第六十三話 昔と今

 あたし――アネシアと名づけられた人間は、生まれた時から暗殺者になることが決まっていた。


 両親が政府御用達の暗殺者だったからだ。


 両親は三歳の時あたしに才能の儀を受けさせた。才能は生まれた時から決まっている。だが一人で立てるようになってからでないと儀式を受けることができない。

 そこで、あたしは『千死双爪』という爪に毒を生成する才能があることを知った。両親は喜んでいた。なにせ暗殺者に相応しい才能だったから。


 両親は五歳になったあたしに、訓練も施さず暗殺の手伝いをさせた。能力を使わず、短剣で人を刺すように命じた。


 五歳で人殺しを覚えたあたしは、一般的な倫理観が欠如していた。両親もそうなるように教育を施していった。


 それからというもの、暗殺に必要な技能を習得する傍らでどうすれば人が死ぬのかを学び実践していく日々が続く。この頃の世界は情勢が荒れていて、災厄なんてモノがなくても絶望がその辺に転がっているような状態だった。

 国同士の戦争が起これば暗殺者の下にトップの暗殺依頼が舞い込んでくる。七歳のあたしは両陣営のトップを依頼通りに暗殺した。結果、戦争は泥沼化したけど。


 十歳の頃には、業界であたしの存在を知らない者はいなくなっていた。


 あたしは暗殺以外のことを学ばずに育った。それがあたしにとっての普通だったし、それに対してなにか思うような人間性を持つように育てられていなかった。


 そんなあたしの精神が初めて揺らいだと感じたのは、両親が死んだ時だ。


 両親は戦争時他国の首領と取り巻きをまとめて暗殺する依頼を受けて失敗。返り討ちに遭って殺され、食糧が少なかったこともあって殺そうとしていたヤツらの食事にされた。

 そんな両親の顛末を、あたしは政府の役人から淡々と聞かされた。けれど、その時はなにも思わなかった。人は簡単に死ぬ。殺そうと思えばどんな相手でも殺すことができると思っていたあたしにとって、命とは軽いモノだった。


 数日して、両親の遺した家にあたし独りでいた時不意に寂しさを覚えた。

 両親との記憶は淡々としたモノで、温かい家族の思い出など一切ない。ただ、広い家に一人きりという状況があたしに初めての感情を呼び起こさせた。


 暗殺の依頼をこなすこと自体に問題はない。ただ与えられた仕事をこなすだけだからだ。けれど、なにかが足りない。これまで意識していなかっただけで、あたしは誰かと一緒にいることを当たり前と思っていたのだろう。そして一緒にいた両親がいなくなったことで、どこかぽっかりと穴が空いたように感じていた。


 そんなある日、雨の降りしきる中を歩いていた時だった。


 街の路地裏で、ゴミ箱を漁る少年が目に入った。がさごそとゴミ箱を漁る、瘦せ細った汚らしい身形の男の子。普段ならそこにいることすら気に留めなかったはずだが、なぜだか気になってしまった。当時のあたしは十五。少年も同い年くらいだろう。

 深い考えはなかった。けれどあたしは少年に近づいて、手を差し伸べた。


「行くとこないなら、あたしのところに来るかい?」


 尋ねられた少年はあたしを見て驚いているようだった。しかし、すぐあたしの方に手を伸ばしてきた。


 あたしは家に彼を連れ帰る。自意識が薄れているのか反応が薄く、身体を洗ってこいと言っても動こうとしない。じれったくなって湯を溜めた中に放り込み、あたしが隅々まで洗ってやった。綺麗にしてから少し大きいが父親の服を着せて座らせておく。空腹だろうから料理を作ってやった。料理が完成したらテーブルに出す。少年はスプーンもフォークも使わず、熱いのも構わずに手掴みで料理を口に運んでいた。綺麗にしたばかりの身体が汚れるのも構わず、一心不乱に食事を続けていた。……まぁ、その後吐いたり腹を壊したりしてたんだけど。


 反応は薄かったが少しずつ話しかけたり世話を焼いたりしていく中で、少年の自我が明確になっていった。


 彼は、リングウェルという名前だと言った。数ヶ月前に家族を全て失い、行く宛てもなく途方に暮れていたら浮浪者の仲間入りをしてしまったようだ。丁度、あたしが家族を失った時期と重なる。戦争に行ってそのまま帰らぬ人となったとのことだった。


 だからだろう、あたしがリングウェルを見つけられたのは。


 とりあえず、リングウェルは暗殺者として育てることにした。というかあたしはそれ以外を知らない。稼業が暗殺だと知った時には驚いていたが、困っている人達を助けたいという真っ直ぐな気持ちで決意を固めていた。依頼は選ばずに受けていたあたしだったけど、リングウェルが来てからはある程度選ぶようになっていく。あたしにとっては依頼の内容や理由なんてどうでもいいことだったけど、彼がそうしたいと言い出したのだ。まぁ金には困っていなかったので構わなかった。


 リングウェルは元来、暗殺者に向いているとは思えなかった。取り戻した性格は明るく、表情豊かで優しい。あたしは淡々としていたけど、彼の影響で少しずつ人間性を取り戻していったように思う。


「アネシア、コードネームは重要だよ! カッコいいのを考えないと!」


 暗殺者として初めて依頼を受けさせる時に本名以外の呼び名を考えようと言った時の、リングウェルの反応がこれだ。男の子はそういうのに憧れるらしい。あたしにはよくわからなかった。


 リングウェルが持つ才能は『刃の沙汰』。身体のどこからでも刃を出現させられる能力を持つ才能だった。凶器を持たずに侵入できるのであたしと同じく潜入にも向いた才能だった。

 性格は暗殺者向きではなかったが、本人もやる気はあったので技能をどんどん習得していき、あたしとも張り合えるほどになっていた。


「この依頼が終わったら結婚しよう、アネシア」


 あたしとリングウェルが二十になった年。あたしが以前に失敗した依頼を受けようと思って話した時、すっかり逞しくなった彼に言われた言葉だ。


 五年もの歳月を一緒に過ごしていく中で、あたしはリングウェルに惹かれていた。事実恋人同士だったし、後はどっちからプロポーズするかの違いだったと思う。あたしとしてはリングウェルから言って欲しかったので待っていたんだけど。


 あたしはリングウェルと過ごす日々の中で幸せを知った。ずっと一緒にいたいと思った。プロポーズを受けて、恥ずかしい話嬉しくて堪らなかった。


 ……けれど、そうなることはなかった。


 結果としてリングウェルは死に、あたしは重傷を負って逃げ帰ることしかできなかった。

 また独りになったあたしは、帰ってもなにもする気が起きなかった。だが家にいれば必ずリングウェルとの思い出が蘇る。だから倒れるまでずっと身体を動かし続けるしかなかった。依頼も積極的に受けて家からできるだけ離れた。足りなかった力を補うために只管技能を習得していった。自棄酒もたくさんした。何回もぶっ倒れてベルベットにぶん殴られても変えることはできなかった。


 そんな日々が、五年も続いた。あたしの人生の中で最も下らない時間だったと思う。


 心の傷は時間が癒すと言う。けどあたしの傷が癒えることがなかった。それでも考える猶予が生まれてくる。冷静になって、荒れ果てた家を綺麗にしてリングウェルの死と向き合うだけの余裕ができた。


 だから、リングウェルの命日に初めて葬式をしてもらった。五年も経ってようやく死を受け入れることができたなんて、情けない話だ。

 死体は持って帰ってこれなかったので、遺品をまとめて火葬としてもらった。頼んだのがフラウだったので事情を汲んでもらいあたし一人だけが参列する寂しい葬式だ。それでも、ようやくリングウェルの死と向き合えた。


 その日、あたしはリングウェルの墓の前で泣きじゃくった。それまでずっと実感が湧かなかった、湧かせないようにしてきたリングウェルの死をやっと受け入れることができたのだ。


 それから雨が降ってきて、あたしは傘を差しリングウェルの墓前から立ち去った。

 あたしはようやく、未来に向けて歩き出せたのだ。


 彼の命日ということもあって、あたしの足は自然とリングウェルに初めてあったあの路地裏を目指していた。

 あの日もこんな雨が降りしきっていた。そんなことを思いながら路地裏の方を見る。


「……え?」


 一瞬、リングウェルがそこにいるのかと思った。だが死を受け入れたばかりだ。リングウェルはもういない。


 ただ、かつてリングウェルがいた路地裏には、あの日と同じようにゴミ箱を漁る薄汚い少年がいたのだ。リングウェルとは似ても似つかない黒髪の少年だ。当時の彼と同じくらいの年齢の。


「……あんた」


 気づいた時には、あたしは声をかけていた。ほぼ無意識だった。けれど両親を失い、愛する婚約者を失ったあたしは、無意識の内に新たな心の拠り所を探していたのだと思う。……あるいは、リングウェルの代わりか。

 だからあたしは有無を言わせず、少年を家に連れ帰った。手を引いて歩く中でようやく我に返ったけど、もう遅い。


 そうしてあたしは新しい弟子、カゲヤマ・シゲオに出会ったのだった。


 ◇◆◇◆◇◆


 シゲオは不思議なヤツだった。


 あたしが関わりを持つのは変わったヤツばかりだったけど、その中でも珍しい。突然異世界から来た所謂異世界人だった。

 反応こそあまりなかったが、リングウェルの時と違って世話がかからなかった。あたしがなにからなにまでやる必要はなく、少し気になって問い詰めてみた。答えに迷っているようだったから頭もちゃんと動いているみたいだ。


 とりあえず拾ったからにはある程度まで世話してやろうと思い、面倒を見てやることにした。あたしの仕事を手伝わせるとは言ったけど、向いてなければ他のところに行っても良かった。心のどこかでリングウェルを追いかけていた後ろめたさがあったのだろう。


 ただ、シゲオは取り戻す自我がないせいかしばらくしても様子が大して変化しなかった。

 あんまり喋らないし、表情は変わらないし、なに考えてるか読みにくいし、やる気が見えにくいし、いつまで経っても距離感が変わらないし、いつもぼそぼそ喋るし、考え方が後ろ向きだし、なに言っても否定から入るし、話は続かないし、人と関わろうとしないし、自分から動かないし。


 あたしはずっと不満を抱いていた。けれど、それは全て「シゲオがリングウェルの代わりになってくれないこと」への不満だったのだと思う。


 ただそれで良かったのだと思う。シゲオがもし明るくて感情豊かな性格だったら、あたしはリングウェルの代わりとしてしかシゲオを見られなかっただろう。リングウェルの面影を被せて、シゲオという人間を蔑ろにして強制的にあたしの夫にしていたと思う。


 シゲオはいつまで経ってもシゲオのままで、当たり前だけどリングウェルの代わりにはならなかった。人間的な成長が緩やかなのは見る人にとってはもどかしいモノだけど、あたしにとってはいいことだった。


 シゲオと過ごしていく中で、あたしは少しずつリングウェルの面影を追わなくなっていく。


 彼と正反対とも言えるシゲオがいてくれたから、あたしはやっとリングウェルと決別することができたのだと思う。


 ……まぁ、それはそれとしてもっとこう、なんかあってもいいと思うんだけどねぇ。


 あたしは多分、両親、リングウェルに次いでシゲオとも“家族”になりたいんだと思う。それがリングウェルと同じ形だろうが違う形だろうが関係なく。ただまぁ弟子だったとはいえ対等だったリングウェルとは違い、シゲオの保護者みたいな立ち位置になっているのは自覚していた。

 というか、シゲオが冒険者に襲われてからずっとシゲオの動向は把握するようにしている。過保護だと思われるかもしれないけど、傷ついたシゲオを見た時平静を装いつつも大きく動揺した。あたしにとってのシゲオは、息子みたいな存在なのかもしれない。


 ま、シゲオが逞しく今より男らしくなったら、別の関係になってもいいけどね。

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