第七十八話 ヒイラギ・タケル
俺――
俺から見た影山茂夫は、大人しくて、不器用で、内気で、上手く喋れなくて、運動ができるわけでも勉強ができるわけでもない、目立たないクラスメイト。
クラスで一番身体が大きいガキ大将からは、名前の別の読み方からモブと呼ばれている、影の薄い男子くらいの印象だ。
最初の頃は一緒に遊ぼうと誘われたり話しかけられたりしていた。ただ上手くはいかず、小学生としては大事な「面白さ」がなかったので次第に誰も彼を気にしなくなっていった。
ガキ大将も弄ってはいたが、反応がなくてつまらないと思ったのか構わなくなっていった。
彼の側からも、誰かに話しかけたり遊ぶ時輪に入っていったりしなかった。
俺にとってもその程度の印象しかなく、他に友達がいたので特に気にすることもなくなっていく。
だからきっと、あの時の出来事がなければ俺も他のヤツと同じようにどんどん忘れていくだけだっただろう。
そんな、同じクラスの影山君の印象が変わったのは、小学校三年生の冬頃だ。
当時の俺は、思い返すと恥ずかしさもあるがヒーローに憧れていた。
日曜の朝は特撮を観て姉さんと妹が呆れるくらい熱中するほどだった。俺の父さんと再婚した母さんの元夫、姉さんと妹の本当の父親が、酒癖が悪く横暴だったのを見てきたからだろう。そのせいで三人がどれほど苦しんでいたかと知っているからだろう。
だからこそ、俺は誰よりもカッコいいヒーローでありたいと思っていた。
運動ができるように努力したし、勉強もサボらなかった。友達もたくさんいたし、上手くいっていたと思う。
そんなある日、帰り道の公園で同じクラスのヤツが虐められている場面に遭遇した。正確には、公園で遊んでいたその男子を上級生のガキ大将達が殴って追い払っていた。
そんな場面を目撃した俺は、一人だったが上級生三人に対して突っかかっていった。ただまぁ、殴られた男子は泣きながら逃げ出してしまったし、そもそも五年生の身体が大きなガキ大将相手に勝てるはずもない。公園には他に子供もいなかったので、一番でかいヤツに呆気なくボコボコにされてしまった。
そこに突っ込んできたのが、なんと影山茂夫だった。
何度も立ち向かう俺を殴っていたヤツに対して、横から体当たりしたのだ。俺含めびっくりしていたが、身体の大きな相手ではちょっと怯むくらいしかせず。
「てめえ、よくもやってくれたな!」
と反撃されそうになっていた。彼が怯えた様子で逃げ出すと、ガキ大将も追いかけていく。
「にげられると思うなよ!」
ずんずんとガキ大将が迫る中で、彼は水道のある方に逃げて、上についている方の蛇口を捻る。水が出る口に掌をつけて思いっ切り水を出すと、近づいてきたガキ大将の方へ水が噴射された。
「ぶわっ! 冷てっ!」
大量に水をかけられた相手は堪らず後退する。
「クソ、ふざけやがって!……ぶえっくし!」
水をかけられて怒るが、なにせ今は冬だ。寒くて堪らないところに水をかけられて凍えそうになる。
「お、覚えとけよ!!」
結局、そいつは捨て台詞を残して去っていき、他の二人もついていった。
俺は三人が去っていく方を呆然と見つめ、次いで実質たった一人で上級生三人を追い払うことに成功したクラスメイトの方へ目をやる。クラスで目立たない存在である彼は、へなへなと座り込んでいたが。
力じゃ無理でも工夫で抵抗する姿を、俺はカッコいいと思った。
俺は彼に近づいて手を差し伸べる。手を取ったので引っ張って立たせた。
「すごいじゃん!」
「ううん、そんなことないよ。柊くんこそ、おっきい上級生に向かっていって……カッコ良かったよ」
俺が褒めると、どうやら見ていたらしく褒め返される。
俺もカッコいいと思って見ていたが、相手も同じだったようだ。
それから二人で話して、仲良くなった。
二人共特撮を観ていたので、
「おれのことはタケって呼んでいいぜ、シゲ!」
俺からそう言い出して、お互いそう呼ぶようになる。
シゲが本当は凄いヤツだって思ったから、対等でありたいと思って。
――“影山くん”が“シゲ”になった瞬間だった。
それから一緒に遊ぶようになり、上級生と一緒に戦った戦友みたいな感じで他の友達とは違う距離感でいた。
姉さんと妹を紹介したこともあった。家へ遊びに来させて両親と会わせたこともあった。
しかし、春になってクラス替えが行われシゲとは別のクラスになる。
別のクラスになったくらいでシゲを親友だと思う気持ちは変わらなかったし、一緒に遊ぶつもりだった。ただ新しいクラスメイトと遊んだり遊びに誘われたりしている内に、シゲと会わなくなっていった。
途中、公園でサッカーをしている間にシゲがこっちを見てたので誘おうと思ったが、友達から声をかけられて振り向いている間にいなくなっていた。
元々シゲは俺が他の友達と話してる、遊んでる時に混ざってこなかったので、仕方ないかと思っていた。
そうこうしている内に、シゲと全く会わなくなっていく。
中学は一緒だったが別々のクラスだったし、その後別の高校に進学していった。自然消滅という形で、シゲと関わることはなくなった。
そして、俺達家族の運命が変わったあの日がやってくる。
いつも通りの一家団欒。
大切な家族と過ごすかけがえのない一幕。
それが突如として崩れ、家にいたはずなのに外にいた。五人揃って辺りをきょろきょろしてここがどこなのか探るが、わかるはずもない。
俺達家族は、異世界に転移していたのだ。
訳もわからず混乱していると、そこへ鎧を着込んだ集団が通りがかった。
母さんが真っ先に駆け寄り、話を聞こうと声をかける。
「あの、すみません。ここはどこなのでしょうか? 日本ではないようですが……」
母さんに話しかけられたヤツらは顔を見合わせた。そして、嫌な笑みを浮かべて返答する。なんだか背筋がぞくりとして、危険な気がした。……この時行動してもなにも変わらなかったかもしれないが、動くべきだったのだろう。
「あぁ、あんたら異世界から来たのか。いるんだよな、偶に」
「い、異世界ですか? よくわかりませんが、私達家に帰りたくて……」
「あぁ、なにも言わなくていい。必要ねぇから」
「えっ――?」
母さんの前にいた男が腰の剣を抜いて掲げる。息を呑んで硬直した母さんを、そのまま、袈裟斬りにした。
母さんが崩れ落ちる。赤い血が地面を染める。
「きゃあああぁぁぁぁぁぁ!!」
妹の悲鳴が響く。俺は目の前の光景が信じられず、呆然としていた。
「この世界じゃ、お前ら異世界人の人権は保証されてねぇんだよぉ!!」
ぎゃはは、と下品な笑いが起こる。なにを言っているか理解できなかった。
そんな中動いたのは、父さんだった。俺達三人を庇うように前に出る。
「父さん……?」
「お前達は逃げろ」
「でも……!」
「いいから早くしろ!」
父さんは近づいてくる集団の前に、両手を広げて立ち塞がった。
「そんなんで防げるわけねぇだろ、バカかよ」
父さんの覚悟を嘲笑い、素早く肉薄して剣で心臓を一突きにした。父さんまで、目の前で殺されてしまう。
「おいおい。大人は半分くらい残しとけよ」
「悪い悪い。ま、頭だけあればいいだろ」
人を殺しておいて、ヤツらは軽い調子で会話している。剣を引き抜いて首を切り落とし、別のヤツが持っていた容器の中に父さんの頭を入れた。緑の液体の中に入れると血が止まり、そのまま二人が持ち去っていく。
だが、これで終わりではない。
「さぁて」
恐怖と混乱で動けない俺達へと、ヤツらが目を向けてくる。にたりとした嫌らしい笑みを浮かべた、下卑た顔だ。
「随分といい見た目してやがるし、折角だから俺達で愉しませてもらうとするか」
「そりゃあいい。巡回ばっかで溜まってたんだ」
そんなことを言って、十数人の男達が近づいてくる。
逃げなきゃ、二人を守らなきゃ、戦わなきゃ。そう思うのに身体は動かず、動いたとしても結果は変わらなかっただろう。
俺は男二人に取り押さえられ、姉さんと妹は複数人のヤツらに囲まれていた。
「姉さん!
「おっと、動くんじゃねぇぞ。つっても動けないだろうけどな」
俺は藻掻いたが、相手の力が強くどうすることもできない。
二人は、複数人から衣服を引き剥がされて裸に剥かれた。一層下卑た声が聞こえる。ヤツらは興奮した様子で下半身を露出させ、二人に凌辱の限りを尽くした。
最悪の光景だった。夢であれと何度願っただろう。やめてくれと叫んでも、人権のないお前らになにをしてもいいと嘲笑われるだけ。姉さんに見ないでと言われて顔を背けようとすれば、顔を掴まれ目を開かされて強制的に見せ続けられる。
「アカネちゃん、あそこで見てるお兄ちゃんに一言言ったらどうだ?」
「……ごめんね、お兄ちゃん。初めてはお兄ちゃんとが良かったのに……」
ヤツらに言われて、妹はそんなことを、泣きながら言った。
「ぶひゃひゃひゃっ! だってよ! 良かったなぁ、お兄ちゃん!」
ヤツらは、妹の健気な想いを踏み躙る。
姉さんは懸命に耐えようとしていたが、ヤツらの暴力に心が疲弊していった。
「……助けて、武」
小さな呟きだったのに、やけに耳に残る声だった。
「助けてだったよぉ! 助けられるもんなら助けてやったらどうだ? できねぇけどな! ぎゃははははっ!!」
ヤツらは、姉さんの微かな弱音も踏み躙る。
絶望と地獄が続く中、俺が思っていたことは、「やめてくれ」と「どうしてこんなことに」だった。
――俺の中で決定的になにかが変わったのは、手遅れになった時だった。
「あ? なんだよ、もう反応しなくなっちまった」
「こっちもだ。ちょっとやりすぎちまったか? 壊れちまったじゃねぇか」
「まぁいいだろ、別に。施設に帰れば他にもいるしよ」
「そうだな」
どれだけの時間続いていたかはわからないが、ヤツらはそう言って、悲鳴も泣き声もなにも発しなくなった二人へと、躊躇いなく剣を突き刺した。
その瞬間、俺の中でなにかが壊れる。
こいつらは俺の大切な家族を躊躇なく殺し、弄んだ。いらなくなったら、壊れたら処分する。玩具のように。
……あぁ、わかった。同じ人間じゃねぇんだ。ゴミだ。
ゴミが俺に触れている。
ゴミが姉さんに触れている。
ゴミが妹に触れている。
吐き気がする。
胸糞が悪い。
ゴミが人の形をして動いている。
気持ち悪い。
気色が悪い。
怖気がする。
「――死ね」
それができる力が、自分の中にあるのがわかった。
俺の中で決定的ななにかが変わった瞬間、俺の中に力が生まれたを感じたのだ。
だから、手首だけで空間を引っ掻いて、亀裂を入れる。
「あ――ぱ?」
俺を押さえていたゴミが二つ、亀裂に沿ってバラバラに砕け散った。……あぁ、臭い。ゴミの出す液体が全身にかかっちまった。
俺はゆっくりと立ち上がる。
ゴミ共がなにかを喚いて剣を抜いていたが、なんて言っているのかはわからない。ゴミ共の言語を理解できるはずもなかった。
「消えろ、ゴミクズ共」
俺は言って右手を一振りする。それだけで、空間に入った亀裂がゴミ掃除を行ってくれる。
……なんでもっと早くに気づかなかったんだろうな。やめてもらう必要も、嘆く必要もなかったんだ。
「殺せば良かったんだな」
俺は理解した。
この世界のヤツらは皆ゴミだ。だから殺せばいい。対話はいらない。躊躇もいらない。
それから俺は、家族四人の身体を燃やして灰にしてから、袋に入れて持ち歩くことにした。ゴミの蔓延るこんな世界で埋葬されるのは嫌だろう。
こうして俺は、この世界にいる人の形をしたゴミ共を一掃すべく、歩き始めるのだった。
憎悪と殺意だけが俺の中を満たして突き動かしていた。
更には、なんでかわからないが異世界人かそうでないかと見分けることもできるようになっていた。
理由は簡単、俺の目にはこの世界のヤツらが人の形をしたゴミの塊に見えるようになったからだ。
俺の精神性がそうさせているのか、力を得た時になにかが変わったのかはわからない。ただ、同じ異世界から来た人間を無暗に殺さずに済むのは良かった。
しかし問題もある。
ゴミが人の形をして動いているのを見る度に、吐き気を催すほど気持ち悪くなることだ。視界に入るだけで気分が悪くなる。だから殺すしかなかった。幸い空間操作の力はどれだけ使っても疲れなかったので、視界に入ったゴミは片っ端から一掃していた。
そんな中、俺はゴミ共の集団に遭遇する。
一つのゴミが他のゴミに囲まれていた。まぁそんなことはどうでもいい。全員殺すだけだ、と思ったのだが。
ふとかつての地獄が思い起こされた。
よくよく目を凝らしてみると、真ん中のゴミが人に変わっている。女性だ。どうやら俺のこの視界は、俺自身の認識によって変わるらしい。
女性が助けを求めているが、周囲に人影はなくこのままだと姉さんと妹のような目に遭いかねない。人に見えていようがゴミには変わりない。俺は無視しようと思ったのだが、身体は勝手に動いた。
俺はそこでゴミ共を一掃する。容易いことだ。
「あ、ありがとうございます……! 盗賊から助けていただいて……っ!」
女性は俺にそんなことを言ってきた。礼を言われるようなことじゃない。ゴミ掃除をしただけのことだ。というかこの前国規模を一つ滅ぼしたし、俺の存在は噂になっていてもいいはずだが、知らないのだろうか。
その後、ゴミと仲良く行動している勇者サマが来やがった。
勇者の存在は聞いていた。色々回っている最中に遭遇した、ゴミの中に紛れている異世界人から少しだけ話を聞いたことがある。
俺達異世界人の中で唯一、この世界に来ても大切に、いい意味で歓迎される存在。無性に腹が立った。綺麗事を並べられてイライラした。
この世界を救うために召喚されたらしいが、俺は「そんなことより同じ異世界人救えよ」と思ってしまう。言っても仕方がないことだと、わかってはいても。
ただ罪を償えとか言われたんで、キレた。それなら先にこの世界にいるゴミ共に償わせろよ、と。
異世界から来た勇者に世界の命運託しておきながら、他の異世界人は都合良く利用するとかゴミ以外のなんだって言うんだ。理解できない。
ただまぁ、強かった。俺は能力の都合上大抵のヤツとは戦いにすらならない。だが【空間断裂】で聖剣が砕けねぇし。結果としては相討ちになったが、実質負けたと言っていい。俺に回復能力はない。深手を負ったら死ぬだけだ。
とはいえ、それでいいとも思っていた。ようやく終われる。ただし行き先は四人のいる天国じゃなくて地獄だろうが。
……と、思ってたんだが生きていた。
目を覚ましてびっくりした。どうやら盗賊から助けた女性が俺を運び、治療したようだ。
ただ長居する気はない。
最後に脅して尋ねることにした。
「おい。俺のことを知らねぇのか?」
「……知っています。けど、あなたは私を助けてくれました。命の恩人を助けず見捨てれば、私達は本当に救いようがなくなってしまいます」
女性は怯えながらも強い瞳でそう口にする。俺は、その女性を見逃してやることにした。
それからしばらくして、なんか腕をいっぱい出してくる変なのとも戦った。勇者以外では一番苦戦した気がする。戦いの最中ずっとなにかを書いていて、殺される直前にどこかへ鳥を飛ばして紙を届けていたが。まぁ俺の情報なんてあってもなくても意味ないだろうと思っていた。
しかし、意味はあったらしい。
その後、矢文を送ってきた異世界人の暗殺者と殺し合うことになった。
戦いの最中に相手がつけていた仮面が壊れて素顔が露わになったのだが。
「――シゲ?」
当時とは全然違うはずなのに、瞬時にシゲだとわかった。
俺の反応を見て、シゲは微かに笑っていた。その顔を見て、シゲが俺のことを知って殺しに来てくれて、更には俺がシゲを覚えている前提で戦っていたことを理解する。
シゲは躊躇なく俺の心臓を刺した。
勇者の時とは違う、確かな終わりが近づいてくる。
シゲが俺の顔を覗き込んできた。……戦っている時とは違う、今にも泣きそうな顔だった。身体が大きくなっても、昔見たシゲと同じような顔だと思った。
これから死ぬって言うのに、俺は心が落ち着いていた。いや、これから死ぬからだろうか。
それとも、シゲに会ったからだろうか。
絶対にそれだという確信があった。
なにせシゲは、俺の唯一の戦友にして親友の、凄いヤツなんだから。
シゲはこの世界で生きていると言っていた。シゲがいればこの世界は大丈夫だと、不思議とそう思えた。
だからだろう。
「……あーぁ。やっと、世界が綺麗に見えたな」
薄汚いと思っていた世界の夜空では、星々が静かに輝いていた。
そこで俺の意識は途切れ、死んだ。
ただ、死んでからわかったことがあった。
身体と空気の境界があやふやになったような状態で、真っ白な場所に来るとなにより大切に想っていた家族が待っていてくれる。笑顔で手を振っていた。
でも、まだだ。まだそちらには行けない。
「ごめん、皆。もうちょっと待っててくれ」
俺は謝って、四人に背を向けた。背中に温かな「頑張って」が聞こえた気がする。
――今度は、俺がシゲを助ける番だ。
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