第六十七話 理性と本能
気まずくなって家を出た俺は、特に行き先を決めていなかったこともあり結局知り合いのいるところに顔を出した。
「シゲオ君が前触れもなく来るとは珍しいですね」
そう、フラウさんの教会だ。というかこの人以外のところに行く宛てがなかった。そもそも知り合いが少ないし。あと今は女性のところに行く気がなかった。まぁ女性で住所を知っている人はいないので、必然フラウさんのところになるのだが。
「……まぁ、ちょっと。気まずくなってしまいまして」
言葉を濁して言う。フラウさんはふむ、と顎に手を当てて考え込んだ。
「遂にアネシアとヤりましたか」
咽せた。……いきなりなに言ってんだこの人。
「あぁ、いえ。失礼しました。まぐわった……交尾……、愛し合ったと言うのが適当でしょうか」
「……」
聖職者ならせめて言葉選びには慎重になってくれ。
「こほん。それで、気まずくなって家を出てきたということですね」
咳払いをして言った。どうやら冗談だったらしい。わかりにくいがユーモアのある人だ。デリカシーはない。
どう答えたものかと思ったが、結局頷くことにした。異性相手ならこんな話はできないが、相手は同性だ。それに仮にも聖職者である。懺悔とまではいかないが、心の内を零すのにこれ以上ない相手でもあった。
「折角訪ねてきてもらったのです、話を聞きましょう。家の方にどうぞ。……男同士だからこそできる話もあるでしょうからね」
なんとなく察したようだ。フラウさんはそう言って俺を家に招き入れてくれた。紅茶を淹れて菓子まで出してもらってしまった。話をするだけで、ここまでしてもらう気はなかったのだが。ここは厚意に甘えさせてもらおう。
「大体なにがあったかはわかりました。おそらくアネシアの方からシゲオ君に迫り、そのまま……ということですね?」
当たりである。まるで俺から迫ることはないだろうと思われているようだ。実際そうなのだが。
「……はい」
「それ自体はいいことだと思います。ここ数年、アネシアの口から出てくる話は大体シゲオ君のことでしたから。遅かれ早かれこうなっていたのではないかと思いますよ。リングウェルとは別の形ではありましたが、第三者から見てもわかるくらいには」
フラウさんはそんなことを言った。……そうか。師匠と知り合いということは、フラウさんとも知り合いだったということである。
「特に、シゲオ君と出会う前に多少なり吹っ切れていたとはいえ彼が亡くなってからのアネシアは酷かったですからね……」
「……そんなにですか?」
「ええ、それはもう。私は本気で攻撃しても死なないと思われていたからか、戦闘用の技能を複数会得した後に手合わせさせられたのですが。毎度の如くボコボコにされていましたから。あれはもう八つ当たりでしたね」
フラウさんが遠い目をしていた。
戦闘狂にも近いこの人が嫌になるほどの荒れっぷりだったようだ。
「ですから、新たに弟子を取ったと聞いた時には少し心配でもありました。リングウェルの代わりにするつもりなのではないかと思っていましたからね」
フラウさんから見てもそうだったようだ。そういう側面があって拾ったとは、師匠の口から聞いている。
「ただ、それも懸念に終わりました。相手がシゲオ君だったからでしょうね。あなたはリングウェルとは似ても似つかなかった。正反対とすら言えるほどに。だからこそ彼女は立ち直れたのでしょう。……私のように、アネシアがどれだけリングウェルのことを愛していたか知っている者にはできないことでした。どこかで遠慮が生まれてしまいますからね。そういう意味では、過去のことは全く関係なく純粋にアネシアを想ってくれる人でなければならなかったのですから」
フラウさんは優しく微笑んでいた。気恥ずかしい。……ただ、一部で無力さを感じていたのか表情が暗くなっていた。
「ですから、悪いことばかりではありません。立ち直ったアネシアがシゲオ君と、ということはそれだけ心が持ち直した証拠でもあります。……彼の死から八年。随分と長くかかりましたが、新たな関係を持ってもいいでしょう」
八年と言われると非常に長く感じる。恋愛だけで言うならもっと早くても良かっただろうから。知り合ってから三年経過してようやくというのは相手が俺だったせいというのもあるが。
「ですのでそう思い悩む必要はないと思いますよ。必要以上の淫らな関係になりさえしなければ、なんの問題もありません。私はお二人の関係を祝福します」
フラウさんはそう言ってくれた。だが、そこが問題だった。
「……それが、その、ですね」
俺は躊躇いがちに内心を口に出す。男同士だとしてもこういう話をするのは初めてだ。どこまで話していいか迷ってしまうが。所々ぼかしながら話していくことにした。
「……なるほど」
話を聞き終えたフラウさんは少し戸惑っているようだった。困らせてしまっただろうか。未だに人との適切な距離感がわからない。
紅茶に口をつけたフラウさんがなにを言うのか、じっと待つ。
「別にいいんじゃないでしょうか」
「……えっ?」
ただ、返ってきたのはかなり投げやりな言葉だった。口調も普段より砕けている。
「私も初めて魔物を粉砕した時、その高揚感が堪らなかったモノです。その時周辺にいた魔物を全て素手で粉砕しまくるくらいには夢中になってしまいましたからね。それと似たようなモノでしょう」
絶対に違う。
「まぁその、やはりそこまで悩む必要はないと思います。意識して遠ざけようとしすぎると逆に意識してしまうというのもありますが、シゲオ君には自然に振る舞えるようになって欲しいのではないかと思いますよ。ですから一回、どっぷり浸かってみるというのはどうでしょう? 物足りないまま終わることが続いてしまえば、むしろ悪化していくのではないかとも思います。折角の機会なのですから、溺れてしまいしょう」
「……聖職者がそれでいいんですか」
「今ここにいる私は教会に務めるフラウではなく、シゲオ君の知り合いであるフラウですよ。聖職者としての言葉ではありません」
ツッコミを入れたがあっさりと返されてしまった。
「一回満足する、というのは大事だと思います。私も魔物を殴り足りなくて場所を移して回っていましたから。欲求不満というのは精神衛生上良くない。一度好きなだけ解放してみて、自分の満足できるラインというのを探るのもいいかもしれません。そうしている内に、次第と収まって少しでも満足できるようになってくるのです。慣れ、と言うべきでしょうかね」
「……まずは慣れてしまった方がいいということですか」
「はい。アネシアに、自分が満足するまで付き合って欲しいと頼んでみましょう。若しくはほぼ毎日、暇があればヤるとかになりますかね。最初にすべきことはシゲオ君の性欲を発散させてしまうことですから」
言葉が直球すぎる。そんなにはっきりと言わないで欲しい。だが、事実ではある。現実から目を背けてはいけない。特に今回は。今後の生活に関わる大事なことだ。
「……そうですね。とりあえず少し置いてから、ダメそうなら相談してみます」
「それがいいでしょう」
とりあえず話を聞いてもらったら少しだけ落ち着いてきた気がする。フラウさんに礼を言って帰ることにした、のだが。
「おかえり、シゲオ」
にっこりと出迎えてくれた師匠を見てわかったが、ダメだった。
「……あ、はい。夕食の買い出ししてきますね」
「え? あぁ、うん」
俺は家に着いて早々に出かけることにする。
それから俺は、色々なことを試しながらどうにか正常な精神を取り戻せるように努めた。
だが、ダメだった。自分でも嫌になる。
最近は師匠との会話も避けるようにしていた。一回頭を空っぽにするためにフラウさんと一晩中『ゾーン』状態で全力戦闘をしてもらってもダメだった。街の外で魔物を狩っても同じだ。
とりあえず忘れるように努めたのに、十日間が無駄に終わった。
憂鬱な気分で今日も眠りに着く。日数を経過させるには寝ることが一番だと気づいた。だからベッドで横になって目を閉じる。最初はあの夜のことが浮かんできて眠れなくなりそうだったので、日中帯身体を動かすことで疲れを溜めることで解決した。
今日もちゃんと眠れそうだ。だんだんと意識が落ちて……。
「シゲオ!」
落ち切る前に師匠の声で目を開けてしまった。師匠は布団の上から馬乗りになるように俺の身体に座っている。ただの寝間着だったが、今はマズい。
「……なんですか、寝るとこなんですけど」
「わからないとは言わせないよ」
わざとらしく面倒そうに言うと、師匠は不満そうに睨んできた。
「あんた、最近あたしのこと避けてるだろ」
流石にバレていたらしい。そっぽを向く。
「最初は恥ずかしがってるのかと思ったけど、いつまで経っても変わらないどころか悪化していくし。ノルンだって心配してるんだ。あんた、どういうつもりだい?」
師匠が真上から見下ろしてきた。答えにくい。顔を合わせられない。
「……それとも、嬉しかったのはあたしだけだったのかい?」
「……それは」
師匠の弱々しい声が呟きが聞こえてきて、思わず顔をそちらに向けてしまう。だがすぐににやりとしたのが見えた。……嵌められた。
「あたしとあんたは家族だ。それが変わらないと思ってたのに、前より距離が空いたら意味ないじゃないか。あたしはシゲオの方からあたしの部屋に来て、ベッドに押し倒すくらいされるかと思ってたのに」
そんなことをする性分じゃないのはわかっているだろうに。いや、それほど俺が積極的になっていたということだろう。
「話してもらうよ。どういうつもりなのか」
師匠が目を鋭く細めた。逃がさないつもりだ。……話した方が楽になる、と思ってしまう。フラウさんも言っていた。一度満足してしまえばどうにかなると。
師匠に言われて冷静に思い返してみると、確かに良くなかったと思う。必要以上に会話をせず、目を合わせず、できるだけ会わないように心がけていた。家族に対する態度ではない。
少し迷ったが、それでもじっと俺の言葉を待つ師匠に対して、告白することにした。
あれ以来性欲が強くなっていること。あの日も相当だったが満足していなかったこと。どうにかして平常心を取り戻すため時間が欲しかったことなど。
諦めた俺は洗い浚い吐くことにした。師匠は黙ってきいていた。引かれただろうか。
「……よ」
よ?」
「良かったぁ……。てっきり嫌われたんじゃないかと」
師匠は安心し切った笑顔で言った。……え? 俺が師匠のことを嫌うわけないんだが。いや、そう思われてしまうほどに俺の態度が悪かったということか。
「というか、そういうことならもっと早くに相談しな」
ぐりっと鼻を強く摘ままれる。痛い。
「あたしを気遣ってのことかもしれないけどね、溜め込みすぎるのは良くないんだよ。大体、今のままじゃ依頼だってままならないだろ? それなら落ち着けるために発散させちまえばいい」
フラウさんと同じことを言っていた。
「あたしを信じな、シゲオ。あんたの師匠はそんな柔じゃないよ。あんたの性欲くらい受け止めてやるさ」
いつもの頼もしい笑みで、そう言ってくれる。……そうだよな。俺が悩んでいたのがバカみたいだ。人の欲望は無限じゃない。いつかは満たされる。今の俺はただ、これまで無意識の内に蓄えていたモノに振り回されているだけだ。遠慮なく甘えさせてもらおう。
というわけで、アネシアに付き合ってもらい満足できるまで欲望に忠実になるのだった。
結果。
とりあえず性欲は落ち着いてくれた。師匠やノルンとも普通に接することができるようになった。ノルンはちょっと気まずそうにしていたのだが、ある程度は仕方がない。
……まぁ、累計十日も部屋に籠もっていたらしいからな。日数を数えていたわけじゃないので、ノルンから聞いたんだが。言われてみれば半分くらいで師匠が一回失神してしまって、仕方なくそのまま続けていて、少しして目が覚めてからも続けていた。最終的には空腹と疲れから来る眠気を感じて、やめた。ノルンに料理を頼んでシャワーを浴びてすっきした後爆食いして、自室があれだったので客間でぐっすり眠った。起きた時、それはもうすっきりとしたいい目覚めだったわけだが。
「流石のあたしも、身体持たないからね」
回復した師匠にジト目で告げられてしまった。
とりあえず暴走期間は終わったのだが、師匠には大変申し訳ないことをした。これからは自重しつつ、ただしまた暴走してしまわぬよう気をつけて過ごそう。娼館を利用することも辞さない覚悟であった。
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