第八十六話 護衛の後日談
結論から言えば、リサンジェラは変わった。
起きて早々にアルシエルさんと話したらしい。プライベートなので聞かなかったが、すっきりした顔をしていたのでいい方向に進んだのだろう。終わった後アルシエルさんに深々とお辞儀されてしまったが。
「色々と、リサ様がお世話になりました」
呼び方が変わっていた。それでも様がなくなることはなかったが、多分姫じゃなくなかったから呼び方を変えて欲しいと言ったのだろう。自分から行動していて偉い。あれだけのことで変わろうと自分から示していくのはちゃんとした人だからだと思う。俺の場合唯一拾ってくれた人に叱られてからようやく、だからなぁ。
「アル。終わったような言い方をしているけれど、まだ今日も来るかもしれないわよ」
「心得ております。が、シゲオ様が本日もいらっしゃいますので」
リサンジェラの表情はどこか晴れやかで、彼女の内面的な問題が変化したからかアルシエルさんからの評価が上がったようだ。余程主を大切に想っているのだろう。ノルンと気が合うかもしれない。
「それもそうね。シゲオ、期待しているわ。私のことを守るのよ」
「……わかってる」
護衛を引き受けた以上、怪我もなく終えたい。今のところ失敗した依頼が一つだけという途轍もない好成績を修めている状態だ。極力失敗したくはなかった。
とりあえず今日のところはまた夜になって護衛をすることになり、俺達は宿に帰った。
一応言っておくと三人別々の部屋である。
その日の夜。
リサンジェラが眠る傍で一晩中護衛していたのだが、暗殺者達は来なくなった。正面から十人相手に頑張ったのが功を奏したのか、それとも手持ちの戦力が尽きたのか。
はたまた、目的を達したからか。
なにはともあれ二人の暮らしに平穏が戻ったようなので良かったということにしよう。住居も首都から移すそうなので、秘密裏に引っ越して安全を確保するそうだ。
多分もう狙われることはないだろうけど。
護衛の任務を無事達成したということで、リサンジェラとアルシエルさんに別れを告げることになった。
「シゲオ。今度は私から会いに行くわ。その時を楽しみに待ってなさい」
「大変お世話になりました。今後とも是非リサ様をよろしくお願いします」
偉そうな口調は抜けていないが、まぁ口調は個性だとしよう。庶民らしい物言いってなに? と言われても知らないし。
「それと、あなたには私のことをリサと呼ぶ許可をあげるわ」
「……え、ああ」
戸惑ったが、リサンジェラは長いし短くなるのはいいことだ。頷いておく。
「あ げ る わ!」
なぜかもう一度繰り返した。……呼べと?
「……わかったよ、リサ」
「っ! それでいいのよ」
彼女は嬉しそうに白い歯を見せて笑った。まぁ喜んでくれたならいいか。
そうしてリサとアル(主を呼び捨てにするなら従者も愛称にしなければ立つ背がないと言われた)の二人と別れて、少し久し振りの帰宅となった。
「おかえり。遅かったじゃない。久し振りに料理してよ」
家で出迎えてくれたリリィが早速要求してくる。……そういえば包丁捌き以外はあんまりしてなかったな。まともにご飯を食べられなかったんだろう。
「……ああ」
なんだか、我が儘な知り合いが増えてしまった。リリィさんはもう少し落ち着いてもいいですよ。
それから食事にしたのだが、そこで師匠が独自に調べた今回の内容を話してくれた。
ノルンとリリィは驚き、師匠は呆れながらであったが。
「なんだい。シゲオは驚かないんだね」
「……まぁ、はい。ある程度予想してましたから」
リサ暗殺の真相は俺にとって意外性のないモノだった。
恨みもなにもなくて護衛側に都合のいい増員があるというのはあまりにも、なんて言うのだろうか。本気で殺す気がなさすぎる。
加えて師匠が一切なんの情報も持っていなかったという事実が、不穏な予兆がまるでなかったという証明にもなる。
だから暗殺者を大人数雇えるような権力を持ち、今もリサンジェラ・ディエルドのことを気にかける人物と言えば。
残念ながら俺には心当たりが一人しかいなかった、というだけのことだ。
「……それで、一応釘だけ刺しておきたいんですけど」
とりあえず、俺は師匠に許可を貰ってから、考えていた釘刺しをすることにした。
◇◆◇◆◇◆
メオランテ共和国の首都、その中央には現政府が根城にしている建物があった。
クルージョン共和国府と呼ばれる、他国の城にも劣らぬ巨大な建物である。
その一室に、とある人物の執務室があった。
華美な装飾こそないものの適度な威厳を備えるための飾りがあり、しかしそれ以上の書類の山が机に積まれていた。
そんな多忙を極めていそうな執務室に、一人の女性が座っている。いや、書類の山と格闘している。
猛スピードで書類の束を処理していっているが、それでも人が埋まるほどの紙は全く減っていかない。
女性は二十代半ばくらいで、紛れもない美人だ。白銀の髪を後ろで結び、蒼い瞳をきりりと細めている。ただし目の下には隈があり、彼女の多忙地獄が今日だけではないことを示している。
ドアがノックされ、返事をする前にがちゃりと開けられる。
入ってきたのは灰色の髪をした男性。年齢は女性と同じくらいで、高身長に服の上からでも鍛えられたとわかる肉体を持っている。目鼻立ちは整っているが美しいと言うよりもカッコいいと言える容姿である。
顔を上げて無断で入ってきた男性を見て、しかし怒ることなく顔を綻ばせた。
「おはよう、ジル」
「おう。と言ってももう昼だけどな」
男性はジル・エヴァンス。齢二十七にしてメオランテ共和国を背負って立つ男。革命軍の若きリーダーでもあった人物である。
ジルは挨拶した後に女性の隈と山になった書類を見て眉を顰めた。
「精が出るな、と言いたいところだが無茶するなよ。昨日も家に帰ってこなかったじゃないか。折角の新居だってのに」
「ごめんなさい。仕事をしていたらいつの間にか日付が変わっていて……。いつの間にか眠っていたのよ」
女性は申し訳なさそうに苦笑する。
二人は夫婦であり、革命後落ち着いたところで新居を構えたのだが。落ち着いたと言ってもやることは多く、なにより災厄が迫る中なので二人共多忙が過ぎる状況なのであった。
女性はアイリスヘナ・エヴァンス。元ディエルド大帝国の皇女、つまりはリサの姉である。
「? あれ? あなた、家に帰ったの?」
アイリスヘナはふと疑問に思って首を傾げた。
「ん? ああ。この間言ったが、できるだけ帰るようにしてるんだ」
「何時頃だった?」
「家に着いたのが日付変わって少ししてからだったが……急にどうしたんだ? 妹の件が片づいたって喜んでただろうに、険しい顔をして」
「ええ、少し」
ジルが怪訝に思う中で彼女はこれまで一切止めていなかった仕事の手を止めて、机周りを見回す。それから引き出しを開けて、固まった。
「これは……」
「どうした?」
アイリスヘナは引き出しを開けて見つけたモノを机の上に出す。それは黒い紙に白いインクで書かれた、シンプルな手紙だった。
その内容を見て、彼女は背筋に冷たいモノが這うのを感じる。
「なんだそれ、アイリ宛か?」
「そう、みたいね」
ジルが近づいてきて手紙を覗き込んだ。そして息を呑む。
――あまり妹に余計なちょっかいをかけない方がいい。
と書かれていた。烏のようなマークと共に。
「……おい。確か俺には、暗殺者に狙われてて困ってるって言ってたよな」
「……」
ただジルは手紙の内容よりも手紙の内容を正確に読み取ってアイリにジト目を向けていた。彼女も彼女で正確に彼の言わんとしていることを読み取り、気まずそうに目を逸らした。
ジルは大袈裟に嘆息して話を進める。
「はぁーっ。全く、お前の愛情は回りくどいんだよ。それでバレて警告されるなんて自業自得じゃねぇか。というか俺にまで嘘吐くんじゃねぇよ腹黒」
「し、仕方ないでしょう。あなたに話したら絶対に反対されるもの」
「そりゃするに決まってんだろうが。……要は、妹に暗殺者仕向けて護衛つけさせて信頼するヤツを増やそうって腹だったんだろ?」
「…………」
手紙のたった一言だけでそこまで確信した彼もまた頭が回る。そして、全く以ってその通りだったためアイリからの反論はなかった。
そう。リサンジェラ・ディエルドの暗殺騒動の首謀者は、本人が思いつきで言った実の姉アイリスヘナ・エヴァンスだったのである。
その思惑はジルが言った通り。色々あって人間不信に陥りアルシエル以外の人に心を開かなくなった妹に、誰かを頼るきっかけを与えるべく暗殺者を仕向けたのであった。最悪の場合実の妹が死んだかもしれない手段を使う辺りに、彼女の内にある冷徹さが覗いている。
「まぁ、唯一良かった点は上手くいったことくらいか。首都から離れてどこかに引っ越すって言ってたよな。やっと“皇族”を辞められたみたいじゃねぇか」
「ええ、そうね。ただその、この手紙がここにあること自体が少し問題なの」
「ん? ……あぁ、そういうことか。いつの間にか届けに来てたわけだから、ここに侵入されたんだもんな――あ?」
ジルは言っていて、ふと気づいたことがあった。手紙を届けに来たならば、いつ? ということだ。
「そう。この手紙を引き出しに入れるタイミングは、昨夜しかないわ。それに、今朝起きたら毛布がかけてあったのよ」
「あぁ、なるほどな。つまりその手紙の真意は“いつでもお前を殺せるぞ”と」
ジルの言葉にアイリが頷きを返す。妹に良かれと思って暗殺者を差し向けることへの警告だけでなく、それも含めて余計なことをするなという警告だと受け取れた。
「お前が言ったんだからな、クロウを敵に回す真似はするなと。あそこには化け物暗殺者に忍者に『剣聖』までいやがる。今やこの国の最高戦力みたいなモノだ」
「わかっているわ。でもまさか、リサとアルシエルがそこに依頼を持っていくなんて思っていなかったのよ。もちろん、アネシア以外に私が根回ししたなんてバレるわけないけれどね」
「自信家と言うべきか、お前が裏工作を暴かれると思っている相手が凄いのか」
「どちらもよ」
アネシアのことをよく知っている風なアイリには、実績や噂などを聞いただけではない実感があった。
実際、革命時の裏切りについては早い段階でアネシアにバレており、色々あって見逃してもらったという過去がある。あまり年齢は変わらないはずなのに敵わないと確信した瞬間だったのだ。
「今回は、上手くいったとはいえ自業自得だな。反省しておけ。それと本当に良かったのか? 大事な妹を自分の手の届くところに置いておかなくて」
「……ええ。私はあの子に隠し事をしすぎた。だからもう、信頼を勝ち取ることはないわ。それに、いつまでも過去に縛られているのは辛いもの。リサにとっての私との関係は、過去を思い起こす縁なのよ」
聞かなくてもわかっていたことだが、ジルはアイリに言わせた。彼女の表情は寂しげであったが、覚悟していたことだろうと。
ただそれでも、ジルは思う。
いつか彼女達姉妹が和解する日が来ればいいと。
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