第二十七話 助けた青年

 ある日のこと。

 勇者一行が向かっている街は少し遠いところにあるので遠出になるからと、師匠が腕を振るってくれることになった。

 そういう時は必然、街のパン屋で焼き立てのディエールパンを買うのが流れだった。


「……っ」


 だが、今日はやめようかと一瞬思ってしまった。店番をしている青年に見覚えがあったのだ。

 気の弱そうなイケメン君、ルグニカに弄ばれていた彼だった。……いやこんな偶然ってあるかよ。確かにここの親娘が兄は騎士になってから帰ってこないとは言ってたけど。それにしたってその兄がリュイルで、丁度俺が暗殺しに行った時にルグニカのところにいるかって話だ。


 まぁ、声を発さなければバレることはないだろう。顔も目元しか見えてなかったわけだし。


「いらっしゃい。どれも焼き立てで美味しいですよ」


 彼は俺に気づいていないかのように営業スマイルで声をかけてくる。


「……」

「えっと……ディエールパンを三つ、ですね。ありがとうございますっ」


 声は聞かれているので声を発さずに指で示してパンを購入する。代金を払いほかほかの紙袋を受け取った。


「っ……!」


 その時、一瞬目が合ってしまった。すると青年は驚いたように目を見張る。……まさか今ので気づかれたか? いや、目が合っただけなら大丈夫なはず。


 俺はそれ以降目を合わせずぺこりと一礼して立ち去った。


「あ、待って!」


 俺を呼び止めようとする声が聞こえた。だが俺ではないと思い込んで無視する。少しだけ足早になって裏路地に入り込み、影を使って存在ごと溶ける。


「あ、あれ? ここに入っていったはずなのに」


 やはり俺を追ってきていたようだ。気配を殺して歩く俺が見えていないようで、こっちを覗き込んで怪訝そうな顔をしている。……これは師匠に相談だな。正体がバレたなんて知れたら俺が怒られるか、最悪あの人口封じに……いやそれはないか。


 ともあれ危うい状況になってしまったので気配を殺し影を伝って帰宅することにした。


「正体がバレたぁ?」


 師匠に報告したら眉を顰められた。事情を掻い摘んで説明する。


「あー……そりゃ運がないねぇ」


 怒られるかと思ったが、師匠は困ったように苦笑しただけだった。


「……やっぱりマズい、ですかね」

「んー……。敵にバレたならマズいだろうけど、今回はあんたがそいつを助けた側だからね。『気配同化』でやり過ごそうにも、多分難しい。目と背丈、雰囲気とかを把握されちゃってるから発見される」

「……ですよね」


 相手にとって印象的であればあるほど、『気配同化』で景色に溶け込むことが難しくなるのは知っている。だが俺が印象深くなることはほぼないと言っていいので、これまでになかったのだ。ただ命の恩人にして共闘相手となるとちょっと難しい。


「う~ん……。大した問題にはならないけど、うっかり誰かに話されても困るからね。手を打とうか」


 手を打つ、か。殺害か賄賂。どっちだろうかと思っていたが。


「今度話しかけられた時、事情を話してみなよ」

「…………えっ?」


 思っていたのと違ったので、いつもより間を置いてしまった。


「なにをそんなに驚いてるんだい? まさかあたしが善良な一般人相手を殺したり賄賂払ったりすると思ってたんじゃないだろうね」


 ジト目で見られて、全く以ってその通りだったので視線を泳がせた。


「……はぁーっ。全く、この程度じゃそんな物騒な手段は使わないよ。そもそも口封じは政府からされているだろうからね。あたしだってあたしが暗殺者ってことを知ってる部外者がいる。フラウなんかはいい例だよ」

「……なるほど」

「と言っても明け透けにひけらかすような真似はダメだけどね。今回みたいに仕方のない時は、正直に話しちゃって味方側にしちゃうのがいいんだよ。大体あんた、同性の友達いないだろ」


 直球でショックなことを言われてしまった。胸が痛い。いや待て。反論の余地があるぞ。


「……異性の友達もいませんよ」

「なんでそれで心持ち直してるんだよ」


 真っ向から言い返せた、と思ったら呆れられてしまった。……まぁ、確かに。余計悪化させてるし。


「兎に角、いい機会じゃないか。隠し事をし続けるってのも大変だからね。共有できる知り合いがいると心が楽になるってもんだよ。それに、バラされる心配もないと思うよ。政府が口封じをして、今この街にいるんだから。口が軽いヤツならとっくに始末されてるさ」


 朗らかに笑って非常に怖いことを告げてくる。師匠がそう言うなら、いいんだろう。


「それじゃあ依頼の場所へ向かおうか。帰ってきたら、ちょっと考えてみればいい」


 優しく笑って、一旦お開きとなった。出立の準備を整えて、勇者一行を暗殺しようと企む貴族を始末する依頼へと向かう。


 次男の救出は師匠の担当、俺は長男と助言をしているヤツの暗殺を実行した。


 寝静まったところを忍び込んで殺したので、特にトラブルもなにもなかった。次男は監禁状態だったため衰弱していたが、命に別状はないとのことらしい。領主として勇者に謁見させる、ということさえさせず安静にしていれば良いだろうということだ。

 次男は政府の協力者に引き渡して保護された。政府の手の者を補佐として送り込み、領地運営の方針をコントロールするらしい。革命を行った後の国の舵取りにも一役買えるということである。邪魔者を排除し自分達の思うように方針を作らせる。いやぁ国って怖い。


 戻ってきた時。一応『気配同化』を使っていたのだが。


「あっ! 待って!」


 パン屋で店番をしていた青年に見つかってしまい、風の速さで肩を掴まれてしまった。……一応通りの反対側にいたんだが。意外と強引だな。前回逃げられたことで今度は、と思っていたのかもしれない。


「ごめん、引き止めて。でも少しだけいいから話をさせて欲しいんだ」


 神妙な顔で迫られては断る勇気など持てるはずがない。人の注目が集まってきていることもあって緊張し、成す術なく頷いた。すると店の裏側に連れ込まれる。カツアゲ……は流石に思われないか。


「僕はリュイル。君、あの事件の時にいた人だよね?」


 彼は軽く名乗ってから少しトーンを落として聞いてきた。あまり言いたくはなかったが、師匠から言ってもいいと言われているので、渋々首肯した。


「やっぱり! 良かった、一言お礼を言いたかったんだ!」


 リュイルはぱぁと表情を明るくして笑う。


「……別に、仕事だから」

「人助けの仕事なんだね」

「……人殺しの仕事だろ」


 わざと素っ気なく返しているわけではなく、初対面だったらこんなモノだ。これでも師匠と関わっていることで多少マシになっている方だと思う。


「そうかな。でも、君のおかげで僕はあの地獄から救われた。本当にありがとう。……この前もうちの店に来てくれたみたいだし、母さんにも割引きしてもらうように言ってみるよ。多分許してもらえると思う」


 リュイルは心から感謝を述べてくれる。その後で、利点を提示してきた。……交渉が上手いな。確かにここのパンは美味しい。師匠のお気に入りでもあるし、割引きしてもらえるのは嬉しい。


「……割引きはお願いしたいけど、用件が終わったなら行っていいか?」

「えっ? あ、うん……。そうだ! 良かったらまた話そう」

「……わかった」


 図々しい答えだったからか困惑していたが、最終的に引いてくれた。自分が強引に引き止めたことを考えてのことだろうか。いいヤツだ。いいヤツだからこそ俺なんかと関わる時間を作らなくていいのに。人生の無駄遣いだ。


 その日は正式に顔を合わせただけに終わるのだった。


 ただリュイルは事ある毎に俺に絡んできた。彼としてもあの時のことを隠さないで済む相手はいい話し相手になるのだろうか。まぁ俺は相槌を打つだけというのが通例だったが。

 しかし、彼のことで一つ気になることがあった。


 それは、接客する時に女性を避けている節があることだ。リュイルはイケメンなので女性客が寄ってくる。だがお代を受け取る時やパンを渡す時など客と手が触れそうになるタイミングでは母か妹がやっていた。


「……女性恐怖症なのか?」


 間に暗殺を挟みながらも、何度か声をかけられている内に自分から話題を振ることができた。


「……あぁ、うん。そうなんだ。あれ以来ちょっとね……」


 リュイルは答えにくそうにしながらも答えてくれた。ルグニカの影響のようだ。まぁ普段からあんな扱いをされていればそうなるか。


「……そうか。それで接客業か」

「うん、難しいのはわかってるんだ。でも働かなきゃ。とは言ってももうすぐ冒険者になろうかとは思ってるけど」

「……どうして?」

「やっぱり僕の才能は戦い向きだな、って思うから。運搬にしてもあんまり重いモノを持ち上げられるわけじゃないし。……それに、あの人も一応最初はちゃんと指導してくれてたから」


 なるほど、風の斬撃は偶然じゃなかったということか。


「……どう、かな。冒険者は難しいって聞くけど」

「……さぁな。割りと、人間死ぬ気になればなんとかなるから」


 それはこの世界に来て俺が一番学んだことだ。


「そっか。じゃあ本人の頑張り次第ってところかな」

「……ああ。けど女性恐怖症なら、パーティを組むのに都合が悪くないか?」

「あー、うん。そうだね。でも女性とパーティを組まなくてもいいだろうから。できれば男性パーティに入れてもらう感じかな」

「……そっか。まぁ頑張れよ」

「シゲオもね。危険度で言ったらシゲオの仕事も相当だと思うけど、大丈夫そう?」

「……まぁ、鍛錬は欠かしてないから」


 努力を続ければ、完璧とまではいかなくても多少なんとかなるモノだ。互いに競い合い高め合う環境では努力を続けても才能という壁が立ちはだかる。ただ暗殺者は相手を殺すことにのみ全力を尽くしている。どんな才能があろうと相手さえ殺せればそれでいい。

 その点で言えば、勝ち負けに拘るのに慣れていない俺向きの仕事ではあるのかもしれない。まぁ依頼業なのである程度の競い合いは発生するか。


「僕も毎日剣を握ってる。少ないけど一応戦闘経験もあるし、冒険者でもなんとかやっていけると思うんだ」

「……なら、やってみればいい。後悔しない内に」

「うん、そうするよ。シゲオはまた仕事だって?」

「……ああ。しばらく街を離れるな」

「じゃあ、次に会う時は冒険者になってるかも」

「……いい報告を期待してる」

「うん。……そっちも、死なないように」

「……わかってる」


 そんな言葉を交わして、パン屋の裏手から立ち去った。最近ここに来ることが増えてきた。パンを割引してくれることもあるが、師匠が俺に友達をというスタンスなので頻繁にパンを強請るのだ。そのせいで今ではすっかりここに通うようになってしまった。なんだかんだ、こういう話し相手がいるのも悪くないと思っているのかもしれない。俺としてはこれまで通り、いなくてもいいかと思っていたのだが。

 「いなくてもいい」は「いるともっといい」なのかもしれない。……以前の俺だったら絶対イラつく認識だが。「は? 面倒事が増えるだけだろ」とか思っていそう。まぁ相手にもよるんだろうな、こういうのは。元の世界にリュイルほど人間のできたヤツがいたかどうかは……怪しいところだ。どちらにしても同年代の子供だったわけだし。リュイルはあまり自己主張がないというか、他人が合わせやすい雰囲気がある。それがモテる要因なんだろうなぁ。女性客に言い寄られている時に俺を見かけて嬉々として話しかけてくるのを何度か目撃されているので、変な噂が立っていないか不安だ。まぁ周囲の俺に対する認識は限りなく薄いので、そんな心配はないか。そもそも女性恐怖症になってしまっているところがあるので、周囲の勝手な面白がりは良くない。


 それから師匠と共に街を発った俺はまた暗殺者として仕事をこなした。帰ってくると立ち寄ったパン屋でリュイルが嬉しそうに声をかけてくる。それから冒険者になったこと、無事男性のみのパーティに入れたことなどを報告された。俺は仕事の都合上仕事での話をあまりできないので、こういう時は聞き手に回る。リュイルも俺の職業については知っているので深くは聞いてこない。


「何度か戦ったけど、最近はモンスターも増えて強くなってきるみたいだね。騎士団にいた頃と戦った同じモンスターでも、全然手応えが違ったよ」

「……ああ、災厄の影響らしいな」

「うん。勇者様が各地を回って災厄を未然に防ごうとはしてくださってるみたいだけど。どうにも手が回り切らないみたいで。同時併行で災厄に対抗する手立てを揃えてる、とかだったかな?」

「……大変だな」

「他人事だね。まぁ、シゲオらしい気もするけど」

「……俺には災厄に対抗する力がないからな。滅びるなら、その時は足掻いたって仕方ないだろ」


 災厄で俺が死ぬ時は、世界が滅ぶ時だ。あの勇者君は頑張っているだろうが、それでもダメな時はダメだろう。ここは異世界だが、現実だ。物語のように奇跡などそう簡単に起こりはしない。あるいは奇跡じゃなく当たり前の結果として世界を救うために、努力をするのか。


「確かにね。でも、勇者様が災厄と戦う時、モンスターもいっぱい集まってくると思う。それを手助けすることならできると思うんだ。僕は、それをしたい」

「……なら、頑張ってくれ。俺はそういうの向いてないから」


 モンスターの大群に挑むとか、やってられない。夜ですらやりたくないな。


「そっか。まぁシゲオは忙しいからね。あ、そうだ。依頼も順調だから余裕できてるし、今度どっか食べに行かない? うちのパン買ってくれるのも嬉しいんだけど、やっぱり立ち話してばっかりだからさ」


 なんでこいつはこんなに自然と人を誘えるのだろうか。俺には到底理解できない。


「……まぁ、時間がある時なら」

「やった! 約束したからね」


 家でも独り、学校でも独りだった俺なので、ともすれば人生初かもしれないイベントだ。とはいえそう気負う必要はないのだろう。リュイルも困るだろうし。


「これからもお互いに頑張ろう、ってことで。今回は僕が驕るよ、いつもお世話になってるからね」

「……そっか」


 お世話した覚えはないが、厚意なら受け取ってもいいと思う。もちろん次があれば割り勘だろうが。


「じゃあまた今度来た時に、空いてる日教えて」

「……ああ」


 一緒に食事に行く約束を取りつけられ、俺は帰宅した。それを師匠に話したらなんだか凄く嬉しそうな顔をしていたが。それこそ自分のことのように。まぁ普通の人から見たら、ぼっちとか人見知りって心配になるんだろうな。精神が若いと「可哀想」、精神が大人だと「心配」になるんだと思う。


 とはいえ俺はこれから数週間かけて暗殺に臨む。しばらくは顔を見せることもないだろう。これまで通りの時間、これまで通りの日々だ。


「……」


 ただ、あまり外食はしてこなかったので、食事は少しだけ楽しみだった。


 ――それが叶わない約束だとも知らずに。

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