第十八話 “千面毒婦"の手腕

 今日はシゲオが初めて暗殺の仕事を行う日だ。


 と言っても本人は既に暗殺をするための場所へ向かっている。

 行き先はこの街の北一帯を占めている大貴族、エンドリエ夫妻が持つ敷地だ。あいつは臭い地下水道を使って敷地内に潜入するルートだ。一応防臭はできるようになっているが、万が一ということもある。着いたら人から離れたところで少し待機するように言ってある。地下水道の匂いで居場所がバレるなんて、潜入ルートを限定されるようなもんだからね。

 ここの地下水道は下水整備のため設置されたが、地下水道を整備する仕事を請け負うヤツがしばらくいなかった。結果更に汚れ具合が酷くなったが無事整備士が見つかった。ただその整備士がうっかり足を滑らせて落ちちまったことで、地下水道に潜むモンスターの存在が判明する。そんなことがあったせいで、汚水をなんとかしてモンスターを追っ払うには整備士が必要だが、整備士はモンスターがいるせいで地下水道へ行きたがらない。そうして議論がループして、毎回議題にはなっているが一向に話が進んでいない状態だ。今では人の寄りつかない通路になっているため、あたしらみたいな秘密裏に動くヤツにとっては絶好の場所だね。

 ただまぁ、本当に汚水が腐った上に汚水をぶっかけたような悪臭がするから、あたしとしても行きたくないというのが本音だった。シゲオに行かせた理由は単純に、単独で侵入するのに適したルートだったからだ。敷地の周囲は兵士で囲まれていて、外から侵入してきた者を探知する仕かけがある。仕かけは敷地内をドーム状に覆っているから、地下水道から侵入するなら引っかかることはない。


 それに、シゲオにはあたしと同じような正面からの侵入が向いていないようだからね。そこは我慢してもらうしかない。


 弟子にそんなルートを行かせておいてあたしがなにをしているのかは簡単だ。変装、というほどのことはしていないがパーティーへ行く準備を整えている。


 貴族の催しに正面から潜入する場合、潜入するに必要な準備というのが必要になる。即ち衣装の準備だ。


 貴族のパーティーに潜入するなら、高級な装いが必要だ。着込むためのドレス然り、着飾るためのアクセサリー然り。それだけでなく化粧品すらも貴族がつけるモノと同等にしなければならない。金を貯え、脂肪とモノを見る目だけを肥やした貴族共を欺くには、それくらいしなければならない。もちろん経費で落とす。

 加えて、徒歩ではパーティー会場に向かわない。取った宿の前に無駄で豪華な馬車を停めて「私は貴族だ」と周囲に見せつけながら乗車する。そして馬車をパーティー会場の前に停めて、若しくは会場の馬車を停める場所へと停めて会場へと向かう。優雅に、決して急がず、余裕を持って、下々とは違う価値観で過ごしているように見せなければならない。

 これがまた難しいんだよねぇ、最初は。今でこそ慣れたもんだけど、自分と正反対の価値観を持つヤツと同じように振る舞うってのは難しい。


 その点、あたしの師匠はよく言っていた。「暗殺者たる者、自分をまず殺すべし」ってね。逆にあたしはそこまで思っちゃいない。シゲオは「自分を生かしたまま暗殺者になれる」。それもまた、いい道だと思うけどね。


 余談が過ぎた。

 あたしもそろそろ出かける時間だ。屋敷への門が開き始めた時間帯はとても混む。嫌気が差すほどにね。だからあたしは始まってから向かうことにしている。それでも時間はかかるだろうけど、今回のパーティーは貴族にとって昔と同じ貴族社会に戻れるかもしれない一手を祝うモノだ。是非とも参加したいと大貴族がやってくるだろう。無論バカげたことと興味を持たない者も、表明すればどうなるかに怯えて来ない者も大勢いるだろう。要は、パーティーに参加するという時点で意識が高く早めに来ようとする貴族が多いってことだ。


 だから門が開いてから出発する。それでも混むだろうから、入念に準備と持ち物の確認をしておく。

 問題ないことを確認してから、シゲオに連絡した。


 オーダーメイドで造ってもらっている誰が見ても高級なイヤリングへと魔力を流し込んだ。イヤリングの中に入れてある式の紙に魔力が到達することで、同じ【会話】の式を持っている相手と遠距離でも話すことができる。

 あたしに適性のある式魔法ってのは魔方陣と詠唱を必要としない代わりに、紙に式を書くことと魔力を流し込む所作が必要になる。特殊な魔法の一種だ。


 【会話】なので声に出す必要があり、できれば声に出さずできる【念話】やなんかを使いたかった。それができなかったのは、シゲオの魔力量が原因だ。魔力量は使っていれば少しずつ伸びていくモノだけど、まず身体を鍛えて技能を身につけることを中心にやってきた。ただ毎日消費し切ると疲労があって鍛錬に差し支えるし、消費し切らないまで消費したとしても【念話】を複数回使って尚魔力が余るくらいに増える可能性は低かった。なので魔力の鍛錬を後回しにして【会話】しても大丈夫な状況でしか連絡をしないことにしてある。


「――クロウ。聞こえるかい? 話せそうなら進捗を聞かせておくれ」


 もう地下水道を出ている頃合いだろう。この時点で返事が来ないようなら緊急事態と見るべきだ。計画を変更してあたしも潜入ルートを変える必要が出てくることも考えられる。


『……はい。こっちは無事潜入できましたよ。今は庭の一角にいます』


 しかしやや間があって返事が聞こえた。どうも気のない声に聞こえがちな抑揚のないトーン。普段より少し強張ってはいるようだが、返事があったことにほっとする。


「そうかい。なら良かった。あたしもこれからそっちへ向かう。適度に肩の力を抜いて油断なく行動すればいい。あんたならできるよ」

『……ありがとうございます』

「また隙を見て連絡する」


 あたしもシゲオが大丈夫かどうかは不安だけど、本人はもっと不安だと思う。激励しておくだけしておいた。後はあいつ次第だけど、実力に関しては申し分ないと思う。特に今回は。

 さてと。シゲオも無事侵入できたみたいだし、あたしもそろそろ行かないとね。


 濃い目の化粧に甘ったるい香水、ドレスやアクセサリーなど金で全身を飾り表情や仕草一つも作り物へと変える。あたしが普段通りに振舞ったら、それは貴族じゃなくなる。


 だから宿を出る時には完全な貴族と化していた。


 必要とあらば髪だって染めるけど、今回は見送った。貴族として素性を偽って潜入するわけだから、偽装した容姿に合わせる必要がある、っていうのも理由の一つだ。


 宿から表通りへと出る道の途中に馬車を呼んである。乗っている御者は協力者の一人だ。場合によっては何人もの協力者が必要になる大きな仕事もあるけど、今回は馬車を引く人員だけでいい。


 誰が見ているかわからないので、既に変装は始まっている。御者のフリをした男もあたしを迎えるために来たことを見せるために、御者席から降りて扉を開け手を取って中に入れる。戸惑う素振りは決して見せず、それが当然であるかのように振舞わないといけない。

 馬車に乗ってこれからの行動を頭の中で並べていると、


『……師匠。舞踏会場に侵入するので日が落ちるまで待ちます』


 クロウから連絡が入った。安全に動くにはいい判断だね。多分だけど外で人から見えるかもしれないと懸念したなら、壁登りでもするつもりなんだろう。あたしには難しい、シゲオの才能が可能とする手段だ。できなくはないけどね。こういう自信のなさやなんかから来る慎重さも持ち合わせているのが、暗殺者としては好印象だった。


 会場まで少し並んでいたため時間はかかったが、無事到着する。


「着きました」

「ええ、ご苦労様」


 貴族として振舞う時に使う上品そうな声で応え、扉を開けてもらい差し伸べられた手を取って馬車から降りた。周囲もそうしているのだから、身分を偽る以上倣わなければならない。協力者の御者が深々と頭を下げて見送る中、あたしはパーティー会場へと向かった。馬車を停めるスペースから舞踏会場までは近い。目と鼻の先だ。これは来客を歩かせないようにという配慮だろう。格の高い貴族は従者を引き連れているが、いなくてもいい。連れてくることもできるけど、人数が多いと擦り合わせが面倒だからね。


 あたしは舞踏会場の前まで歩いてきて、受付を済ませる。……さて。あたしのターゲットの夫婦はどこにいるかわかりやすいからいいんだけど、シゲオが狙うセムカスはどこにいるんだろうね。

 あいつは今回が初仕事だ。できるだけこっちで補助してやった方がいい。いざという時のために、あたしの方でも居場所を掴んでおいた方がいいかもしれないね。


 あたしの名義はアイリーン・シュレイル。シュレイル家という架空の貴族の令嬢という設定だ。もちろん、架空の貴族なんてすぐにバレるから、きちんと政府に領地を用意してもらっている。革命時に全員捕まった貴族の領地を掻っ攫った形だけどね。もちろん運用は政府お抱えの役員に任せていて、あたしが顔を出すことも滅多にない。結婚よりも自由に楽しみたいという気持ちが強い令嬢という設定なので、どこに出てきても怪しまれることはない。


「此度のパーティーにはセムカス様もいらっしゃるのでしょう? セムカス様はほら、お酒が弱いでしょう。どこへお泊りになるのかお聞きしても?」

「ははは、セムカス様はそうですね。宿泊は来客用の別館でされますよ。ただセムカス様は此度の出資や武力の提供などで多大な貢献をされていますから。最上階の最も良いお部屋を宛がわせていただいております」


 セムカス・セザールが酒を飲むのは好きだが酒に弱いというのはよく知られた話だ。酔い潰れそうになったらどこへ運べばいいのかと尋ねる者は多い。もちろん運ぶのは給仕に任せてもいいけど、合法的に部屋へ入れればできることも多い。半裸になって昨晩はあんなに……とか言っておけば酔って記憶のないセムカスから金を貰えるという、小遣い稼ぎになるらしい。若い貴族令嬢のお遊びみたいなもんだと。下らないことだね。


 できればあたしが酔わせて、ボーイに運ばせるように仕向けたいところだけど。まぁそこは上手くいきそうだったらでいいだろう。


 セムカスが泊まる場所を聞き出せたあたしは、立食会場の一階で有力貴族に挨拶をして回り、腹ごしらえをしながら時間を潰した。その中でぱんという大きな音が会場に響いた。その時二階にいるようにしておいたので、よく見ることができた。詳しい構造は知らないけど、火薬を組み合わせることで爆発した時に火の粉を花のように空へ咲かすことができる、花火というモノだ。知識にはあるけどあたしも見るのは初めてだね。綺麗だとは思うけど、これもシゲオのような不幸な異世界人から吸い上げた技術だと思うと、吐き気がする。

 ふとあいつが壁登りをしようと思っているんじゃないかと思ったことを思い出す。折角だから、少し手助けしてやろうかね。

 あたしは【会話】のできるイヤリングに魔力を流し込み、


「――あら。今のはなんでしょうか」


 一緒に花火を見上げていた中年の男に尋ねる。花火を知らないことは無知ではない。むしろ知識を披露できる場を与えると男は気分を良くすることが多いみたいだ。


「あぁ、あれは花火だよ」


 案の定得意気になって説明を続けた。


「なんでも異世界人の文化でね。ここだけの話、脳から吸い上げた技術の一つなんだ。綺麗だろう? 異世界人も役に立つ。こうして我々貴族の心を潤してくれるのだから」


 おぞましいことを平然と口にして、それが常識であるかのように振舞っている。いや、心の底からそう思っているんだろうね。吐き気がする。何発がぶん殴ってやりたい。


「ええ、そうですね」


 ただそういう感情を表に出せば不審に思われるので、演技は続ける。


「花火はもう終わりなのですか?」

「いいや、パーティーのフィナーレに特大のが上がる予定だよ。それまではないけど、楽しみにするといい」


 へぇ。じゃあその間は花火を打つ必要がないんだね。


「……屋上から打ってるけど、合図が終わったらいなくなるだろうね」


 シゲオへのヒントとして相手に聞こえない小さな声で口にする。


「ん? なにか言ったかね」

「いいえ、なんでもありません」


 にっこりと笑って誤魔化しておく。貴族は大抵人を疑わない。慢心せずしてなにが貴族か、と言わんばかりの態度で振舞うのでこっちとしては楽でいいんだけど。


「おぉ、そうだ。どうだね、フィナーレの時まで一緒にいるというのは。私は顔が利くのでね、色々と融通できると思うのだが」


 男はなにを思ったのかあたしを誘ってきた。いいことを思いついた、というような話し方だがどうせ最初からそういうつもりだったんだろう。反吐が出るね。


「遠慮させていただきます。こういう社交の場で自ら関わりを得るのもまた、社会勉強の一つですから」


 もちろん内面の感情は出さず少し申し訳なさそうに断りを入れる。


「ははは、そうか。ではこれで」

「ええ、良い一時を」


 しつこくしないのもいい。所詮目についたから誘ってやっただけの女だからね。会場にはまだまだたくさん候補がいる。一人に執着する必要はないってことだ。


 シゲオの手助けはしたからおそらくもう大丈夫だろう。それからも色々と話を聞いていくつか有意義な情報を得たので、まとめておく。


 今回の仕事はエンドリエ夫妻の暗殺。シゲオにはセムカスの暗殺を任せている。またシゲオには伝えていないが、夫妻の殺し方については政府から要望があった。


 見せしめになるように、と。


 つまり事故で殺すという方法は今回使えないということになる。シゲオのように忍び込んで暗殺という手法も、後日発見されて慄く頃には会場に来ている半数以上が帰っているだろう。だから、できるだけ夫婦を誰かが殺したんだと会場全員がわかる方法で暗殺してやる必要がある。


 そのためにまず必要なのは、夫婦のスケジュールだ。ボーイや客に尋ねてみて、大半は判明した。


 まず公開されているプログラムがある。パーティーが開催されてからどのタイミングでなにが始まるかというモノだ。主催者である夫婦は挨拶や演説などを行うタイミングがあるので、大体の行動が決まっている。またボーイからこのタイミングで会えないかと尋ねることで、お色直しのタイミングも聞き出せた。

 そして最有力の情報は、フィナーレの時だ。フィナーレでは先程聞いたように特大の花火を打ち上げる。しかも夫婦は特等席、屋上に二人きりで眺めるらしい。その花火は飛距離の問題で会場の真上に打ち上げるとも聞いている。安全のために特殊な火薬を使い、魔法を遮断する障壁を敷いて火の粉が客に当たらないよう気をつけるんだと。花火を間近で見たいという要望が多かったからこの措置をするそうだ。


 つまり二人きりになるその時が、暗殺のチャンスということになる。ただ折角だから殺して会場へ落とすだけではなく、趣向を凝らしたい。それでも充分見せしめになるだろうけど、上に落としたヤツがいるとなった場合兵士が色めき立って面倒なことになりかねない。突破するのは簡単だけど、今回はシゲオもいるからできるだけ大きな騒ぎは起こしたくないのはあった。見せしめにして騒然となるが兵士はすぐに駆けつけないような暗殺方法、か。難しいだろうね。


 あたしは情報を整理して、しばらくのんびりパーティーを回ってから行動を開始した。まずはフィナーレに使う花火の様子を見に行こうかね。


 タイミングを見てお花を摘みに行ってくると席を外し、会場の裏側へと侵入する。あたしの今の『索敵』範囲は会場を包み込めるほどだから、兵士が通りかかる前に即行動できる。こういう利点があるから『索敵』は大事だ。物陰に隠れ、人のいない部屋に身を隠して兵士をやり過ごし、花火の在り処を探す。とはいえある程度目処はつけていた。

 裏口から入って左の突き当たりだ。そこに倉庫がある。


 鍵がかかっていたけど『ピッキング』して人が来る前に中へ入ってしまう。


「なるほど、これは特大だね」


 全長三メートルもある縦長のモノが二つ置いてあった。円柱の上に円錐が乗ったような形だ。花火って確か丸かったと思うけど、どうやらあらゆる意味で特別製らしい。


「こんなのが打ち上げられるのかね、ホントに」


 重くて飛ばなさそうだ。真っ直ぐ狙い通りに飛ぶかも怪しい。まぁそこは魔法による補助でもするんだろうね。

 と。


『……師匠。無事セムカス・セザールの部屋割り情報を入手しました。これから潜入して待機、様子を見て暗殺に移ります』


 耳元のイヤリングでシゲオの声が聞こえた。どうやら上手く入手できたようだ。良かった。


「そうかい。順調なようでなによりだよ」


 あのシゲオがきちんと情報を入手して暗殺に動こうとしている。やる気はあまり見えないけど、やればできる子なんだ。もっと自分を誇りに思って欲しい。


『……喋って大丈夫なんですか?』


 どうやらあたしが普段通りの口調だったのが不思議だったらしい。『索敵』でも兵士は近くにいないから大丈夫だ。『索敵』だとシゲオの気配が上の方から感じ取れた。屋上にいるみたいだね。


「大丈夫じゃなきゃ喋らないよ。心配いらない、あたしの方も順調に進めていてね。今裏の方にいるんだよ」

『……心配なんてしてませんよ。ただ師匠が順調だと、俺がタイミング見計らうのに遅くなりませんかね』

「それも気にしなくていいよ。セムカスは酒好きでテンションが上がると酒を飲みたくなる性分だが、なにより酒に弱い。すぐに酔っ払って部屋に案内されるはずだからね。ついでにあたしも乗せていっぱい飲ませといたよ」

『……協力、感謝します』

「今回の暗殺は協力して行うから、これくらいはいいよ。シゲオは初めてだしね。まぁそんなわけだから、今いる屋上から来賓用屋敷の最上階まで行って、自分のタイミングで暗殺してくれればいいよ」


 まだシゲオの口調は少し固い。あいつの性格もあるんだろうけど、もう少し砕けてもいいと思う。未だに敬語なのは少し寂しい。これでも二年間一緒にいるんだけどねぇ。


『……なんで知ってるんですか』


 少し呆れたような口調だった。なにを言っているんだか。初めて仕事をするヤツに「じゃあ自分一人でやれよ」で放置してできるヤツの方が少ないだろう。手助けしてやるのは当然だよ。


「あたしの『索敵』範囲はこの舞踏会場全体にしておいてるからね。あんたが屋上で屈んでいるのもわかっていよ。セムカスの方は受付の時に聞いておいたからね。シゲオが手に入れられなかった時のために」

『……そうですか』

「そう気負わずに、暗殺しておいで。終わったら合流して帰るよ」

『……わかってます。では』


 本人が気にしていなくても、所々で励ましの言葉を入れておくと安心するもんだ。あたしがそうだったから、あたしが教える時にはそうするようにしていた。


 ポケットから薄い布の手袋を取り出して嵌める。特大花火の構造を把握するために分解していると、シゲオの気配が屋上から急速に地上へと降りてきた。


「くくっ。まさか屋上から飛び降りるなんてね。まぁでもいい判断だよ」


 【闇に溶けゆ】のデメリットを把握した上での判断だろう。身に着けているモノも一緒に見えなくなるけど、ロープは見えてしまうからね。暗いとはいえ目を凝らしたら見える危険性もある。そう考えたら悪くない選択肢ではある。けどもし着地に失敗して骨折したら後の暗殺に差し支える。大胆なんだか慎重なんだかわからない行動に思わず笑ってしまった。そう、必要になったら大胆にもなれるんだよシゲオは。


 花火の大まかな構造を把握したあたしは、ふといい案を思いついた。


 夫婦を暗殺し、その暗殺の判明が少し後になった上で見せしめになる暗殺方法が。


 じゃあ、後は実行するだけだね。


 ということであたしは、時が来るまで花火を元に戻すとパーティー会場で貴族共とダンスを嗜んだ。


 ようやく、パーティーもフィナーレを迎える。


 夫婦は今日が記念すべき日になると話していた。それはそうだろうね、なにせ命日になるんだから。


「……」


 あたしは完全に気配を消して特大の花火を打ち上げる屋上の物陰に隠れていた。今は最高のフィナーレに向けてスタッフが花火の準備を進めているところだ。それが終わったら行動を起こす。夫婦も今頃屋上の別の場所で二人並んで立っているだろう。というか既に『索敵』で位置把握は済んでいる。


 やがて花火の準備が終わり、会場で司会を務めているヤツの発射合図を待つ。発射手順も盗み見たが、司会がカウントダウンをするのに合わせて特大花火を発射するということになっているらしい。


 ……どうやら準備が終わったみたいだね。発射するヤツ以外は縁に寄りかかって花火を眺めようとしている。


 じゃあ始めるとしようかね。


 あたしは物陰から勢いよく飛び出す。もちろん『気配遮断』をして足音を立てずに、だ。そして右の人差し指の爪を伸ばし、発射準備をしている四人の肌を薄く引っ掻く。続けて眺めようとしているヤツらの肌も。「痛い」と声を上げる暇もなく全員引っ掻くのがコツだね。あたしに引っ掻かれたヤツは全員、ぱたりと力なく倒れ込んでいく。


 これがあたしが生まれ持った才能、『千死双爪』だ。

 簡単に言えば、爪にあらゆる毒を仕込む能力。今回来るに当たって右手の人差し指には睡眠毒を仕込んできている。即効性はあたしができ得る限りの最大にしてあるから、引っ掻かれればすぐに眠っちまうってわけだね。もちろん致死毒や麻痺毒もあるから、暗殺するならわざわざ首を掻っ切らなくてもいい。爪で引っ掻けばそれで終わり。若しくは爪で飲食物に触れるだけでもいいね。それを口にしたら一貫の終わりだ。毒に耐性があったとしても複数の毒を混ぜることで複合毒を作成することもできる。もちろん、毒以外の暗殺方法を選べるように努力している。

 正に、殺すために持った能力だろう?


 『千死双爪』には爪に毒を仕込む【手に毒あり足に毒あり】、無数の毒を仕込める【毒千種】、即効性などを調整できる【毒調節】がある。これでも第三段階まで鍛えてあるから、使いやすくなっているんだよ。

 暗殺に便利な能力だけど、爪一つにつき一つしか毒を仕込むことができないから、両手両足使ったとしても持ち込める毒は二十が限界だ。それでも殺せなかったら、無意味な才能でもある。仕込んだ毒を変えるには数日かかるのは欠点の一つだった。


 あたしが噂として囁かれる呼び名の中に、“千面毒婦"ってのがあるのはこの才能のせいだろうね。


 さてと、ともあれこれで屋上は制圧完了だね。


 あたしはそのまま屋根を伝って夫婦がおそらく今いい雰囲気でいる屋上へと向かう。ドレスにヒール姿だとやりにくいけど、仕方がない。そこは慣れだよ。


 ……あろうことか、二人は屋上で熱烈な接吻を交わしていた。


 気分が盛り上がるんだろうね、こういう場面では。折角だからそのいい気分のまま、眠ってもらおうかね。


 あたしは屋上に音もなく到着すると、素早く近づいて右手の人差し指で引っ掻いた。護衛もつけずに愉しもうとするからこうなるんだよ。

 眠った二人を抱えて、特大花火の砲台があるところにまで戻ってくる。


 そして夫婦のそれぞれを縛り上げると、薄い手袋を嵌めて特大花火を開き中身を弄っていく。人一人分のスペースを確保すると、花火二つにそれぞれの身体を入れた。

 少し毒は少なくしてある。打ち上げられてから目覚めて、恐怖を味わえるように。


 空けたスペース分の火薬は詰め込んでおく。ちょっと無理矢理になったのは仕方がない。さてと、蓋をして後はタイミングに合わせて打ち上げるだけだね。打ち上げ方はもしもの時のためかマニュアルを持ってきているヤツがいたので、有り難く拝見させてもらう。とはいえもうレバーを引くだけで発射できるようだ。一人で同時に打ち上げるのは面倒だけど、やるしかないね。


 あたしはそっと会場を見下ろしていつでも準備できるように耳を澄ませる。そしてカウントダウンが始まり、司会が「1」と言ったらすぐにレバーの下へ行って、「0」のタイミングで引いてやる。左を引いたらすぐに右のレバーを蹴って傾けた。しばらく待つと特大花火が発射される。……ちゃんと真っ直ぐ飛んでくれて良かったよ。


 あたしは余った火薬を放置して、花火の軌道を見届ける。光の軌跡を描きながら打ち上がった花火は、舞踏会場の遥か頭上で花開いた。爆発する瞬間には目が覚めてたと思うけど、思い知ってくれるといいね。身勝手な行動で不幸に陥った人々の恨みを。


 火の粉は空に散って消えてゆく。しかし火の粉でないモノは会場へと降り注いだ。


 花火は確かに綺麗だ。一瞬の煌めきの中で華やかさと儚さを演出している。宝石やなんかの、ずっと輝くモノを大切にするのとはまた別の感性、美しさがあると思う。けどこれは。


「ふん。汚い花火だね」


 会場中から悲鳴が上がっているのを聞きながら、あたしは背を向けて屋上から飛び降りる。とはいえ身体能力で言えばシゲオより低いかもしれないあたしがそのまま飛び降りたら骨折する可能性だってある。ヒールだしね。

 だからヒールを壁に擦らせるように勢いを殺して地上まで降りていった。騒ぎを聞きつけたのか、見回りの兵士は会場の方へ向かっていくばかり。あたしに気づく者はいない。


 舞踏会場から離れたところで、シゲオから全く連絡がないことを不思議に思った。いくら時間がかかっているにしても、フィナーレまでには終わるだろうと予測していた。『索敵』――にも引っかからないね。どこにいるんだい。


「シゲオ? 連絡なかったけど、無事なんだろうね?」


 不安になってこちらから【会話】を始める。もし戦闘中だったら気が散るだろうから危険だけど、この際仕方がない。


『……はい。まぁ』


 普段以上に生気が感じられない声音だった。今にも壊れそうな不安定さを感じる。


「いつも以上に気のない声だね。とりあえず今からそっちに向かう。今どこにいる?」


 焦って少し早口になってしまった。


『……どこ、でしょうね。庭のどっかで、兵士はいません。隅の方にいます』

「曖昧だね。でもわかった。あたしが探して合流するから、そこから動かないようにね」


 地理も把握できないほど一心不乱にそこへ行ったんだろう。できるだけ優しく告げて、『索敵』を全開にしたまま走り回る。

 やがて、『索敵』に引っかかった希薄な反応を辿り、ようやく見つけた。

 暗がりで、いつも以上に暗い表情で膝を抱えて座り込んでいるシゲオを見つけた。


 良かった、身体は無事だ。でも多分だけど、心が弱っている。

 だから、助けてやりたいと思ったんだ――。

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