第十七話 人殺し

 なんとか無事暗殺対象であるセムカス・セザールが泊まる部屋を見つけることができた。

 一応進んだので、師匠に一報入れておく。


「……師匠。無事セムカス・セザールの部屋割り情報を入手しました。これから潜入して待機、様子を見て暗殺に移ります」


 右耳のイヤリングに指を当て魔力を流し込み報告する。


『そうかい。順調なようでなによりだよ』


 答えが返ってくるとは思わなかった。というか普段と同じ口調だ。


「……喋って大丈夫なんですか?」


 俺の周囲には人がいない。声を発するので外から見えないように屈んでいる。だが師匠は来客に扮しているはずだ。


『大丈夫じゃなきゃ喋らないよ。心配いらない、あたしの方も順調に進めていてね。今裏の方にいるんだよ』

「……心配なんてしてませんよ。ただ師匠が順調だと、俺がタイミング見計らうのに遅くなりませんかね」

『それも気にしなくていいよ。セムカスは酒好きでテンションが上がると酒を飲みたくなる性分だが、なにより酒に弱い。すぐに酔っ払って部屋に案内されるはずだからね。ついでにあたしも乗せていっぱい飲ませといたよ』

「……協力、感謝します」


 どうやら師匠の方でも手助けがあったらしい。心強すぎる。


『今回の暗殺は協力して行うから、これくらいはいいよ。シゲオは初めてだしね。まぁそんなわけだから、今いる屋上から来賓用屋敷の最上階まで行って、自分のタイミングで暗殺してくれればいいよ』

「……なんで知ってるんですか」


 俺が今いる場所と、セムカスの部屋の場所。


『あたしの『索敵』範囲はこの舞踏会場全体にしておいてるからね。あんたが屋上で屈んでいるのもわかってるよ。セムカスの方は受付の時に聞いておいたからね。シゲオが手に入れられなかった時のために』

「……そうですか」


 相変わらず、この師匠には敵わない。

 俺の『索敵』範囲は精々バックヤードの上下どちらか一階分を半径とするくらいの範囲だ。それ以上に広げると他の動作が上手くいかなくなったり精度に欠けたりしてしまう。それをこの舞踏会場全体とか、敵う気がしない。

 あと俺が入手に失敗した時のことも考えてくれていたらしい。優しいお師匠様だ。


『そう気負わずに、暗殺しておいで。終わったら合流して帰るよ』

「……わかってます。では」


 激励を受けてから、【会話】をやめる。


 さて、優秀な師匠が後押ししてくれることだし。来賓用の屋敷へ向かうとしよう。

 来賓用の屋敷はここからよりも俺が侵入してきた地下水道の出入り口の方が近い位置にある。ここからだと中間より少し遠いくらいか。だが全く別の方角ではないため、一度通ってきたという実績がある。しかも今はもう闇に閉ざされた夜だ。わざわざ音の出る茂みに隠れる必要はない。油断しなければ通り抜けられるはずだ。


「……問題は下りるとこかな」


 下りる衝撃を小さな足場でどういなすかが重要となってくる。いや、難しいな。下からだとルートが見えるからいいが、真上からだと難しい。だったら一番簡単なのは、一つだけ。


 俺は屋上の塀に登り地面を見下ろした。……いや怖いな。なんて言うか、腹の底に気持ち悪いのが溜まっているようだ。

 深呼吸をして心を落ち着け息を整える。そして跳んだ。膝を柔らかく使ってとかそういう次元じゃなく、全身を活用して衝撃を受け流す。……痛くないな。音を立てずに着地できたのは良かったが、身体能力が上がっているせいか四階建ての屋上から飛び降りても着地できた。最悪骨が折れるかと思ったが。


『くくっ。まさか屋上から飛び降りるなんてね。まぁでもいい判断だよ』


 『索敵』で俺の位置を把握しているらしい師匠から【会話】が来る。どうやら堪え切れずに笑ってしまったようだ。俺としては笑われるようなことをした覚えがないんだが。ロープを使って、という手もあるにはあるがあれはなかなか難しい。俺の姿は闇に紛れられるが、ロープは傍目から見えてしまうのだ。ここまで見晴らしのいい建物だと、縁が一点だけ不自然に盛り上がっているのがどこからか見えてしまった場合、不自然に思われてしまう。ロープが垂れていれば屋上に誰かいるのかもしれないなどと考え上も下も包囲されるだろう。ちなみに俺のいるロープを引き上げようとした場合、重さという存在がバレてしまうため【闇に溶けゆ】が解除されてしまう。そうなったら俺は終わりだ。


 そういう非常事態を考えれば、身体能力の上がった夜に飛び降りるという選択肢は悪くない、はず。師匠も悪いとは言ってないし。


 俺は気を取り直して忍び足で屋敷へと移動するのだった。


 ◇◆◇◆◇◆


 屋敷への侵入経路は簡単だ。外側を登って外へと繋がっている通気口を見つけ中に入る。そしてそこから部屋の内部に続く入り口まで行く。それだけだ。ただし通気口は各階につき一つなので、俺の場合最上階にある通気口まで登らなければならない。でかい屋敷とはいえ五階建てなので最短距離を行ければ掴む場所の少なかった舞踏会場の壁よりは登りやすい。最上階まで行けば舞踏会場の四階に差しかかるくらいの高さにはなるのだが。足場にできそうな箇所が多くてまだやりやすそうだ。


 最上階の通気口は屋敷の西側にあると見取り図には書いてあった。屋敷の西側に回って屋敷を見上げ通気口の位置を確認する。そして同じように窓枠や屋根を足場に通気口まで登るルートを考えた。


 深呼吸をして、いざ登る。


 練習よりもやりやすい足場に、舞踏会場よりも低い目標地点。油断や慢心はないが、気持ちは少し楽だった。難なく登ったが通気口の入り口は格子がかけられている。蝙蝠や鳥に巣を作らせないための措置だろうか。格子は外側から枠を留め具で固定しているようだ。留め具は小さいので流石に外れていても外からバレることはないだろう。俺は足場を固定して留め具を全て外し格子を外した。そして格子を片手に持ちながら自分が中に入る。それから格子を外側から留め具をせずに見た目だけ整え通気口を進んだ。


 途中蜘蛛の巣などはあったが壊して突き進む。屋外に近いからか舞踏会場の時よりも汚く感じた。

 ただ一時期汚物レベルにまで生活が下がった身としては後で洗えばいいだけのモノに過ぎない。


 問題なく北の大きな部屋まで辿り着いた。


 逸る鼓動を抑えつけて通気口から真下の室内を観察する。……今は誰もいないな。


 目と『索敵』の二つで探るが、誰の姿もなかった。……ただ部屋の前には護衛が二人いるな。気配がなんと言うか他の兵士より雄々しい気がする。それなりに実力ある兵士なのかもしれない。つまりバレたら終わりだ。

 並みの兵士ですら俺は敵わないというのに。


 普段モンスター相手にやっている、声を上げさせないで殺すということを実践しなければならない。物音を立てて不審がられれば兵士は中に入ってくるだろう。そうなれば俺は殺される。それだけは避けなければならない。殺されるならまだしも、捕まって拷問を受けるかもしれない。そうなれば俺はなにを口走ってしまうかわかったものではない。死ぬよりも辛い痛みに俺が耐えられるはずもなかった。


 そうやってネガティブなイメージを浮かべていると、動悸が早まってしまう。できるだけ考えないようにして静かに呼吸し、心を落ち着ける。ダメだ、いざこれから本番となると緊張が身体に影響を与える。

 自分の胸元を押さえつけてじっとする。妙な考えを起こさないように頭ではなにも考えない。なにもしていないのにじっとりと汗を掻いてしまう。


 がちゃり、と扉が開く音がした。


「っ!」


 思わず少し身体が跳ねてしまう。……物音は立たなかったが悪手だ。


「まぁーだ飲めるってんだぁよ~」


 明らかに酔っ払っている声が聞こえた。声は初めて聞くが、状況と事前知識から考えてセムカスだ。いよいよ暗殺対象が部屋に入ってくる。そう思うと一段と心臓が早くなった。


「セムカス様。今はお休みになられてください。フィナーレの前に倒れてしまいますよ」

「まだまだ飲めるって言ってんだぁろ!」

「真っ直ぐ歩けていませんよ。ベッドで横になってお待ちください。フィナーレの前には呼びに来ます」

「必要ない! 一人で歩けるわ!」

「セムカス様はこうなったら聞かないぞ。後でなにをされるかわからん。酔っ払った時の記憶も飛ぶから、さっさと寝かせて覚ますに限るんだよ」


 どさっとベッドに倒れ込むような音が聞こえる。


「無礼な……後で覚えておけ……ぐぅ」


 倒れ込むとすぐに寝てしまった。


「ほらな。じゃあ見張りに戻るぞ。鼠一匹でもこの部屋に入れた方が恐ろしい」

「わかりました」


 『索敵』でわかったが、セムカスをベッドまで運んだのは見張りの二人のようだ。丁寧な口調の方は見たところ若く、タメ口の方は少なくとも年上だ。二十代か三十代だろう。


「明かりは消した方がいいですか?」

「ん? あー、そうだな。寝てるし、消しておくか」


 先輩らしき方が言って、部屋の明かりが消される。


 ……あれ、これってチャンスなんじゃないか?


 がちゃりとまた扉が閉められ、部屋にはセムカス一人が残される。しかも本人はぐーすかといびきを掻いて寝ている。更には気を遣って明かりを消してくれたので、俺の【闇夜に乗じて】が発動され身体能力が高まる。

 有利な条件が揃ってしまった。直前まで緊張が支配していたのに、ここまで条件が整うと心に余裕が出てくる。


 ターゲットは眠りに着いているからまたとないチャンスだ。今なら近寄って短剣を刺すだけで殺すことができる。手を動かし左腰に提げた短剣の柄に手を添える。今行けば確実に殺せる気がする。


 いや待てよ?


 もう少し待って兵士二人の意識が完全に外を向いてからの方がいいんじゃないか?

 あと人って熟睡するのは何時間か寝てからだし。寝てすぐに行って微かにでも物音を立てたら起きるかもしれない。


 そんな、すぐ行動に移さない理由をうだうだと頭の中で回すこと三十分。


 ようやく俺は暗殺を実行する決心を固めた。


 セムカスは寝たままで、兵士達にも動きはない。この機会を逃したら終わりだ。フィナーレとやらまでもう少しだけ時間はあるが、兵士が呼びに入ってきたらそこまでとなる。なら今の内に暗殺して離脱するのが吉だ。


 行け、今やらなきゃ仕事を失うだけだぞ。


 自分に言い聞かせて金網を慎重に持ち上げて退けると、『気配遮断』と【闇に溶けゆ】を使ったまま部屋の中へと飛び出した。微かにすら音を立てずに着地できた。成功だ。


「……ぐぅ」


 まだセムカスは眠っている。外の二人も動く気配はない。俺は恐る恐る、ゆっくりとベッドへ近づいていく。近づく度に心臓が跳ね上がって体温が上昇する。


 俺がそんな風にゆっくりしていたからだろうか。


「……ん、あぁ」


 むくりとセムカスのでっぷりとした身体が起き上がる。思わず息を詰まらせ停止する。


「明かり明かり……」


 寝惚けているようだが明かりを手探りで見つけて、点けた。室内が一気に明るくなる。俺の【闇に溶けゆ】は強制的に解除された。ぶわっと体温が一気に上昇する。汗ばんでいるのに口の中は逆に乾いていく。鼓動が痛いほど早くなって余裕が一切なくなった。

 ど、どうすればいい? 一旦退く? いや無理だ、台がなければ明かりのある場所で通気口まで届かない。なにより今すぐ相手がこっちを振り向かないという保証がない。じゃあどうすればいい? いや答えは一つだ。


 こうなったらもう、殺るしかない。


「っ……!」


 俺は意を決したわけではなく、焦りからセムカスに近づき右腕で後ろから首を絞める。彼は寝惚けていたが苦しみによって一気に覚醒したらしく、なんとか俺の腕を外そうと両手で掴んできて、逃げようと足掻く。

 確実に仕留めるには腰の短剣で刺すのが一番だ。だが首を絞める腕に伝わってくる体温や血管を血液が通る脈動、そして息苦しそうなセムカスの顔を見ると冷静でいようと思う心さえどこかへ消え去ってしまう。全く身体を鍛えていなさそうなのに、俺の腕を剥がそうと掴む手の力が強い。痛くてつい緩めてしまいそうになる。


 全く冷静ではなかったせいか、何度もやってきた動作なのに短剣の柄を何度かスカしてしまう。その度に焦りが募る。

 ようやく柄に指が当たり、震える手で柄を握り締めた。震えを力で止めるようにぎゅっと握り、鞘から引き抜く。


「……っ、ぁ……っ!」


 苦しそうにもがくセムカスを早く仕留めなければ、僅かな物音を聞いて兵士が入ってくるかもしれない。そうなったら終わりだ。終わりなんだ。

 俺は逆手に持った短剣を振り上げる。刃が明かりを反射したせいかセムカスの目がそちらに向き、死が間近に迫っているとわかって彼の動きが早まる。なにかモノを蹴飛ばされたら終わりだ。殺せ。殺すんだ。殺さなければお前が死ぬ。あの頃に逆戻りする。死にたくないんだろう。なら殺せ。そうだ。他人を殺してでも自分が生きるんだ。死にたくないならそうする他ない。他人と自分の価値の差なんて知らない。自分がどうしたいかだ。俺は死にたくない。目の前で足掻いているヤツも死にたくないと思ってるはずだ。俺と同じ。気持ちはよくわかる。一度死を目前にしたら、どんな手を使ってでも生き延びたいと思う。ここで引き返せば俺は確実に惨い殺され方をする。今腕の中で死にかけている、こいつに。躊躇するな。殺るしかないんだ。だから、


 俺はあんたを殺してでも生きてやる。


 短剣の柄を今一度強く握り、セムカスの首目がけて振り下ろした。刃が皮を裂いて喉元に突き刺さっていく。モンスターよりも柔らかかった。すんなりと刃が入っていった。その感触を、覚えてしまった。


 セムカスはしばらく抵抗していたが、やがて大人しくなり掴んでいた俺の腕を離す。体温が急激に失われていき、脱力したせいで重く感じた。痙攣してはいるが、確実に殺した。


 ほとんど頭が働かないような状態で、物音を立てず静かに横たえたのは染みついた習慣か。ただ全ての教訓が生きているわけではなく、完全に動かなくなった彼から短剣を力任せに引き抜いた。引き抜く時は一度深く刺してから抜くといいと、教わっていたはずなのに。当然、勢いよく血が噴き出した。ベッドと俺の身体に血飛沫が降り注ぐ。

 頭は動かなくても身体は動いてくれた。いや、ネガティブな頭は動いたのかもしれない。血をつけたまま通気口を通ればどこから侵入したのか一目瞭然だ。布団で血を拭って短剣を収めると、明かりを消す。この状態なら台がなくても跳んで通気口に届くはずだ。ふらふらと歩いて跳躍し、通気口に上がる。金網を設置し直して通気口を出た。屋敷から抜け出すと通気口の入り口を戻して留め具を留める。これで元通りだ。すぐに離脱しなければならない。屋敷を下りると立ち去り、人気のない庭の隅に蹲った。


 思考が上手く働かない。ただただ体育座りをして地面を眺めていた。


 それからどれくらいの時間が経ったのか、どんという大きな音が聞こえた。空から聞こえたので見上げると、特大の花火が咲いていた。パーティーもフィナーレなのだろう。花火が消えたらまた俯く。


 それからまた少し経った。


『シゲオ? 連絡なかったけど、無事なんだろうね?』


 耳元から急に声が聞こえてきた。師匠からの【会話】だ。


「……はい、まぁ」

『いつも以上に気のない声だね。とりあえず今からそっちに向かう。今どこにいる?』


 自分でも普段以上に元気のない声だったと思う。師匠に言われて顔を上げ辺りを見渡す。


「……どこ、でしょうね。庭のどっかで、兵士はいません。隅の方にいます」

『曖昧だね。でもわかった。あたしが探して合流するから、そこから動かないようにね』


 優しい声音だった。もしかしたら俺がこうしている理由もなんとなく察しているのかもしれない。

 俺は返事をせず、また俯いてなにもない地面を見つめ続ける。


 しばらくして、と言うほど時間も経たず。


「シゲオ!」


 どこからともなく現れた師匠が、俺に正面から抱き着いてきた。俺の頭を胸元で抱える姿勢なので柔らかな感触が顔に当たった。それ越しに師匠の鼓動が聞こえる。じんわりと彼女の温もりが伝わってくるようだ。


「なにかあったのかと思って心配したじゃないか。怪我もないみたいだね」

「……すみません」

「謝らなくていいよ。それで暗殺は?」

「……終わってます」

「そうかい。なら帰ろう、いつまでもここにいたら暗殺者を探す連中に見つかるかもしれない」

「……アネシアさんは言いましたよね。人を殺してでも生きる覚悟を持て、って」


 話の流れを無視して口を開いた。


「ん? ああ、言ったね」

「……人を殺してまで生きる価値が、俺にあるんですかね」


 躊躇したのはそれが理由だ。俺は死にたくないからと暗殺者を目指す決意をした。だが人を殺してまで生きていいのかはわからない。隣国へ勝手に喧嘩売るようなヤツでも、出来損ないの俺よりは価値があるんじゃないかと思えてくる。


「あるよ」


 しかし、我が師匠は断言した。


「少なくともあたしにとって、あんたとあいつらの価値は天と地ほども差があるんだ。もう二年もいるんだ、あたしはあんたに愛着と言うか、まぁ生きていて欲しいとは思ってるよ」


 この人はやっぱり狡い。俺の胸中を見透かしながら、欲しい言葉をくれるのだ。


「それに今はあたしだけかもしれないけど、誰にも気づかれず暗殺できるっていう価値を持つヤツは、そう多くないんだよ。だから今回仕事を完遂させたことで、政府から一定の価値を認められるようになる。あんたはもう、無価値な人間じゃないんだよ。立派な暗殺者だ」


 優しい人だ。頭が全く働かなかったというのに、段々と落ち着きが戻ってきている。


「だからと言って殺しを容認はしないよ。あんたはセムカス・セザールを殺したという罪を、一生背負っていくんだ。重荷かもしれないけど、相手さえきちんと選べば感謝されることだってある。罪からは逃げず、受け止めな。それが最低限の礼儀ってもんだよ。まぁでも気にしすぎなくていい。人なんて、生きていれば誰かの生命を吸っているようなもんだからね」


 確かに。貧富の差というのが生まれれば、貧しい者から豊かな者へ吸い上げられているとも考えられる。貧しい者に分け与えればバランスは取れるかもしれないが、本来他の誰かに与えられるはずだったモノを蓄えることで豊かになっていくのだ。

 元の世界でも、他の誰かが食べたかもしれないモノを口にして生きていたのだ。それを自覚していなかっただけで、それが当然だと思っていただけで、人は常に誰かのモノを犠牲にして生きているのだ。


「あんたは今のところ生きていても害はないけど、セムカス達は害があった。それこそ無辜の民を何人も死に追いやるような害がね。そう考えれば、あたしが思っている価値のあるあんたの方が生きている価値があると思うけどね」


 俺を励ましつつ、質問の答えをくれた。


「もちろんあたしに言われただけじゃ納得できないだろうけど、今度セムカスの治めてた街に行ってみればわかるよ。どれだけ、あんたの暗殺に価値があるのかね」


 成果を目にすれば、俺も少しは自分の行いを認めることができるのだろうか。


「こんなところで話し込んでもなんだから、帰ろうか。騒ぎになってる頃だろうから街に規制かけられるだろうし、さっさとずらかるよ」


 師匠が俺から離れて肩を貸すように立ち上がらせてくれた。

 俺には暗殺を仕事と割り切ることも、正義の行いだと思うことも、殺しを楽しむこともできそうにない。しかしただ死にたくないというだけでは限界がある。俺にもなにか、信念のようなモノがあればいいのだが。


 いつか俺にも、見つけることができるのだろうか。


 生涯を懸けて成し得たいと思うような、そんな信念が。


 俺はそんなことを考えながら、師匠に肩を貸してもらったまま歩いて帰った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る