第六十九話 復讐の旅路

 囚われていた研究所を脱した私は、手に入れたVIP顧客一覧を片手に復讐の旅を始めた。

 助けられたお返しに彼の命を助けてしまったが、まぁいい。男に借りを作ったままというのは気持ちが悪い。


 ……あぁ、楽しみだなぁ。


 ウキウキしながら久し振りの地面を歩く。土や草木の香りがする。風を感じる。けれど、今はどうでもいい。


「早く、会いたいなぁ」


 恋する乙女ってこんな気持ちなのだろうか。

 心が弾んでいる。足が勝手にスキップしてしまう。逸る気持ちを抑えられない。


 真っ先に会いたい人は決まっている。私をここに売り払った成果からかVIPに名前を連ねていたので、居場所はわかる。私が自由になったと知れ渡る前に行かないとね。逃げられちゃうかもしれないから。


 再会した時のことを想うとはしたなく興奮してしまう。気分が高揚してやまない。


 ……早く、会いたい。


 腰の刀に手をかけて、身体能力を上げた状態で駆け出す。一秒でも早く会いたかった。


 ……早く会って、私が受けた以上の苦痛を味わわせて、殺してやりたい……ッ!


 自分を抑えられない。抑える必要なんてない。思うままに殺そう。刀を振ろう。邪魔するモノは皆殺してしまえばいい。誰が相手だろうが知るものか。


 私は笑みを浮かべ、待ち望んだ再会に胸を躍らせながら、一直線に彼の下に向かった。


 半年もの監禁生活で弛んだ身体を鍛え直して、絶対にヘマをしないように勘を取り戻しておく。次はない。二度と地獄に落ちてやらない。


 ◇◆◇◆◇◆


「久し振りね、。会いたかったわ」


 私は心の底から湧いた笑顔で彼に声をかけた。だが彼は青褪めた顔でがたがたと震えている。私はこんなにも再会を喜んでいるというのに。


「ずっと待ち焦がれてた再会だっていうのに、声も出せないなんて。怖いモノでも見たのね?」


 ふふふ、と笑う。楽しくて仕方がない。逆に、彼は怯えて血の気が引いている。恐怖で声も出せないみたい。……つまんない。


 私は右手に持つ刀を振り上げて、全裸のテウスに向けて一閃した。最初に切り落とす箇所は決めていた。


「あ、ぎゃあああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 あぁ、やっと声を上げてくれた。嬉しくて堪らない。心地いい歓声で私との再会を喜んでいた。ようやく素直になってくれたみたい。


 彼は細切れになって消えた股間を抑えて噴き出る血を止めようとしているが、無理に決まっている。邪魔な手も切り落としてしまおうか。もう一度刀を振った。


「ひぎいぃぃぃぃぃ!!! 手がぁ、手がああぁぁぁぁぁ!!!」


 両方の手が切り刻まれただけで煩いな。あ、でも手首から大量の血が出てしまっている。これじゃあすぐ死んじゃうじゃない。仕方なくもう一度刀を振るって、傷口をぐちゃぐちゃにして塞いであげた。テウスの顔は涙とか鼻水とかでぐちゃぐちゃだった。恐怖と怯えに染まっていた。最高の顔だ。


「あははっ! いい顔になったじゃない。約束通り殺しに来てあげたんだから、それくらいしてもらわないとね」

「ひっ! こ、殺さないで……っ! やめ……っ!!」


 怯え切ってそんなことを言ってくる。……意味がわからなかった。


「……ねぇ。私もあの時、やめてって言ったわよね? あなたはどうしたんだっけ?」

「……っ」


 答えはわかり切っている。なら、私が返す答えもわかっているだろう。


「そう、あなたはやめなかった。だから私もやめない。当然のことだと思わない? 自分したことには、相応の仕返しがあるのよ」


 恐怖に怯えて震えている。でも、その程度じゃ済まさない。

 ここなら誰にも邪魔されない。邪魔をするヤツは先に逝った。薬で自我を奪われた女性達の介錯も済ませた。だから、ここから先は二人きりの時間だ。


「でも大丈夫、私は優しいから。しばらくは殺さないようにしてあげる。あなたが殺して欲しいって懇願してからもできるだけ殺さないようにしてあげる。――存分に苦しんでから、死ね」


 素直な気持ちを言葉にできた。彼の絶望した顔に諦めが浮かぶ。それでいい。お前がこれから受ける地獄には終わりがあるけれど、救いはない。二度と這い上がらせてやらない。僅かでも命が助かる余地は与えない。

 早く殺したい。一秒でも長く会っていたくない。この世から消えて欲しい。けれど、長く苦しんで欲しい。絶望しても終わらない苦しみを与え続けたい。


 ……あぁ。なんてもどかしいんだろう。


 私の中で相反する衝動渦巻いている。同じ感情から生まれたモノだ。


 私は休みなく刀を振るう。血が部屋中に飛び散って私の身体にも付着する。気持ち悪い。こんな下種の血が触れているだけで怖気が止まらない。吐き気がする。それらを全て憎悪にくべて、刀を振るった。


「……あ、死んじゃった」


 まだ八十七回しか切り刻んでないのに。まだ全然物足りないのに。


 原型を留めていない血塗れで傷だらけの身体が、ぴくりとも動かなくなってしまった。

 死んでしまったのなら仕方がない。ミキサーにかけたみたいにぐちゃぐちゃに切り刻んで終わりにする。


「ま、いっか。まだまだたくさんいるし。次はどこ行こっかなー」


 簡単に死なれてしまってはつまらない。できるだけ苦しんでもらわないと。でもリストに載ってるヤツらは皆殺しにしたい。誰一人として逃がすつもりはない。さっさとこの世から消えて欲しい。難題だ。


 とりあえず、私はリストの近い方から順に、片っ端から殺して回っていった。


 自分の犯した罪がどれほど重いかを思い知ってもらうために、じっくりと、確実に、絶望の中で、苦しんで死んでもらった。


 結局、復讐している最中よりも移動の方が長かった。学校で行った修学旅行と同じだ。


 VIPに載っていたほとんどのヤツは、私が旅をしていると知っても逃げ出さなかった。家という名の拠点があるからだろう。それに、どこかで逃亡するより護衛のたくさんいる自分の家に籠もっていた方が安全だ。

 まぁ、大抵の護衛はただの肉壁なんだけど。


 そんなこんなで、VIP 共を駆逐し終えた。復讐も終わったことだしのんびりと……どうしようか。考えてみたがやりたいことはない。元の世界で待っている家族に会いに行く? こんな穢れた身体で? そう思うと乗り気になれない。家族が気にしないとしても。それに、帰る方法もわからないし。


「んー……」


 頭を悩ませながら夜の街を歩く。行く宛てがないわけではない。乱暴な使い方をしてしまって劣化し始めた刀を新しく調達したい。そうなるとグレウカさんのいるところに行くのが確実だ。


 グレウカさんのいた街、と考えて二人の暗殺者のことを思い出す。アネシアさんとシゲオとか言ったか。自信と余裕に満ち溢れた化け物暗殺者と、殺す気があるんだかないんだかよくわからない影薄い異世界人の暗殺者という師弟。

 やりたいことが見つからないなら、会いに行くのもいいかもしれない。会ってもしシゲオを殺してしまったらアネシアさんに殺されるだろうけど、それもまた一興。


 そう思いながら歩いていると、向かいから三人の男が歩いてきた。私を見ている。値踏みするような、舐めるような視線が身体を這う。


「ひぃ!」


 と思ったら悲鳴を上げて尻餅を突いていた。


 私が抜き放った刀の切っ先が真ん中の男の喉元に突きつけられている。……あれ? いつ抜いたんだっけ。


 不思議そうに首を傾げる私を放って、三人は慌てて逃げ出していった。


 刀を納めて自分の掌を眺める。……今、もしかして、自動的に殺そうとしてた?

 自分が刀を抜いたことに、抜いた後に気づくなんてあり得ない。まるで身体が、そうすることが当たり前であるかのように動いたのだ。


 ――少し、背筋が寒くなった。


 私は狂ってしまったのだろう。いや、今更だ。人を嬉々として殺せる時点で私という人間の歯車はどこかで狂って、違えている。復讐は終えた。だからと言って憎悪や殺意が完全に消え去るわけではない。道中女性を襲っていた盗賊を見かけた時も、自然と皆殺しを選択した。それ自体は不思議ではない。だが今のは、少し事情が異なる。

 あの三人の男が果たしていつもあんな感じで女性を狙っているのかは定かではない。まだ、なにもされていない。なにかされてからでは遅いが、とはいえまだ身体を見回されただけだ。そこに下品な品定めを感じ取ったので多分、殺しても良かったのだとは思う。思うが、確認もせず殺そうとしていた。あのまま切り刻まなかったのは、私に残っている理性が押し留めたからだろう。


「……理性なんて、残ってなければ良かったのに」


 いっそのこと根本から狂えたら、どれだけ楽だろうか。

 おそらくだが、私は強すぎた。実力も秀でているが、なによりも精神性が。あれだけの地獄を味わっておきながら未だに己を省みることができるのがその証拠だ。理性が残ってしまっている。残っていなければ男と見たら殺して回る狂った殺人鬼として世界を回っていただろう。

 だがこれまで、私は必要のない殺しをしていない。リストに載っていたゴミ共を片づけるのに邪魔をしてきたヤツらは殺したが。


 例えば、男でも屋敷に仕えていた侍女を庇うように前に出た青年は見逃している。


 私はまだ、無作為に人を殺す殺人鬼に堕ちられていない。


「……はぁ」


 私はため息を吐いた。強すぎて狂えない精神なんていらなかった。憤怒と憎悪で狂いたい。狂えればきっと、誰かが私を殺してくれるはずだ。そうなった時に止めて欲しいとは思わない。私は殺されたいと願うだろう。私じゃなくてもそのはずだ。


 自分でどうしようもない、人を殺したい衝動に駆られたら。そこまで狂っていたら戻らずに殺してもらうのが一番の救いになると思う。そこで終われるから。それ以上人を殺すことも、憎悪を抱えて生きていくことも、嫌なモノを見ることもなくなるから。


 少し考えて、私は踵を返す。行き先が決まった。


 私は人殺しに狂った殺人鬼に堕ちる手前で止まっている。これから堕ちるのか、それとも抑えられるのかはわからない。だが取り返しのつかないところまで堕ちる前に、そうなった時私を殺してくれる人のところへ行こう。

 丁度グレウカさんに刀を造ってもらいたいと思っていたところだ。復讐も一通り終えた。


 テウスに嵌められて以来、私はまともに男と話したことがない。話せるような状態じゃなかった。だからもし彼に出会って、自然と刀を振り回して細切れにしてしまうかもしれない。そうなったら私は仮にも恩人を八つ裂きにした狂気の殺人鬼として、世界屈指の暗殺者に殺されるだろう。

 それはそれで悪くない。


 私の中の天秤がどちらに転ぶかは私にもわからない。

 けれど、できれば、傾いて欲しい方はあった。


 ◇◆◇◆◇◆


 鍛冶師が持つ工房。そこで武器を打っていた大柄な女性の首に、背後から刀を突きつける。


「……久し振りじゃねぇか、『剣聖』。いや、今は“復讐の剣鬼”って呼んだ方がいいか?」


 怯える様子が一切ないグレウカさんは言った。

 そんな呼び名がついているらしい。今の私にぴったりだ。


「どっちでもいいわ。新しい刀を打って。あと、アネシアさんの住んでいる場所を教えて」

「脅迫たぁ『剣聖』の名が泣くな」

「いいから」


 私はグレウカさんの首に刃を当てた。薄皮が斬れて血が滲む。……グレウカさんに恨みはない。むしろ忠告してくれた優しい人だ。次に会う時はこの人を認めさせてやる。そう思った時期もあった。

 だが、全ては過去だ。今の私ならグレウカさんですら躊躇なく殺せる。そうして悩まないだけの精神性と化していた。


「……チッ。あたしの打った刀をボロボロにしやがって。無茶な使い方するヤツに渡すんじゃねぇよ、アネシアのヤツ」


 やっぱりこの刀はグレウカさんが打ったモノだったようだ。


「刀を打つの? 打たないの?」

「打つわけねぇだろうが」


 グレウカさんは躊躇なく答えた。首を刎ねるか、と思ったが言葉に続きがある。


「だが、アネシアがお前を生かしてるんなら、お前はまだ引き返せるってことだ」

「……それはどうかしらね」

「自覚があるなら言葉を取り繕うんじゃねぇよ。……まぁいい」


 グレウカさんは言うと、刀に当たるのも構わず立ち上がった。刀を打たないなら殺すかと思っていたのだが、壁にかけてあった刀を手にしたのでやめておく。


「ほらよ」


 グレウカさんが刀を放り投げた。驚きながらも刀を受け取る。……私が驚いたのは、刀をくれたことにじゃない。武器をなによりも愛するはずの彼女が、自分の作った武器を雑に扱ったことが信じられなかった。


「……いい刀ね」


 貰った刀を少しだけ鞘から抜いてみて確信する。アネシアさんから渡された刀よりも数段いい刀だ。美しい純白の刀身に目を惹かれた。


「はっ。んなわけねぇだろうが。そりゃ駄作だ」


 謙遜、ではない。本心からそう思っている。


「造りたくねぇ武器は造らないのが信条だったってのに、人殺しに適した最高の刀を打ってくれと頼みやがった。持ち主は気に入らねぇが、頼んできたヤツに対する義理ってヤツだ。……それはもう、自分の武器を大切にするヤツだったからな。一回だけ聞いてやることにした」

「それは、私にぴったりの刀ね」


 おそらくアネシアさんが頼んでいたのだろう。そんなことをするのがあの人以外にいるとは思えない。私が直接ではなく、グレウカさんを訪ねることを見越していたのだ。


「お前のために打った刀だからな、そりゃ。人を殺しに殺して回った“復讐の剣鬼”に相応しい逸品だ。どんな考え方したら、お前に最高の凶器を持たせたがるのかわかんねぇが」

「私を殺せる自信があるからでしょ。アネシアさんなら私がどんな武器を持ってたって殺せるでしょうし」


 グレウカさんに返す。自信満々な彼女らしいと言えばらしい。


「いや、弟子の方だぞ」

「――は?」


 だが返ってきた答えは予想外のモノだった。……弟子、つまりシゲオが? なぜ? どうして? 私に殺されそうになっておいて? まさか助けた恩返しのつもり? 恩を売って私になにさせる気なの?


「あ、しまった。言わないでおいてくれって頼まれてたんだった。会ってもあたしが言ったって言うなよ?」


 ……この人、なんだかんだ口軽いわよね。

 混乱する頭を落ち着けるために別のことを考える。


「……」

「まぁお前が驚いたから良しとするか。ここがアネシアの家の住所だ。地図に書いておいたから」


 グレウカさんが折り畳まれた紙を渡してくる。用意がいい。これも全てあいつが仕組んだこと……とは思えない。私の行動を読んだのはアネシアさんだろう。だとしても、どうして私にいい刀を? 理解できない。納得がいかない。


「どうして、私のために刀を用意させたの? それになんの意味があるの?」

「あたしが知るわけねぇだろ。あたしは頼まれただけだ。気になるなら本人に直接聞いてみろよ」


 尤もだった。


 私はグレウカさんの控えめに言っても下手くそな地図を頼りに、どうにかアネシアさんの家に辿り着く。中には三つの気配があった。一つは私の知らない気配だが、タイミングが悪かったら追い返してくるだろう。


 そうして私はアネシアさんとシゲオの住む家を訪ねたわけだが。


 ……私のことを覚えていない様子だったのは普通に殺したくなった。

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