第八話 初めての努力

 俺は改めて生きていくための目標を掲げた。


 思い返すとこれまでもそうしてきたとわかるのだが、情けないなりの目標ではあると思う。


 もうちょっと具体的に考えてみると、ただ死にたくないというよりも今のように普通の生活がしたい、というビジョンがある。死にたくないだけなら最悪、ホームレスでもいい。

 だが俺は貧しい生活をしたくなかった。俺の普通はきっと、元の世界で過ごしていた程度のクオリティだ。この世界で言うとそれなりに裕福だが、これまでアネシアさんの家で過ごしてみて暗殺者なら難しくないように思えた。充分に貯蓄してきたというのもあるだろうが、元の世界に近いくらいには過ごせると思う。


 現代知識で異世界大儲け、という手もあるのだが。残念ながら既にそれをやられた後、に加えて俺に専門的な知識は備わっていない。無謀だろう。むしろ「俺は突然来た異世界人ですよー」と知らしめるようなモノだ。バカな所業と言える。


 とりあえず、俺はホームレスだった頃に戻りたくないので、暗殺者として頑張る。今までなにをやっても才能のなさそうな俺だった。しかし才能が明確なのはこの世界のいいところで、しかも本業の暗殺者から素質があると背中を押してもらっている。

 ここで頑張らなければ今後俺がなにをやっても成功するはずもない。


 頑張らなくても成功するのは一部の天才だけだ。そして俺は天才でも凡人でもなく、落ちこぼれだ。


 素質のある職業以外で、なにができると言うのだろう。


 なので俺は暗殺者としてやっていくことを決める。

 ――もう二度と、あんな苦しい想いをしないために。


 そうと決まれば早速練習だ。


 もちろんアネシアさんの攻撃を避ける練習をする。

 正直身体の動かし方もわかっていないが、少しでも参考になりそうな記憶を探して成果を見せなければならない。


 一撃目は兎も角、二撃目を避けられたことがない。おそらく、俺の避け方が悪いのだ。抽象的だと思うが、次に繋げる避け方ができていないのだと思う。二撃目が絶対避けられないな、と思うのも俺の体勢から考えて無理だからだ。


 ……本来素人でもそういう風に考えて努力するんだろうが、随分スタートが遅くなってしまった。


 本当ならアネシアさんにどうやって避ければいいんですか、と尋ねて指導してもらえばいいだけだ。だが一週間経った今それを言うかと呆れられて更に機嫌を悪くされても困る。

 自分である程度動き方を考えて、実践する必要があるだろう。


 とはいえどうしたものか。


 悩みながら、まずは今までの自分の構えを見てみようと思う。


 足を肩幅に開き腰を落とす。手は右手だけ拳を握って胸の前に掲げた。


 なぜ片手だけなのかは、アネシアさんの指示だ。利き手は殺しに使うことが多いため、自由にしておいた方がいいらしい。ただ構え方をきちんとは教えてくれなかったので、それくらい自分で考えられるかというのを試す意味もあったのかもしれない。


 俺は左利きなので、左手を腰ぐらいの位置に下ろしておく。

 ここからが本番だ。さっきの鍛錬では、一撃目の蹴りを諸に食らって咳き込んだところを投げられた。避ける訓練なのに一撃目を避けられていない時点で失敗なのだが。

 というかあの人はなぜあんなにも強いのだろうか。蹴りも「暗殺者は戦わなくていい」という言葉を放った人と同じなのかというほど鋭い蹴りだった。素人が避けられるようなモノではないようにも思うが、避けようとすらしなかった俺は問題だ。

 完全に『体術』かなにかを会得している。それが反則だとは言わないが、初日はとても予想外だった。


 いや、そこは問題じゃない。俺が反応できなかったのが問題なのだ。

 ではなぜ反応できなかったのか。そこから考えてみよう。


 目に見えないほどの速度だったわけではない。目で追える速度だった。ただ身体が反応しなかった。咄嗟に避けるという判断ができなかったのだ。俺は小心者故かアガリ症でもあるので、とても本番に弱い。いざやろうとなった時に頭が真っ白になるのだ。それまできちんと練習してきたことであっても、ふっと頭から消えてしまう。それをなんとかするには、反復して慣れるか身体が反応するようになるかしなければならない。

 身体が自然と動くようになるまでには多くの時間がかかるので、今からそこに至る間にアネシアさんから追い出されてしまう。すぐになんとかするには攻撃が来ても焦らないこと、を徹底するしかない。攻撃に落ち着いて対処する。……もちろん急にそれができれば苦労はしない。今までの俺からして、どれだけイメージしたとしても本番で動けない可能性はある。


 避けられなかった原因は多分そんなところだ。次に、避け方を考えよう。


 右脇腹を狙った左足の蹴りだった。蹴りの当たった箇所を思い返して撫でる。


 ……ジャンプでも屈んでも避けられそうにないな。


 屈むのであれば避けることは可能だろうが、蹴りが来たのを見てから動いた場合完全に頭まで蹴りの軌道から逃れるまで間に合わない。脇腹の高さを確認してから、その高さよりも下になるまで屈むのにどれだけかかるかを確かめてみた。どれだけ早く屈んでも肩辺りを蹴り飛ばされるイメージしか湧かない。ジャンプの場合単純に高さが足りない。やったら多分足を蹴られて横向きに一回転する羽目になるだろう。


 つまりそれ以外の回避方法を取らなければならないのだが。


 俺の知識から参考になりそうなのは、アクションゲームの動きだろうか。大概人間離れしているので全く同じとはいかないだろうが、参考にはできそうだ。


 その中であの蹴りを避けるのに使えるとしたら、バックステップが当たるだろうか。


 試しに構えから後ろに跳んでみた。……うん、鈍臭い。

 なにがいけないのだろうか。もっとこう、スマートに跳びたい。アクションゲームのキャラはこう、しゅばっと動く気がする。いやゲームを参考にしている時点でどうかとは思うが、他に案が浮かばないのだから仕方がない。

 じゃあもっとスマートにバックステップを決めるにはどうすればいいのか。

 とりあえずぺたんと着地するのはやめよう。爪先と膝を使ってしなやかに着地した方が良さそうだ。というわけで早速実践――できたっぽくなるまで五回ほど試行錯誤した。文字にすれば楽だが、膝を柔らかく使うとはなんなのかがよくわかっていなかった。膝を突っ張るのではなく、軽く曲げるというだけの話なのだが。爪先で着地するというのは少し次に繋げる回避に必要なことかもしれない。重心を移動させないで移動する、というのだろうか。踵で着地してしまうと次が動きづらいような気がする。三分間避ける、という課題を一先ずクリアすることを考えれば、一回の回避で次が動けなくなるようなことは避けなければならない。

 で、次だが。もっと素早く跳べるようにしておきたい。跳ぶ距離を縮めずに速さを増すには、跳ぶ軌道を変えなければならない。高くなくていい、低く遠くへ跳べるようになればいい。

 飛距離は下がったが、低く跳ぶことで着地までが早くなった。膝を柔らかく使う、という点でも大きく曲げずに体勢を保てるようになったので、こうすれば次の行動にも移しやすい。


 一応、バックステップが形にはなったかな。


 後は連続でできるかどうかとか、構えの調整とか。ちょっと右足を前に出して構えた方がバックステップに移りやすいような気がする。もちろんバックステップだけで全ての攻撃を回避することは不可能なので、他の動きにも対応できる構えにしなければならないが。

 まずはアネシアさんがよく攻撃として蹴りを使ってくるので、それを確実に避けられる方法を身に着けておこう。


 後はバックステップを洗練させていく繰り返しの作業だ。できるだけ低く、無理のない範囲で遠くへ速く跳ぶ。反復練習で徹底していく。付け焼刃で通じるとも思えないし、俺のアガリ症もあるが身体に覚え込ませる。

 バックステップを繰り返している内に日が暮れていた。そんなことにも気づかないほど集中してバックステップを繰り返している内に、


「……?」


 なにか、不思議な感覚がした。

 バックステップをしようとすると、自然と身体が動いて最速最短の動きで後方へ跳んだのだ。着地した時の体勢もほとんど跳ぶ前と変わっていない。何度やっても、ベストなバックステップができている。疲労もあるので、失敗してもいいと思うのだが。


「それが、回避技能の一つ、『バックステップ』だよ」


 家の方から声がして、心臓と肩がびくっと跳ね上がる。


「……そんなに驚くことかい?」


 恐る恐る振り向くと、壁に寄りかかって佇むアネシアさんがいた。


「……いつから」


 集中していたということもあるだろうが、全く気づかなかった。いたことには兎も角として、扉の開く音にぐらいは気づいて良かったと思う。


「夕飯に呼ぶためだから、三十分くらい前かな。別に気配を消していたわけじゃないよ。あんたがそれくらい集中していたってことだ」


 そう告げるアネシアさんの顔は笑っていた。確か、さっきまでは怒っていたと思うのだが


「多少薬になればとは思っていたけど、まさか数時間ずっと『バックステップ』だけやるとはね。それだけやる気を見せてくれれば、充分だよ」


 苦笑いに近かったが、優しい笑みだった。少し気恥ずかしくなって視線を逸らす。


「おかげですっかり飯が冷めちまった。温め直してくるから、その間にシャワー浴びてきな。そんなに汗掻いてたら気持ち悪いだろ。疲れてるだろうから、今日は休んで明日から他の回避技能を会得する鍛錬を始めるよ」


 アネシアさんはそう言って家の中に入っていく。

 言われてから、ようやく気づいた。俺はぐっしょりと汗を掻いている。疲れを自覚してくると足の先や脹脛ふくらはぎ、太腿に張ったような感覚があるとわかる。疲労が溜まっているのだろう。体力作りの時にも走り込みはしていたが、これほど酷使したのは初めてかもしれない。走り込みの時は先に体力が尽きていた。


 俺はもう一度『バックステップ』をしてみる。自然に行えた。確実に俺のモノになっているようだ。


 そのことに小さな達成感と充足感が生まれる。今までの俺には全くなかったモノだ。当然、努力をしなければ得られるモノではない。

 ここが異世界で、会得したら自在に使えるという仕様になっているとしても、一つ成果を得られたというのは少し、嬉しかった。


 もしかしたら俺なんかでも暗殺者としてやれるのではないかと、そう思えた。

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