第六十四話 殺し特化

 アネシアはアベルの素体がリングウェルだと知った時点で戦意を失った。

 それでもシゲオには逃げて欲しかった。


 だからシゲオが悩みながらも『気配遮断』と【闇に溶けゆ】を使って姿を消した時はそれでいいと思った。


 だが、相手は逃がす気など更々なかったのだろう。


「――殺せ、アベル」


 シゲオの姿が認識できなくなった直後、冷徹な声がアネシアの耳に入ってくる。アベルは命令に従って一直線にシゲオの逃げ出した方へ移動し、見えてはいないだろうが先回りして拳を振るった。


「シゲオ!!」


 アネシアはこれまでずっとシゲオの動きを見てきた。今の冷静ではいられない状況で移動する時に色々な技能を発動することはない。最低でも『疾駆』辺りまでだ。だから、彼女にはシゲオの大体の動きが目に見えなくともわかっていた。


 故に、シゲオに拳が直撃することも理解してしまい叫んだのだ。


 実際シゲオは横から頭を殴られて宙を舞う。頭から血が出ていた。意識はまだあるようで足から着地していたが。シゲオが殴られたのを見て、アネシアは背筋を凍らせる。このままでは全滅する。少なくともシゲオと自分は殺される。それだけは嫌だった。


 そんな彼女の見ている前で、シゲオは顔に垂れてきた血を拭って前髪を掻き上げる。顔を上げてアベルを睨むその瞳には、戦意が宿っていた。


「だ、ダメだシゲオ! 逃げるんだよ!」


 アネシアは叫ぶが、聞こえていないのか反応すら示さない。


「あんたじゃ敵わない! だから逃げて、逃げておくれ……っ」


 アベルと戦っていた彼女には、シゲオの今の実力では勝てないと理解できた。いくら【闇に溶けゆ】で認識できなくなるとは言っても、事実つい先ほど殴られてしまったばかりだ。シゲオの方が早く駆け出して瞬く間に追いつかれたのも、ある程度技能を使っていけば補えるとはいえ身体能力で劣っていることの証左である。


 アネシアの願いも虚しく、シゲオは短剣を抜いていた。


「くくっ! 戦う気か。いいだろう、貴様から殺してやる! その女の前でなぁ!!」


 楽しげな男の声が響く。ダメだ、と思っても今のアネシアにはどうすることもできない。唯一加勢できるノルンもドラゴラの対処で精いっぱいだ。影分身を送り込んでも連携は難しいだろう。一度に動かす身体が多く、そして離れていくとより難しくなる。援護できたとしてドラゴラの方で集中を切らしてしまう。それでは結果が変わらない。


 シゲオは左手に持った短剣を軽く上に放り投げた。短剣がくるくると回る。刃が月光を反射して煌めく。シゲオの目が短剣の方を向くことはなかった。彼の目はただ一点、アベルだけを見据えている。シゲオの左手に短剣の柄が触れた――瞬間にシゲオの姿が消える。【闇に溶けゆ】を発動したのだ。


 どこに行ったのかアネシアにも定かではないが、おそらく技能を使い高速で背後に回ったはず。アベルもそう予想したのか両腕を左右に対して振り回す。


 ――それと同時に、シゲオの振るった短剣がアベルの脳天を裂いた。


「……え?」


 アネシアは驚き、再び姿を消したシゲオの『残像』を呆然と眺める。彼女だからこそ、シゲオの行動が理解できなかった。いや、【闇に溶けゆ】や高速移動用の技能を駆使して一撃離脱の戦法を取ること自体は理解できる。だがアネシアはシゲオが持っている全ての技能を知っている。


 シゲオが持っているどんな技能をどう組み合わせても、アベルが腕を振り回している間に跳んで頭を裂くことなど不可能だった。時間が足りない。


 明らかに、これまでのシゲオより速かった。


 アネシアが知らない技能を持っている可能性はゼロだ。であれば、答えは一つしかない。


 ……今この瞬間に、才能が開花したってのかい……?


 彼女の頭に一つの可能性が思い浮かんだ。

 才能は段階を経て少しずつ能力が追加されていく。シゲオもこれまで二度、能力が増えてきた。だが能力は追加されるだけでなく、強化されることもある。実際アネシアが持つ『千死双爪』の【手に毒あり足に毒あり】も、最初から手足に毒を仕込めたわけではなく元は【仕込み毒手】という手に毒を仕込める能力だった。


 アネシアが思うよりも今のシゲオが速いのは、おそらく【闇夜に乗じて】の身体能力強化が増幅したからだろう。


「クソッ! どうなっている!? さっさとそいつを殺せ、アベルッ!!」


 アベルの動きがシゲオに追いついていない。我武者羅に剛腕を振り回して攻撃しようとしているが、シゲオには全て見えているのだろう。全く別のところから攻撃と同時に現れるシゲオを捉えることはなかった。

 シゲオの動きが速くなったことでどこをどう動いているのかが読みにくくなり、攻撃の瞬間以外見えないので予測して攻撃を当てることは難しくなっている。


 ただ、敵は奇しくも天才だった。


「く、くくっ! 調子に乗るなよ! !!」


 研究者の嗤いが聞こえた。まさか、とアネシアは思ったが、アベルは一点に向けて拳を振るい、そして鈍い音が響きシゲオの姿が現れた。

 アネシアは息を呑む。直撃だ、と思ったが違う。


 シゲオは拳と身体の間に右手を差し込んでいた。ただそれだけなら意味はないが、次の瞬間には蹴りを放つ。怪我をしている様子はなく、拳を受けても吹き飛んでいない。アネシアも使っていた『衝撃流し』だ。敵の攻撃が生んだ衝撃に技能を積み重ねて放たれた蹴りが、アベルの胴体を大きく穿つ。


「なんだと!?」


 『衝撃流し』を攻撃に乗せるのはより精密になってくる。それをやってのけたということは、シゲオは凄まじく集中している状態ということだ。


「シゲオ、あんた……」


 アネシアは弟子の戦いを呆然と眺める。


「クソッ! 偶々だ!! 殺せ!! 殺すんだっ!! そいつを殺せアベルぅ!!!」


 再び姿を消したシゲオの動きを読んでアベルが攻撃していく。動きを読んだという男の言葉は真実なのだろう。実際、シゲオは攻撃された瞬間にも姿を暴かれるようになった。

 ただ、シゲオがダメージを受けることはない。


 アネシアの頭に一つの推測が浮かんできた。

 シゲオは元々ごちゃごちゃと考える癖がついていたせいで、行動を起こすのが遅い傾向にあった。だから『極限集中』と『ゾーン』でなにも考えずシゲオ本来の力を出し切れるようにしようとした。ただなにも考えず動くだけでは足りないので、身体が自然と動くように技能を叩き込む必要もあった。その目論見は成功している。

 加えて、もう一つ。シゲオは死にたくないという思いを抱いており、生きるために暗殺者になった。浮浪者になって命が追い詰められていたこともあり、死の危機に陥ることを極端に避けるようになっていた。アネシアは絶対に会得できないだろうが、リングウェルが会得していた技能のことを思い出す。


 『生存本能』。命の危機に瀕した時、生き延びられるように力を発揮する技能だ。ただし、発揮される力は身体が無意識の内に決定するため制御できるモノではない。制御しようと考える時点で会得は不可能な技能とされている。


 リングウェルは直前でワームに腕を食われていたため傷口を塞ぐ方面で発動してしまったが、今シゲオの身体が判断した生き延びるための力が身体能力である可能性があった。あるいは、相手の攻撃を見切る動体視力か。

 どちらにせよ、今回のことでシゲオは『生存本能』を発揮したかもしれなかった。


 ただ、それでも。


「ちょこまかと動きおって!! だがアベルは殺せん!! さっさと死ねぇ!!!」


 男の言う通り、シゲオには火力が足りない。アネシアほどの速さで攻撃し続けることもできず、ノルンのように高威力広範囲な攻撃手段を持っているわけではなかった。


 どれほど強くなっていても、シゲオではアベルに勝てない。


 ただ、それでも。


 シゲオの勝利を望んで見守るアネシアであった。


 ◇◆◇◆◇◆


 身体がいつもより軽い。

 相手の動きがよく見える。

 思い通りに身体が動く。行動できる。


 短剣を振るう。

 攻撃の衝撃を利用して身体を削る。

 『気功』で威力の高い攻撃を当てる。


 けれど、どれだけ傷つけてもすぐに再生してしまう。


 こいつを殺すにはコアとやらを破壊しなければならない。

 ただ絶望感はない。なぜだろう。


 倒せる気がする。


 不思議だ。

 自分が自分じゃないみたいだ。


 でも、なんとなく理由はわかっている。


 不思議なことに影を感じることができるようになっていた。なんだろう。見なくても影に気配があるかのように、影の場所を感じ取ることができる。【闇への潜伏】で入れる影だけじゃなく、相手の身体に差した影も自分の身体にある影も、全てを感じ取ることができる。


 ――闇が蠢いている。


 本当に不思議なことだが、それら全てがだと理解できる。


 ――影がざわついている。


 他人の影なのに自分のモノのように感じるのは変だ。理屈がわからない。でも感覚としてわかる。


 いつだって闇と影は俺の味方だった。


 【闇夜に乗じて】――闇と影の中に在ればいつだって俺の身体能力が上がる。

 【闇に溶けゆ】――闇と影の中に在れば存在を認識されなくなる。俺の姿を隠してくれる。

 【闇への潜伏】――闇と影を通じて異空間に入ることができる。障害物などあってないようなモノだ。


 そう。闇と影は俺の味方だ。

 今は夜。闇と影に満ちた時間。


 俺の味方が周りにたくさん在る。

 それが意識、理解できるからこそ負ける気がしないのだろう。


 いつだって俺の味方をしてくれていた闇と影が周囲を満たしている。

 これほど安心感を覚えることはない。


 これまで幾度となく自分の命を救ってくれて、異世界で戦う力をくれた、俺にとっての一番の味方。


 そんな闇と影を、今より強く感じ取っている。

 なぜ急にこうなったのかはわからない。わからないが、多分闇と影が今までよりもっと協力的になってくれたのだろう。若しくは協力のし方を増やしてくれたか。


 どちらでもいいか。今は目の前のこいつを殺すだけ。


 闇と影が協力してくれるのなら、遠慮なく使わせてもらおう。


 感覚的にどうすればいいのかわかった。魔力を流し込めばいい。

 ただ俺の魔力は少なく、一気に敵を闇が呑み込む、みたいな派手なことはできない。


 となると、どうするか。

 答えは簡単、地道に積み重ねていくしかない。

 これまで通りだ。なんら変わらない。傷をつけて、出来た影に魔力を込めておく。時が来たら活躍してもらおう。


 そうしていると、込めた魔力になにかが触れることがあるのがわかった。すぐに移動してしまうが、これがコアだろう。ただ速すぎて体内に残った魔力だけでは捕らえられない。


 しばらく攻撃して魔力を込めて、を繰り返しているとそろそろ頃合いとなった。


 俺は魔力を流し込み、アベルの表面にある闇と影から紐のように伸ばして全身を絡め取り動きを止めた。


「なにっ!? なんだこれは!?」


 相手が驚いている。俺も初めて使うからお前が知るはずもない。


「だが、この程度の拘束でアベルを止められると思うな!!」


 とはいえ俺の魔力をごっそり使っての拘束はぶちぶちと引き千切られていく。手加減していると思われないくらいには頑丈にしたのだが、まぁ当然の結果だ。


 本命はそちらではない。


 アベルが足を止めて拘束を引き千切っている間に、込めておいた魔力を糸のようにして体内を巡らせた。コアの位置はわかっている。ただ魔力だけで押し潰せるほど柔ではないようだ。蜘蛛の巣のように体内を巡らせていた魔力がコアを捕らえたが、砕けはしない。

 偶然にも、コアはアベルの胸の中心で留めておけている。


「な、なん……ふ、ふざけるな! なんだこれは!?」


 研究者が混乱している。アベルのコアが動かなくなったからだろうか。アベルは膂力と再生能力に優れた改造人間だが、どうやら魔力関連は乏しいようだ。でなければ抵抗されていた。そもそもが仕込みの時点で気づかれていただろう。


「……あとちょっとしか残ってないか」


 俺は足を止めてアベルの前に立ち、呟いた。身体の拘束とコアの捕縛でほとんど魔力を使い切ってしまっていた。やはり俺は強くない。


 アベルは動きを止めている。研究者が命令を下している関係で、理解が追いつかず命令がない状態になってしまっているのだろう。つまり相手は無数の改造人間を自分一人で動かしていたということになる。驚愕的な天才性だった。


 左手に持った短剣の刃を横に寝かせる。刃が月明かりを反射して輝いている。右手を刃の上に翳して短剣の刃に暗い影を落とす。


 短剣の短い刃ではコアのある位置まで届かない。分厚い身体を貫くだけの強く鋭く長い刃が必要だった。


 刃に落とした影に残った魔力を全て込めていく。刃を闇で覆ってより長い刃へと変化させていった。


 闇の刃を振り上げる。


「ま、待て! やめろぉ!!」


 なにか喚いている。やめるわけがなかった。


 刃を振り下ろす。黒刃はアベルの脳天から股座までを切り裂いて真っ二つにした。胸の中心にあったコアもまとめて。


 これまでどんな攻撃を受けても怯まなかったアベルが、ぱっくりと割れたまま大量の血を噴いて左右に倒れていく。そして、二度と再生することはなかった。


 ……なんとかなった。


 戦いが終わってどっと疲れがやってくる。と思ったのも束の間。これまで様子を見ていた改造人間がこちらに向かってきていた。


「邪魔!」


 自棄気味な声が聞こえたかと思うと、呆気なく蹴散らされていく。師匠だった。……この人瀕死の重傷なのになんでこんなに元気なんだろう。と思ったが改造人間は吹っ飛んだだけで倒してはいない。無理をして動いたのだろう。


「シゲオ!」


 師匠がフラフラと近寄ってくる。心配そうな顔だ。いや、その顔はむしろ俺がするべきモノだろう。


 重傷者を歩かせるわけにもいかず、俺の方から師匠に近づいていって、抱き締めた。温かい。


「し、シゲオ……?」

「……良かったぁ。生きてる。死んでない。良かった……」


 ボロボロだったがまだ生きている。命の熱を感じる。師匠が生きている。心の底からほっとした。


 と思ったら急激に身体から力が抜けていく。


 師匠は俺の身体を支えるほどの力もないようで、二人揃って倒れていってしまう。このままでは重傷者を下敷きにしてトドメを刺しかねない。助けてノルン。


「主様、アネシア様!」


 俺の心の声が通じたのだろうか。倒れそうになった俺達は優しく受け止められた。声が聞こえたのでノルンに違いない。


「ノルン。撤退するよ」

「しかし、まだ……」

「いいんだよ、失敗で。生きて帰れれば、ね」

「はい」


 瞼が持ち上がらない。師匠の体温と二人の声しか感じない。意識が落ちていく。


 ドラゴラの方がどうなったかはわからないが、とりあえず二人が生きていれば良かった。


 俺はそのまま意識を失っていく。


「……よく頑張ったね、シゲオ」


 師匠の柔らかな声が聞こえた、気がした――。

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