第九話 怒らせてはならない人

 俺が決意を新たにした翌日。


 いつも鍛錬をしている裏庭で、アネシアさんと対峙していた。


「さて。昨日はシゲオのやる気を存分に見せてもらった。だからこれからは、暗殺者に必要な技能を会得する鍛錬に入る」


 やけにはきはきとした口調で説明してくれる。

 やはり教える側も、相手の教わる気が見えないとやる気を削がれるということだろう。申し訳ない。


「……昨日までの鍛錬は?」

「ん? あんなの無理に決まってるだろ。素人が三分もあたしの攻撃を避け続けるなんて不可能だよ」


 あっさりと断言された。……まぁ異論はないんだけど。要は俺のやる気というか、本気で学ぶ気があるのかどうかを見るために行っていた、ということなんだろう。全く察していなかった。


「昨日あんたは『バックステップ』を会得した。『家事』と違ってちゃんと“自分のモノになった"っていう感覚があっただろう? それが身体を動かす類いの技能を会得した、っていう感覚だよ。会得するまで練習すると、身体に馴染んで自然とできるようになるんだ」


 まさか『バックステップ』だけで一日を過ごすヤツがいるとは思わなかったけど、と彼女は笑う。


「もちろん身体の調子や障害物の有無なんかで失敗することもあるけどね。基本的には成功できるまで、あんたが練習したって証拠さ」


 そう彼女は言ってくれるが、俺の感覚だと違うような気がする。ゲームを基準にしているからかもしれないが、会得したら次からは使えるようになる仕様なのだろうと思う。鍛錬で彼女の言う域にまで達するには俺だとまだまだかかりそうな気がした。


「で、暗殺者の基礎的な技能だけど」


 アネシアさんはどこからか紙を取り出してそこに書いてある内容を読み上げる。


「『跳び回避』、『忍び移動』、『気配抑制』、『掻い潜り』、『気配察知』だね。ちなみに『バックステップ』、『跳び回避』、『掻い潜り』を会得して状況に応じて使い分けができるようになると『回避』っていう技能に統合されるね」


 意外と少ないな、と思っていると。


「言っとくけどこれは基礎だ。どんな状況でも使うことがある技能だと思えばいい。つまり全て会得したら状況に応じて必要な技能を会得する課程に入る。どんな仕事でもそうだけど、甘くないよ」


 俺の考えを読んだかのように言われてしまった。

 まだまだ先は長いという忠告だろう。肝に命じておく。


「あんたが簡単にできそうなのは、『気配抑制』かね。元々気配が薄いから『気配抑制』されているようなモノだけどね」


 ははは、と笑われてもこっちは愛想笑いすら生まれない。そんなわかり切ったディスりはいいから早く進めて欲しい。


「『気配抑制』はその名の通り、自分の気配を抑制することだ。気配を消す、その前段階だと思ってくれればいい。息を潜めてじっとする。それから自分をその辺の小石だと思い込む。それを繰り返して気配を薄くするんだ」


 話を進めてくれた。早速言われた通りにやってみよう。


 息を潜めてじっとする――自分をその辺の石ころだと思い込む……ってあれ? それって普段やってることじゃね? なら一歩踏み込んでみてもいいかもしれない。折角気配を消すことだけはアネシアさんに褒めてもらったわけだし。

 息を潜めてじっとする。ここまでは同じだ。小石よりも気配のないモノと言えばなんだろう。ノミとかダニだろうか。いくら俺がネガティブだからと言っても自分からノミやダニだと思い込みたくない気がする。いや俺なんてその程度の存在ではあるんだが。

 別で考えるなら、空気かな。空気扱いには慣れているのでできそうだ。むしろ自分から空気になりにいくこともあった。そのイメージだ。


 俺は空気。他人から存在を認知されていないような空気。そこにあって誰も俺に気づくことのない空気。

 イメージは俺が空気中に溶けていって姿形がなくなるような感じだ。


「……シゲオ。そのまま歩いてみな」


 成功しているのか、アネシアさんがそう言ってきた。俺は慎重に歩き出す。できるだけ音を立てないようにゆっくりと。なにせ今の俺は空気だ。空気に足音なんてない。


「うん、よし。もういいよ」


 彼女に言われて肩の力を抜き口から大きく息を吐いた。


「今のは多分だけど、『気配同化』の方だ。普通はそっちの方が難しいんだけど、そこはシゲオの性質かな」


 『気配抑制』ではないらしい。

 まさか授業中当てられないように空気と化すトレーニングが実を結ぶとは。


「『気配同化』は風景やなんかと気配を同化させて自分があたかもそこにいないように思わせる技能だ。一発目でできたならそれでいいよ。もちろん別で『気配遮断』を会得してもらうけど」

「……アネシアさんは?」

「あたしかい? もちろん両方できるよ。むしろ気配をなすりつけることもね」


 笑顔であっさりと言われてしまった。どうやら俺だからできた特別な技能というわけではないらしい。ただある程度過程を飛ばせたのは事実のようだ。きちんと会得できるまで繰り返しておこう。


「次は『忍び移動』がいいかね。さっき少しやっていた、音を立てずに移動するってのを繰り返すことで会得できる」


 なるほど、確かに必須技能だ。


「『気配察知』は周囲にある気配を察知する技能。『跳び回避』と『掻い潜り』は避ける方だからまた今度」


 アネシアさんは今後の予定も立てていく。


「よしっ。じゃあ今日は『気配遮断』と『忍び移動』と『気配察知』を会得しようか」

「……なんか増えて」

「一週間も気のない鍛練をしていたあんたが悪い」


 取りつく島もない。いやまぁ、自業自得か。


「『気配遮断』は気配を殺す技能だ。自分がそこにいないイメージを持つ。シゲオにはこっちの素質があるみたいだから、すぐできるようになるさ」


 自分がいない……なんだ、簡単じゃん。いつものことだな。これならできそうだ。


「もちろんさっき『気配同化』が発動できたから、『忍び移動』と同時に会得してもらう。まだ『気配同化』も会得には至ってないだろうから、まずはそこからだね」


 アネシアさんに言われて、俺はなにもない裏庭を抜き足差し足忍び足で気配を殺しながらひたすら歩き続けた。周りから見たら滑稽な絵面だ。とはいえ必要なことなので仕方がない。裏庭には塀があるので周りからは見えないし、良しとしておこう。


 昼食を挟んだら『気配察知』の鍛練だ。


「中央に座って目を閉じるんだ。あたしが声をかけたらどっちにいるか答える。次の段階では声をかけずに行う。よく耳で聞いて、肌で感じて、あたしがどこにいるのかを探るんだ」


 声をかけられた場合、声のした方を答えればいいだけか。だが耳を澄ませていれば足音でどっちに行ったかわかるだろう。次の段階を説明したということは、今の内からやっておけよということだと思っておく。


 裏庭の中央に胡座を掻いて座り、目を閉じる。


「じゃあ行くよ」


 アネシアさんの声が前から聞こえた。

 耳を澄ませていると、とっ……という微かな音が右から聞こえてきた。……右に跳躍した、のか?


「あたしはどっちにいる?」


 しかし声は左から聞こえてきた。……は? いきなり難しくないか? 声がしたのは左だが、右に移動したような音が聞こえた。右に跳んでからすぐ左に移動したのか? いや待てよ? 今声のした位置がなかったか? そうだ、最初にアネシアさんが声をかけてきた時と違って、座っている俺よりも低い位置から聞こえたように思う。


「……右」


 俺は賭けで右を選んだ。俺の知らない方法で左から声をかけてきたのだ、多分。


「……なんだい。一発でバレちまったか。目を開けていいよ」


 残念そうな声が聞こえる。どうやら合っていたらしい。目を開けて右に向けると、確かにアネシアさんが立っていた。つまらなさそうな顔で腰に手を当てている。当てたっていうのに酷いな。


「見てみな」


 顎で示され、俺は逆方向を向く。そこには人型の紙? のようなモノが立っていた。頭らしき部分に異世界言語で「人」と記されている。


「あんたにはまだ見せてなかったけど、こいつがあたしに唯一適性のある魔法、式属性だよ。シゲオが光以外の基本属性全てに僅かな適性があるのと対照的に、あたしには基本以外の他属性、一般には特殊属性と呼ばれている類いの魔法になるね。魔力を込めて文字にすることで魔法が発動する」


 人型の紙がアネシアさんの声で説明してくれる。


「【人】は人のように移動でき、自分の声を出させることができる」


 アネシアさん本人を見ると口は動いているが声が出ていない。自分が話した言葉を紙から出すことができるということか。また紙の方が陽気に踊っても、アネシアさんはただ立っているだけだ。


「もちろん操るには鍛錬が必要だけど、こいつに適性があることもあたしが暗殺者向きな理由の一つだね」


 確かに、これがあれば陽動に使えそうだ。単独で挑んでも他に一つ手があるようなモノである。俺も多少魔法が使える程度じゃなくてこういう特殊なモノが良かった。活用方法を考えるのもまた楽しいだろうに。


「今のあたしは最大三体までかな。それ以上やるのはちょっと厳しいね」


 三体でも凄いと思う。なにせ頭の中で動かしているのだろうし。三体同時とかどういう頭脳をしていれば可能なのか全くわからない。


「さて。じゃあ一発目でバレちまったし、もっと難しくいこうかね」


 ……やっぱ賭けに出ない方が良かったんだろうか。


 その後、アネシアさんから助言を貰いつつ「アネシアさん本人の気配」を捉えるように訓練をさせられた。

 【人】のせいで声だけに頼るのは無理だ。しかもアネシアさんが音もなく移動するのでどこにいるか全くわからなくなる。なので彼女の気配がどこにあるかを探らなければならなくなるのだ。そんなことができるのかは全くわからなかったが、アネシアさんが会得できるというならできるのだろう。


 初日で会得できたのは感覚が掴みやすかった『気配同化』と『気配遮断』だけだった。それでも彼女が言うには上達が早いそうだ。まぁ普段からやっていたことなので、この辺りは普通だろう。一番感覚がわからないのは『気配察知』だ。普段から家に帰った時「誰かいるんだろ?」と尋ねるようなこともしていないので、気配を捉えろと言われてもピンと来ない。


「なにかあったら相談しなよ」


 とアネシアさんから言ってもらったので、『気配察知』についてよくわからないと打ち明けてみた。

 生きていくためにやると決めたので、言ってしまえば形振り構っていられないのだ。上手くいかなければあの死の淵に足をかけた状態になる。そうなりたくないからやると決めたのだ。


 すぐには実りそうもないが、日頃からアネシアさんがどこにいるのかを探ってもいいかもしれない。あと耳かきをちゃんとしておこう。大事。


 『気配察知』のコツは、物音がしたらどの程度の距離なのか、なんの音なのかをイメージすること、だそうだ。


 例えばこつこつという音が聞こえたとする。音の出所が床だった場合、硬い床を歩いて踏み鳴らす音の可能性が高い。音の大きさなどの聞こえ方で距離を測るのも必要だ。そういう場合でも、どういう靴を履いているのかによって変わるし、歩いている人の体格によっても変わる。

 それら集めた情報を統合して、そこに人がいるのだと認識するのだ。


 もちろん音だけではない。今の俺では難しいが、人がいるといないとでは空気の流れが変わるらしい。それを感じ取るには聴覚ではなく触覚が大事になってくる。


 『気配察知』は難しかった。しばらくはその鍛錬に明け暮れていたくらいだ。

 アネシアさんに付き合ってもらっての鍛錬に加え、日頃からアネシアさんがどこにいるのかを捉えようとする。更に買い出しへ行く時には少し目を閉じて道行く人の気配を探りながら歩くということもやってみた。

 おかげで、たった三週間で会得に漕ぎ着けた。最初は気配ってなんだよとすら思っていたのだが、今では容易にそれが感じ取れるようになっている。


「……アネシアさん。『気配察知』、会得できたかもしません」

「本当かい? そりゃ良かったね」


 夕食前の買い出しの時、試しに全く目を開けずに歩いてみたら、例の“自分のモノになった"感覚があったのだ。外から家にいるアネシアさんの気配が探れたので、間違いないだろう。

 俺が報告すると嬉しそうに笑ってくれた。


「だけどなにやって会得したんだい?」


 鍛錬の後のタイミングではなかったからだろう。そう尋ねられて、少し「実は俺、人知れず努力してました」みたいな空気を出すようで気が引けたのだが、全く感覚がわからなかったので買い出しの時も周囲にいる人の気配を探ろうとしていたことを伝えた。


「……」


 すると彼女はなぜか顎に手を当てて考え込むようにしてしまった。


「……どうかしたんですか」

「いや、それができるのは『気配察知』じゃない可能性もあってね。『気配察知』は長くても一週間あれば会得できる技能だから少しおかしいとは思っていたんだ。シゲオは自分ができないからと言うだろうけど」


 もうそれなりに長い付き合いになるので、アネシアさんも一応俺のことをわかってきているらしい。基本ネガティブだと。


「ちょっと教会に行って会得した技能を確認しようか」


 もしかしたら俺は違う技能を会得してしまったのかもしれない。そんな疑惑もあり、夕食後アネシアさんと共にフラウさんのいる教会へと足を運んだ。

 そしていつかと同じように“才能の儀”を行ってもらい、紙で今の俺の能力を確認する。


 魔法適性と才能については変わっていないので割愛。


 技能

 『家事』 『バックステップ』 『気配抑制』 『気配同化』 『気配遮断』 『忍び移動』 『気配察知』 『索敵』


 以上だ。知らないのは『索敵』という技能だろうか。


「やっぱりね。『気配察知』は主に『気配同化』やなんかを見破るために使われる技能だ。だからあたしは気配を消してあんたに鍛錬をつけていたわけなんだけど。あんたはそこを周辺にいる人の気配を探るように鍛錬していたわけだね」


 なるほど。つまり俺の自主練は『気配察知』の会得に全く必要なかったと。そういうことですね。


「自主練しているみたいだったから三日ぐらいで会得できるだろうと思っていたんだけど、道理で三週間もかかるわけだ。……いや、『気配察知』は気づかなかっただけってことも考えられるね。なにせまだ技能を会得し始めてから日が浅い。感覚に気づかなかったとしても仕方がない、か。とっくに会得できていい頃だと思っていたし」


 アネシアさんがぶつぶつと推測を述べている。他人であるフラウの前で色々言っていいのかとも思うが、顔見知りらしいので彼女が暗殺者であることも知っているのだろうか。


「アネシアさん。儀式は終わったので帰ってもらえますか。後がつかえているので」

「あぁ、悪いね。帰るよシゲオ」


 フラウさんに注意されて教会の奥の部屋を出るアネシアさんに、俺はフラウさんに頭を下げてからついていった。


「ったく。遅いんだよ。さっさとしろっての」


 俺が部屋を出てアネシアさんの後を歩いていると、“才能の儀”待ちで並んでいたらしき一団の先頭に立つ男がぼそりと呟いた。擦れ違い様にちらりと顔を見ると、ガタイが良くて厳つい顔の男性だった。歳はもしかしたらアネシアさんに近いかもしれない。二十代半ばから三十と言ったところか。背にこれ見よがしな大剣を背負っているので戦闘を本業とする人だろう。一団の他の者は首に巻いたスカーフと腰に提げた短剣からRPGでは盗賊をやっていそうな青年。気の強そうな女弓使い。大人しそうな女神官。……なんかこう、冒険者って感じのする四人だった。


「おい。そりゃあたし達に言ってるのかい?」


 関わらなければいいものを、アネシアさんは先頭の男が呟いた言葉が気に障ったのか振り返って突っかかっていた。


「だったらなんだって言うんだよ、おばさん」


 男はアネシアさんの方を振り返ると、言ってはならないことを口にした。


「あ……?」


 ぞっとするほど殺気の込められた声が聞こえて、慌てて『気配遮断』を使い端に避ける。肌を刺すような殺気、という言葉がある。少し肌がひりひりするように感じ、また腹の底からひんやりとした感覚が上ってくる。巻き込まれる位置にいたら殺されそうだと思わせるようだ。刺々しくて荒々しい気配に変わっている。正直これを向けられたら生きている心地がしない。俺は即行で土下座するね。


「……な、なんだよ。俺達とやろうってのか?」


 男は少しビビったようだが、まだ立ち向かう勇気があるようだ。その時点で俺より凄いというのがよくわかる。俺はこの殺気を受けて戦う気力が湧かない。


「……ガタイがいいだけのガキが。少し灸を据える必要がありそうだ」


 彼女の顔を見ると、相当お怒りのようだ。眉間に皺を寄せて額に青筋を浮かべている。ただ暗殺者は戦わないらしいので、彼女がそれにしたって強いとは思っているものの、本業の人に敵う可能性は低いのではとも思う。


「いい度胸だ、やっちまうぞ!」


 男の合図で他の三人も動き出す。……他に参拝者がいなくて良かったな、ホントに。


 四人がそれぞれに武器を構える――その間にアネシアさんが動いていた。目で追えないほどの速度で後ろの神官へと肉薄したかと思ったら既に腹部へ拳を叩き込んでいた。相当な威力だったのか一撃で神官が意識を失い倒れ込む。残った三人は驚きつつも咄嗟にそれぞれ行動に移った。

 弓使いの女は至近距離ではあったが素早く弓矢を構えるとアネシアさんに狙いをつけ放った。相当な早業だ。弓の扱いに関する才能を持っているのかもしれない。しかしアネシアさんは放たれた矢を眼前で掴み取り、投げ返した。弓で放った時よりも速く飛んでいる。矢を放った直後では避けられず、矢が弓使いの肩に刺さる。呻き声を上げ肩を抑えて蹲った。その間に高々と剣を振り上げていた男がアネシアさんを狙う。


 その間に、盗賊らしき男が俺の方に駆けてきていた。アネシアさんを狙っているんじゃなかったのかと毒づきたい衝動に駆られるが、相手は手に短剣を持っている。刃渡りで言えば包丁と変わりないだろうが、充分俺を殺すに値する凶器だ。相手が近づいてきて短剣を振るうのに合わせて『バックステップ』。なんとか咄嗟のことでも発動してくれた。刃が一回空を切れば、俺の勝ちだ。いやアネシアさんの勝ちだと言うべきか。


 男を放置してこちらに来ていた彼女が、横から蹴りを放って青年の側頭部を強打した。青年は吹っ飛んで壁にぶつかる。壁にヒビが入ったほどの勢いだった。俺が受けたら死んでしまいそうだ。


「クソがっ!」


 移動が目で追えていない時点で実力差を察して退くという判断もできただろうに、男は忌々しそうに吐き捨てるだけだった。俺はその後ろにいる彼の姿を見て、身体を硬直させる。


「教会で騒がれると困るのですが」


 奥の部屋にいたはずのフラウさんだ。……一応気配は探っていたのに、部屋から出てきたことに全く気づかなかった。


「あ?」


 期限悪そうに振り返った男には、柔和な笑みを浮かべた優男が映ったことだろう。ただ、俺にはわかっていた。温厚そうな彼の気配が、アネシアさん以上に荒々しくなっていることに。


「教会で」


 徐に右手を伸ばして男の顔を掴む。かっと目を見開いて怒りを露にすると全くの別人のようだ。


「騒ぐんじゃねぇって言ってんだろボケがぁ!!」


 体格は相手の方がいいはずなのに、片手で掴まれて床に思い切り叩きつけられる。床に男の頭がめり込んで陥没していた。その衝撃が離れた位置にいる俺にまで伝わってきて、教会全体が揺れる。

 男を倒して気が晴れたのか、再び顔を上げた時には柔和な笑みに戻っていたが。


「アネシアさん、あなたもですよ。すぐにかっとならないでくださいね」

「……あんたにだけは言われたくないね」


 注意されたアネシアさんも肩を竦めていた。……いや怖いなにこの人達。才能が凄い重要なのは理解してたつもりだったけど、少なくともアネシアさんの方は戦闘向きの才能を持ってないはずだ。なのに本職の人達を簡単に倒すとか、どうなってんだ。


「あぁ、あいつは才能で『怪力無双』っていうとんでもない膂力を発揮する才能を持っていてね。昔はあれで荒れてたんだ。今は基本穏やかだから、そんな引かなくていいよ」


 察しがいいのは相変わらずだが、今回は少し違う。


 俺が引いたのは、あんたもだよ。


 ……まぁそんなこと口が裂けても言えないんだが。


 ともあれ、こうして俺の「絶対怒らせてはならない人リスト」に二人の名前が追加されたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る