第七十三話 新たなる日常

「ねぇ、シゲオくん。似合う?」


 買い物から帰って早々、リリィさんは買ったばかりの私服に着替えてターンした。最後には前屈みになるおまけつきだ。なにも嬉しくない。

 相変わらずわざとらしく胸元の開いたシャツで、下は短いスカートになっている。お出かけ着っぽい服装だが、室内でも着るようだ。


「……似合ってるんじゃないですか?」


 俺は一瞥して告げると視線を外す。久し振りにちゃんとした服を着たので着疲れしてしまった。さっさと緩い部屋着に着替えたい。


「ちょっと」


 だが素通りはさせてくれなかった。がしっと腕を掴まれてしまう。

 なにかと思って見ると、不満そうに眉を吊り上げている。なにか気に障るようなことを言っただろうか。


「なんで私に敬語なの?」


 え、そこですか?


「……別に深い意味はないですよ」


 これは本当だ。特に理由がなければため口なんて使わない。同級生と話すことがなかったので。……ただ工藤とは敬語で話してなかったな。あの時は余裕がなかったからだろうか。


「じゃあため口でいいわね。あとさんづけもいらないから」

「……え」


 急に敬語とさんづけを禁止されてしまった。まさか様づけの強要だろうか。ため口で様づけとかむしろ嘗められてそう。


「なんでそんなに意外そうなのよ」


 リリィ様が更に不満そうな顔をなさっていた。


「……急に言われても」

「急でもなんでもいいじゃない。ノルンさんだって呼び捨てにしてるでしょ」


 どうやら妙なノルンへの対抗心で言っていたらしい。


「……まぁ、いいけど」

「良かった。断られたらどう斬――しようかと思ったわ」


 今どう斬ろうかって言おうとした? なにこの子やっぱり怖い。


「改めてよろしくね、シゲオくん」


 リリィはウインクをして上機嫌に去っていく。……俺のくんづけは変えないのね。変えて欲しいわけじゃないけど。


「……主様」


 後ろからノルンが声をかけてきた。危ない、びっくりするところだった。振り返ると目を細めている。睨んでいるような、責めているような目だ。


「……どうかしたか?」

「いえ。なんでもありません」


 尋ねたが、ノルンはその顔をしたまま去ってしまう。なんだったのかよくわからない。リリィを上機嫌にしないで欲しいとかだろうか。確かに、調子に乗せると良くないタイプかもしれない。気をつけよう。


 俺はとりあえず自室で部屋着に着替えて、リビングに戻ってくる。師匠が着替えて腰かけていた。


「シゲオ。リリィに家のこと教えてやってくれない?」


 あぁ、そんな話もしてましたね。

 出かける前のことなのに、散々振り回されたのですっかり忘れていた。


「……別に俺じゃなくても――」


 言いかけた俺に、師匠がずいっと近づいてくる。近い。耳元に口を寄せる形なので、息がかかるほどだ。


「いいかい、シゲオ。よく聞きな」


 師匠はリリィがいないことを確認しながら、声を潜めて囁いてくる。擽ったい。


「あの子にはあんたが必要だ。邪険にするんじゃないよ」


 リリィに俺が必要? 不要の間違いじゃないだろうか。


「あんたにはわからないかもしれないけど、普通に接してやるんだよ。遠ざけようとしないで、けど誘いには乗るんじゃないよ?」

「……乗るわけないじゃないですか」

「ならいいけどね。でもあんたがそう意識するとリリィのことを避けるだろう? 気をつけるんだよ」


 俺のことをよくわかっている。確かに、今そんな感じだ。


「あと、ノルンのことも気にかけてやりな。リリィが来たことで色々思うところがあるみたいだからね」


 言われなくてもリリィが来てからノルンの様子がおかしいのはわかっていた。立派な忍者たるべく感情を抑え込もうとしている彼女が感情を露わにしているのだ。普段と違うことくらいはすぐにわかる。ただ、なにを気にしてそうも心が乱れているのかは、俺にはわからない。


「折角同じ異世界人が身近に来たんだ。リリィとしかできない話もあるんじゃないかい? ……あの子はこの世界に来てから色々な目に遭ってきただろうけど、元いた世界じゃ幸せだったんだろうしね」


 なるほど。そうなると確かに師匠やノルンではできないことだ。とはいえ俺の記憶のほとんどはアニメやゲーム、漫画やラノベなどの所謂オタク文化に費やされているのだが。そっち方面の話なら盛り上がれるかもしれないが、そもそもリリィは日本人じゃない。言葉が通じているのも異世界に来て言語が通じるように変えられたからの可能性がある。生活圏が違えば文化が違い、正直に言って話が合う要素が見つからなかった。


 ただ、確かにこっちの世界に来て辛い目に遭ってきたリリィに元の世界での思い出を呼び起こしてもらうことで、少しは幸せな未来を望めるようになるかもしれない。

 ……もちろん、俺は死にたくないのでその方が俺が殺される可能性が減るかもしれないというのもある。いつまでも小心者で情けないが。


「じゃ、頼んだよシゲオ」


 師匠はようやく離れると、ひらひらと手を振った。話は終わりのようだ。頼まれてもなにか結果を出せる可能性は低いが。普段の時にきっかけになる話があればいいが、そういうのを待っているといつまで経っても進展しないということもわかっている。人と仲良くなるコツは上手く質問するか、自分から情報を開示していくかのどちらかと言える。……人生で仲いいと言えそうなのが片手で数えられるヤツが言っても全然説得力ないな。いや、むしろ俺がやってこなかったことをやっていればと思えるから一理はあるかもしれない。


 買い物が終わって、そろそろ夕食の準備をしたいくらいの時間になっている。丁度いいか。


 俺はリリィの気配を探って、自室の扉をノックをしてから声をかけた。


「……リリィ。これから夕飯を作るんだが、なにか食べたいモノはあるか?」


 部屋の外から話すだけで良かったのだが、がちゃりと扉が開かれる。着替えたらしく、シャツにショートパンツというラフな恰好だ。生地としても柔らかなモノになっている。買い物で購入した部屋着用の衣服だろう。


「もしかして、シゲオくんが作るの?」

「……まぁ」


 どうやら俺が料理をするということが意外で顔を出したらしい。ノルンが来る前はほぼ俺が担当していたし、来てからも一緒に料理することの方が多いと思う。


「へぇ、意外。料理できるんだ」


 にやにやしながら言われた。


「……こっち来てから師匠の家で住まわせてもらってるわけだし、家事くらいする」


 元の世界ではほとんどしたことがなかった。流石にトーストの焼き方や米の炊き方を知らないレベルではないのだが、包丁をまともに扱ったこともない。学校の家庭科の実習でもほぼ存在無視の状態で、作業を手伝っているフリをするのが精いっぱいだったし。


「ふぅん? 見ててもいい?」

「……まぁ、見るくらいなら」


 なにか余計なことをされても困るが、見るくらいならなんとか。ただじっと見られていると集中は削がれてしまうが。


 部屋から出るようなので、先にキッチンへ歩く。後ろをついてくるリリィから声をかけてきた。


「なに食べたいって言ってたけど、私あんまりこっちの料理に詳しくないのよね。元の世界の料理っぽいヤツ、とかでいい?」

「……ああ」


 俺もそういう覚え方をしている。


「えっと、じゃあ……あ、そうだ。こっちにご飯ってあるの? 日本のお米の」

「……あるよ。異世界から来た日本人らしき人が広めたらしいから、サトウマイって言うらしい」

「じゃあご飯! あと味噌汁と、焼き魚と、漬物とか」

「……なんて言うか、和食っぽいな」

「ええ。私、日本大好きだもの。アメリカから留学してたくらいだから」


 声が弾んでいるように聞こえた。師匠から言われたことをなんとか実践できたようだ。俺もこの三年で成長したのかもしれない。


「……じゃあ和食っぽい味つけにするか。アレルギーとかあるか?」

「ないわ。嫌いなモノは……納豆とか? ネバネバネチャネチャしててダメだったから」


 海外から来た人が言いそうなことだ。実際そうなんだけど。


「……多少材料の違いがあるからアレンジ風にはなるけど、とりあえずわかった」

「楽しみにしてるわね」


 あまり期待されても困るのだが。とりあえず日本人の端くれである俺が食べても懐かしいと感じるくらいの再現度にはなっていると思う。自分で料理をするようになって思うのは、料理を開発する人って凄いなということだ。味つけの組み合わせや色合い、長い歳月をかけて工夫されてきたのがよくわかる。


 ともあれ、俺はキッチンに着いて棚から暗い紺のエプロンを取り出す。装着してからきちんと手を洗って、魔法で実現された冷蔵庫の中身を見てメニューを考えていく。

 家電製品というのはこちらの世界には存在しないが、異世界人から知識を吸い上げていることもあって形と用途だけは似たモノが存在している。冷蔵庫もそうだ。ただ冷凍庫は別になっていて、一般家庭にありそうな縦長の冷蔵庫の横に洗濯機サイズの冷凍庫を置いていた。魔力を定期的に補充しないと使えないという欠点はあるが、補充方法が色々開発されているのでコンセントがない分コードがごちゃごちゃしていないという長所もある。電力の代わりに魔力で動くので家魔製品だろうか。……ピンと来ないので不採用で。


「主様、夕食の準備ですか?」


 ノルンが自室のある二階から下りてきた。彼女はいつも俺がキッチンに立つ前に料理を始めるか、俺が先なら後から来て手伝ってくれる。曰く、仕えている主にだけ家事をやらせるのは忍びないのだとか。


「……ああ。今日は和食にしようと思う」

「忍者発祥の地の料理ですね。楽しみです。お手伝いしますので、できることがあれば言ってください」


 ノルンは目を輝かせながら言って、エプロンを装着する。手を洗ってからキッチンの前に佇んだ。なにを作るかまでは言っていないので、基本は俺に任せるつもりなのだろう。


「……とりあえず必要なのは米か。四合炊いてもらえるか?」

「はい、わかりました」


 確定しているところから始めてもらう。ご飯を炊くのは結構時間がかかるので、最初に取りかかってしまっても問題ない。ご飯の炊き方については日本人と思われる異世界人の徹底指導により確立されている。ご飯は日頃から食べていたが、大体は炊飯器で炊いてしまうので、それがないと炊けないというジレンマに陥る可能性もあったので。


 悩んだ末に、俺は焼き魚、肉の角煮、きのこの味噌汁、野菜のおひたしを選んだ。リリィの挙げた漬物は、流石に用意がないと作れないのでおひたしさんに代役を頼んだ。今度作ってみてもいいのだが、作り方わかるかな……。


「主様。メニューが決まりましたら、手伝いますので言ってください」

「……ああ。それじゃあ」


 こっちの世界で言うところの炊飯器に米をセットし終えたようだ。

 四人分作るので普段より使う食材が多いことだし、下処理を進めていってもらう。


「ねぇ」


 すると、椅子に座ったリリィが声をかけてきた。振り返るとなんだか不満そうな顔をしている。


「私も手伝う」

「……え? 見るだけじゃ……」

「いいから! 料理はできないけど、包丁捌きなら任せて」


 よくわからないがやる気になったようだ。……確かに包丁も刃物だけどさ。『剣聖』の無駄遣いでは。


「リリィも参加するのかい? じゃあはい、髪紐とエプロン」


 師匠がタイミングを見計らってか戻ってきて、棚から自分のエプロンを取り出して髪を括るための紐と一緒に渡した。リリィは赤のエプロンを装着すると、髪を結い上げる。

 それからこっちに近づいてきて、にっこりと笑いかけてきた。


「で、なにをどう切ればいいの?」

「……えっと、とりあえずこれを」


 ここまで状況が整ってしまったからには拒むわけにもいかない。俺はまな板を置いてある場所から退いて食材の切り分けを彼女に任せることにした。


 実際とんでもなく包丁捌きが巧かったのはいいんだが。


 やたら距離を近づけてくるのでノルンが不機嫌になるし、料理しているところをじろじろ見られるので居心地は悪いし、二人がなぜか俺を挟んで睨み合うし。


「うん、美味しい!」


 ……まぁ。美味しそうに食べてくれたので、それは良かったかな。

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