第十二話 能力の検証

 街の外になぜあんな施設を持っているのか疑問に思ったが、アネシアさん曰く「コネ」だそうだ。政府と繋がっている暗殺者というのは色々なコネを持っているらしい。


 ちなみに街の外ではあるがモンスター除けの結界があるそうで、襲撃の心配はないとのことだった。余計に金がかかっていそうなので、少し建設経緯を聞くのが怖くなる。


 今日はなんとか配水管を登ったが、登ったところの板が凄いグラグラ揺れて動けなかった。跳ばなければ上へ行けないのにあんなに揺れるのは反則だと思う。


 そして日が暮れた。


「訓練場ではここまでにするよ」


 日が落ち始めてからアネシアさんに言われて地面に座り込む。


「――シゲオ。これまであたしはあんたに夜の鍛練をしてきた。それは」

「……【闇夜に乗じて】が発動して簡単になるからですよね」

「……あたしが一年くらい温めておいたセリフを取るんじゃないよ」


 凄く悲しそうな顔をされてしまった。申し訳ない気持ちが湧いてくる。


「まぁいいよ。あんたの言う通り、夜だと身体能力が上がって鍛練に苦労しなくなる。もちろん地力を鍛えるため、ってのはあるけど」

「……まだ試したことすらないんで、そんなに上がるのかわかんないですけど」

「それを今日これから確かめるんだよ。今日はそう、待ちに待った能力検証だ」


 別に待っていない。そんな声がどこからか聞こえてくるようだった。ただアネシアさんが楽しそうなのでそれでいいかと思う。


「まずはおさらいから。シゲオの持つ『闇に潜む者』は【闇夜に乗じて】と【闇に溶けゆ】の二つが備わっている。【闇夜に乗じて】は夜か影にいると身体能力が上がる。【闇に溶けゆ】は夜や影で気配を潜めると存在が同化する」


 そう、確かそんな能力だった。


「日が落ちてから、【闇に溶けゆ】の検証を行う。終わったら【闇夜に乗じて】の検証兼モンスターの討伐だ」


 ……それもあったかー。


「じゃあそれまで待機」


 具体的な検証方法は後で、ということらしい。モンスターの討伐もやるらしいので、できるだけ疲労を回復しておこう。

 俺は充分に休息を取って夜を待った。


 そして日が落ちる。真っ暗になってしまったが、暗くても周囲が見える『夜目』のおかげでアネシアさんの姿もはっきり見えた。『夜目』は家の中で会得した。部屋の明かりを点けないだとか、そういう風に。身体を動かさずにやるためだったのだろう。


「夜になったね。じゃあ【闇に溶けゆ】からやっていくよ。まずはとりあえず『気配遮断』」


 言われた通りに座ったまま自分の気配を殺す。


「次は、その状態で闇と同化するようなイメージ」


 指示通り『気配同化』をした時のように自分が闇と一体になったイメージを持つ。


「なるほどね。次は立ち上がってみて、そのままあたしの背後に回ってくれ」


 なにかわかったらしいが、検証を続けるようだ。後でじっくり結果を聞くとしよう。

 言われた通りに立ち上がって背後に回る。


「正面に戻って、あたしに声をかけてくれ」


 移動してから、「……これでいいですか」と声をかけた。アネシアさんの顔が僅かに驚いた表情へと変わる。


「……声を出すと解けるのはまぁ、当然かね。次は【闇に溶けゆ】を発動し直してそこに立っていてくれ」


 彼女の言う通り闇と同化して突っ立っていると、つかつかと歩み寄ってきて俺の肩に手を置いた。


「じゃあ次だ。避けちゃダメだよ」


 避ける? 少し不穏な気はするが、言うことを聞くしかない。

 気配を殺し、闇に同化する。


 するとアネシアさんが俺の頭上へ一枚の紙を放った。式だ。なんの式かと思っていると、紙から水が放出され俺へと迫ってくる。『バックステップ』で避けたいのを我慢し、必要なことだと思って甘んじて水を被った。……全身ずぶ濡れだ。なんだろうこの既視感。


「……うん。大体わかったよ。これを服につけて、結果を聞きな」


 アネシアさんから二枚の紙を手渡される。【乾燥】と書かれた紙だ。俺はその二つをシャツとズボンそれぞれにつける。ポケットに入れておけば自動で乾いていくのだ。便利。俺も式魔法が良かった。


「まず一つ。『気配遮断』を前提にはしているが、【闇に溶けゆ】は別物だ。そして『気配遮断』を発動しただけでは発動しない」


 アネシアさんが人差し指を立てて告げてくる。それで最初『気配遮断』だけを発動させたらしい。


「次にさっき言った二つは全く効果が別になっている。『気配遮断』ならあたしも感知できるし、姿までは消えない。だけど【闇に溶けゆ】を発動するとあたしにも感知できないし、姿も見えなくなる。完全に闇と同化するからだろうね」


 暗殺者として凄腕(と思われる)のアネシアさんでも感知できないのか。かなり強い能力なんだな。存在を闇や影と同化させる能力か。地味だけど強い。俺が持つと宝の持ち腐れになりそうなくらいだ。


「そして発動中は移動しても解除されない。ただ声を発すると『気配遮断』と同じように解除される。これは声を出すという、自分の存在を示す行為をしたからだろう。あと水を被っても解除される。多分水は当たると跳ねるからだね。つまり雨の中では発動できないってことになる。注意しな」


 なるほど。完全に感知されない能力だと過信しないために、解除されるケースを見極めていたのか。

 しかし雨の日は無理なのか。影ということは曇り空でも発動できる可能性があったので、そうなると利点が少し減ってしまう。


「欠点は挙げたけど充分強い能力だ。特に暗殺ではね。次は【闇夜に乗じて】の検証をしよう」


 確かに忍び寄ることに関しては屈指の強さを誇るかもしれない。ただ俺の能力なのでまだ見ぬ欠点はあるかもしれない。過信せず使おう。


「折角だ、今日やったあれを登ってみな」


 身体能力が上がっているかを見るに丁度いいからだろう。今日登った排水管を差した。

 俺は頷いて、軽く駆け出す。身体が軽い。軽く走っているはずなのに日中よりも早く排水管に迫っていく。確かに身体能力が上がっているようだ。

 最初やった時のように、跳躍して上の管を掴み留め具で跳び上がろうとする。


 しかし。跳躍したら掴もうとしていた管を越えてしまい、もちろん留め具にも足がかからない。結果ごんと掴もうとしていた管が足に当たり、前に回る形となってしまう。なんとか宙返りして足から着地できたが、心臓に悪い。


「……はぁ……はぁ」


 ビックリして頭が働かなくなってしまったが、身体はきちんと動いてくれた。着地してようやく、焦っていたことに気づく。


「大体二倍、ってところかね。数値じゃないからわからないけど、限定的な身体能力強化の能力は『勇者』なんかを除けば効果が大きい。跳躍力や腕力などが全て二倍になったと考えれば、できることは大幅に増える。もちろん効果を活かすために、日々地力を鍛えないといけないけどね」


 二倍か。あれ、なんか普通に強い能力なんじゃないかと思えてきたぞ。攻撃能力がないだけで、充分強いかもしれない。


 いや待て。俺だぞ? 慢心はするな。二倍に上がったところでアネシアさんやフラウさんには敵わないだろう。

 そんな風に考えていると一つ懸念が思い浮かんできた。


「……あの、アネシアさん」

「ん?」

「……俺が光だけ魔法適性ないのもそうですけど、もしかして光浴びたら解除されるんですか?」

「そりゃそうだね。能力の成り立ちというか、どうしても相性ってのがある。多分夜でも明るい室内なら身体能力は上がらないね」


 暗い場所でないと効果は発揮されないらしい。つまり光の魔法かなんかを使われた日には解除されてしまうのだ。室内でも影のある場所以外では発揮されない、と。

 本当に過信は禁物だな。実際に現場へ行ってみないとわからないが、聞いた感じより使い勝手は悪いかもしれない。


「最初こっちに来た時は身体を鍛えていなかったらしいね。じゃあその時に襲われたモンスターを今日、相手にしてみようか」

「……え」

「嫌そうにしない。いいかい? 一回負けた相手には二回目以降普通でいられなくなるんだ。普段通り戦えない。ただあたしのいない時に遭遇したとしても戦えるようになってもらわないと困るからね。あたしの見込みでは日中でもこの辺にいるモンスターなら勝てる。まぁ主を除いてね」


 主なんてヤツがいるらしい。俺が遭遇した三ツ眼赤狼も俺からすれば脅威だが、もっと広い目で見れば所詮雑魚モンスターということだろう。

 どうやらアネシアさんの見込みでは身体能力の上がる夜ではなく、日中でも倒せるらしい。いや俺がまさか、とは思うが彼女の見立てが間違っていたことはない。少なくともその見込みで身体能力の上がる夜に討伐しに行くなら、俺が思っているよりもまともに立ち回れる可能性だってある。


「……アネシアさんがそこまで言うなら、やってみます。死にそうだったら助けてくださいね」

「ああ、わかってるよ」


 俺の弱気な発言を、彼女は真剣に受け取ってくれなかった。頷いてはくれたが苦笑している。まぁ彼女にとっては取るに足らない雑魚なので、離れた位置からでも瞬時に接近して倒せるだろう。

 とはいえ俺が倒すことに意味のあることだ。助力はないと思って戦うしかない。


「じゃあ森の中を歩き回ってみようか。で、シゲオを襲ったモンスターはどんなヤツだった?」


 訓練場から離れながら雑談のように尋ねられる。


「……赤毛で三つ眼のある狼です」

「ああ、サードアイ・ウルフだね。索敵能力の高いモンスターだ。モンスターと戦う時に気をつけることは、人と違って五感が優れていることだね。獣となると特に、嗅覚に優れることが多い。つまりいくら気配を消したって近づいたら気づかれる、ということだ」

「……はあ」

「だがあんたなら【闇に溶けゆ】で存在を消すことができるから、モンスター相手でも暗殺ができるんだ。これはあたしにはどうやったってできない、あんただけが持つ才能だね」


 アネシアさんならそんなこそこそする必要なんてないだろうに、と思ったが口には出さないでおく。当然ながら戦うとなれば俺はクソみたいに弱いので、強い能力でもなければ倒すことなんてできないだろう。


「あたしが人をこの手で殺すまで、藁人形なんかを相手にする必要があった。モンスター相手に試す、なんてことができなかったからね。ただあんたならそれができる。モンスター討伐でさえも暗殺にしてしまえるんだ」

「……簡単に言いますけど、まず殺せるかどうか微妙ですよね」

「それは殺し方を知らないから言えるセリフだね。いいかい? どんな生物でも、生命がある限り殺せるんだ。生命があるということは、生命を維持しなければならない器官が備わっているということでもある」


 人で言うところの脳や心臓などか。


「……暗殺は、そこを狙うってことですか」

「その通り。訓練場へ行くまでの間に言ったけど、背後から忍び寄って首に刃を突き立てて殺す。人間を殺すなら、頭を潰すか心臓を突き刺すなんて方法もあるけど、なかなか手間がかかるんだ。首が一番狙いやすい。頭蓋骨は硬いし、心臓は装備で守りやすいからね」


 確かに首が狙いやすいかもしれない。


「首を突き刺す場合、同時に声を奪うこともできる。誰にも気づかれずに殺すなら一番の方法さ。そしてそれは、モンスターにも言えることだ」


 確かに動物も人と同じように呼吸をしているから、首を刺せばいいのかもしれない。それに助けを呼ぶことを封じるという点で、特に狼やなんかは遠吠えを封じ込められるので増援が来る心配も減る。


「モンスターも急所を狙うなら喉元が一番柔らかいからね。力いっぱい突き刺せば殺せるんだよ」


 喉元か。これから戦うのはあの狼だ。あのモンスターで言うと、少し難しい気もする。四足歩行の生き物なので、人とは違って後ろから飛びついて首を狙う、というのも違う気がした。


「サードアイ・ウルフなら、近寄って上から首の前に腕を回して捕まえて、短剣を突き立てる。これでいいね」

「……いや、近寄るって」

「できるよ、シゲオの能力なら。もちろん集中を切らさなければ、の話だけど」


 思わず否定から入る俺を、アネシアさんの優しい笑顔が捉えた。

 ……そう言われるとやるしかなくなるな。


 どうしてか、彼女に言われるとそれが正しいことのように思える。おそらく俺は今までの人生にないくらい、アネシアという人物を信頼してしまっているのだろう。


「……やってみますけど」

「わかっているって。ちゃんと助けるよ」


 俺の言いたいことを先読みして苦笑する。

 こうなったら俺もやるしかない。


「じゃあ『索敵』でサードアイ・ウルフを探すんだ。そしたら、一人で挑む。そこから近づくとバレるからね。でも安心しな。遠く離れていたって、助けられるからね」

「……それは知ってますよ」

「そうかい? あとこれ」


 彼女は抜き身の短剣を渡してくる。受け取って、意外と軽いなと思った。多分俺の身体が鍛えられているからだろう。金属で出来た重みを感じるが、腕を動かすのに動作が遅れるようなことはなさそうだ。

 いつか教会で出会った盗賊も持っていた、命を奪うことのできる凶器が自分の手の中にある。それだけで胸中に重いモノが生まれたようで、自分の小心者な部分が嫌になった。


「躊躇するなとは言わないよ。どうせするだろうからね。ただ、やり遂げようとする意思は持ち続けるんだ。いいね?」


 真剣な顔で忠告してくるアネシアさんに、できるだけ強く頷いた。


 そして俺は『索敵』しながら森の中を探索し始める。


 サードアイ・ウルフは、思いの外簡単に見つかった。

 一度殺されかけているからか、その気配を探ることは簡単だ。一番最初に俺へ死の恐怖を植えつけた存在だ。その時のことを、身体が覚えているのだろう。三十メートルほど離れた位置に確認した。


「……見つけたね。じゃああたしは他のモンスターが邪魔しないようにしつつ、あんたの戦い振りを見守るよ」


 アネシアさんはそう言ってどこかへ消えてしまった。未だ目の前にいても瞬時に移動するアネシアさんの姿が捉えられないので、身体能力が上がった夜とはいえ彼女に追いつく日は遠いだろう。というか無理な気もする。


 関係ないことを考えるのをやめて、【闇に溶けゆ】を発動。気配を殺したまま見つけたヤツの方へ慎重に歩いていく。

 存在が闇と同化しているとはいえ、最初の時俺がサードアイ・ウルフに気づいたように、枝を踏み折るだけで即座にバレてしまう。裏庭などとも違って足場が整えられていないので、『忍び移動』も難易度が高い。


 流石に真正面からは行けないので、敵が進む方向とは違う側面から近づいていく。そして十メートルの距離まで近づいてようやく姿を視認した。意味があるのかはわからないが木陰に身を隠して、歩く狼の姿をじっと見つめる。

 まだ俺に気づいていないようだ。前にあった時は警戒心全開の様子だったが、警戒した様子もなくてしてしと森を歩いていた。


 標的を前にして心臓の鼓動が跳ね上がる。……落ち着け。ここまでは順調だ。ここからの順序をおさらいしてみよう。


 俺はじっとりと汗を掻きながらも深呼吸をして落ち着かせようとする。

 目を閉じてゆっくりとこれからの手順を思い返した。


 【闇に溶けゆ】を維持したまま背後から忍び寄る。

 サードアイ・ウルフの傍まで来たら思い切って右腕を首に回し強く締め上げる。

 そのまま抵抗されない内に素早く左手の短剣を喉元に突き立てる。

 以上だ。


 ……俺にできるのだろうか。相手は銃火器すら効果がないと思われるようなモンスターだ。上手くいくのか不安で仕方がない。だがアネシアさんは俺に「できる」と言った。いくら俺のことは信じられなくても、アネシアさんの言葉なら信じることができるだろうか。いや、結局他人の言葉なんていくら貰ったところで同じだ。


 俺がやる気になるか、ならないか。


 それだけのことだ。

 脳裏に迫る牙がよぎって身体が強張る。背筋が寒くなって震え始める。


 怖い。

 当然だ。生まれて初めて死を感じた相手だぞ。恐怖がないわけがない。


 だがこんな相手に手こずっていたら、暗殺者としてこの先やっていくために不安が残る。

 これから人を殺す仕事をするのだ。言葉のわからない獣を殺すぐらい、やってみせなきゃ話にならない。


 今まではヤツに狩られる側だった。今度は俺がヤツを狩る側になればいい。


 ……色々と自分に言い聞かせて、ようやく落ち着きが多少だが戻ってきた。


 今一度深呼吸をして、行こうと決める。

 狼の位置は俺がもたもたしている間に少し離れてしまったが、すぐに追いつける距離だ。


 ……よし。行くか。


 決めたことは後からのネガティブ思考で曲げないようにしようと思い、いざ木陰から飛び出した。


 目線は基本敵。だが足音を立てないように地面にも気を配る。

 精神が張り詰め、心臓が痛いほどに鳴った。何度も左手の短剣を握り直す。緊張で口の中が渇くが、湿らせようと動くことで音が鳴り全てが台無しになっても困る。


 一歩、また一歩と狼へ近づいていく。五メートルまで迫った。完全に気づいていないようで、のしのしと呑気に歩いている。そのことに僅かな安堵を覚えながら、慎重に距離を詰めていく。

 ヤツの横を歩くまで接近できた。まだ気づかれていない。ただ少し方向転換しただけで俺に触れて【闇に溶けゆ】が解除されてしまう位置だ。早く行動しなければならない。

 静かに大きく息を吸って、意を決し大勢を低くして狼の首へ右腕を回す。少し持ち上げるように強く力を込めた。あの日感じたモノと同じ獣臭さが鼻をつく。野生だからか、少しベタついていた。狼は俺に捕まえられて必死に前足を動かして足掻こうとするが、関節の向きのおかげで爪が俺に届くことも、地面に届くこともない。

 次は短剣を突き立てる過程だ。震える手で短剣の柄を握り締め、首に回した腕を少し上にズラす。喉元を晒させるようにして狙いをつけた。捕まえたことで狼の命ある脈動や熱を感じて、少し躊躇ってしまう。躊躇するなと言い聞かせて歯を食い縛る。


 狼が強く暴れ出した。その様子を見て、きっと俺と同じなのだろうと理解する。生態は違えど生き物である限り、死の直前恐怖に襲われるのだ。だから必死で足掻いて、今の俺と同じように生きるため殺しだって行おうとする。

 そう考えた時、俺の中から躊躇が消えた。


 左手の刃を、思い切り狼の首に突き立てる。滲んだ血が少し手に付着した。確実に殺せるはずだ。根本まで深々と突き刺せている。俺の手に伝わった感触も、肉を断ち気管に届くモノだったと思う。


 ただ本当に殺せたかわからないので、俺はサードアイ・ウルフが動かなくなるまでずっと突き刺したままの体勢でいた。

 やがて足掻く力がなくなり痙攣するだけになって、だらりと前足が垂れる。狼の身体が一気に重くなったように感じた。それからゆっくりと地面に横たえる。確実に息の根を止めたはずだ。少なくとも俺が見る限りでは、目の前の狼から生命を感じない。ぴくりとも反応を示さなくなってようやく、俺は全身から力を抜きへたり込む。


「よくやった。ちゃんとできたじゃないか」


 そこに背後から声をかけられた。『索敵』ではいなかったはずなのに、相変わらず雲の上にいるらしい。

 ぽん、と頭の上に手を置かれた気恥ずかしいが払う気力も今はなかった。


「どうだい、リベンジを果たした気分は」

「……疲れたので帰りたいです」


 一つかつての自分を超えた達成感も、今はなかった。ただ疲労感だけが身体にのしかかっている。


「……そうかい。今日は大漁だから、獣鍋にでもしようかね」


 大漁? 少し疑問に思って後ろを振り返り、絶句した。


 山積みになったモンスターが置かれていたからだ。その中には複数のサードアイ・ウルフと、見たことのない熊のようなモンスターがいる。……俺がもたもたしている間にどれだけの数を狩ってきたんだか。


「あぁ、これかい?」


 アネシアさんが俺の視線に気づいたようだ。


「覚えておきな。ウルフの類いは基本的に群れで行動する。今回は離れたヤツをあんたが殺って、あたしが残りを片付けたってわけさ。多分あんたが最初に来た時も、勇者様が群れを退治していたんじゃないかと思うよ。そこから逃げ出した一体が、あんたを見つけて襲った。そんなところだろうね」


 アネシアさんはそう述べた。……つまりあの時俺が襲われたのは工藤が仕留め損なったからってことか。いや、もし逃げてきた一体じゃなかった場合、工藤は俺を見つけることができなかったかもしれない。人知れずモンスターに襲われて死亡する、ということを充分考えられる。

 良かったのか悪かったのか、責めればいいのか褒めればいいのかわからないな。とりあえず、俺はいきなり襲われた、にしては運が良かったということだろう。


「そいつの処理はあんたがやりな。血抜きしたら持ち帰って捌くからね」


 食べられるんだ、こいつ。

 狼なんて食べたことがない。いや、もしかしたらあるかもしれない。アネシアさんの家で食べたモノがそうだった可能性もある。俺が料理する時はただの肉にしか見えないからな。残念ながら俺には肉を見てなんの肉か判断できる知識が備わっていない。食べたらちょっと違うな、と思うくらいだ。


「じゃあ帰るよ。明日からはこれを毎日繰り返す。暗殺と障害物踏破。半年で慣れてもらうからね」


 俺では到底及ばない凄腕の暗殺者は、笑顔でとんでもないことを告げてきた。


「……やりはしますけど、期待しないでくださいね」

「やれるようになるさ。あたしが教えるんだからね」


 自信なさげな俺の発言を、自信に満ちた発言で掻き消してくる。


 才能が持つ能力の使い方もある程度見えてきて、ようやく本格的な訓練が開始されたのだった。

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