第十一話 訓練場
俺がアネシアさんのところに来てから一年半が経過した。
今日もいつものように彼女の攻撃を避ける鍛錬が始まった。
開始早々、彼女が鋭く踏み込んで俺の顔面目がけて右の蹴りを放ってくる。上体を横に逸らして避けたが、既に足は戻り始めていた。避けた俺の肩へと次の蹴りが飛んでくる。上体を横にズラす形でかわした。もう一発は腹部を狙った蹴りだったので後ろに跳んでかわす。俺が距離を取る頃には脚が戻っているのだから、まだまだ余裕があるのだろう。
注意深く構えていると、彼女がいつの間にか一枚の紙を指で挟んで持っていた。そこに【衝撃】と書かれていたので、すぐさま左へ跳んだ。その後ろをごうっ! と衝撃波が通る。手を着いて地面で前転し屈んだ姿勢からまた左前方に跳ぶ。二発目が跳んできたのだ。前転後正面にアネシアさんを見据えると、彼女がこちらに走ってきていた。蹴り上げを少し後方へ跳んでかわしながら体勢を戻し次の攻撃に備える。そこへ【火炎】と書かれた紙が落ちてきて、慌てて右へ跳んだ。紙が燃え上がって熱気を浴びることになる。前転後に足を振り下ろそうとするアネシアさんの気配を察知した。正面は向けていないが立ち上がりながら離れて避ける。蹴りの後すぐに距離を詰めてきた。明らかに俺よりも速い踏み込みだ。次は拳らしい。格闘家と見紛うような両手のラッシュが繰り出されて、それを一つ一つ見極め避けることに集中させられる。しかし一瞬の隙を突いて彼女が足を出してきた。その先には俺の足があり、おそらく踏みつける気なのだろう。見えてはいないがアネシアさんという人の気配を全て把握できれば、今どう動いているのかを察知することができる。俺は踏まれそうな足を引いて避けながら拳をかわしていく。彼女が右足の蹴りを放ってきたところで低い位置へ跳びかわす。体勢を直してアネシアさんの背後を捉え、すぐに後方へ跳んだ。俺の目に追えない速度で回し蹴りが放たれたのだ。なんとか空を切らせたが空振った時の風圧を感じる。蹴りを放った直後の体勢だったはずなのに、その姿が掻き消えた。代わりに背後から気配を察知し後ろから羽交い絞めしようとしているのがわかる。前に鋭く跳んでかわし素早く振り返ると、また姿が消えて背後に気配を感じた。今度は回し蹴りだ。屈んで避けると気配が右へ移動する。なにかを宙で手放していた。おそらく式の魔法だ。右から最も遠い左前方へと跳んで離れると、先程までいた地点で爆音が聞こえた。おかげで一瞬だけアネシアさんの気配が捉えられなくなる。改めて気配を辿ると上に気配があった――しかしもう一つ微かな気配が背後から迫っている。上はブラフ、背後が本命だ。後ろから来た拳を右に避けながら身体を翻し、アネシアさんの姿を捉えた。
「時間だね」
アネシアさんが構えを解いたのを確認してから俺も肩から力を抜く。やっと、達成できた。
「三分あたしの攻撃を避け続ける、達成だ。よく気配が掴めてる。これなら実戦でも逃げられそうだね」
嬉しそう、というか涼しげな顔で彼女が言ってくれるが、俺はと言えばずっと気を張っていたため疲れていた。汗もぐっしょりと掻いている。時折彼女が同じ人間だと思えないことがあった。
「……逃げるだけしか、できないですけどね」
一年以上も一緒にいるので、流石に俺も軽口を叩き合う仲ぐらいにはなっていた。そんなにかけてその程度なのかとか言わないで欲しい。
「それでいいんだよ。暗殺者は戦わなくてもいい」
「……アネシアさんは強いですよね」
「あたしはまぁ、長くやってきているから戦うこともあるんだよ」
「……年季の違いってことですか」
ごつっと頭に衝撃が来た。痛い。
「殴るよ」
「……殴ってから言わないでくださいよ」
年齢のことを示唆するように言うとすぐ怒る。二十八歳なのだからもう少し大人の対応をして欲しい。
「まぁ式や『気配偽装』を使った上で三分もあたしから逃げられたんだ。余程の相手でもなけりゃ問題なく逃げられるね」
余程の相手か――勇者とかかな。
彼がどこでなにをしているのかは大体わかっていた。探ろうと思ったわけではなく、勝手に噂として広まっているからだ。
今は各地で仲間を探しながら旅をする段階を終え、世界を回ってなにやら災厄に対抗する策を集めているらしい。古の勇者が使ったアイテムだとか、魔王封印に使った道具だとかそういうの。
というか「世界が滅びるほどの災厄がやってくる!」という御告げがあっただけでどんな災厄かはわかっていないらしい。なのでデメリットを考えて封印したかつてのアイテムやなんかを集めて回っているそうだ。
……姿のわからない敵と戦うだなんて勇者様は大変だな。
災厄については諸説あるが、かつて世界を支配しかけた魔王という強大な力を持つヤツが現れようとしているとか。後はなんか邪神やら破壊神やらが顕現して世界を滅ぼすとか。色々あるらしい。
この話をする時に、アネシアさんが「勇者様が大きな敵に立ち向かう間、あたしら暗殺者が内部の敵を排除していくのさ」とドヤ顔で言っていた気がする。まだ俺は彼女の仕事を手伝ったことがなかった。
度々依頼があったのか数日帰ってこないこともあるが、ひょっこり帰ってくるので気にしないことにしている。いずれ俺も関わったら一緒に行くので、いつかわかることだ。
「次は『気配遮断』を使いながら『忍び移動』で色々と動く訓練だ。特別に作ってある訓練場があるから、そこへ午後から行くよ」
どうやら俺が仕事に行くにはまだ時間がかかりそうだ。
訓練場とやらがあるらしいので、昼食後にそこへ向かった。なんと街の外だ。最近は災厄の予兆とかなんとかで、モンスターが増えているらしい。モンスターと相対したのは最初こっちに来たあの時限りなので、内心びくびくしながらアネシアさんについていった。
「……この森って」
「ん? 森がどうかしたのかい?」
街を出て少し歩いたところにあった森に入る前に、俺は自然と足を止めた。
ここはそれこそ、俺が最初に来た場所だ。工藤がいなかったら、ここで命を絶やしていたかもしれない場所。
「……俺、ここに転移してきたんです」
「そうだったのかい。そういや転移直後にモンスターから襲われたんだったね」
軽く俺のことを話すくらいには打ち解けている。その時のこともなにかの拍子に話していた。
「じゃあ丁度いい。今日からここのもう少し行った先に作ってある訓練場で鍛錬するけど、その帰りに一日一体以上モンスターを討伐しようか」
「……嫌です無理です遠慮します」
「最初から拒んでればそうだろうね」
反射的に出たネガティブ発言も軽く流されてしまう。……いやだって、モンスターだろ? モンスターに殺されそうになってからまだ一年半しか経っていない。というか討伐って。俺まだなにも攻撃方法については教わってないんだけど。
「まぁ避けるだけじゃ当然倒せないから、その辺りはこれから説明するよ。とりあえず訓練場に行こうか」
言われて、渋々彼女の後に続く。
「討伐って言ったけど、ただ殺すだけならもうできるだろうよ。ついでだから説明しとくけど、暗殺者が行う殺しに『剣術』は必要ない。確実に殺せるタイミングで、喉元に短剣を突き立てる。これが基本だ」
いつか俺が実践するかもしれない暗殺について語る。
「もちろん状況に応じた暗殺方法もあるが、基本は背後から忍び寄って一撃。これを徹底する」
そのための『忍び移動』や『気配遮断』だ。
「タイミングが良ければ上から縄で首吊りとか、薬品を混ぜて爆発とか、飲み物に毒を混ぜるとか、色々とあるんだけどね。最も確実で状況に左右されないのが、背後から自分の手で殺す方法だ。背後から忍び寄ったら短剣を持っていない方の腕を回して顎を押さえる。この時多少締めた方が声を出されずに済む。そうしたら短剣を首元に刺す。これだけでいい」
簡単に言ってくれるが、いきなりやるには難しいと思う。
「コツもあるが、大事なのは思い切りの良さだ。シゲオに一番ないモノだね」
朗らかに笑われてしまう。確かに俺にはないモノだ。となると本当に暗殺者としてやっていけるか不安になるな。いや、やらなければならないのだ。
「……まぁ、頑張ってみます」
「そう、まずはやってみることが大事だよ」
アネシアさんは俺の言葉に温かい笑みを浮かべる。……なんか、完全に俺への目線が保護者なんだよな。別にいいんだけど。
そして森を進み、彼女が『索敵』でモンスターを避けていたために遭遇することもなく訓練場に辿り着いた。
俺の感想としては、なんかアスレチックみたいだな、というだけだった。
通気口を模したらしい四角く細い通路や扉、窓やなんかもあるが、屋根を伝って移動することも想定されているのか、少し高くやや斜めになった板もある。だが階段などはなく、ジャンプまたはよじ登って行かなければならないのだろう。
「まず私が手本を見せる。移動してもいいから、よく見ておくんだ」
訓練場のアスレチックは全て繋がっているらしい。俺が頷くとアネシアさんは軽く駆け出した。最初に向かったのは建物に併設された排水管を模して作られたモノだった。本来なら壁があるところを壁なしで立てているせいで不安定に見えるが、軽く手をかけてさくっと登っていく。しかも耳を澄ませていても全く音が聞こえなかった。排水管を登った先には屋根を模した板があり、そこへ上がる。そのまま不安定だろう板の上を体勢低く駆けていく。……途中に柱がないので揺れるはずなのに、全く揺れていなかった。どんな技術が必要なのか全く理解できない。
板を渡ると少し下がった場所にまた板がある。大体三メートルくらい高さに差があるだろうか。アネシアさんは躊躇せず飛び降りて、しなやかに着地する。やはり全く音が出ていなかった。その後も訓練場の障害物を難なく踏破していく。
正直見ているだけならカッコ良くていいのだが、俺が実際にやるとなるとまた別だ。できる気がしない。
「と、いう感じだね」
汗一つ掻かずに踏破したアネシアさんが俺に声をかけてきた。
「……何年、かかるんですかね」
「半年で」
俺の自信なさげな発言は切って捨てられた。……いやいや。攻撃を三分避け続ける鍛錬でも一年以上かかったのに、これを半年でやれと? んな無茶な。
「音は最小限に、素早く目の前の障害物をどう攻略すればいいのかを判断していく。最初の一ヶ月でそれぞれの突破のし方を覚えて、通しでやっていく。それからさっき程度にはできるように練習を重ねる」
見ただけではできる気がしていないが、一つ一つやっていけばいつかはできるようになる、のかもしれない。俺だって一年前はアネシアさんの攻撃を全く避けられなかったし。それが今では加減されているとはいえ三分も避けられるようになったのだ。努力をすればできるのではないかという希望も少しある。だが油断は禁物だ。なにせ俺は凡人以下の人間だ。少しでも怠れば上手くいかなくなるに決まっている。
「とりあえずこれを登ってみな」
と、アネシアさんが最初に挑んだ排水管を示す。……いやぁ、凄く倒れそうなんですけど。
近づいて少し手をかけてみる。凄い不安だ。高いところに登れば登るほど揺れそうだし。
手を放して一旦排水管の全体を見上げる。……確か、ロッククライミングができる人は最初に見てどう登るかを考えてから一気に行くんだったか。
……うん、無理ですね。
というか登ることができるかすら怪しい。ただやる前から諦めるなと口を酸っぱくして言われてきているので、とりあえずやってみなければいけない。
まずはどう登ればいいのかを少し考えてみる。アネシアさんは確か、助走をつけて跳んで少し高い位置にある管を掴みながら腰の高さぐらいの位置にある壁に固定する留め具に足をかけて上がっていたんだったか。最初からそれをやるのは無理だろうが、とりあえずそこを登ってみよう。
少し高いが留め具のところに足を乗せてみる。……いや、勢いないと無理だな。体勢がキツい。跳びながらじゃないと難しいと思う。立ったまま手を伸ばして、ようやく上の管に手が届くくらいだ。ジャンプしなければ掴むことができないか。
仕方がない。最初だから失敗してもいい。やってみることが大事。
俺は自分に言い聞かせて、足を下ろし少し離れた位置から走り出す。思い切ってジャンプして上の管を掴み足を留め具にかけ――スカした。つんのめりながら下りる。手が痛い。
二回目。今度は足をかけられはしたがすぐに外れて上に上がれなかった。上手くかけられていない、ということだろう。
三回目。足をかけることはできたが腕と跳ぶタイミングが合わず上の管まで上がれなかった。地面と留め具よりも高さに差があるため、かなり頑張って跳び上がらないと届かない。跳び上がった次は手で掴んだ管に足をかけなければならないのだ。もう少し勢いがないと厳しそうだ。
四回目。思い切って強く跳んでみた。足は届かなかったが膝が管に乗るまで飛び上がれた。不安定だったのですぐに飛び退いて下りる。身体を鍛えた成果なのか、俺が思っているよりも跳躍力が上がっている。これなら届くかもしれない。
五回目。届いた! と思ったが次どうするのか考えていなかったために、掴むところを探す間もなく後ろ向きに倒れていく。落下して頭を打って即死するかもしれない。そんな恐怖が俺の頭を掠め、俺の身体は自然と動いた。管を蹴って足を上げ身体を回転させる。地面に着くまで余裕があったので一回転して着地できた。……咄嗟にしては、上手く衝撃をいなせたと思う。都合良く離れられたので、足をかけた管から上を見てなにをすれば上がれるのか考える。
そうして、俺の新たな修行の日々が始まった。
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