第六十五話 失敗の後日談

 俺が新たに開花させた能力は、【闇を司る力】という。なんとも大層な名前だ。魔王にでもなるつもりだろうか。いや、所詮は『闇に潜む者』。『闇の支配者』とかではない。“潜む”という消極的なワードは俺らしいよなと今更に思った。


 順序が逆転してしまったが、あの後ノルンは気絶した俺と師匠を運びながら手当たり次第に改造人間を倒して撤退したらしい。残念ながら暗殺の依頼としては失敗、研究者の男がどこにいるかもわからなくなってしまった。

 後始末をしに行った政府関係者へと、地下が本拠地だと伝えてもらったのだが行った時にはもぬけの殻だったと。


 暗殺は失敗。対象者がどこにいるかもわからないという失態を犯した形になってしまった。ただし研究者の顔を見た俺が人相を伝えたので人相手配はしたらしい(名前がわからないので指名ではない)。


 まぁ見た感じあの男だけではどうすることもできないだろう。研究施設さえも捨てて逃げ出したことから、相当追い詰めたのは間違いないということで報酬の半分が支払われた。ヤツの戦力も大部分を削ったので後は政府がなんとかするらしい。

 あえなく三度目の失敗になってしまったわけだが、師匠としては因縁ある今回の依頼を自分の手で終わらせたかったんじゃないかと思ったのだが。


「もういいんだよ」


 と晴れやかに笑っていた。

 師匠にとってあいつの暗殺自体は多分大した後悔ではなかったということだろう。ただ、かつての婚約者にして弟子だったリングウェルさんが死亡したことがトラウマとなっていたのだ。


 師匠は、帰ってから俺とノルンにリングウェルさんとのことなどについて語ってくれた。なぜ師匠が俺を拾ったのか、本当の理由も明かしてくれた。謝られてしまったが、別に気にしていない。大切な人が亡くなったのだ、仕方のないことだろう。むしろ師匠もちゃんとした人間だなぁ、と思ったくらいだ。……いや、リングウェルさんが師匠を人間にしてくれたのだろう。暗殺を行うだけの機械から。


 全てを聞いてから、三人でフラウさんの教会裏手にあるリングウェルさんの墓参りに行った。依頼に行った日が命日だったそうなので、少し過ぎてしまっているが。


 リングウェルさんの墓前で手を合わせながら、俺は伝えなければならないことを伝えた。


「“〇〇が終わったら結婚しよう”は、俺のいた世界で最大の死亡フラグですよ」


 と。……いや、真面目なこともちゃんと伝えたんだけど。これからは師匠を守れるように一層頑張りますと伝えたとか口が裂けても言えるわけない。


 依頼が終わってから、なんだか師匠との距離が近くなった気がする。曰く、リングウェルさんのことについて真に吹っ切れたのだとか。師匠が距離を縮めてきたからかノルンもなぜか対抗してきていて、俺はついつい避けることが増えてしまった。あと家で【闇に溶けゆ】を使うことも出てきた。……なんというヘタレ。


 兎も角、師匠との距離が近くなってしまったのでなんだか気恥ずかしいという気持ちが強くなっていた。師匠の顔をまともに見ていない気がするくらいには。


 ……いや、だってですね。まともな思考をしていなかったとはいえ師匠を自分から抱き締めるとか。記憶がなくなっていないから恥ずかしい。思考が働いていなかったからこそ起こせた行動だとはわかっている。むしろわかっているからこそ余計に恥ずかしいというのはあった。外聞とか見栄とかを取っ払ったのがああいう時の俺なので、つまり本音に正直な俺ということだ。


 これまで思ってはきたが言葉や行動にあまりしてこなかった、師匠を大切に想う気持ちを行動に移した初めての瞬間だったわけである。

 いや、恋愛感情とかそういうのじゃない。むしろそういうのを飛び越えた“大切”なので、余計に知られたくなかった。師匠もわかっていて距離を縮めてきているのだと思う。


 ノルンはノルンで、


「私もアネシア様のように、主様から大切に想っていただけるようになるのでしょうか」


 とか平気で言うし。


 そんなこんなで非常に居心地の悪い日々を過ごしていたのだが。


 色々な後処理が終わり、一段落ついた日の夜。


「シゲオ」


 俺は上から降ってきた師匠の声に起こされた。


「……ん、師匠?」


 なんでこんな夜中に。というか上からと言っても真上過ぎないか?

 と目覚めたばかりの寝惚けた思考で思いながら目を開ける。


 すると、髪を下ろした師匠の美貌が視界いっぱいに映っていた。……は?


 混乱して、目を瞬かせる。ただ何回やっても目の前の光景が切り替わらない。夢や幻の類いではないようだ。


「なにきょとんとしてるんだい?」

「……いや、なにって」


 尋ねられたが、仕方のないことである。

 師匠は俺が被っていた布団の中に入って覆い被さるようにしていた。視線を動かせばネグリジェ姿だとわかる。しかも肌が透ける扇情的なヤツだ。


 ……なにこの状況。


 頭が追いつかない。


「ふふ。どうだい、この恰好。十年前に買ったモノだけど、まだまだイケるだろう?」


 俺がネグリジェの方を見たからか、師匠は身体を起こして得意気に微笑んだ。似合わないはずもないが、十年前ということは……リングウェルさんのために買ったモノでは。


「……で、なにか用ですか?」


 俺は尋ねた。すると師匠は唇を尖らせる。


「なんだい、その素気ない反応は。折角気合い入れてきたってのに」

「……人を起こすのに気合い入れる必要ないんじゃないですか?」


 言い返すと更にむすっとしてしまった。……一体なにが狙いなのか。俺にはさっぱりわからない。からかうにしてももっとマシなやり方があるだろう。


「あっ、いいこと思いついた」


 師匠が笑う。途轍もなく嫌な予感がした。


「えい」


 彼女が身体を倒して俺の上に乗っかる。柔らかな感触が伝わってきた。


「……っ!?」


 瞬く間に体温が上昇していく。顔が熱い。思わす腕を動かして退けようと思うがいつの間にか師匠の手で押さえつけられていた。……非常によろしくない状況だ。


 師匠の顔が目の前にある。にやにやしていた。


「シゲオも男の子だからねぇ。しかも女性経験がない、ね」

「……余計なお世話です」


 精いっぱいの強がりで返して左を向く。心臓が痛いほど脈打っていた。


「シゲオ」


 より顔を近づけてきた師匠の声が耳元で聞こえてくる。ぞくっとした。心臓が破裂しそうで、状況を頭が理解しようとしてくれない。『ゾーン』中の冴え渡る感じは一切なかった。

 身体が硬直して動かない。明かりの点いていない夜なら俺の方が力は強いはずなのに、押し退けようとしてくれなかった。


「抵抗しないの?」


 聞かれる。答えられない。

 師匠が俺の腕から手を放した。解放してくれるのかと思ったが、違うらしい。


 師匠は少しだけ顔を離すと、横を向いた俺の顔を手で挟んで正面を向かせた。


「ねぇ、シゲオ」


 師匠が笑う。目を細めてにっこりと。……それは狡い。

 視線が固定される。目を逸らせない。百人の俺が百人全員振り返るような、魅力的な笑顔だ。彼女の美貌に惹き寄せられてやまない。


「あたしがその気になったら、あんたに逃げられると思う?」


 聞かれる。答える必要はない。

 答えは決まり切っていた。……無理だ。


 現実逃避の時間は終わってしまう。

 観念して小さく息を吐いた。それが合図となった。


 ◇◆◇◆◇◆


 一方、命からがら拠点から逃げ出した研究者の男は。


「ひぃ……! はぁ……っ!」


 肥えた脂肪を弾ませて夜に駆けていた。

 手持ちの改造人間は全て倒されてしまい、這う這うの体で逃げ出す以外に選択肢はなかったのだが。


『……俺は必ずお前を殺す。精々暗闇に怯えながら過ごせ』


 自分を守る場所、戦力が潰されたことで強く感じるようになったのは恐怖だ。特にシゲオに言われた言葉が脳裏に沁みついていた。

 アネシアは結局のところ自分を殺すところまで迫ってこなかった。だがシゲオは違う。自分を殺す直前まで迫っていた。しかもヤツは闇に紛れる能力を持っている。


 夜の間はどこからか追ってきているような気がして、一切落ち着けなくなった。

 昼の間でも影に潜んでいるのではないかと思えてきて、精神が削られた。


 要するに、トラウマとなっていたのだ。


 これまで安全に、無数の目がある状態で過ごしてきたことの弊害だ。

 自分の安全を保証するモノを失って初めて、これまで一番強く死を感じたシゲオの存在に恐怖を覚えるようになっていた。


 それでも必死に逃げ出したことで政府の追っ手から逃れることには成功していた。


 だが休むことは許されない。――足元に自分の影がある。永遠について離れることのない影が。


 恐怖から逃げるように足を止めず走っていたが、遂に足を縺れさせて勢いよく倒れてしまう。だが転んだ痛みなどどうでも良かった。死の恐怖から逃れたかった。


 ふと、どうしてこんなことにという疑問が湧いてくる。


「……そうだ。あいつが全部悪い。あの、確かシゲオとか言う暗殺者が……!」


 倒れたまま泥だらけの拳を握り、ぎりっと奥歯を噛み締めた。

 あいつさえいなけえればアネシアは思惑通りに殺せていた。忍者がいてもその結果を変えることは出来なかったはずだ。そもそもシゲオがいさえしなければ居場所がバレる心配もなかった。万が一にもビーストなどを突破されて偽者を殺されたとしても、気配を感じ取れない以上ここにはいないとだけ告げれば同じ場所を訪れることはなくなったかもしれない。


 そうしてシゲオへの憎悪を強める男の前に影が差した。


 言うなれば暗闇恐怖症となった男にとって影が差すというのは心臓がきゅっと縮まる出来事である。恐る恐る見上げると、見目麗しい金髪の美少女が立っていた。必死すぎて周囲に人がいることすらわかっていなかったのだ。

 ただ見覚えはない。暗殺者の追っ手でないとわかり少しほっとした。


「――うん。あなたは殺しても良さそうね」

「……ぇ、ぱ……ぁ――」


 しかし、男の命はそこで潰えることとなる。

 なにを言っているのかと首を傾げる間もなく、全身を微塵切りにされて死んだ。呆気ない死に方である。


 少女はを鞘に納めると、男の死体には目もくれずに歩き出した。


「暗殺者に、シゲオ。彼を知ってるってことは多分暗殺対象よね。……ふふふ、元気にしてるみたいで良かったわ。私が殺す前に死なれちゃ困るもの。丁度いいし、そろそろ会いに行こうかしら」


 少女――リリィ・アランスカは狂気の滲む笑顔を浮かべて言うと、次の目的地を決めるのだった。

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