日はノルンが暗殺依頼に出ており、その隙を見て少し準備をした。
ノルンが帰ってきてから二日が経って丁度空きが出来た頃に、彼女の部屋を訪れる。
「どうぞ」
ノックをすると少し固い声が返ってきた。
扉を開けて中に入り、居住まいを正して座るノルンに目を向ける。どうやら緊張しているようだ。
「……今大丈夫だった?」
「はい」
ノルンは応えるとややもじもじするようにこちらを窺ってきた。
「……えっと、なんか緊張してる?」
少し気になって尋ねてみる。
「えっ? あ、いえ、その……」
ノルンは困ったように目を逸らして、観念したように呟いた。
「……アネシア様の時と、同じなのかと思いまして」
「……あぁ」
納得した。
本人は頬を赤くしているが、確かに第三者からすればもしかして次は自分の番か? と思ってしまう状況だ。勘違いだったら自意識過剰になってしまう。まぁ、同じ目的で来たんだけど。
「……間違ってはいないけど、それだけじゃないかな。これ、持ってきたんだ」
今回はアネシアの時と違って手ぶらではない。茶色い紙袋を持ってきていた。
紙袋を差し出すと、ノルンはおずおずと手を伸ばした。
「これを、私にですか?」
「……ああ」
「中を見ても?」
「……いいよ」
大したモノではない。
ノルンは紙袋を開いて中を覗き込み、目を見開いた。
「これは……マフラーですか?」
中に手を入れて取り出したのは、橙色に青と白のラインが入ったマフラーだった。
「……ああ。ノルンにもなにかプレゼントする約束だったから。ただなにを選べばいいかわからなくて、パッと思いついたモノにしちゃったんだけど」
リリィへのプレゼントは、プレゼントと言うより護身用の意味合いが強かった。コンセプトも最初から決まっていて、「なるべく小さくて身に着けていても邪魔にならない刃物」だったしな。
「いえ。とても嬉しいです」
少し不安だったが、ノルンは言葉通りとても嬉しそうな笑顔を見せてくれた。そんなに喜んでもらえると、渡したこちらまで嬉しくなってしまう。
「……普段ノルンが選ばないような色かもしれないけど、まぁ気に入らなかったら着けなくてもいいから」
「いえ。主様からの贈り物、大切にします。それに、主様からいただいたモノを身に着けていたいと思いますから」
嬉しそうにはにかむ様子を見れば、俺の杞憂は払拭された。
装飾品や衣服をプレゼントするのは結構勇気がいる。相手に似合うか、相手が気に入るかわからないからだ。とはいえ消耗品というのも寂しい。相手が普段欲しがっているモノや普段身に着けているモノをちゃんとわかっておく必要がある。
人になにかをプレゼントしようと思って頭を悩ませたのは初めてだったかもしれない。大変だった。
「……喜んでくれたなら良かった」
「はい、嬉しいです。ありがとうございます、主様」
大切にするように、ノルンがマフラーをぎゅっと抱き締める。
さて。
渡すモノも渡したので、そろそろ本題に入るとするか。
俺はノルンに近づいていき、椅子に座る彼女の前に屈み込むとそのまま抱き締めた。
「あ、主様……」
わかっていただろうに、ノルンは身を固くしていた。
「いつも一緒にいてくれてありがとう。主と言うには不甲斐ないばかりだけど、ノルンがそう呼んでくれることは凄く嬉しいよ」
「そんな……私の方こそ、主様の傍に置いていただけて嬉しいです」
「ノルンは優秀だし可愛いし、なによりこんな俺を慕ってくれてるから。良ければ、今後も一緒にいてくれると嬉しい」
ノルンは若干ではあるが俺と似たところがある。ネガティヴなところだ。だから俺が普段思っていることで、拙いなりに褒めてみた。もっと具体的にどういうところが、ということまで言った方がいいのかもしれないが、そうなるとこれから意識してしまってぎこちなくなるかもしれないから。
普段通りのノルンがいい。
「はいっ」
ノルンは身体を震わせて返事をした。どうやら泣いているようだ。泣くほどのことを言ったつもりはなかったが、嬉しそうなので良しとしておく。
「……こんなに幸せでいいんでしょうか」
ノルンがぽつりと呟いた。
「いいんだよ。これからも、もっとずっと幸せになっていい。ノルンが幸せでいられるように、俺も頑張るから」
俺が言うと、ノルンは声を押し殺して泣き出してしまった。彼女が落ち着くまで頭を撫でて待った。
「……すみません、主様」
「いいよ、悪いことじゃないから」
ノルンを宥めてから、俺は改めて告げる。
「ノルンも今はかけがえのない、俺の“大切”だから。これからも一緒にいてくれると嬉しい」
偽りのない本音に、少しだけ相手が喜んでくれそうな言葉を選択して混ぜる。以前なら自分のことをそのまま言うだけだったが、遂にできるようになったか。……そんな大袈裟なことじゃないな。
「……はいっ。一生、主様のお傍に」
嬉しそうな返事が聞こえたので、成功したのだろう。良かった。
どうにか本題が締められたのでホッとしていると、ノルンが身を引いて紙袋とマフラーをテーブルの上に置いた。離れたいのかと思って抱き締める手を退けて離れる。
「主様」
ノルンは向き直ると、俺に笑顔を見せる。
最初の頃に見た、そして最近はよく見るようになった、自然な笑顔だ。
「私、主様に仕えていて良かったです。あの時の私の判断は間違っていませんでした。主様のお傍にいられることが、幸せです。ですから、私にも主様に幸せを返す機会をください。主様の大切の中にいる実感を、いただけますか?」
彼女はそう言った。その言葉の心理を読み取れないわけがない。だから俺は彼女の誘いに乗った。元々そうすることも考えてはいた。
俺が、ノルンに対して想うことの一番は、やはり笑顔にあった。
ノルンが自然な笑顔を見せてくれると、自分のやっていることやってきたことは間違っていないのだと思わせてくれる。それくらい自然で飾り気のない笑顔なのだ。
なにより俺基準ではあるがネガティヴというのは色々と考えてしまうことを言う。だから自然な笑顔が出るということは、色々なしがらみを考えず気負っていない笑顔ということになる。
俺には難しいことだと思っているからこそ、魅力的に見えるのかもしれない。
◇◆◇◆◇◆
二階から降りてシャワーを浴び、リビングへ。
するとリビングでテーブルに頬杖を突きむすっとした様子で座るリリィがいた。
「……なんか、機嫌悪そうだな」
「誰のせいだと思ってるのよ」
俺のせいらしい。……いや、当然と言えば当然か。彼女との関係が変わったばかりで慣れていないが、考えてみれば心当たりしかなかった。
「……悪い」
「別にいいし。シゲオ君の好きな人が私だけじゃないことくらいわかってるし」
それは本当に申し訳ない。
ただ彼女の機嫌を取るにも、同じことはできない。となると、そうだな。あまり慣れてないが別の方法で彼女と過ごす時間を作ろう。
「……それなら、二人でどこか出かけるか?」
「えっ?」
俺の提案に、リリィは若干の食いつきを見せた。思いつきではあったが方向性は合っていたらしい。
「それって……デートってこと?」
リリィは頬を染めて、窺うような期待するような目でこちらを見つめてくる。
「……ああ。急だから、明日とかになるけど」
「行く!」
彼女は嬉しそうに弾けるような笑顔を浮かべた。やっぱり嬉しそうにしているのが一番いい。
というわけで、急遽ではあったがリリィと二人で出かけることになった。
プランもなにも考えていなかったので、とりあえず考えてから眠り、当日を迎える。
当日は身形を整えてデートに相応しい恰好(残念ながら自分の考える範囲)で、同じ家にいるので待ち合わせはしなかったがリリィと一緒に街へ出かけることにした。
リリィも贔屓目で見て気合いの入った様子だったので、本来なら間違いなく注目の的になっていただろう。だが今は二人共『気配同化』が使えるので、気配が紛れて街の人達は誰もリリィに気づかない。
「この世界の技能って不思議よね」
二人腕を組んで街を歩く中で、唐突にそう言った。
「元の世界でもこっちでも、なんだかんだ歩けばジロジロ見られてたから。こうして歩いてるのに、誰も私に、私達に注目しない。そういうモノだってわかってはいるけど、不思議な感じ」
彼女の気持ちはよくわかる。俺がこの世界に来て色々な技能を身につけていた修行期間中も、同じことを思っていた。
これは異世界人にしか理解できない感覚だろう。この世界の人は、そう在ることを当然として受け入れて生きている。
「だから、今の私は誰に意識されることもない、シゲオ君だけのモノってことだね」
少し茶化すように笑う。……そういうのは独占欲が刺激されるから大抵の男は好きだと思うんだけど、わざとなんだろうか。
「……ああ、そうだな」
だが、俺はわざとであってもいいと思った。今この瞬間のリリィを認識しているのは事実俺だけで、彼女とは今後一生の付き合いをしていくと決めているのだから。
俺が肯定するとは思っていなかったのか、リリィの方が赤面していた。ただの自滅では。
「……そこ、肯定するんだ」
「……まぁ。リリィとは一生の付き合いにするつもりだし、実際俺以外は認識できてないわけだから。これからも、リリィのこういう瞬間は独り占めできるかなって」
「シゲオ君って人前でもそういうこと言えるんだっけ!?」
「……人前っていうか、認識できてないから。リリィと二人きりっていうのと変わらないからかな」
我ながら大胆だと思うが、他の人が聞いていないとわかるからこそ言えているところはある。我に返ると恥ずかしいんだけどな。
「ふ、ふーん……。じゃあ今、シゲオ君も私だけのモノなんだ」
「そうなる、かな」
俺は肯定した。するとリリィがより強く腕に抱き着いてくる。
「じゃあもっと大胆にしてていいねっ」
「……ちょっと歩きづらい」
「なんでそこで連れなくなるの!?」
そんな言い合いもしつつ、リリィとの時間を過ごす。
趣味が合うこともあるし、元の世界のこともある。話すのは苦手な方だと自負しているが、リリィ相手だと話題が尽きることはなかった。
こうして幸せな日常を続けていきたいと思うし、続けられるように頑張らないといけない。
普段からそうだが、頭で考えることは多い。ただ口に出すことはあまりなく、行動に起こすことはもっとない。
これからは少しずつではあるが、考えを口に出す、そして行動に移す。これらを実践していければと思う。
特に気持ちの面では、どれか一つが欠けると途端に伝わらなくなってしまうのだから。
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