第七十話 リリィの来訪
突如として訪れた『剣聖』ことリリィ・アランスカさん。
なぜだかノルンが敵視していたが、師匠のおかげでどうにか席に着くことはできた。
「「……」」
俺の隣と師匠の隣で火花が散っている気がする。
いつものように俺の隣を確保したノルンは不機嫌そうにリリィを見つめ。
空いている席であった師匠の隣に腰かけたリリィさんはにこにことノルンの視線を受け止め。……ただし刺々しい気配を感じるので彼女もノルンのことを敵視しているのだとは思うが。
俺は非常に居心地が悪くて、更にリリィさんが腕を組んでくるという暴挙に出た理由がわからず混乱していた。師匠がいなければ一旦落ち着く、なんてこともできなかったかもしれない。
「今日が初対面なのもいるし、まずは自己紹介したらどうだい?」
師匠は二人に対して言った。この人が間に入ってくれるならどうにか進められるだろう。
「……ノルンです。主様に仕える忍者として、ここで一緒に暮らしています」
「リリィ・アランスカ。さっきも言ったけど、シゲオくんと同じ異世界から来たの」
二人はなぜ俺に関連した情報をつけ加えるのだろう。やめて欲しい。どちらも事実しか言っていないが、リリィさんの言い方だと元の世界で関わりがあったみたいに聞こえるから。誤解を招く。
「主様」
ノルンがこちらを向いてきた。なんだかとても不満そうだ。
「こちらのリリィ様とは一体どういう関係でしょうか?」
努めて淡々と尋ねてくる。
「そんなに気になるの? シゲオくんと私の関係が」
「あなたには聞いていません」
ノルンがいつになく不機嫌だ。一体なにが機嫌を悪くしているのかわからないが。少なくとも原因がリリィさんなのはわかる。
「……えっと、どう言ったものか」
「私には説明できない関係だと?」
「……違うから」
ノルンからの詰問に対する答えを、少しだけ考える。
端的に話すなら「暗殺依頼の時に助けた」ということになる。だがノルンがそれで納得するだろうか。どういう依頼だったのか、と聞かれて答えていいかはわからない。リリィさんにとっては思い出したくもないことのはずだ。俺が勝手に彼女がどういう目に遭っていたのか話すのは違う気もする。
「……えっと、暗殺依頼の時に会って、救助したくらいかな」
結局、最初の案で行くことにした。
「なるほど。では大した関係ではないということですね」
ノルンが頷いた。……言葉にトゲがないかね?
「あら、連れないわね。私はシゲオくんに全身を隈なく
途端、隣から殺気が発せられた。……言葉を選べ、言葉を。あと余計なことを言うんじゃない。墓穴を掘りたいのか。
「主様」
底冷えする声が聞こえてきて、ぎこちなく横を向く。ノルンが能面のような無表情でこちらを見ていた。瞳に光がない。相当にお怒りのようだ。冷や汗が出てしまう。
「どういう、ことでしょうか」
「……えっと」
「説明していただけますよね?」
伺いではなく命令に近い形で尋ねてくる。……なぜ、こうなったのか。
それよりリリィさんの思惑が全くわからない。ただ引っ掻き回したいだけなのだろうか?
しかし今はノルンをなんとかしないと。
「……救助した時のリリィさんはかなり汚れていて、気を失っていたから。依頼の最中だったから放置するわけにもいかず、師匠も手が放せない状態だったから、とりあえず目覚めてもらって自力で逃げてもらうしかなくて」
「なるほど。そのように、仕方のない状況だったと」
ノルンの目が「随分と都合がいいですね」と言ってきているような気がしたが、事実なのだから仕方がない。
「……ああ。それに、自力で逃げてもらった後のことはよく知らないし、会ってないし」
「そうですか。それは、安心しました」
なにに安心したのかわからないが、一旦は落ち着いてくれたようだ。良かった良かった、これで一件落着。
「やはり深い関係ではなかったのですね。リリィ様が勝手におっしゃっていただけだとわかりました」
「……なにその言い方。大体、シゲオくんが後ろめたくて嘘吐いてるかもしれないでしょ?」
「主様の嘘を見抜けないようでは仕える忍者失格ですので」
……あれ? なぜノルンさんはまだやる気なので? もう終わりで良かったのでは?
二人の諍いはまだ続くようだ。今度はノルンがマウントを取っている。リリィさんは眉を寄せてむっとしていた。
「忍者だかなんだか知らないけど、さっきからなんなの?」
「それはこちらのセリフです」
二人が睨み合う。……なんなんだこの状況は。
「事情はどうあれ、私はシゲオくんに裸を見られたし触られたんだけど? っていうかそんなことで目くじら立てるなんて、もしかして一緒に暮らしててそういうことなかったの?」
「っ……」
リリィさんも負けじと言い返す。いや、普通はそういうのないからね。どこのラブコメ世界線ですかってなるから。一番長い付き合いの師匠ですらついこの間だというのに。
ノルンがなにも言い返せないのを見てか、リリィさんは口端を吊り上げた。
「あれ? もしかして図星? そっかぁ、ノルンさんはシゲオくんと一緒に暮らしてて少しも、そういう関係じゃないんだぁ」
なにやら物凄くにやにやしている。またノルンが不機嫌そうな顔になってしまった。……続けるなら俺のいないところでやってもらっていいかな。師匠もなぜか止めないし、俺が「俺のために争わないで!」と言ったところで止まるとは思えない。
「もしかして、ノルンさんシゲオくんに興味持たれてないんじゃないの?」
「……っ!」
いやいや、俺はあなたに興味があって触れたわけではございませんが。
「あ、主様……」
ノルンがこちらを見てくる。瞳が揺れていた。どう答えるのが正解なのかわからない。興味ある、とか答えられないだろう。
「……えっと、とりあえず俺はリリィさんにそういう気持ちで触れてないから」
結局、否定も肯定もできず前提を告げることしかできなかった。ノルンの望む答えではなかっただろうが、これで許して欲しい。本音で言うことは、とても難しい問題だ。
とそこで、ぱんと柏手の音が聞こえて三人共びくりと肩を跳ねさせる。
「つまり、シゲオの一番はあたしってことだね」
あんたまで張り合うのか。止めてくれよ。いや、結果的には止まったが。
「仲を深めるのもいいけど、先に本題じゃないかい?」
師匠が言って、ようやくノルンとリリィさんも矛を収めてくれた。ただ師匠の言う本題とやらがイマイチ理解できない。
「あんた、なんでウチに来たんだい?」
師匠から尋ねてくれた。……そういえば。師匠からはリリィさんがいつか訪ねてくるだろうとは聞いていたが、その理由については聞いていなかったし、来るわけないだろうと思っていた部分もある。
「シゲオくんに会いに♡」
絶対嘘だ。
満面の笑みで答えたリリィさんを疑惑の目で見ることしかできなかった。ノルンがまたトゲトゲしてきているのでやめて欲しい。
「というのはまぁ、半分冗談として」
冗談の割合が半分しかないことが驚きだよ。
「……やりたいこと、なくなっちゃったから。行く宛てはないし帰る方法もわからないし、どうしようかと思って」
リリィさんは打って変わって、頬杖を突き憂いのある表情でそう口にした。……本心、に見える。少なくとも俺には。
ということは、彼女は復讐の旅を終えたのだろう。……最後に裸を見た俺を殺しに来た、とかじゃなければいいんだが。
「それであたし達のところに来たわけだ。まぁ、あんたを知ってて受け入れつつ害する気がないとわかるのはここだけだろうからねぇ」
師匠はそう言った。言われてみれば、異世界人の立場からするとここはかなり安全な場所なのかもしれない。俺という男がいる点を除けば、だろうが。
異世界人に非道を働く研究所を壊滅させた暗殺者がいて、同じ異世界人がいることから異世界人に酷い扱いをしないことが確定している。この国ではもう異世界人の人権は保証されている、のだがそれだけで行いを悔いたりはしない。諸外国に連れていって保証されないからと言って襲いかかってくる可能性も消えない。
更に、リリィさんは『剣聖』という稀有な才能を持っている。それを知って利用しようとしないとは言い切れない。あるいは、強いなら勇者一行に加わってくれと言い出すかもしれない。魔物の軍勢襲撃に備えて監禁しようとする人も出てくるかもしれない。
「そういうことです。私だって安全な寝床くらいは欲しいので」
彼女は師匠の言葉に頷いた。
「じゃああんたここに住むのかい?」
「そのつもりです」
「……え?」
二人の会話を聞いて思わず声を上げてしまう。……ここに住む? 彼女が? 俺としてはお断りしたい。
「なに、シゲオくん。私がいたら不都合でもあるの?」
リリィさんがにっこりと聞いてくる。そう言われると「ありません」と答えそうになってしまうのはなぜだろう。
「急に訪ねてきていきなり滞在するというのは少し失礼では……私が言えることではありませんね」
ノルンがリリィさん止めようとして、自分も状況が近かったことを思い出し嘆息していた。師匠と俺の決定に従うつもりだろう。
「……その、急に同居人が増えるのはちょっと……。ノルンは後から本格的に、でしたし」
俺は師匠に反論を試みてみた。
「気にしなきゃいいよ。そんなに影響ないだろうし。もし本気でやめさせたいなら、今すぐあたしと結婚して財産共有するしかないけど?」
「……異論はございません」
「それで良し」
師匠を言い包めようとしたのが間違いだったようだ。確かにこの家の所有権は師匠にあり、俺がとやかく言う資格はなかった。
「じゃあリリィは今日からウチの一員ってことで。細かいことの説明は、シゲオに任せようかね」
「……え」
「よろしくね、シゲオくん」
師匠はなぜ火種を投下しようとするのか。いや、きっと今の互いに警戒している状態を変えようとしてくれているのだろうが。特にノルンが不機嫌になっているのでやめて欲しいところである。
「一旦は客間を使ってもらうとして、家具とか買い足さないとね。服も必要になるねぇ」
俺の時は一から十まで師匠が準備していた。センスの拘りが特になかったので師匠が用意する服や家具で充分だった。……お母さんに選んでもらった服着てるみたいだな。
「服は代用しても良かったんだけど、あたしよりスタイルいいしサイズが合わないだろうね」
師匠の視線がリリィさんの身体つきに向いた。俺は視線を送らないように気をつけながら考え込む。確かに、小さいならぶかぶかになるだけだが大きいとキツくなってしまう。どちらもデメリットはあるが、一旦の替えという点では入らないのが一番の問題である。
「そうですね。替えの服は持ってますけど、旅用しかないので部屋着が欲しいです」
「そうかい。じゃあ早速出かけるとしようかね」
師匠とリリィさんは普通に話せているようだ。師匠が誰かと話しづらそうにしているのなんて、初期の俺くらいしか知らないが。
「ノルンも新しい服見に行くよ」
「は、はい」
師匠はノルンにも声をかけた。あまりリリィさんを優遇していると思わせないための配慮だろうか。
「……じゃあ、留守番してますね」
女性三人の買い物に付き合う器量は持ち合わせていなかった。
「なに言ってるんだい、あんたも来るんだよ」
「……え」
「嫌そうな顔しない。こういう時は荷物持ちがいないとね」
ウインクされた。……はい、荷物持ちします。
「そうよ、シゲオくん。ほら行こっ」
自分で立ち上がる前に、近寄ってきたリリィさんが俺の腕を抱えるようにして取った。わざとらしく豊かな膨らみを押し当ててくる。
と思っていたらもう片方の腕も掴まれて、抱えられる。こちらは控えめな膨らみが押し当てられた。
「……ノルンまで」
対抗するように俺の腕を取ったのはノルンだ。ただ、流石に恥ずかしいのか顔が赤い。
「主様、行きましょう」
それでも強がるように言う。
「両手に華じゃないか。でもそれだと歩きにくいからね?」
師匠は笑いながらも助け船を出してくれた。こういう時は大人が頼りになる。両側の拘束が緩んだので、その隙に抜け出した。
どうやら、とんでもない買い物に付き合わされることになりそうだ。
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