第八十五話 生きる理由

 護衛二日目。

 今日の暗殺者は六十人だった。昨日の連中も全て捕縛されているというのに、これまでも送り込んで失敗しているというのに、これほどの人数を揃えられるとは。

 それだけで相手がどれほどの権力者か想像がつく。俺の予想の信憑性が増してしまった。


 リサンジェラ様は早めに寝ついたフリをして、俺が暗殺者の対処に出ているところで眠ったようだ。多分いないところで呼びかけて窺っていたのだろうとは思う。護衛失格かもしれないが、師匠から怒られていないので大丈夫なはず。アルシエルさんとしても彼女が無事でさえいればいいようだ。

 二人の信頼関係は姫様が幼少期の頃からだそうで。アルシエルさんは長寿のエルフなので一定の年齢まで到達すると老衰しなくなるそうで、その頃から見た目が変わっていないとか。つまり現在の彼女が二十代に見えるので、少なくとも三十歳以上ではあるようだ。女性の年齢のことを考えるのはやめておこう。師匠に怒られるかも。


 そして三日目。

 なんと百人規模だ。多すぎて数えるのが億劫になり、大体それくらいとしか思っていなかった。


 まぁ抜けられるのは仕方がない。とはいえ北と南に控える両者は一人たりとも通していなかったが。あの人達油断しなさすぎでは。


「……リサンジェラ様」


 俺が寝たフリをしている彼女に声をかけると、ぴくりと肩を震わせた。今に至るまで俺から声をかけることがなかったからだろう。


「な、なによ」

「……今日は相手が多いので、それなりの時間離れることになると思います。一人も近づかせることはないので、部屋でじっとしててくださいね」

「……わかったわ」


 何人来ても迎撃は可能だ。ただ、余計に動かれると変わってしまう。だから事前に伝えたのだが。これがいいか悪いかは、結果次第。


 俺は言った後に【闇に溶けゆ】で姿を消し、そのまま部屋を出て移動し始めた。

 どう転ぶかな。できれば悪い方に転んでくれると、進展があって助かるのだが。多分ただ迎撃しているだけだと依頼終わらないし。


 その後抜けてきた暗殺者達を黙々と倒していると、事態に動きがあった。


 リサンジェラ様が、部屋を抜け出したのだ。


 暗殺者の迎撃に回りつつ気配を捉えていたのでわかったが、見事悪い方に転んだ。ある程度予想していたとはいえ、少しだけ驚きはある。今動くということは、自らの命を投げ出すに近しい行為だ。俺にとって自分の命は初めて努力をするきっかけになったモノ。簡単には捨てられないモノだから。


 当然、自室から出て中庭の方へ行った姫様を襲うべく暗殺者達が向かっている。


 仕方ないので俺も中庭へ急行した。当然のように暗殺者より先に到着する。そうでなければ護衛は務まらないだろう。ただし明かりのない中庭で、姿を現さずにだが。


 リサンジェラ様は広い中庭の噴水を眺めるように、静かに佇んでいた。


 元がいいというのもあるが、月明かりに照らされ憂いを帯びた表情をしている様は、絵になるくらいに美しい。


 そして、彼女の周りを十人の暗殺者達が一斉に取り囲んだ。屋根から音もなく飛び降りて、噴水以外の方向に隙間なく暗殺者達が現れる。影が飛び降りてきたのに気づいて慌てて振り返ったリサンジェラ様の顔が引き攣っていた。自ら命を投げ出すような行為をしてはいるが、死が間近に迫ると怖さはあるのだろう。悲鳴を上げず、助けを求めず、すぐ気丈に振る舞う様子は年下の少女とは思えなかったが。


 因みに俺の位置だが、実はリサンジェラ様のすぐ傍だ。殺させないためには囲まれている内側にいなければならないというのもある。


 だから、気丈に振る舞う彼女が少し震えているのもわかった。


「……あなた達は、なぜ私を狙うの」


 リサンジェラ様は問うが、当然ながら暗殺者が理由を語るわけがない。

 暗殺者達が各々武器を取り出す。取り出していない人は攻撃的な才能を持っているのだろう。戦うことを考えて一人一人の武器や構えを確認しておく。


 それらを見た姫様は、少し息を呑んでからそっと息を吐き、観念したように目を閉じた。

 抵抗する気はないようだ。


 暗殺者達が身体を少し沈めて飛び出してくる、寸前で。


「……ちょっと失礼しますね」

「え?」


 声を出して暗殺者達の動揺を誘い、右手でリサンジェラ様の腰を抱いて突っ込んできた五人の暗殺者達を跳んでやり過ごす。


「ち、ちょっと……!」


 驚く彼女を無視して、『空中跳躍』をする。脚力と蹴り方の工夫で宙を蹴ってジャンプできる技能だ。当然空中にいる間は無防備に違いないが、今回は跳んだ後影の蔓を足に絡ませて移動を封じておいた。できるだけ抱えているリサンジェラ様に衝撃がいかないよう気をつけて着地する。振り返るともう俺を迎撃するべく動き始めていた。流石はプロ。油断ならない相手だ。

 相手も同じだが、俺は当然のように戦いが得意ではない。それも片腕を封じられた状態で複数人相手だ。油断なんて一ミリもできないが、今回殺す気はないので大変だな。


「あなた、いつから……っ!?」


 リサンジェラ様は俺になにか言いたいようだが、悪いけど余裕はない。すぐに再び動き出すことになった。


 まずは後方で待機していた一人からの魔法を避ける。《アイシクルガスト》という冷気の突風を繰り出す魔法だ。俺には使えない魔法で羨ましい。暗殺の才能だけでなく魔法の適性にも恵まれたようだ。

 避けた先に二つの手が。一番独特な構えをしていた人の手だ。揃えた四本の指と親指に力を入れて曲げ、縦に構えた暗殺者。驚くべきことに腕が伸びて迫ってきている。蛸のようににゅるにゅるした動きではない。どちらかと言えば蛇を連想させる軌道だった。蹴りで迎撃しようとしたら避けられてしまった。反応もいい。堪らず軸足で跳んで後ろに回避した。まだ伸びる可能性もあったが追ってこないところを見るに伸びる長さに制限があるようだ。


「……すぐ片づけるから、少し待っててください」

「なんで……っ!」


 反論は激しい動きで封じる。足を止めている時間がないくらいに襲いかかってきているというのもあるが。


 基本的には回避を優先する。人を庇いながら戦うことに慣れていないので、確実に回避することを優先していた。隙あらば蹴りで迎撃、したいところだが回避が巧い。仕方がないので【闇を司る力】による補助で動きを止めてから一人ずつ倒していった。

 才能による見たこともない攻撃、魔法、道具。暗殺者達からの猛攻を避けながら地道に数を減らしていき、ようやく十人全てを倒すことができた。


 劇的な展開も、明確な苦戦も、派手な一手もない。堅実で確実な撃退だった。


 一息つけるようになってから、リサンジェラ様を地面に下ろす。


「あ、あなたね! 一体どういうつもりなの!?」


 動き回ったせいか若干気分が悪そうだ。酔ってしまったのだろうか。それでも俺に詰め寄ろうとしてくる辺り、気の強さが窺える。


「……えっと、どれのことですか?」

「心当たりがあるなら全てを反省しなさい! と言うより、なんで直前になるまで護衛対象を放っておくのよ!?」

「……少し、見たかったので」

「はあ?」

「……あなたの反応を」

「な、なによそれ。私が暗殺されそうになってどういう反応をするか見たかったと言うの? 最低の護衛よ」


 彼女の言葉はまともだが、天邪鬼と言うかちぐはぐだ。


「……元から考えてたんですけど、リサンジェラ様は生きたいと思ってないみたいでしたし」

「っ!」


 俺の言葉に、彼女は少し驚いているようだった。結構わかりやすかったのに。


「そんなこと……」

「……ないとは言い切れないですよね。身近に置く護衛は一人に絞る。危ないから待っていてと言ったのに部屋を出る。極めつけは、護衛として選ぶ人の基準です。精霊が傍にいる人なんて、ほぼいないんじゃないですか? 信頼が置けるという点ではいい基準ですが、見つからないことを前提にしているような気がしました。あなたは多分、暗殺者に殺されてもいいと思ってたんじゃないですか?」

「……」


 目を逸らす彼女に告げる。反論はなかった。無言は肯定の証だ。


「……なんて言うか、生きる意思が見えなかったので。アルシエルさんが言うから仕方なく、みたいな感じが見え隠れしてましたよ。死を恐れるならもっと過剰に過敏に怯えて守られたいと思うはずですから」

「それで、なんで私の反応を見ることに繋がるの?」

「……死にたくない気持ちはあるのかなって、見たかったんです」

「なによそれ」

「……生きる理由なんて、死にたくないからでいいんですよ?」

「えっ?」


 リサンジェラ様はきょとんとしていた。


 ……まさか自分からこんな言葉が出てくるとは思わなかった。俺も変わってきているのか、それともネガティヴ故か。ネガティヴは基本的に理想があることが多い。だから自分にできなくても、こうなればいいと思っていることがある、こともある。


「……昔のあなたは皇族で、国を存続させるために必要な存在でしたけど。今は地位がほぼない、価値としては庶民と一緒ですから。自分に価値がないと思うのは勝手ですけど、死にたくないなら生きてていいと思いますよ」


 言うと、彼女はこちらを睨むようにきっと目を鋭くする。


「あなたになにがわかるのよ!!」


 初めての、強い感情の籠もった言葉だった。ようやくダムが決壊し始めたらしい。


「皇族として国を背負うべく教育を受けて! 革命で常識の前提にあった国が覆されて! お父様とお母様が殺されて! 二人の死の原因になった革命にはお姉様が深く関わっていて! 地位も権力も失って! でもそれ以外の生き方なんて知らないのよ!? どうすればいいと言うの!!」


 リサンジェラの悲鳴にも似た言葉が夜に劈く。

 これが彼女の本音。俺という第三者の予想とそう変わらないが、本人はもっと苦しいだろうし、迷っている。


「……価値なんかなくたって、人は生きていてもいいんですよ。価値は自分で決めるモノと他人が決めるモノ、二つあるので。あなたがわからないなら、誰かに決めてもらえばいいんです」

「誰か……誰のことよ」

「……少なくともアルシエルさんは、あなたに生きていて欲しいから護衛を探すように説得したんじゃないですか?」


 図星だったようで、反論はなかった。


「……自分に価値が見出せないのは、主語を大きくしているからです。国にとっての価値があった自分を、同じ尺度で測ったらなくなるのは当然ですよ。もっと小さな範囲でいいんです。あなただって、アルシエルさんと二人で暮らしていくだけなら続けていたいでしょう?」

「それは」


 否定はしなかった。できないのだろう。彼女にとってアルシエルさんは唯一の味方だ。今の彼女にとって、家族すら信用できない彼女にとって、アルシエルさんは唯一絶対の家族みたいな存在。俺にとっての師匠みたいなモノだろう。それもノルンと出会う前の。

 人は孤独に耐えられない。俺みたいに皆に囲まれるような良き時代がないヤツは除いて、「昔は良かったのに今は」とより追い詰めてしまうからだ。


「……どうすればいいかって言ってましたね。まずは、ドレスを脱いで顔の知られていない街を歩くといいと思います。自分の中の価値観が変わらないのは、元々の生活から変わっていないからです。この屋敷を出て、他のところで生活するのはどうでしょう」

「でも、それは……国と関わることを一切やめるということよ。私には、それが難しい」

「……国と関わる義務は、リサンジェラにはないよ」


 思い切って様づけと敬語をやめてみた。口をぽかんと開けている。我ながら思い切ったことをしたモノだが。


「き、急になによ」


 理解が追いついたのか、頬を染めて顔を横に逸らし目だけを向けてくる。


「……状況は変わったのに、周りの人の皇族扱いは変わってなさそうだったから。そういうのって自分の方から変えるの難しいと思うし」

「無礼だとは思わないの?」

「……まぁ、少しは。いきなり呼び捨てはちょっと。でも、それくらいでいいんだと思う。少なくとも俺は皇族がどうこうとか知らないし、異世界人を敬ってこなかった血筋に敬意を払う義理もない。侮蔑はしないけど、必要以上に尊敬しなくていいかなって」

「失礼ね」


 むっとした顔をしているが、本気で怒ってはいない。それが彼女の本心だ。


「でもなんだか、悪くはないわ」


 それから少しだけ微笑んで言った。少し力の抜けた微笑みだ。


「……それなら庶民の暮らしを体験してみるといい。それとも、まだお姫様扱いがいいか?」


 尋ねると、少し迷う様子を見せた。それから答えず尋ね返してくる。


「ねぇ。あなたは、私が庶民になっても守ってくれる?」


 じっとこちらを見つめてくる目は、なにか質問外の真意を訴えかけてきた。だが俺には真意を読み取るほどの力はない。


「……護衛は依頼料金払ってくれないと困るけど」

「そういう意味ではないわよ」


 呆れられてしまった。意図とは食い違ったらしい。


「私が助けてと言ったら、困っていたら、助けてくれるのか聞いているの」

「……あぁ。それはもちろん。できる範囲なら」

「そう。躊躇ない返答をありがとう」


 リサンジェラは笑う。屈託のない笑み。変に気負っていない自然な笑みだ。そういう笑顔の方が、魅力的に見える。


「とりあえず部屋に戻りましょうか。眠くなってきたわ」

「……ああ」


 歩いて戻るのかと思っていて歩き出すのを待っていたら、俺の方に両手を伸ばしてきた。……なにそのポーズ。抱えていけと仰せですか姫様?


「お姫様抱っこ。庶民の暮らしをするなら、その前にお姫様らしいことをしておくのも悪くないでしょう?」


 だから俺に抱えていけと。言い出したのは俺なので仕方がない。嘆息してから近づき、リサンジェラを抱えた。軽っ。抱えられた彼女は腕を首に回してくる。緊張はしていないようだ。開き直ったと言うべきか。


 しっかりと抱えてから、俺は一気に屋根の上まで跳んだ。


「わっ……」


 先ほどとは違って少し嬉しそうな声が聞こえてくる。高いところから見下ろす街の夜景を楽しんでいるようだ。


「ふふ。わかってはいたけれど、シゲオは優秀なのね。ほら、もっと速く行きましょう」

「……はいはい、承知しました姫様」


 楽しそうでなにより。激しくなりすぎない程度の速さで駆けて一気に彼女の部屋まで向かい無事送り届けた。人数が増えているのにあの時十人しかいなかったのは、他の三人が頑張ってくれたからだ。既に襲撃は終わっている。明日以降もあるかは、まだ断言できないが。


「楽しかったわ。楽しいと思うことが、今まであったか迷うくらい。それに、今までで一番素敵なお姫様扱いだったわよ」


 ウインクまでしてそんなことを言ってくる。元の世界にいた頃なら間違いなく惚れていた。庶民の男は簡単に堕ちるんですよ姫様。


「……そうか」

「釣れないのね。私はもう寝るわ」

「……ああ」


 俺は様子を見るために暗がりで気配を消して待機しておく。これまでならきょろきょろして寝つけない様子だったのだが、今日は少し安心できるようになったのかすぐに寝息が聞こえてきた。暗殺者に囲まれて緊張していたのが緩んだ結果だろう。

 少しでも彼女になにか残せたならいいが。

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