第四話 ホームレス

 俺はなにを間違えたのだろう。


 何度目かもわからない疑問を思い浮かべる。

 答えはもう出ているのだ。


 あの日、この世界に来た初日だ。あの日に間違えたからこうしてが経った今完全なホームレスとして過ごしている。


 俺は初日に、この世界で最重要とも言える才能の確認方法について、工藤に聞き忘れた。それはまぁ、異世界に来た初日だったから混乱と困惑の中で完璧に振る舞えと言う方が難しいとも言える。甘い評価かもしれないが、正直なところいきなり転移しましたじゃあなにからやりましょう、で成功するヤツが凄い。

 勝手のわからない世界で図太くいられるほど、俺の心臓は頑丈でないのだ。実際問題こうして転移してみて、なんだかんだ異世界での生活をある程度すぐに手に入れている辺り、主人公たり得る人物は凄いのだろうと思っている。少なくとも俺には無理だった。


 とはいえ、最初から完璧に世界のことを理解しようとできなかった俺だがその後の行動が酷い。……ただ単に、聞きに戻れば良かったんだ。勇者様の口利きなら難なく確認してもらえるだろうし、自分でやるにしても方法さえ聞ければいい。気まずいとか話しかけづらいとかそんなことばかり気にして実行に移さなかった。


 工藤は『勇者』として歓迎されているが、それ以外の異世界人が歓迎されるかは未だ不明だ。俺は少し、歓迎されないのではないかと考えている。いや表向きは歓迎するのだろうが。故に「才能ってどうやって確認するんですか?」と街の人に聞くのは悪手だ。工藤も言っていたように、この世界の人からしてみれば未知の技術を持っている。そんな異世界人の頭脳を解析したいと思わないわけがない。人権的にどうなのかと日本人なら思うだろうが、ここは日本じゃないのだから保証される確証がない。しかも俺は誰かに召喚されたわけではなく、偶然こっちに来た。そうなれば俺を確保して解剖し脳を奪ったとしても、バレる心配がないのだ。


 ……とまぁ、才能の確認方法を聞かなかった俺だが、ネガティブな方ならスムーズに頭が回る性分だ。


 兎も角そんな予想を立てた俺は、善意な人々であろう誰かにすら異世界人を仄めかすような話はできないと思っていた。立てていなくてもできなかったとか言わない。

 結局、俺が異世界に来てから三日目に勇者様は別の街へ行ってしまった。それまでに行動できなかった俺が悪い。


 二つ目の間違いはそれからの行動だ。街を歩き回っていた時に、求人募集というか手伝いが欲しいと言っていた店は何軒かあった。店の人がぼやいているのを聞いたのだ。しかしそれらは基本的に宿屋や定食屋などと思われる店だったので、どうしても接客が必要になる。俺にはできない仕事だと、やる前から諦めてしまったのだ。……人と関わらずにやる仕事なんて、あるわけないのにな。


 要は、俺はこのままじゃ野垂れ死ぬかもしれない、という不安を抱えながらも今の自分にはできないことだと甘えてやろうとすらしなかったのだ。結局取り返しのつかないところまで落ちてしまった。本気で生活を得たいなら、俺は今までの自分と決別して嫌なコミュニケーションにも積極的になっていかなければならなかった。そうしなかったのは現代人の甘えなのか、俺自身の甘えなのか。両方合わさってより酷くなっているようにも思える。そういえば俺は夏休みの課題なんかも後の方になって危機感を覚えてからやるタイプだったな。


 なんとか浮浪者の生活を盗み見て水の確保を行い五日生き延びた頃、死を予感し始めていた。段々と睡眠時間が短くなり、意識がはっきりしなくなり、手足が痺れ出すのだ。無論、そうなってからではもう遅い。危機を感じて「ヤバい、なんとかしなきゃ」と思うのでは遅いに決まっている。


 食糧については簡単だ。路地裏のゴミ箱を漁る。ただしこれにもホームレスなりのルールがあるようで、最初他の浮浪者の近くにあったゴミ箱を漁ろうとしたら突き飛ばされて、顎であっちへ行けと示された。それからうろうろしていてわかったのだが、どうやら浮浪者はゴミ箱の近くに一人住んでいる(?)らしい。そこのゴミ箱は俺のモノな、みたいな暗黙の了解があるらしい。幸いにも空いているゴミ箱があったのでその近くで今は暮らしていた。最初は匂いだったりゴミ箱に手を突っ込むことだったりに抵抗はあった。しかしそれが毎日だと次第に慣れていくモノだ。食べ物も、腐りかけどころか腐ったモノやカビの生えたモノすらあった。当初毎日腹を下しまくっていたのが、今では下すことすらなくなった。溝に偶然小さな魚がいたので食ったこともあったかな。意外と食えるモノなんだと思った。美味しくないのは当然として。


 ただ人間、意外と適応力は高いのだと思った。


 俺がと言うより人間全体の話だ。以前だったら「あんなモノ食えるか」と思っていたモノですら、今では大事な食糧になっている。不思議なモノで、長く続けていれば身体が慣れてくるのだろう。急激な変化で体調を崩す、寝込むなどはあるが。それでも日々続けていれば実るのだ。俺はしたことがないが努力と似たようなモノだろう。違う。


 とはいえ満足に食事を摂れていないので、いくらか肉が削げ落ちている。ほとんど骨と皮だけに見えるが、これでもまだ一月しか経っていないので他の浮浪者と比べればマシな方だ。

 生ゴミが多いことが幸いして、なんとか食い繋いでいくことができている。


 ……ただ、そうまでして生きたい理由なんかないのだが。


 工藤のような崇高な使命があるわけでもなく。どこかの主人公のように世界に革命を齎すほどの強さを持っているわけでもなく。ただ流れに任せて生きてきただけの俺だから、こうして流れに任せて生きているだけなのだ。

 ただ戻れるなら元の世界に戻りたいとも思っている。いや、一週間前後の時はもう帰りたくて仕方なかったが、つまらない学校に行かなくていい分とひもじい分を考えてそう変わらない生活を送ってるんじゃないかとは思っている。貧富の差は酷いモノだが俺が元の世界から異世界に来たならこうなるだろうという当然の流れだ。目立ちたくないし、できれば痛い目にも遭いたくないので、こうしていつか餓死するその日までゆっくり死に近づいていけばいいような気がする。


 元々地味で影の薄い高校一年生だった俺は、大学へ行って就職して独り暮らしを始めていつか疲れて部屋の隅で体育座りしたまま孤独死するのかなと漠然と考えていた程度だった。こうしてホームレスと化している現状を鑑みるとその認識は甘いと言えるのだが、高校含め勉強さえそこそこできれば進学可能だ。思い返してみれば、俺が努力したと言えそうなのは高校受験の時くらいだろうか。といっても中程度の高校だし、家から一番近いという理由だけで選んだし。そこまで必死に勉強しなくても入学可能なレベルではあったが。就職に関しては正直無謀と思われそうだが、案外学校と提携している会社なら入社までは進める可能性が高い。まぁ、入社後が難しいのだろうが。そこも失敗したら俺が入社できるのはブラック企業と呼ばれているところぐらいのモノだろう。人材不足に悩まされていそうなところだ。そうなったら俺は多分早々に辞めたくなって上司から叱責の受ける毎日になって精神が病んでその辺で孤独死する。多分とはつけておくが、そうなるだろうと思っていた。


 そう考えれば常に体調が万全とは言い難く空腹に悩まされるとはいえ穏やかに日々が過ぎていく生活は幸せと言えるのかもしれない。いや、もしかしたら就職に失敗して家に居座ろうとした結果両親に追い出されてホームレスと化し今と同じ生活をしている可能性だってある。そう考えるとこうなったのは必然だな。俺は別にプライドが高くないので「俺はこんなところで燻るようなヤツじゃねぇ」みたいな風にも思わない。短所は自覚しているが直す気がないというだけだ。


 以前ならなんとも思わなかっただろうが、こうして裏路地で生活していると表の通りがやけに明るく映る。煩いと思っていた喧騒も賑やかで楽しそうに聞こえ、仕事で疲れたと愚痴る人も仕事があるだけマシと思えるようになっていた。主人公ならここから成り上がっていくのだろうが、俺にはそんな気力がない。


 いつか死ぬその日まで、この生活が続くのだと。


 その時の俺は、そう考えていた。


 ◇◆◇◆◇◆


 異世界に来てから二ヶ月が経った。変わり映えのしない毎日だ。ゴミ箱を漁って食糧を得て、使われていない壊れた井戸から他と同じように水を汲む。そんな生活が続いていた。

 俺もすっかりここの一員だ。まぁボスみたいなヤツはいないので、それぞれが好き勝手に生きているだけなのだが。


 そうだ、今日はいいことがある。

 なにせ昨日朝に捨てられたゴミの中に、キャベツみたいな野菜が丸々入っていたからだ。両手で抱え込める大きさの食事なんていつ以来だろうか。前回この野菜を食べた時は芋虫の巣窟と化していて、興奮の余り齧りついたら散々な目に遭ったのだが。今回そんなことはない。腐って捨てられたからだ。百%安全な野菜である。これを逃す手はなかった。昨日は食べずに残しておいたのだ。一度腐ったなら数日放置しようが大して変わらない。


 俺はよろよろと立ち上がって寄りかかるようにゴミ箱へ到達する。独特の異臭が匂ってきても気にしなくなっている。なにがあるかもわからず虫も湧いていそうなその箱の中に、躊躇なく両手を突っ込んだ。確かこの辺にあったはず、と思いながらごそごそと手を動かして他のゴミを掻き分けていたが、一向に見つからない。


 ……あれ、そういや一昨日食べたんだっけか。


 五分ぐらいごそごそやっていてようやく思い出した。そうだ、キャベツらしき野菜が捨てられたのはその前で、一昨日に食べたんだったな。俺としたことが忘れていた。しかし今日は大した食べ物がないな。仕方がない、体力温存のためずっと横になっていよう。


 横になっても眠れるわけじゃない。目を閉じてただじっとしているだけ。朝ゴミ捨てに来るので、それまでじっと待つ。それまでに眠れれば幸いだ。

 そうして横になってからどれくらいの時間が経過したのか、正確にはわからない。街の中に時計はあったような気がするが、確認しに行くだけの気力はなかった。


 そんな日々を無意味に、過ごしていく。


 ぽつっと頬に冷たい液体が落ちてきた。寝ていたのか頭がぼーっとするが、薄っすらと目を開ける。その間にも水滴は降ってきて一気に数を増やしていく。雨だ。雨は元の世界では嫌いじゃなかったが、今では嫌いな天気になりつつある。なにせ冷えるからな。屋根も天井もない路地裏暮らしなので、雨に降られると翌日風邪確定、みたいなところがあった。


 しかし曇天すぎて今が朝なのか違うのか全くわからない。とはいえ時間を確認する方法は、一つしかない。ゴミ箱を漁ることだ。

 朝ゴミ捨てに来たかどうか。それで日付やら時間帯やらの変移を確認していた。


 ゴミ箱まで歩き、ごそごそと中を漁る。記憶が少し曖昧になっているが、見覚えのあるゴミがないかあるかで判断しようと思ってはいるので一番上の方にあったゴミくらいは覚えている。……一番上が変わってないな。じゃあまだ朝は来てないのか。


 残念ながらまだ飯にありつけないようだ。仕方がないので、まだ横になることにする。服は二ヶ月ずっと変わっていない薄着なので少し寒いが。浮浪者に暖かい寝床など与えられないのだ。

 俺がそう思ってゴミ箱から手を引き抜こうとしている時だった。


「……あんた」


 誰かが誰かを呼んでいた。女性の声だ。しかし俺は通りかかる人々に見て見ぬフリをされる浮浪者だ。誰かに声をかけられることはないだろう。いや、そういえば一度だけあったな。クスリ売りだ。金を持っていないので断ったが。


「そこの、ゴミ箱を漁ってるあんたに言ってるんだ」


 無視していたが女性が続けた言葉を聞いて、まさか俺なのかと思い始めてしまう。ゴミ箱から手を引き抜き、声のする方を向く。他の浮浪者達同様、ここは俺の縄張りだと言わんばかりに居座ってきたので、路地裏には俺しかいないはずだ。そこでゴミ箱を漁っているともなれば、俺しかいないのではないかと思う。


 声から判断したように、女性が立っていた。土砂降りの雨だからか人通りのない表通りから少し裏路地に入った位置に佇んでいる。赤い傘を差していた。誰だろうか。この世界での知り合いなんてそれこそ初日に会った工藤ぐらいのモノだ。


「そう、あんただよ。歩けるなら、ウチに来てもらおうか」


 女性はそう言うとつかつかと歩み寄ってきて、ゴミ箱を漁っていて酷く汚れている俺の手首を掴んだ。指は細いのに力が強い。カルシウム不足で脆くなった俺の骨が砕けるんじゃないかと思ったほどだ。

 訳がわからないとはいえ、少なくとも俺より強そうな人だ。逃げるにしても、逃げられるほど余裕があるとは思えない。なんとか彼女の歩みに合わせるため足をせかせかと動かした。こんなに早く歩いたのは久し振りだ。足が縺れ倒れそうになるが、構わず引っ張られていく。しかし倒れたら置いていかれるのではないかと思い、残る気力を振り絞ってついていった。

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