第七十五話 狂った殺人鬼
リリィが家に来てからしばらく経った。
距離感は相変わらずだが、あまり出かけないようにしているので退屈なのだろうと思うことにしている。一人で外出して絡まれたらうっかり切り刻みかねないからだろうか。
少しずつ元の世界の話をするようにもなったが、他人との距離の近さはあまり変わっていないと言う。日本に来てからは腕を組んだり抱き着いたりはしていなかったらしいが。しかもなんと、リリィは日本のアニメなどの文化に触れて留学したのだとか。オタクじゃねぇか。ということで共通の話題を見つけることができていた。こっちに来てから三年も経っているので所々うろ覚えな部分もあったが、久し振りオタトークができて俺も楽しかった。それからはちょくちょく話している。
……それはそうと、オタク趣味があって距離感近いとか、相当モテてただろうな。見た目も抜群にいいし。
もしあっちの世界で彼女に出会っていたら、間違いなく俺もその一人だったろう。
ともあれ、打ち解けてきて家に馴染んできているのはいい。いいのだが……。
「主様との距離が近すぎます。離れてください、リリィ」
「別にいいじゃない、ノルンが困ることないでしょ?」
「主様が困っていますので」
「あなたが決めることじゃないわ」
なんやかんやあって打ち解けた様子のノルンとリリィだったが、言い合いがなくなることはなくなった。最初の時は言い合いしかしていなかったので、普通に話している様子も見受けられるようになっただけマシだろうか。
兎も角、なぜか俺を挟んで言い合うことは減らなかった。互いに呼び捨てしているので仲が悪いわけではないと思うのだが。……もしかして俺が邪魔なだけだろうか。
よくわからないが、俺は今日も美少女二人に腕を引っ張られて死んだ目を更に虚ろにしていた。
「よいしょ、と」
とそこへ師匠が後ろから抱き着いてきて、二人から俺を引き剥がす。
「新しい依頼の話が来たよ。ちょっと厄介そうだし、リリィにも話を聞いてもらおうかね」
師匠が言って、リリィも依頼の話に巻き込むようだ。非常に珍しい。いつもは他言しないなら聞いても聞かなくてもいいよとしか言ってこなかった。
さて俺も席に着くかと思ったが、師匠が離れてくれない。
「……あの、師匠?」
「もうちょっとだけ」
「……はあ」
よくわからなかったが、そのまましばらく師匠がくっついていた。……まさか師匠まで二人に混ざりたくなったとか言わないよな? 俺の胃が死んじゃう。
「よし、じゃあ始めようかね」
離れた師匠は普段の様子に戻って席に着く。一体なんだったのだろうか。よくわからないが、とりあえず俺も椅子に座った。
「んんっ。今回の依頼は、ちょっと特殊でね。三国合同での依頼になる」
師匠は咳払いをしてから話し始める。
三国合同。これまで合同と言えば村ぐらいの規模が精々だったが、まさか国が三つとは。余程大きな被害を生む可能性がある、生んでいるのだろうか。
師匠は取り出した紙を見て、少し逡巡していた。俺とリリィをちらりと見てから口を開く。……俺とリリィ、ってことは異世界人に関連した依頼なのか。
「落ち着いて聞いて欲しい。今回の依頼は、異世界人を対象とした暗殺依頼だ」
「「っ!?」
ノルンとリリィが驚きを露わにする。特にリリィはピリピリした殺気が漏れていた。
俺も少なからず驚いていた。関連しているとは思っていたが、まさか暗殺対象の方だとは。
「落ち着いて、って言ったろう? そこも含めて、シゲオとリリィには聞いて欲しかったんだよ」
師匠はリリィの反応が予想通りだったためか注意することもしなかった。
「しかもあんた達二人にとっちゃ辛いだろうけど、こっちに来てから散々な目に遭った異世界人だろうね。その復讐もあってか、国一つ滅ぼした相手だ」
国一つ滅ぼした異世界人。そう言われて以前師匠から聞いた話を思い出す。
「……もしかして、勇者と相討ちになったっていう?」
俺の言葉を聞いて、ノルンとリリィは驚いていたが。
「ああ、そうだよ」
師匠はあっさりと肯定した。……勇者と相討ちになったほど強い異世界人の暗殺依頼、か。心情的にも実力的にもやりたいとは思えない内容だ。
「勇者と相討ちって……そんな強い人いたっけ?」
「あんたの旅路とは交わらなかったみたいだからねぇ。あたしの情報網によると、『剣聖』とその人の進行方向は綺麗に、避けるようになってる」
師匠の言葉を聞いて、リリィは忌々しげに舌打ちした。あからさまな情報操作の意図を感じたからだろう。
「アネシア様。その方を、殺すのですか?」
ノルンがおずおずと尋ねた。
「もちろん殺すよ」
「っ!」
師匠の淡々とした返答に、リリィが強く机を叩いて立ち上がる。顔が怒りに歪んでいた。
「……国一つ。国半壊が二回。それ以外で主要都市が一つ壊滅。村壊滅が十三。集落に至っては二桁を超えてる」
師匠が努めて冷静に吐き出した被害総数に、リリィは口を噤んでしまう。かなりの規模で殺戮が行われているようだ。余程の強い憎悪、殺意がなければできない。
つまり、温情がかけられる時期をとっくに過ぎている。
リリィはなにも言えずに黙って椅子に座り直した。この世界の住人からしたら無視できない被害だと理解したのだろう。例え元がこっちの世界の人間の非道な行いによる自業自得だったとしても。
人を殺しすぎている。
「わかったかい? 災厄の予兆よりも被害が大きいんだよ。例え元がこっちのヤツらが悪かったとしても、見過ごせる被害じゃないんだ」
「……」
リリィはなにも言わなかった。理解はしたが納得はできないと言ったところだろうか。
「それと、もうあたしら以外に暗殺依頼を受けられる暗殺者がいないんだ」
「どういう、ことでしょうか?」
「“死の髑髏”が殺られた」
「!?」
師匠の神妙な言葉に驚愕したのはノルンだけだった。リリィはピンと来ていない。俺もだ。有名な暗殺者なんだろうか。
ノルンがこちらを向いて、俺が理解できていないことを悟ってか説明してくれる。
「“死の髑髏”というのは、有名な暗殺者の称号です。暗殺者の中でも屈指の知名度を誇り、とある山に住み髑髏の面をつけていると言われています。代々装着している髑髏の面を継承していく暗殺者で、長い間代替わりしながら存在し続けているそうです。『髑髏の面を見たら死と思え』という言葉を残すことから、“死の髑髏”と」
相当に有名な暗殺者なのだろう。というか髑髏の面の暗殺者って、元の世界でもいた気がする。やっぱり髑髏をつけていると死をイメージしやすいからだろうか。
「今代のヤツは身体からあらゆる手を伸ばせるっていう才能を持ってて相当腕が立った。あたしが十年前くらいに戦って引き分けたくらいだ。暗殺者であそこまで戦えるヤツはあたしくらいだと思ってたんだけど、ね」
師匠の顔に陰りが生まれる。おそらく引き分けた後に知り合ったのだろう。師匠も認めるほどの暗殺者が敗れたとなると、相当だ。おそらくその“死の髑髏”さんが殺されたことで、大半の暗殺者は手を引いたということだろう。
それだけの依頼ということだ。依頼する側ももうここしかないという状況で出してきたと考えられる。
師匠は気を取り直して資料に目を落として読み上げていく。
「その人に挑んで生きて帰ってこれたのは勇者一行だけ。そのおかげで情報は一応ある。今回の相手は単独で世界中を旅して回り、こっちの世界の住人と見るやバラバラにして殺しているね。特筆すべきはその能力かな。空間を操る能力を持ってるみたいだよ。空間を切り裂く【空間断裂】に、空間を粉砕する【空間破砕】、空間を歪ませる【空間歪曲】、空間を圧縮する【空間圧縮】は判明してるね。どれもこれも基本的には防御不可。勇者様の聖剣は砕かれなかったみたいだけど」
とんでもない能力を持っているようだ。ただ聞いた感じ普通の才能とは少し違う気がした。空間を操る能力なら一つがそういった能力で、という形になると思ってしまう。才能ではなく技能の可能性はあるのか。……そうなると強力な能力の他に隠し玉があることになってしまうのだが。
「現在、対象はこの国に入ろうとしている。位置はこの辺りと言われてるね」
師匠は別途地図を取り出して、赤いペンで丸をつける。国を区切る太線を挟む形だ。同じ国だからというのもあるが、ここからかなり近いようだ。それだけ切羽詰まっているということでもある。
「位置から考えると、作戦を立てたらすぐにでも発たないと更に被害が出る状況だ。政府は今回の依頼を、最優先依頼として出してきている。勇者様は殺すことに前向きじゃないし、戦った時も説得を試みたそうだけど聞く耳を持たなかった。相手の強さと能力を考えると、もう暗殺するしかない」
防御不可の強い能力を持った殺戮者が相手なら、どんな軍隊を送り込んだところで無意味に終わる。故の、戦わない暗殺者。とはいえそれも一度失敗に終わっている。そこで師匠のいるここに白羽の矢が立ったという状況だ。
同じ異世界人としては、正直言って暗殺したくない。だがあの工藤が説得しようとして無理だったということは、多分もう戻れないところまで来てしまっているのだろう。それなら暗殺するしかない。俺はこの世界で生きていこうと思っているのだから、この世界の人達と同じ視点で見ると。
「……さて。ここからはちょっとした情報だね。“死の髑髏”からあたし宛ての、死の間際のメッセージってところか」
師匠がそんなことを言い出した。どうやらまだ情報があるらしい。“死の髑髏”さんが自らの死を悟った時に、今後依頼が来るであろう師匠に対して送ったモノだろうか。
「能力や戦い方に関する詳細な記載があるね。勇者一行から聞いた以外にも、【空間固定】っていうのがあるみたいだ。一定範囲の空間を固定して人やモノを動かせなくなる能力みたいだね。他にも色々と書いてある。……戦いながらメモを取るなんて、あいつ以外にできる芸当じゃないよ」
師匠は少し寂しげに微笑んだ。知り合いと言うか、友達だったのかもしれない。
「あとこれは名前、かね?」
名前まで入手していたようだ。
「――タケル。そういう名前だそうだよ。勇者一行からの情報だったけど、両親と姉妹も一緒にこっちへ転移してきた珍しいケースだったみたいだ。……目の前で家族が殺され傷つけられる様を見せられたんなら、激しい憎悪を抱くのも無理ない。この人だけ生きてるってことは、まぁ見せるためだけに生かされてたんだろうしね」
……。
…………。
師匠は沈痛な面持ちで告げる。悲惨な目に遭い、この世界に来てから家族を失ったことでこの世界の全ての人間を憎むようになってしまったのだろう。
「これで、大体の情報は伝えたかね。あとは能力の使い方や戦法だけど、これは依頼受けるって決めてからでいいかね」
師匠は言ってから紙を置いて俺に目を向けた。
「今回、あんたは参加しなくていい」
最初にそう口にする。
「あたし達としては見過ごせない事態だ。けど、あんたが参加する必要はない。参加したくなければ、あたしだけ若しくはノルンと一緒に実行する。同じ異世界人を暗殺するのは嫌だろうし、あたしとしてもあんたがそこまで背負う必要はないと思ってる。シゲオの意思を尊重するよ」
師匠は俺が受けるかどうかを尋ねてきた。俺は顔を上げて師匠の目を見る。
「……今回の依頼、断りましょう」
「「え?」」
俺の返答に、師匠とノルンが驚いていた。そんなに驚くことだろうか。
「な、なに言ってるんだい、あんた。あたしはあんたが参加するかどうかを聞いただけで、依頼を受けるのはあたしがって……」
「……いえ。勇者が相討ちになった相手で、しかも師匠と同じくらい戦える暗殺者が殺されたんですよね? じゃあ失敗する可能性高いじゃないですか」
言葉はすんなり出てきた。
「あんた……」
師匠はなにか言いたそうにしていたが、開き直した後におそらく別のことを言う。
「受けないって選択肢はないんだよ。被害が大きすぎる以上、どうにかしなくちゃいけない。戦いでダメなら、暗殺しかない」
「……それはわかってます。けど、暗殺も一度失敗してるので警戒されてる可能性は高いと思ってます。師匠に確実な勝算があるならいいですけど、ないなら一旦、考え直しませんか?」
俺は言い返した。ある程度形になった返しだとは思う。実際、師匠は悩む素振りを見せた。
「……わかったよ。元々作戦は考えなきゃいけなかったからね。明日の昼に案を出し合う。これでいいかい?」
最終的には師匠が折れてくれた。
「……はい。すみません、余裕がないのに」
依頼を断るという回答は得られなかったが、依頼までの時間を延ばすことにはなる。
とりあえず、依頼の話は終わった。
気になったので、師匠に言って能力の詳細や戦法についてのメモを見せてもらう。……“死の髑髏”と呼ばれる人が書いたにしては丸っこくて可愛らしい字だった。女性だったのだろうか。
空間を操る能力の使い方は聞いた五つ。
【空間断裂】は指で空間に傷をつけることでそこから亀裂が広がり、空間ごとそこにあるモノを切断するという能力のようだ。五本の指で引っ掻くか手刀を振るかで変わるらしい。手刀になると速度と範囲、威力まで上がるようだ。
【空間破砕】は空間を殴ることで空間に亀裂を入れて破壊する。空間を破壊されるとそこにあったモノがバラバラに砕け散るそうだ。ただ【空間断裂】が中距離に適した攻撃なのに対して、【空間破砕】は近距離専用のようだった。
【空間歪曲】は一定範囲の空間を歪めることができる。歪まされた空間は一回ぐにゃぐにゃになるので、そこにあったモノも同様。勇者様は聖剣を持っていたので身体がぐにゃぐにゃに歪まされることはなかったそうだが、構えている体勢から地面に倒されたそうだ。
【空間圧縮】は一定範囲の空間を圧縮することで、距離を縮める使い方が多いようだ。おそらく自分と相手の間にある空間を縮めることで、無理矢理距離を潰しているのだろう。他にも空間ごと人やモノを圧縮することができるようだ。
【空間固定】は一定範囲の空間を固定することで人やモノを動かせなくなるようにする。転移する系の能力を封じることができるようで、空間を転移しての逃走が封じられたと書かれていた。文字が乱れていたので相当に焦っていたのだと思う。
加えて、これからの能力は空間を操作する能力の中でも上位に位置するため他の似た能力での相殺は難しい。また以前送り込んだ軍隊をたった一人で迎撃していることから能力のリソースがあるか怪しく、消耗させる戦法は取れない。魔法による攻撃は空間ごと切断することで相殺が可能。矢による遠距離狙撃についても、【空間歪曲】か【空間固定】で対処される。
気配または殺気に敏感な可能性が高く、聖剣の強化を受けた勇者と渡り合うだけの身体能力を持っている。
紛れもなく厄介な相手だ。いくら師匠と言えど、対策を思いつくのは難しいだろう。
俺はメモを師匠に返して考える時間を取った。
結局その日はこれと言っていい案が思い浮かばなかったのか、話し合うこともなく夜になる。
「……」
深夜になった。
皆が寝静まった頃、ベッドから起き上がって身支度を整える。日が出ている内に必要なモノは準備していた。必要最低限のモノを鞄に詰めて背負い、『気配遮断』と【闇に溶けゆ】を使う。と、
ぱちん。
部屋の明かりが点けられた。はっとして振り返ると、扉に寄りかかって師匠が立っている。……全く気づかなかった。気配はきちんと察知していたのに。いや、そうか。そういえば最初の頃に気配をなすりつける技能も使えるって言ってたな。気配だけ自室に置いてきたのだろう。
師匠は振り返った俺を、鋭く見据えている。
「シゲオ。こんな時間に、どこへ行くつもりだい?」
やはり、この人は一筋縄ではいかないか。
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