第九十二話 女子二人
「私についてきて良かったの?」
私は宿屋の一室で、一緒についてきたノルンに尋ねた。
「はい。今は、リリィについていた方がいいと思いましたから」
冷静そうではある。
「そうじゃなくて。シゲオくんと一緒にいたいんでしょ? 私といると、しばらくは会えないわよ」
「そうですね。ですが、主様にはアネシア様がいます」
さっき話していたあの様子を思い出すとイライラしてくる。頭から追い払って冷静さを保った。ノルンに当たっても仕方がない。もし今度現れたら、滅多斬りにしてやるとだけ思っておく。
「ふぅん。そうやって身を引くから一番になれないんじゃない?」
ただ苛立ちが募っていたからか、ついそんなことを言ってしまった。
最初会った時、私はノルンをからかっていた。ノルンも私を警戒していた。
そんな時、二人だけで一緒になったことがあり腹を割って話したのだ。そこでノルンのシゲオくんへの気持ちだとか、私のことについても聞いている。
「友人の助けになることが、そんなに不思議なことですか?」
ノルンは挑発に乗ってこなかった。逆に聞き返されて、なにも言えなくなってしまう。
「……別に」
「そうですか、なら良かったです」
辛うじてできたことは、話を終わらせること。私から振っておいて情けない。
友人。彼女はそう言った。間違いはない。私も、ノルンとは友達だと思っている。私とは正反対というか、気が合わないところが多い。けど、嫌いじゃない。
ただ少し考えて、反撃の糸口を見つけた。
「そんなこと言ったってさ。私とシゲオくんが崖から落ちそうになってどっちかしか助けられないってなった時、ノルンはシゲオくんを助けるでしょ?」
意地の悪い質問だ。ノルンのことを友達として、よく知っているからこそ答えはわかり切っているというのに。
「はい」
ノルンは動揺せず即答した。……ここで迷うようなら友達を辞めていたと言ってもいい。ノルンは忠誠心の高い、恋慕を抱く従者なのだから。シゲオくん第一じゃないノルンとかノルンじゃない。そういうイメージすら私にはあった。
「私が主様を助ければ、主様が必ずリリィを助けてくださいますから」
ただ次の言葉は予想外だった。
「はあ? そんなわけないでしょ」
私は苛立って声が大きくなってしまう。
「今も私を殺すか殺さないかで迷ってるようなヤツが、助けるわけないじゃん」
「主様は、できるだけ客観的であろうとしているようですね。私はどうしても、難しいので」
ノルンはそう返した。……客観的になったら私を殺す理由があるって? まぁ、それはそうだけど。
「ですが、主様は最終的にリリィを助ける方を決断してくださいますよ」
「そうとは思えないんだけど」
ノルンはシゲオくんに対しては盲目と言うか、全肯定って感じがしている。私から見るとそうは言えない。……あるいは、そこがシゲオくんとノルン、シゲオくんと私の差なのか。
シゲオくんには冗談めかしたけど、聞いたことがあった。私のことを口説くつもりがあるのか、と。口説くっていう言い回しはわざとだけど、要は私を生かすために説得する気があるのかどうか。その時も曖昧な答えだった。
今思い出してもイライラする。
「主様に、なにか言われたのですか?」
「そうよ」
「なるほど。であれば、主様が珍しく迷われていることに理由があるのかもしれませんね」
「客観的がどうのって言ってたじゃない」
「はい。ですが、それ以外にも殺すことがリリィにとって良いことである、という観点も持ち合わせていなければあそこまで悩まないと思います。リリィには心当たりは、ありますか?」
尋ねられて思い当たる節があった。
あの家を訪れたばかりのこと。下着姿で誘惑に行った時のやり取りで、そういうようなことがあった。
「その様子だとありそうですね」
「煩いわよ」
「図星ですか。リリィは殺されたいか、殺されたくないかどちらですか?」
「なによ」
「答えてください。私はリリィの考えを聞きたいと思います」
「わかんないわよ、そんなの」
「そうですか」
おざなりに答えたつもりだったが、あの時シゲオくんに対して言ったことと同じだった。
「主様はきっと、リリィがどうして欲しいかで悩んでいるのでしょうね」
そしてノルンは言った。
「……ふん。自分の手で知り合いを殺したくないだけじゃないの」
「自分を誤魔化せない嘘は吐かない方がいいですよ」
強がったが、すぐに見破られてしまった。……当たり前か。私自身すら騙せない嘘なんて。
「ふむ。主様はリリィがどうして欲しいか確信を持てないでいる。リリィは自分がわからないから引っ張って欲しいのに主様が迷っていることに苛立っていると」
「なんでそうなるのよ!?」
「なにかおかしなところでも?」
「だって、その言い方じゃ……シゲオくんに引っ張って欲しいみたいな感じになるじゃない!」
そんなことはない。あり得ない。
「違うのですか?」
だがノルンは首を傾げて不思議そうに尋ねてきた。
「違うに決まってるでしょ」
私は強く否定する。
「それなら、どうして悲しそうだったのですか?」
聞かれて、答えに詰まる。……悲しそうだった? 私が?
「怒る理由は、なんとなくわかります。主様が曖昧な答えのままでいるからでしょう。はっきりしないことが、あまり好きじゃないのは知っていますから。でもそれで悲しむ理由がわかりません。主様が迷っていることが、リリィの悲しみに繋がる理由は、なんですか?」
ノルンが再度尋ねてくる。私は、答えられなかった。ノルンは多分、私の答えをわかっている。わかった上で、私に言わせようとしている。
「わかりました。では私が今ここで殺しましょう」
「は?」
ノルンの言葉にきょとんとしてしまう。そして、間一髪のところで忍者刀の一振りを回避した。
「あ、あんたバカ!?」
「どうして避けるんですか? 迷うくらいなら殺してと言ったんですよね? なら主様が殺しても、私が殺しても結果に変わりありません」
「そうだけど宿屋で襲いかかってくるなんて!」
「暗殺者なら当然のことだと思いますが」
「そうだけど!!」
ノルンは会話しながら斬りかかってくる。家具などを一切傷つけないようにしているし、本気ではないのはわかる。ただ目的がわからない。
しばらく繰り返してから、攻撃の手を止めてくれた。
「リリィ。あなたは、主様になにを期待しているのですか?」
紫紺の瞳が私を捉えて逃がさない。
「っ……」
「主様になにをどうして欲しいのですか?」
「煩い……っ」
「主様になにを求めているのですか?」
「煩いって言ってるでしょ!」
ノルンの質問に、私は声を張り上げた。
「シゲオくんに期待することなんかないわよ!」
「なら、悲しく思う必要はありません。ただ主様の決心を待てばいいだけです」
「……だから、悲しんでなんかないわよ。見間違いでしょ」
「泣いていたのがわからないとでも思っているのですか」
ノルンの言葉が私の胸を抉ってくる。自分でも無理があるとわかってはいる。でも、拒んでしまう。
不意にノルンが私のことを抱き締めてきた。
「なに、して……」
「今のリリィは、子供のようです。落ち着いてください」
温もりが伝わってくる。頭を撫でられる。嫌、だと思っても突き飛ばせない。
「私は主様のことを心から慕っています。アネシア様のことを尊敬しています。リリィのことを友人として気にかけています。あなたが私のことを見ているように、私もリリィのことを見ています。建前を取り払って、自分の心と向き合う時ですよ」
「……なによ、偉そうに。私と歳変わらない癖に」
「はい。ですが、傍から見ているからわかることもあります」
ノルンの口を塞ぎたい。これ以上聞きたくない。でも、目頭が熱くなって普段通りでいられない。
「リリィ。こすぷれ? なるモノをしている時は楽しいですか?」
「もちろん」
「では主様と異世界の文化について語り合っている時は、楽しいですか?」
「……」
答えなかった。でも、ダメだ。ノルンは誤魔化されてはくれない。
「……ええ」
頷く。シゲオくんがどうのではなく、これはオタクを名乗るが故の矜持。好きな作品について語っている時の気持ちを偽ることはできない。
「リリィは、誰と一緒にいる時が一番楽しいですか?」
聞かれて、また答えられない。なによりも楽しいのはオタク文化について語っている時。つまり、一人しかいない。
「……違う。シゲオくんじゃなくたって、同じ話ができるなら楽しいし」
「そうでしょうか。では、仮に異世界へ帰ったとしましょう。そこで同じ話ができる方と語り合うところを想像してください。楽しいですか?」
「楽しいに、決まってるでしょ」
「ダメですよ、嘘を吐いては。なにせその人達は、リリィがこちらの世界でどんな目に遭ったのか知らずにいますからね」
「っっ!!!」
ノルンの優しく抉る言葉に、身体が跳ねた。……そうだ。どれだけ同じ話題ができたとしても、どこかで薄暗い感情が募るに違いない。隠し事をして生きるのは、辛いことだ。隠し事が重ければ重いほど、楽しさの裏に強く潜んでしまう。
「……そんなの、話せば」
「話せるとは思えませんが」
それはそうだ。あんなこと、誰かに話せるわけがない。ノルンは話を聞いたから、代わりに話しただけで。
「もう一度聞きます。誰と一緒にいる時が、一番楽しいですか?」
「……」
考えたくもない。ただ、事実はわかっている。認めたくない気持ちが強くて、言葉にできない。
「リリィ。あなたは異世界から来ました。こちらの世界で、言葉にするのも悍ましい目に遭いました。そんなあなたを一番理解しているのは、誰ですか?」
「……シゲオくんだって言うの?」
「聞かなくてもわかるでしょう」
「……」
「男だからどうとか、どうでもいいですよ。取り繕う必要はありません。言葉の枠を広げなくていいんです。リリィが、誰をどう思っているかだけで」
私が、シゲオくんを。
わからない。考えようとすると考えを止めてしまう。多分、私が怯えている。怖がっている。なにに、というのはわかっている。
「……うる、さい」
目から涙が溢れてきた。ぎゅっとノルンにしがみつく。
「煩い、わよ……っ。知らない、あんなヤツ知らないんだから。シゲオくんなんか、別にどうでもいいんだから……」
「はいはい、そうですね」
「絶対思ってないじゃない」
「そっくり返しますよ」
本当に煩い。わかっている。言われなくてもわかっている。自分がなにをどう思っているかはわかっている。
私を助けておいて。
人斬りになる直前で留めておいて。
なのに、いざとなったら自分で決めろとか投げ出して。
私はもう中身がぐっちゃぐちゃで、よくわからなくなっている。元はこんなんじゃなかったはずだ。もっとさっぱりした性格だったのに。
ぐちゃぐちゃになった私を繋ぎ止めておいて、なにもしない。
私はいつ崩れるかもわからない危うい均衡を保つだけで精いっぱいなのに。
アネシアさんのことも、ノルンのことも、リサのことも助けておいて。
私のことになると急に尻込みして助けると言い切れないヤツなんて。
「主様も、リリィも、不安なだけだと思います。そういう時は思い切ってぶつかるといいのですが」
「……あんたじゃないんだから」
「そうですね、私はあの時本音でぶつかって良かったと思います」
「煩い」
「駄々っ子のようですね」
「煩いって言ってるでしょ」
「はいはい。落ち着くまで待ってあげますから」
ノルンはずっと私を抱き締めて頭を撫でている。
平静さを保とうとしていた心が崩れてぐちゃぐちゃになり、色々なモノを吐き出すかのように泣き出してしまった。
――私の気持ちなんて、単純なモノだと思う。
世界を跨いで価値観がぐちゃぐちゃになったんだから、心の拠り所が欲しい。
色々あってすっかり忘れていたオタク的な楽しいことをしたい。
でも殺意と理性が渦巻いていて全然安定しないから、誰かに留めておいて欲しい。
危うい状態の私を、幸せにして欲しい。
……全てを叶えられる立場にいる人が、一人しかいないだけの話。
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