第七十七話 暗殺者VS簒奪者

 シゲオは街を出て、目的地である国境付近に向かう。

 朝家を出ることになってしまったので身体能力は低いままだが、できるだけ日陰を通ることで時間を短縮していく。また、動きやすいように途中から暗殺衣装に着替えていた。


 これ以上被害が出る前に実行しなければならない。


 段取りは事前に考えていて、必要な準備も進めている。


 ただ、全ては対象を発見してからの話だ。


 とりあえず予想範囲まで急ぎ、『索敵』で気配を探る。『気配遮断』を切らさず警戒しながら回っていく。

 昼間であっても荷物を背負いながら馬車より速く長く移動することができる。日が暮れる頃には目的地に着き、夜になってから探すことができた。


 そして、見つける。


 人気のない夜の草原で、独り木に寄りかかっていた。眠っているのか動きはなく、暗殺には絶好の機会だ。

 ただ今回は暗殺する気がないので、まずはどう戦いを挑むかになる。


「……」


 シゲオは数十メートル離れた位置で【闇に溶けゆ】を発動したまま片膝を突く。右腕を前に突き出して、左手で右手に装着した籠手のスイッチを押した。すると籠手の上部に簡易的なボウガンが出来上がる。シゲオなりに遠距離攻撃が欲しいということでグレウカに発注した武器だった。小型だが性能は良く、類する技能を会得したことで狙撃が可能となっている。

 訓練した通りに矢をセットする。見なくても咄嗟にできるくらいになっていた。矢には紙が結ばれている。古来の伝達方法、矢文というモノである。


 木に凭れている相手に狙いを定めて、手首の内側にあるスイッチを押す。セットされた矢が勢いよく飛び出した。『射撃』、『狙撃』、『狙い目』、『的中』といった技能によって矢は夜風を切って真っ直ぐに飛来する。


 座り込む彼の頭、その横の木に矢が突き刺さった。相手は微動だにしない。避けられなかったのではなく、当たらないと踏んで避けなかったのだ。


「……」


 静かに目を開ける。木に刺さった矢を見て、少し驚いた。


「矢文……?」


 彼にとって連絡を取る相手などいない。魔法が存在しているこの世界では、そもそも矢文などという手段は使っていなかった。


 不思議に思って矢から紙を解き折り畳まれたそれを広げて書いてある文字に目を通した。


「あ……?」


 読み終えた直後、タケルは憤怒の表情に変わる。力を込めすぎて空間に亀裂が入っていた。ヒビはどんどん広がっていき、手紙は空間ごとバラバラに砕け散る。それでも飽き足らず、地面に落ちた紙切れをぐりぐりと足で踏みつけた。


「いい度胸だ……! 誰だか知らねぇが、ぶっ殺してやる!」


 タケルはこの世界の人間を目にした時のような憎悪を滾らせて、場所を移動し始めるのだった。


 手紙には、こう書かれていた。


 勇者と引き分けた復讐者へ

 この文字を見ればわかると思うが、お前と同じ異世界から来た日本人だ。お前の境遇、所業を耳にした。気の毒だが、俺はこの世界で生きている一人の人間として、お前を殺す。

 しかし、それだけではお前に俺と殺し合う理由がない。だから一つ、教えてやる。


 お前の父を殺したのは俺だ。


 殺し合う気になったか? 

 明日の夜十時にレムナタ荒野の一本木の下で待つ。存分に殺し合おう。

 暗殺者より


 ◇◆◇◆◇◆


 シゲオの送った矢文を読んで、タケルはまんまと彼が待つ場所へと誘き出された。


 と言っても罠を設置していたわけではない。ただ他者に邪魔されない場所を選んだだけだ。


 レムナタ荒野はとある魔物の存在によりただでさえ魔物が少ない傾向にある。加えて魔物の数が減り始めていることもあり、魔物という邪魔も少ないと思われた。

 更に荒野に佇む大きな一本木の下は決闘の待ち合わせとして有名であり、人も寄りつかない。


 そもそもこんな夜更けに出歩く者などそうはいないが。


 シゲオはそんな場所でテントを張りゆっくりと身体を休めた上で、先制攻撃はないと見て佇んでいた。


 実際、彼は二十メートル付近に近づくまでなにもしてこない。


「よぉ、暗殺者」


 タケルが声をかけた。だが返事はしない。向き直るだけだ。


「来てやったぜ。てめぇが異世界人の癖に俺の親父殺したってのは本当か?」


 タケルの中で、唯一生存の可能性があるとすれば父親だけだった。他の三人は目の前で殺されており、この手で火葬もしている。ただ生死不明の行方不明なので、なんとでも言いようはあるのだ。自分を誘き出して軍隊を待ち伏せさせている可能性もあった。異世界人の身体を操作して書かせた線も残っている。むしろタケルはそちらの方があると思っていた。


「……そうだ。お前の父、柊慎を殺したのはこの俺だ」

「ッ!!」


 フルネームで言われてしまっては信じる他ない。タケルの中で憎悪が膨れ上がった。


「殺し合いが望みだったなぁ。いいぜ、ぶっ殺してやる!」


 殺気を着て歩いているようなタケルだが、より一層増幅している。


 ただ、シゲオは冷静に短剣を抜き放った。

 爪を立てるように構えるタケルの前で、左手に持つ短剣を宙に投げる。タケルは相手がなにをしてくるのか警戒しているため、先手を譲るつもりだった。回る刃が月光を反射して光る。落ちてきた短剣の柄は丁度良くシゲオの左手に収まり、直後姿が掻き消える。

 アネシアの提案で『ゾーン』に入るためのルーティンにしている行動だった。


「あ!?」


 相手が忽然と姿を消し、思わず声を上げた。だが行動は早い。咄嗟に右手を振るうと、途中で相手の脚に触れた。そこからは反射だ。危険を察知して触れたとわかった瞬間に身体を仰け反らせる。ほぼ同時に脚が上を通り過ぎていった。少しでも避けるのが遅ければ蹴り飛ばされていただろう。


 視線が交錯する。


 タケルの目の前で、相手が再び姿を消す。上体を起こして爪を振るってみるが、当たった様子はなかった。


 触れない限り姿の見えない暗殺者。

 タケルはこれまで相対してきた敵の中で、最も厄介な相手だと認識する。


 背後から伸びてきた腕が、細かに動かした身体と微かに触れた。咄嗟に前へ転がると、暗殺者が首を絞めるような恰好で立っている。


「チッ! 厄介な能力持ってやがるなぁ!」


 舌打ちして言う前で、シゲオは再び姿を消した。


 厄介な相手には自分から声をかけて動揺を誘う、というのもタケルが用いる手段の一つだった。自分から情報を引き渡すことになるが、全てを失った彼にとって自分が持つ情報など大したモノではないのだ。


 タケルは相手の速さを考慮して、通常の【空間断裂】では追いつかないと判断。牽制代わりに手刀を振るい、広範囲に亀裂を入れる。ただ当たることはなかったが、敵の行動範囲を絞ることはできた。


「おらっ!」


 背後に向けて爪を振るう。先ほど前に扇状に広がる亀裂を入れたので、背後に回っている可能性が高かった。そして、その予想は見事に的中する。

 敵の姿が露わになり、空間ごと砕け散った。だが流血はなく霞のように薄れて消えていく。はっとして屈むと、髪の毛が数本舞った。背後から短剣を振られたのだ。


 わざとわかりやすい背後に回り『残像』を残して再び背後を取る。一瞬でも反応が遅れれば、避け方が間違っていれば死んでもおかしくなかった。


 ……クソ。見えないだけの能力でここまで苦戦させられるかよ。


 狂気に堕ちて尚、タケルは冷静に頭を回すことができる。


 彼が持つ空間に関連した能力は確かに強力だが、それらを十全に活かす力がなければ宝の持ち腐れで終わってしまう。

 先ほどから寸でのところで攻撃を回避できているのは、彼が持つ才能の能力が一つ、【危機察知】と【戦闘センス】によるモノだ。自分に迫る危険を察知することができ、【戦闘センス】で身体が咄嗟に動く。更には【窮地に活路を】で追い詰められた状況ほど身体能力が上がるようになっており、戦いにおいて彼が単独で勇者と渡り合った理由となっている。


 因みに、タケルはそれらの存在を知らない。才能の儀を行ったことがなく、そもそも才能という存在を知らなかった。

 天啓とセンスのみでこれまで戦ってきている。


「【空間固定】!!」


 見えない相手と戦い後手に回るのは悪手だ。タケルは相手が瞬間移動ではなく素早く移動しているだけだと感じて、周囲の空間を固定した。

 すると、丁度駆けている恰好のシゲオが現れる。能力に晒されて【闇に溶けゆ】が解除されてしまっていた。


「はっ。こりゃいい、俺とてめぇは相性最悪だな!!」


 タケルは固定した空間はそのままに、右手の爪を振り上げる。もし攻撃されれば、無防備なシゲオに避ける術はない。


 だが対策はしてあった。


「あ?」


 なにかが巻きついて右手を止められ、そのまま引っ張られて体勢を崩した。見ると影のように黒い縄が巻きついている。集中が削がれて【空間固定】を解除してしまい、動けるようになったシゲオが走り出した。ただし姿は消していない。全速力でタケルに接近した。


 相手の方が速い、とタケルは舌打ちする。勇者と渡り合ったほどだが、相手が強すぎないために【窮地に活路を】で上がる身体能力の幅が少し小さくなっているからだった。あるいは、敵の能力との相性が良く追い詰められていると感じにくいからだろうか。

 爪で空を引っ掻き、亀裂が走る。だが引っ掻き傷がついた時点で早々に回り込んで避けられてしまっている。これでは当たるはずもない。


 手刀に切り替えて振るも避けられてしまい、相手は懐に入ろうとしてくる。だがタケルに手はあった。足を上げて思い切り地面を踏みつける。地面、いや空間に蜘蛛の巣状のヒビが入り足元の地面がバラバラに砕け散った。踏みつけによる【空間破砕】だ。足元が崩すことで体勢を崩させる目論みだったが。


 その程度で体勢を崩すシゲオではなかった。


 足元が崩れたことなどないように迫り、直前で消える。


「【空間固定】、ぐっ!」


 どこから攻撃を仕かけてくるかわからない状況で選ぶのは動きを封じることができる【空間固定】。他の攻撃よりは避けにくいというのもある。ただ、空間を固定するのと蹴りが脇腹に直撃したのがほぼ同時で、固定したはいいが蹴りを受けて体勢を崩し能力を解除してしまう。


「【空間歪曲】!」


 だが多少怯んだ程度では動きを止めない。攻撃を受けた直後ならどこにいるかわかるのだ。いる場所の空間を歪ませる。しかし、歪みが発生した瞬間にシゲオの身体が沈み、逃れていく。


「はあ!?」


 そのまま地面に潜り姿を消した相手に、思わず声を上げた。ただでさえどこにいるかわからないのに、潜る能力まで持っているのだから更にわからなくなる。


「クソがっ!」


 苛立ったように地面を踏みつけて、更に【空間破砕】。地面に潜ったなら地面から出てくると考えての行動でもある。


 少し考えて、しかしなにも考えずに手刀を振り回した。

 【空間固定】などは制御に時間を要する。特定の動作をするのではなく、自らが場所と範囲を指定しなければならない。動かずに集中を乱す術が相手にある以上、決定的な隙を作り出すことは難しい。なら無尽蔵に簡単に使える攻撃手段で数を補えばいい。


 時折【空間破砕】を挟み、迂闊に接近すれば偶々の攻撃で死ぬかもしれないと思わせておく。地面から出てくることを警戒しながらも無茶苦茶に暴れ回った。


 繰り返していると、シゲオが亀裂によって砕け散る。ただし『残像』だ。『残像』が見えたなら話が早い。


「【空間固定】」


 周囲全域の空間を固定する。シゲオは背後から跳び蹴りをしようとしているところだった。かなり近い。振り返ってシゲオを見つけたタケルはにやりと笑う。

 当然、【闇を司る力】によって集中を乱させようとするのだが、魔力を使う都合上感知することは可能だ。そして、同じ魔力によって防がれてしまう。


「万策尽きたって顔でもなさそうだ。忌々しいぜ」


 圧倒的優位に立っているからか、余裕がある。


「死ね」


 タケルが拳を振り上げた。シゲオの身体を粉々に砕く気だ。


 しかし、タケルので魔力が生じたかと思うと、耳が切り飛ばされた。


「ぐぁ!?」


 血が飛び散り、手で耳を押さえる。制御がままならなくなり、シゲオは地面に落下した。

 人体は必ず影が出来る。例えば、耳の穴とか。夜の今ならどこからでも【闇を司る力】は発動できるが、シゲオが真っ先に練習していたのは夜でなくても影が出来る箇所。今のシゲオは影に身を潜めたまま、魔力を通すだけで暗殺ができるのだ。


「てめぇ!」


 今まで殺れたのに殺らなかったことを理解して激昂し、着地したシゲオへ拳を叩き込む。

 シゲオはタケルが思うようなつまらない決着を望まなかっただけなのだが。


 シゲオはスウェーで避けようとするが、僅かに間に合わず仮面が砕け散った。身体にも微かに当たっているが、大きな影響はない。


 だが、タケルにとっては大きな影響があった。


 動きを止める。身体が硬直している。驚きに目を見開いていた。信じられないモノを見たというような顔だ。

 明らかな、致命的な隙だった。


「――?」


 呆然と呟いた言葉を聞いて、シゲオは仄かに笑みを浮かべる。嬉しさと安堵があった。


 ……あぁ。やっぱり、覚えててくれたんだな。


 致命的な隙を晒したタケルへと肉薄して、逆手持ちした短剣の刃を胸に突き立てた。

 間違いなく致命傷だ。タケルは口端から血を零して、仰向けに倒れ込む。


 そんなタケルから見える位置で見下ろしたシゲオは、己の心内を語っていく。


「……親父さんから頼まれたんだ。唯一生き残った息子が道を誤っていたら止めて欲しいって」

「それで、俺を殺しに来たのかよ……。律儀だなぁ、シゲは」


 タケルの表情は少しだけ柔らかくなっていた。少なくとも憎悪と殺意に塗れてはいない。


「……それもあるけど。タケがそうなったんなら、殺してでも止めないと」

「ははっ。容赦ねぇなぁ」

「……容赦とか情けとかあったら嫌がると思って」

「ぶはっ! そりゃそうだ!」


 話す二人は、先ほどまで殺し合いをしていたとは思えなかった。

 タケルは自分をきちんと理解した発言と、世界を救う勇者様ではわからず苛立ったことを思い出して吹き出す。咽せて血を吐いていたが。


「……なぁ、シゲ」

「……なに?」

「もし、まだ戻れるヤツがいたら、止めてやってくれないか?」

「……」


 悲惨な目に遭って復讐に奔る異世界人を、ということだろう。丁度身近に心当たりがあった。


「返事は?」

「……わかったよ」

「ならいい」


 タケルは笑う。シゲオならやってくれるだろうと確信して安心していた。


「……あーぁ。やっと、世界が綺麗に見えたな」


 彼はそう言って、最期に澄んだ夜空を仰ぐ。

 そこで身体から力が抜け、目から光が消える。


 シゲオはタケルの最期を看取り、同じように空を仰いだ。


「……もっと早くに、助けたかったな」


 タケルの方が早く転移してきたことはわかっている。だからどう足掻いてもタケルの運命を変えることはできない。

 わかってはいる。わかってはいたが、そう思わずにはいられなかった――。

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