第十五話 潜入

 エンドリエ家の敷地は広大で、街の北を陣取っている。


 街が地下水道で下水などを整備している都合上、今夜パーティー会場となっているエンドリエ家にも通じている。事前の調査で地下水道の全体図を手に入れているので、下見の時も楽だった。というか敷地内の見取り図さえあった。ここは師匠のコネが凄いと言うべきなのか。


 事前に行ったとはいえ、やはり本番になると緊張する。暗殺装束に着替え、【会話】用の黒いイヤリングを耳に装着した。腰のベルトを使って左腰の後ろには意匠のあった黒い短剣を提げている。右腰にはポーチをつけており、そこには見取り図や潜入時に必要な道具が入っている。これ以上大きなモノだと中のモノが揺れて音が鳴ったり、動きが阻害されたりするので最低限必要だと思われるモノだけを入れてある。


 最後に仮面を着けて宿屋を出た。


 師匠はどこぞの令嬢を装うそうなので、馬車を取りに行っている。しばらくは個人行動になるだろう。

 宿屋はグレーな部分があるのか、裏路地を入ったところに建っていた。俺の変な恰好を見ても従業員が全く視線を向けてこないのがいい証拠だ。まぁ俺も人目を気にして『気配遮断』を使っていた、というのもあるかもしれないが。

 ともあれ宿屋を正面から出ても人がいない。閑散とした裏路地で、こんなところに建てておいて儲かっているのか不思議に思う。おそらく俺達のような利用者のための経営なのだろう。口止め料として多く金を払っている可能性はあるか。


 現在は午後五時。パーティーが開催されるまでは一時間ある。だが地下水道には多くないとはいえモンスターが棲みついているので、多少余裕を持って向かわねばならない。

 宿屋は街の北西に位置している。地下水道への入り口も近くなっていた。だからここを選んでくれたのだと思う。俺は『索敵』を常時使って周囲の気配を探りつつ、下見の時に使ったルートと同じモノが使えるかを確認する。

 訓練場で最初に行った、排水管登りだ。最初は路地裏を駆け抜けることも考えたのだが、意外と人が多い。人と言っても一般には民として認識されていないような浮浪者ばかりだが。師匠が言うには偶に浮浪者のフリをした調査員が紛れていることもあるという。また、本当にただの浮浪者であっても暗殺がバレて捜査に来たヤツから「怪しいヤツを見なかったか」と金か食糧を渡されたら洗い浚い話してしまうだろう。そういった事態を避けるためにも、屋根の上という人目につきづらいルートを選択したのだ。


 下見の時に登った排水管を確認する。形を見て頭の中で登り方を組み立てた。そして一気に登っていく。


 訓練場と似たような二メートル上がったところで左に曲がった管がある。その後は上に伸びて四メートルほどのところに左右へ分かれた管がある。そのまま上へ続く管があって、五メートル上に屋根があった。

 一度できたなら、今もできるはずだ。


 俺は自分に言い聞かせて駆け出した。訓練場と同じように壁への跳躍してすぐ壁への留め具部分に足をかけ横になった管を掴んで上へ跳び上がる。この時左側にある次の縦になっている管へと跳ぶのがいい。最初掴んだ管に乗ったら、続けて左にある管を掴み留め具に足をかけて登っていく。屋根に穴を開けて雨水を下に流す仕組みなのか管は穴の下までしかない。ただここまで来れば屋根に手が届く。届いたら屋根のふちをしっかりと両手で掴む。管からは足を放して壁を踏みつけるようにする。息を整えて壁を静かに、ただし強く蹴って足が上になるよう跳び上がった。途中で手を放して空中で一回転し足から着地する。

 ここまで無音でできた。


 屋根に乗ると景色が一変したように感じる。地平線が見えるからだろうか。

 ここ数日から金持ちそうなヤツが街へ来るようになったのは、おそらく今日のためだ。そして北にある森なども備わった広大な敷地内と、街から更に北へ行ったところに建設された魔道兵器サテライト。遠目からではチェスの駒で言うところのルーク辺りにしか見えないが、大勢の人間を一瞬で消滅させられる大量虐殺兵器なのだ。いずれ解体されるだろうとは師匠の言だ。


 パーティーの準備が行われているのか住んでいる屋敷とは別に舞踏会場という大きな建物が聳えている。貴族達の社交場だとか。魔導兵器を造るにしてはショボい暗殺理由だとは思ったが、どうやら元々莫大な財産を持っている家だったようだ。つまりただの遊びで人を陥れているらしい。


 とはいえ俺が向かうべきは敷地内ではない。まずは地下水道への入り口に向かおう。


 体勢を低く『気配遮断』を使いながら屋根から屋根へ飛び移る。『索敵』で誰かの真上だけは通らないように気を遣っておく。

 俺が今回使う地下水道への入り口は、現代で言うところのマンホールのようになっている。


 屋根から地面へ飛び降りると十メートル以上あるが、今の俺ならできるはず。ということで思い切ってジャンプして、膝を大きく曲げて着地した。……ちょっと無理が過ぎたかもしれない。足が痛かった。無音だったのは幸いか。これから入る場所を考えて首元の布を引っ張り鼻を含め口元を覆った。

 痛みを無視して地下水道への入り口まで入り、『索敵』と視覚で周囲に人影がないことを確認してから素早く蓋を持ち上げて身体を滑り込ませ蓋を閉める。壁についた取っ手が梯子のようになっているため、そこを丁寧にしかし素早く下りていく。蓋を閉めたことで暗闇になり、『夜目』を使用する。また【闇夜に乗じて】の効果が発揮されて素早く下りることができた。


 降りた地点は下水が流れている。両端に足場があり、その間を濁った水が流れている。空気の湿気が増してカビ臭さと下水の匂いが混じった悪臭が強まる。鼻を覆っていてこれなのだから、剥き出しなら相当キツいのだろう。万が一を考え見張りのいない経路を選択したのだが。まぁどの道も楽ではないということだろう。


 『索敵』に反応があった。ただこれは水中に潜むモンスターだ。こいつらは通路を歩くヤツを狙わない。ただ一歩でも水中に入ればたちまち噛みついて引き摺り込み捕食する。そういう生態らしい。

 あとこんな汚水に棲んでいるのだから当然だが、不味い。ホームレスを経験した今の俺なら兎も角、身体に有害まである。


 分かれ道のあるところでは必ずポーチから地図を開いて迷子にならないように気をつけつつ、慎重に進んでいく。


 その途中のことだ。


「ウグルルゥ……」


 地下水道を徘徊しているグールと遭遇した。


 人型だが肌が灰色で毛がほとんどなく、腹部だけが不自然にでっぷりと膨らんでいた。黒目のない真っ白な目は暗闇で過ごすが故に視力が低下していった結果か。その代わりに聴覚と嗅覚が鋭くなっている。


 ただしここは一切光の入らない真っ暗闇である。

 普通の人が相手ならヤツの独壇場だろうが、相手が悪かったとしか言い様がない。


 残念ながら、存在を闇と同化できる俺に気づくことはなかった。


 俺は狭い足場でうっかり落ちないように気をつけながら、のしのしと歩いて近づいてくるグールに対して構える。まだ体術は習っていないが、完全に不意を打てるなら力押しでいい。身体能力も上がっていることだし。


 俺はヤツが間合いに入った瞬間、左脚で横から蹴り飛ばした。きっと当たった瞬間に蹴りをしている俺が認識できて頭が真っ白になっただろう。


 蹴り飛ばすと向かいの壁に激突して、青い血を噴きながら反動で下水の中へと倒れた。次の瞬間、水面が銀に光り魚型モンスターが姿を現す。鱗をぎらぎらと光らせながらばちゃばちゃとグールに襲いかかる。やがて鱗が見えなくなったかと思うとグールもいなくなっていた。食い終わるまでに十秒しかかかっていない。恐ろしいヤツらだ。

 うっかり足を踏み外さないように気をつけよう。


 そうして俺は地下水道を抜けた。入った時と同じような取っ手を上がって出口を目指す。


 敷地内へ続く出口の真下に着いた。『索敵』すると外に何人か人がいるとわかる。しかし出口の付近にはいないか。敷地内の見取り図から見ると庭の端に位置しているはずだ。ここを出たらもう下見できていないぶっつけ本番の世界だ。慎重に、決して無理はせず落ち着いて動かなければならない。俺にそれが実行できるかはわからないが、実行できるように二年間努力してきたつもりだ。

 それに、やれなければこれまで通りただ師匠に養ってもらうだけの人生になる。そうなればきっといつか、見限られることになる。師匠は優しいが、いざとなれば非情にもなれる人だ。

 だから、俺がこれからも生きていくためにはここでやらなければならない。


 自分を奮い立たせる。


 失敗しても二度目があるじゃないか、とできる人は言う。だが俺のようにできないヤツは、一度失敗すれば終わりだ。

 一度失敗したことがいつまでも心に巣食って二度目以降の機会があっても必ずミスをする。心が強ければいいのだが、心が弱ければ精神的に負荷がかかり練習したはずなのにミスをしてしまう。

 二度目以降もミスをすればどんどん精神的に嫌なモノが溜まっていくだけだ。それを回避するには、性格を矯正するか最初で成功させるかの二択になる。


 俺の性格を変えるのは難しい気がする、というのは俺自身のことだからかもしれないが。

 兎も角、最初に失敗した場合根本的な部分を変えられなければ俺が二度と成功することはないと言える。


 そういうことを自覚していると、また「これで成功しなければならない」という意識が芽生えてプレッシャーを自分でかけて成功しづらくなる。

 という悪循環をなくせればいいが、完全に排除することは不可能なので極力冷静になる必要がある。後は自分のどこが悪いのか、を理解しているならその悪いところと反対の行動を起こすということも考えなければならない。


 要は、こうしてうだうだ考えているくらいなら行動をしろ、ということだな。


 俺は『索敵』に引っかかる反応がなくなってから、蓋を持ち上げて外へ出た。湿り気の多い空気から外へ出ると清々しくも感じる。音を立てないよう慎重に蓋を閉め、周囲を見渡し場所を確認した。


 ……ここは広大な庭の一角だな。脳内にある敷地内の地図と照らし合わせても、出る予定の場所と一致するか。


 とりあえず茂みの中に身を隠した。一先ずはここにいよう。パーティーの開催時刻になったら、つまり俺が宿を出て一時間経過したら師匠から連絡が入る手筈になっている。それが今のところないので、まだ一時間経っていないということになる。

 俺の標的であるセムカス・セザールという人物は、パーティーに招かれる客としてここに到着する予定となっている。少なくとも予定通りこの街には到着していると師匠から聞いた。ただ宿の場所は隠されていて、見つけたとしても警備が厳重だそうなので暗殺は難しいらしい。パーティーという浮かれた空気の中から、隙を見せやすくなるのだそうだ。

 連絡があるまでは茂みで動かずじっとしていた。


『――クロウ。聞こえるかい? 話せそうなら進捗を聞かせておくれ』


 右耳に装着しているイヤリングから、師匠の声が聞こえた。どんな原理なのかは秘密だそうだが、俺の方で応答するようにしなければ、俺の耳にだけ声が届くようになっているらしい。イヤリングから声が出ているものの、近くにいても人には聞こえないのだ。

 『索敵』で周囲に人の気配がないことを確認してから、右手でイヤリングを摘まむ。そしてイヤリングへ魔力を通すのだ。この魔力を通すという行為も慣れないモノだったが、この世界に来た影響か体内を流れる魔力というのが認識できるようになっていた。だから魔力を通すという元の世界の人々には全くわからないことでも、訓練してできるようになっている。


「……はい。こっちは無事潜入できましたよ。今は庭の一角にいます」

『そうかい。なら良かった。あたしもこれからそっちへ向かう。適度に肩の力を抜いて油断なく行動すればいい。あんたならできるよ』

「……ありがとうございます」

『また隙を見て連絡する』


 師匠の声を聞くと心が大分落ち着いたように感じる。今までは独りの方が動きやすいなんて思っていたが、この世界に来て変わったことの一つかもしれない。

 【会話】が終了したのでイヤリングから手を放し、これからの行動を確認する。


 先程も言ったようにセムカスは客として招かれる。ただそれなりの貢献をしているらしく、部屋が宛がわれて今夜は泊まるらしい。ただそれを待っていると彼が連れてきた護衛を部屋に呼ばれるため、そうなれば俺が暗殺できるとは思えなかった。つまりパーティー中にしかチャンスがない。


 パーティーには出るしこんな巨大魔導兵器にも関わってはいるが、自分の立場の危うさと政府の思惑くらいは理解しているらしい。部屋の前に護衛を二人置くくらいはやってくるとの見立てだ。パーティー会場でなら一人だろうが、もちろん人目がある。

 師匠の作戦では、セムカスが一人になったところを俺が暗殺しそのまま撤退するということだった。なので一人になるタイミングを見計らう必要がある。


 つまり、まずはセムカスの居場所を掴む必要があるな。


 後はセムカスが一人になりそうな場所を確認しておく必要もある。


 セムカスの居場所と彼が泊まる予定の部屋。この二つは最低条件だ。


 セムカス・セザールという人物のプロフィールは事前に貰っていた。写真はないので絵ではあったがリアルな人物像も覚えている。口髭を蓄えた腹と顎がたぷたぷのおじさんだ。おそらく視認できれば特定可能だ。

 趣味趣向も貰っていたが、煙管を吸うのが好きらしい。イライラすると無性に吸いたくなるらしい。元の世界の煙草みたいなモノだろう。煙管を吸いたくすれば一人になってくれるかもしれない。一つ頭に入れておこう。

 あと酒を飲むのは好きだが酒に弱い。これを利用すれば部屋に来させることもできるかもしれないが、今は難しいな。


 さてと。舞踏会場でセムカスの姿を探したいが、先にセムカスの部屋を探っておいた方がスムーズかもしれない。結局のところ一人になるタイミングは部屋に来た時だと思われる。部屋に来て、且つ夜更けになって部屋の中に護衛を待機させるまでの時間帯が狙い目となるだろう。

 まずはセムカスに宛がわれた部屋の位置を把握するところから始めたい。


 こういう時にどこを調べればいいかは師匠から聞いている。


 今回の場合だとパーティーを主催している側が持っている部屋割りの紙だ。場所で言うなら舞踏会場の管理室か。管理室ではパーティーの司会なんかを取り仕切っている。パーティー後に宿泊する人の情報もあるだろうとのことだった。

 もちろんパーティーの受付にもあるだろうが、流石に人がいすぎるので無理だ。


 後は主賓夫婦のところだが、そちらには師匠が向かう予定だ。俺がいつまでも入手できなかった場合の保険らしい。


 見取り図を広げ、管理室のある場所を確認して舞踏会場へ向かった。

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