第六十八話 新たな始まり

 初めてばかりの暴走期間が終わり、ようやく落ち着いて師匠やノルンと過ごすことができるようになった。少なくとも二度とああいう状態にはならないだろう。


「本当だろうね」


 礼と謝罪を込めて師匠に頭を下げたらジト目で見られてしまったが、本当である。多分。


「……そんなことより、あれから依頼の話してこなかったですよね。減ってきたんですか?」


 あまりそっち方面のことばかり考えているのは健全ではない。ある意味では健全と言えるのかもしれないが。緩々になった理性を取り戻さなければならない。

 多少強引でも話を変えた。


「まぁね。……あんたが依頼できるような状態じゃなかったってのもあるけど」

「私は一つ依頼を受けていましたよ」


 師匠が余計なことを言う。かと思ったらノルンは受けていたらしい。そういえばノルンがいなかった期間もあった気がする。……過ぎてから思い出すなんて、俺はどれだけ性欲の権化だったのだろう。己を省みる。それ即ち反省である。

 因みにノルンはあれ以来あまり俺の方を見ようとしない。目が合うと赤面して顔を逸らすようになっていた。理由は大体予想がつく。彼女としても気まずいのだ。元々この間の依頼前に少し気まずいことが、しかも下関連であったばかりだった。色々とタイミングが重なった結果だろう。


「暗殺者は行動範囲が限られがちになる。特にシゲオは情報収集とかしてないからね。知らないかもしれないけど、そろそろ災厄が無視できないところまで近づいてきてる」


 師匠は真剣な表情で告げた。

 確かに俺は情報収集という名の世間話をする相手が少ない。基本的に同じ人としか話さないので、入ってくる情報にも偏りがあった。


「世界各地で異常気象が確認されてる。それに、一部の地域ではもう魔物が忽然と姿を消してるらしい」


 この世界における本編も終盤になっているようだ。勇者召喚から三年以上経過しているはずなので当然か。

 前に情報を聞いた時は、異世界知識研究所を滅ぼす前だったか。そもそも勇者君と会ったのは異世界に来たばかりのあの時だけなので、実に三年経っていることになる。……いやぁ、長旅だな。勇者君が主人公の物語があるとすれば、災厄をなんとかしてハッピーエンドを迎えることだろう。是非とも頑張って欲しい。世界が滅びないなら、俺も多分こっちの世界で暮らしていくだろうし。


「要するに、世界の滅亡が無視できないところまで近づいてきてるってわけだ。身の危険を感じて保身に走るヤツも出てくる。ただ、魔物が減るってのは他の予兆と違って安全になるってことだからね。なんか企むヤツだっているさ。ある意味では勇者様を信じてるって言えるかねぇ」


 そうか、これまで通りの生活を続けるということは、勇者様がどうにかしてくれるだろうと思っていることになる。あるいは災厄を嘗めているのかもしれないが。


「……主様は」


 ふとノルンが呟いた。なんだろうと思って彼女を見ると、上目遣いで見てくる。


「主様は、元の世界に帰りたいと思っていますか?」


 そんなことを聞かれた。師匠ともその話をしたが。


「……いや、全然。三年もいなかったのに急に戻ってもあれだろうし、こっちの方が断然、そうだな。幸せだよ」


 師匠がいて、ノルンがいて。仕事があって食うに困らない。これ以上の幸せはないと思う。珍しく素直な気持ちを言葉にできた。


「そうですか」


 ノルンは少しだけほっとしたようだった。忍者として大したこともできていない内に俺がいなくなってしまうのでは、とネガティヴな考えでも浮かんだのだろうか。


 元の世界のなにもない日々に戻りたいとは思えなかったので、帰る方法があったとしても不幸に遭った人々を帰すかくらいに思いそうだった。


 ……それに、帰ったらがっかりされるかもしれない。


 俺が小心者なのはあまり変わっていない。一番嫌だと思うことは、元の世界に帰ったら両親が嫌な顔をして出迎えるんじゃないかということだ。

 折角俺という役立たずがいなくなって喜んでいたのに、何年か経ってひょっこり戻ってきたら。両親はきっとがっかりするだろう。それがわかってしまうからこそ帰りたくないと思っていた。


 そもそも、異世界に転移するということがあっちの世界ではどういう扱いになっているのかということだが。


 答えは行方不明だ。


 ある日突然、姿を消してしまう。こっちの世界に来てから、それなりの数の異世界人を見てきた。そのほとんどは異世界知識研究所でだが、あそこにはそれなりの人数が収容されていた。それだけの人数がいなくなっているなら、少しでもニュースになっているはずだと思うだろう。

 事実、ニュースで行方不明事件が多発していたように思う。思い返せば、災厄が近づくにつれて異世界転移の頻度が上がっていたのではないだろうか。


 特に、近所で起きた一家消失事件が記憶に残っていた。


 異世界に転移しているなんて思いもしないので、警察もお手上げ状態になって迷宮入りしたとか。ネットの記事は大体警察のことをこき下ろすモノばかりだったが、種がわかってみると仕方がないと思えた。

 まぁ俺の場合は事件にならず、家出したとかで捜索願だけ出して終わりだろうが。


 ともあれ、どう考えても帰る理由がないのだった。


 ただ、ほとんどの異世界人は俺と違って帰りたいと願っているだろう。こっちの世界に来た段階で不幸になってしまう人も少なくないと思う。大体は殺されているか実験体にされているかなので、行方が知れない状況だ。今こうしている間にも、異世界から誰かが転移してきているかもしれない。

 しかし、世界中を旅していない限りそういう人達をなにか起こる前に救うことはできないのだ。


「兎に角、世界がこうなってる状況で暗殺しなきゃならないようなヤツは、どうしようもない悪党だ。依頼の数は減ってきてるけど、殺らない手はない」


 師匠はそう締め括った。確かにそうだ。俺もこの世界で生きていくつもりなら、これまで通り、いやこれまで以上に気を引き締めていかなければならない。覚えたての性欲に振り回されているような場合じゃないのだ。


 そんな話をしていると、家の呼び鈴が鳴った。

 かなり唐突だ。今日も来客の予定があるとは聞いていない。……ノルンの来訪を思い出す。


「私が出てきますね」


 ノルンが言って椅子から立ち上がる。だが師匠が手で制した。


「シゲオ。あんたが出てきな」

「……えっ? あぁ、はい」


 師匠に言われて、腰を上げた。俺に出迎えさせるところもノルンの時と同じだが、流石に同じことが二度は起こらないだろう。なにより急に訪ねてくるような知り合い未満の人なんて心当たりがなかった。なにせ、基本的に関わる人を増やさないからな。


 気配を感じ取っても覚えがなかった。形から女性だとはわかるが、女性に限定されるとベルベットさんくらいか。あの人は文通だけが続く妙な関係だが。会ったのは一度だけなのに。


「……グレウカのヤツ」


 俺が玄関へ向かう途中、師匠がぼそりと呟いたのが聞こえた。……グレウカさん? なぜここであの人の名前が。


 グレウカさんのことは一応知ってはいる。挨拶だけはしに行っていた。俺の知り合いにはあまりいないが、所謂他種族の女性である。額にある角が特徴の鬼という種族で、背が高い筋肉質な身体をした人だ。腕利きの鍛冶師で、俺が普段使っている短剣も彼女が造った逸品だ。長く使っていたこともあって折れてしまった時に挨拶させてもらった。

 なんでもできる師匠をして、「『鍛冶』だけは一生かかってもあいつに遠く及ばないね」と言わしめる凄腕鍛冶師だ。『裁縫』も『道具作成』もなんでもできる師匠だが、『鍛冶』だけはしない。グレウカさんがいる限り使うことがないので無駄だとわかっているから、だそうだ。


 そんな人の名前が出てきたということは、グレウカさんの知り合いなのだろうか。少なくとも師匠は来訪者が誰かわかっているようだ。とは言ってもノルンでなく俺に出迎えさせる必要があるのかわからないが。


「……はい」


 俺は玄関の扉を開けて来訪者を出迎える。


 玄関の前に立っていたのは、目を見張るほどの美少女だった。

 金の長髪が日の光を受けてキラキラと輝いている。ぱっちりした碧眼が端正な顔立ちによく似合う。年齢は俺と同じくらいだろう。鎧のない軽装の下に抜群のプロポーションが収まっていた。防具は軽装だが腰には刀を提げている。

 師匠やノルンを月のようだと表現するならば、目の前にいる少女は太陽だ。大人になり切っていない可愛らしさと美しさが同居している。正直眩しいくらいだ。


 ただ、やはりと言うか俺の知っている人物にこんな人はいない。


「久し振りね」


 少女が可憐な声でにっこりと話しかけてきた。……久し振りとな? この子は一体なにを言ってるんだろうか。


「……えっと、どちら様でしょう?」


 だから俺は正直に、できるだけ失礼のないよう尋ねた。


 次の瞬間、全身を途轍もない殺気が刺し貫いてくる。背筋が凍った。


「は? 殺されたいの?」


 少女は可憐な笑顔を殺意滲む形相に変えて睨んでくる。見れば刀に手をかけていた。……この殺気、まさか。


「……『剣聖』の、リリィ・アランスカさん……?」


 ようやく思い出した。この刺すような濃い殺気。間違いない。異世界知識研究所で出会った彼女だ。


「なんで今思い出したのか、是非とも聞かせて欲しいわね」


 ただ俺が思い出したからか、彼女は刀から手を放して殺気を引っ込めてくれた。果たして良かったのかはわからないが。

 とはいえ一目見てわかるはずもない。当時の彼女は刃物を持てば殺しにかかってきた。剃刀で死ねると理解させられたのは後にも先にもあの時だけだ。というか殺し合いをしてきた中で、間違いなく目の前の少女が一番強くて恐ろしい。


「主様、今の殺気は――っ!」


 ノルンがこちらにやってくる。振り返ると、リリィさんの方を見て驚いていた。濃い殺気と見た目の可愛さが一致しないからだろうか。


「あの、そちらの女性は一体……?」


 戸惑いながらも尋ねてくる。……そうか、ノルンは彼女のことを知らないのか。ただどう説明したものかと悩む。一から十まで話してしまうのは、リリィさん自身あまり思い出したくないことだろうしやめた方がいい。


「主様、ねぇ……」


 ふと後ろから面白がるような声が聞こえてきた。嫌な予感がする、と思った時には隣にリリィさんが並んでいる。しかも俺の右腕を抱えるようにしてきた。師匠より大きく柔らかな塊が押し当てられる。


 恐る恐るそちらを見ると、にっこりと笑うリリィさんがいた。同時に、今度は正面から『殺気』を感じる。


「私、シゲオくんと同じ異世界から来たの。よろしくね♪」


 彼女の宣言を受けて、ノルンが明らかに苛立っていた。こんなノルンは初めて見る。


「立ち話もなんだし、入りなよ」


 師匠が奥から声をかけてきた。俺はなんとなくリリィさんから強引に離れる。


 ……果たして、彼女はどういうつもりでここに来たのか。


 なんにせよ再会から波乱の幕開けを感じさせられることとなった。

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