第五章 復讐者
第六十六話 関係値
全てが終わった後。俺は少しだけアネシアと話した。
漠然と恋人になるのかなと思っていたのだがどうやら違うらしい。
そういうモノなんだ、と少しがっかりする。いや、彼女とそういう関係になりたかったわけではないが、なりたくないわけでもなかった。
「あんたはあたしの家族だ。……だからだろうね。親子だろうが、夫婦だろうが、どっちでもいいんだよ。どっちにしたって家族に変わりはないし」
彼女の温もりを感じながら後ろから聞こえてくる言葉は、すっと入ってきた。……違いない。実際の関係の形なんて二の次だった。
「シゲオはどうだい?」
「……俺も、同じ気持ちだよ」
「こういう時くらいちゃんと言葉にしたらどうだい?」
意地が悪い。見えなくてもにやにやしているのがわかった。
因みに、こういう時は師匠と弟子の関係じゃないから敬語も師匠呼びもするなと言われてやってはみているが、しばらく経っても慣れない。
「……アネシアのことを、家族だと思ってる」
「そりゃ良かった」
わかり切った答えを聞きたがる。いや、それは俺も同じか。態度だけでなく言葉でも示して欲しくなる。普段つい師匠の肯定的な言葉を聞こうとしてしまうのは、それが原因だ。
「悪かったね、シゲオ」
「……え?」
急に謝られたので聞き返す。……まさか、なにか毒でも盛られたのだろうか。そういえばいつになくアネシアのことが魅力的に見えていた気がする。
「いや、流石にちょっと強引だったと思ってね。シゲオが拒めないだろうと踏んで迫ったとこあるから……」
毒を盛られていたわけではないらしい。つまり素だったというわけだ。尚更恥ずかしい。
「それに、別にこういうのがなくたってあんたとの関係が変わるわけじゃなかったからね。でもあんたのことだから、一緒にいられるだけで充分幸せだとか思って必要以上に踏み込んでこなさそうだし」
当たりです。
「あんたが最終的にどうするかは任せるけど、こういう形もあるってことは教えたかったしね。あたしとしては結婚しようがしなかろうが色んな女口説こうが気にしないから。……例えあんたが、元いた世界に戻りたいって言い出しても、ね」
師匠はそう言ったが、そこは離れ離れになるので嫌だと思って欲しかったような気がする。
「ま、あたしといた方が幸せだって思わせてやるだけだけど」
後ろの師匠がより身体を寄せてくる。……やめてください。
「そういえばあんた、元いた世界に戻りたいって言ったことないよね? 少なくともあたしの前では」
自分で言っていて気づいたのか、尋ねてくる。
確かに。思い返しても元の世界のことをよく考えていたのは転移してから浮浪者として過ごす日々の中ぐらいだ。あの時は心底元の世界に帰りたかった。こんなにしんどい思いをするくらいなら元の世界の、あのなにもない日々の方がまだマシだと思っていた。
師匠にそういった気持ちを見抜けないはずもないだろうが、少なくとも今の今まで帰りたいと思ったことがないのは事実だ。
「……アネシアと過ごす方が、遥かに幸せだからかな」
「珍しく素直じゃないか」
「……ちゃんと言葉にしろって言ったのそっちじゃん」
「それはそうだけど……なんだか照れるね」
言わせておいてそれは狡くないでしょうか。こちとら師匠が愛おしく思えて仕方ないタイミングですので。
兎も角、元の世界より遥かに幸せだと思っているのは事実だった。
元の世界であのまま過ごしていても、こうしたことにはならなかっただろう。命を懸ける必要はあるが、懸けても構わないと思うくらいにはこの世界のことを受け入れていた。
「それじゃあ、そろそろ再開しようか?」
「……え?」
もう夜が明けるところなんですが?
「シゲオと話してたら続きしたくなっちゃったから、仕方ないよね」
「……はあ」
「それに、あんただってやる気じゃないか」
「……これはまた違う理由でしょ」
服を着ていないのに後ろから抱き着いてくるアネシアが悪い。
「まぁいいじゃないか。……まさかシゲオが、そういう意味でも夜に強いとは思ってなかったけどね」
そういうのは言わなくていい。なんというか反応に困る。
「ほら、シゲオ」
呼ばれて、ついつい振り返ってしまう。嬉しそうな笑顔が目に入った。……あぁ、もう。見ちゃったらもう無理だろ。理性緩々の状態なのに、我慢できるわけがない。というか見ないために背中向けてたのに。
結局、その後も続けることになってしまった。
昼過ぎにようやく解放された俺は、シャワーを浴びながら自己嫌悪に陥る。
「……はぁ」
まるで覚えたての猿だ。いや、間違ってはないが。
熱い湯を頭から浴びて冷静さを取り戻す。思い返すと、なんかもう色々と酷かった。最初は戸惑いばかりで、思い出すと恥ずかしくて死にたくなる。それまで恋愛とかしたことがなく性欲どころか生きる意味も乏しかった未経験者に誰も期待しないとは思うが、相手が師匠でなければ失敗に終わっていてもおかしくなかった。
ただ途中からは割りと理性が吹き飛んでしまっていた。記憶はあるが、らしくないほどに強引だったと思う。自分から師匠を組み伏せるなんて思ってもみなかった。ただこれについては俺も反論があった。
師匠は誰がどう見ても魅力的な女性である。当然俺にとっても。それは異論を挟む余地すらないと思うが、加えて俺にとっては一番大切な人である。大切さに順序をつける必要はないが、あえて強い言葉を使うとするなら。
そんな人に誘われて抗えるヤツなんているだろうか? いやない。絶対にない。
そんなわけで、自分でも驚くくらい夢中になってしまっていた。控えめに言って最高だった。ともすれば溺れてしまうほどに。
「……引くわ」
ぼそりと呟く。自分でも引いた。さっきの今で。いや、思い出した俺が悪い。
「……はぁーっ」
わざとらしく大きなため息を零した。このままでは師匠のことをずっとイヤらしい目で見るようになってしまう。自重しなければ。顔を合わせるのも避けたくなってきた。
俺はこれまで、元の世界で異性に興味を持ったことはあまりなかった。辛うじてあったと言えても、「あの子可愛いな」くらいだ。それもたったの二回。姉妹だったし。家の近所に住んでいる義理の兄弟でもあった男の子のことが好きなのだと知ってはいたのでそれ以上のことはなにも思わなかった。後にその男の子のことを「ラノベの主人公かよ」と思ったくらいだ。俺には全く関係のないモノだった。
なんなら現実の異性よりもラノベとかアニメに出てくるキャラクターの方に惹かれた回数の方が圧倒的に多いだろう。……なにそれ虚しい。
だから自分がここまでアレだとは思っていなかった。
遅めにやってきた思春期だと思っておこう。うん。だからと言って溺れないようにしないといけない。ほとぼりが冷めるまで師匠を若干避けるくらいで丁度いい気がしてきた。師匠もきっと恥ずかしがっているだけだと思ってしばらくは放っておいてくれるだろう。
聞けば、師匠が俺を拾ったのはリングウェルさんの命日だったそうな。つまり俺が異世界に来てから三年以上が経過したことになる。
三年。長いようで短い時間だ。それだけの間師匠と一つ屋根の下で同居していたわけだが。そう思うと結構遅いような気もする。普通の恋人関係に置き換えると、知り合ってから三年でここまで辿り着いたことになるのだが、高校生ならもっと早いだろう。そもそも三年経過したら高校自体卒業してしまうか。知り合いでもなかった年上の女性と同居してこれまでそういう目で見てこなかったことが逆に不思議だ。余裕がなかったというのもあるし、最初から関係の上下が一貫していたというのもあるだろう。俺が意図して必要以上に踏み込まないようにしてきたというのも大きいか。
身体を綺麗にしてからリビングに行くと、ノルンがじっと椅子に座っていた。本来朝から起きてくるはずの誰かさんとずっと待っていたとかだったら非常に申し訳ない。シャワーを浴びる前はいなかったので違うと思いたい。
いつもならノルンから挨拶してくれるのだが、そうではなかった。なぜだかじっとこちらを見て黙っている。
「……えっと、おはよう」
「もう昼過ぎですが」
おっしゃる通り。
いつになく辛辣なノルンの返しに、思わず視線を逸らした。……冷静になって考えてみると、この家の防音性ってどうなってるんだろうか。比較的マシだとは思う(表にできない話をするので)。ただ部屋の防音性はどうだろうか。確かめたことがないのでわからない。もしかしたら声とかがノルンに聞こえてしまっていたのかもしれない。なにそれ滅茶苦茶恥ずかしい。いや、俺はあまり声を上げていなかったとはいえ。聞かれていたら死にたくなるポイント加算である。
「主様」
「……はい」
「お話がありますので、そこに座ってください」
「…………はい」
冷ややかなノルンの言葉を聞いて、俺は彼女が示した対面に腰かけた。どちらの立場が上かわかったものではない。
「主様。主様がどこでどんな女性と関係を持とうが、私に口を挟む権利はありません。相手がアネシア様であれば尚のこと。お二人が幸せであればそれでいいと思います。ですがその……あまりにもふしだらではないでしょうか」
ノルンは少しだけ頬を染めて告げてきた。……面目ない。色々と丸聞こえだったようだ。こっちまで顔が熱くなってしまう。
「……ごめん」
それ以外に言いようがなかった。
「い、いえ。ただその、少し張り切りすぎではないかと。いくらなんでも昼過ぎまでほとんど休みなしというのは、お身体にも負担がかかります。そもそも睡眠を取っていないのではありませんか?」
ノルンは話の方向性を変えてきた。
そういえばそうだった。ただ、別に今も眠くはない。身体の疲れもなかった。体力増加の技能を会得したおかげだろうか。
「そうだよ、全く。おかげで眠いったらないんだからね」
師匠の声が聞こえたかと思うと、シャワー室の方から姿を現した。……いつの間に。
髪を乾かすためかアップにしてタオルで包んでいる。部屋着なのでこれから寝るのだろう。眠そうに欠伸していた。……それはそうと師匠のうなじだとか服の下にある身体つきだとかに目がいってしまいそうになり、明後日の方を向いた。なんだこれ。ヤバい。視線が煩悩に支配されているかのようだ。一瞬で、ベッドの上で見た師匠の姿が脳裏に浮かんだのは支配されているのは視線だけでなく思考もだろうか。とんでもない。発情期かよ。
「シゲオ。部屋は片づけといたから、あんたも寝るなら好きにしな」
「……はい」
自己嫌悪に陥りながら階段を上がっていく師匠を見送った。
とは言われたが眠くはない。むしろまだ余裕があるくらいだった。昨晩は一睡もしていないので、起きたのは昨日の朝なので一日半以上寝ていないことになるのだが。
「主様。少しは自重してくださいね」
「……あ、はい。すみません」
煩悩に支配されているのが丸わかりだったのだろうか。やはりノルンの目がいつもより冷ややかに見える。
「それで、自室で寝られますか?」
「……いや。外出てくる」
「そうですか。くれぐれも無理はしないようにしてください」
「……ああ」
俺は頷いて、私服のまま家を出ようと考える。……気分転換がしたい。ただ娯楽施設とかはあまりない。どこへ行こうか、と頭を悩ませているとノルンがはっとしていた。なんだろう?
「まさか、主様……娼館に行くつもりではありませんよね?」
「……なんでそんな発想になるんだ」
「いえ、その、アネシア様から主様も年頃の男の子なのでかなり溜まっているとお聞きしておりましたから。まさか物足りないのではないかと思ってしまいました。流石に、大丈夫ですよね……?」
「……当たり前だ。娼館なんて行ったこともないし、行くつもりもないから」
「それはなによりです。もし行くようでしたら主様を力尽くで止めなければならないところでした」
ノルンが変なところでほっとしていた。
「ところで」
しかし、彼女はじっと俺の目を見つめてくる。
「主様は先ほど、物足りないかどうかについては言及されませんでしたが。満足されたということでよろしいでしょうか?」
「…………もちろん」
いつもより間が多くなってしまった気がした。ノルンは目を細めてジト目になる。
「そうですか」
「……はい。じゃあ、出かけてくる」
「はい、どうぞ」
ただ、なにも追及はされなかった。居心地が悪くなってさっさと家を出る。
「……その割りには一切疲れた様子がありませんね」
ぼそりと聞こえてきたノルンの声に、耳が痛くなった。……満足してたら終わった後に師匠を変な目で見ようとはしない。ホントに、どうしてしまったのか。
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