第一章 漆黒の暗殺者

第六話 闇に紛れる才能

 一つ言っておこう。俺はこれまで頑張るということを大してしてこなかった怠け者だ。


 だからまぁなんというか。


「……はぁ。これは予想以上に時間がかかりそうだね」


 と女性――アネシアさんと言うそうだが――が頭を抱えるのも仕方のないことだ。


 よく食べよく鍛えよく学びよく寝る。


 これを実践させられた気分だ。


 まず走り込みによる体力作り。まだ彼女の職業を聞いていないが、というか教えてくれないが。体力が必須らしいので毎日走らされた。浮浪者として衰え切ったというのもあるが、元々万年帰宅部にして運動とは無縁だった俺にとっては厳しい鍛錬だ。

 加えて筋力作り。筋力も必須だそうなので毎日筋力トレーニングだ。腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワット、体幹、握力。そんなに筋肉があるようには見えないアネシアさんよりは強くなれと言われているが、とても敵いっこないと思っている。

 更にはこの世界における基礎教養。概要は工藤から聞かされていたが、より詳細な勉強として学ばされる。特に異世界言語がキツい。英語の成績は悪かったのだが、それを一から覚えるようなモノだ。


 アネシアさんは意外なことに、ずっと付き添ってくれている。仕事はしないのかと聞いたら、仕事を明かす時に説明するとはぐらかされた。しかし蓄えはあるようで、俺一人を養うくらいは問題ないようだ。何者なのか気になるが、俺は今俺のことで手がいっぱいだった。


 彼女の思惑もよくわからないままに言われるがまま身体と頭を鍛え、半年が経過した。


 浴室の鏡を見ると以前の俺からは想像もできないほどに鍛え抜かれた肢体が映し出される。ここに初めて来た時は元より、異世界に来る前とも全然違っている。

 腹筋が割れているのがなによりの証拠だ。幻のシックスパックここに推参という感じだ。正直身体の出来が違いすぎて本人が一番ビックリしている。ただし顔つきはそう変わらないので、多少引き締まってはいるが違和感が半端ない。顔から下はイケてるのに、とか言われそう。余計なお世話だ。

 髪はアネシアさんに切ってもらっていた。彼女は器用でセンスもあるので俺の顔が多少マシに見える気もしなくもないくらいの出来映えだ。凄い。


 身体を鍛えることに加え勉強もしているため、一応読み書きも多少できるようにはなってきている。まだ文章を作るとなるとどうだったか、と悩むこともあるが一応及第点レベルにはなったらしい。


 余裕があるなら家事を手伝えという指令を受けているので元の世界ですら一切振るわなかった家事スキルが上昇していた。炊事洗濯掃除などが一通りこなせるようになってきている。この世界の人流に言うなら「もう技能になってきたな」という段階らしい。「板についてきた」とかと同じような意味合いなのだろう。


「よし、シゲオ。今日は教会に行くよ」


 アネシアさんが早々に朝食を食べ終えて俺に行ってきた。

 朝飯後に毎日やっているトレーニングをこなしシャワーを浴びる。その後のことだった。


「……教会、ですか?」


 流石に極度の人見知りを自称する俺でも、半年間一緒にいればある程度緩和される。俺からしてみればかなり普通に話せるようになってきていた。


「ああ。教えただろう、才能を確認する“才能の儀”は教会で執り行うって」


 アネシアさんは口端を吊り上げ不敵に笑う。それはつまり、俺の才能を確認しに行くということだ。


「一応最低限の基礎体力、筋力、学力、家事力。ここらはこの半年で身についたはずだ。シゲオの歳を考えれば遅いけど、他でも充分通用するだろう」


 ちゃんと喋ればね、とつけ足してくる辺り意地が悪い。


「これまでの半年は基礎作りだ。才能の如何によっちゃあたしの仕事には向いてない可能性もあるからね。とりあえず満遍なく鍛えてやったけど」


 そうだったのか。というかアネシアさんの下を離れたら俺、半年前に逆戻りするような気がする。どう鍛えたところでコミュニケーション能力の低さだけはカバーできない。ただ絶望的であるという自覚はあった。


「まぁそういう理由があって仕事の話をしなかったのさ。なにせあたしの仕事は知られちゃ困るようなモノだ。才能によって職業が変わるなら、言うわけにはいかなくてね」


 なにその職業。犯罪の片棒を担ぐような仕事ならできればしたくない。


「それは後のお楽しみだね。とっとと行くよ」


 アネシアさんに先導され、俺は街の教会へと向かうのだった。


 ◇◆◇◆◇◆


 教会の内装は元の世界とそう変わらない。訪れたのは初めてだが。長椅子が立ち並び奥に信仰対象らしき女神像があった。既に話は通してあったのか、教会へ行くと更にその奥の部屋へと通された。


「ようこそ、アネシアさん」


 奥の部屋で待っていたのは物腰の柔らかそうな男性だった。俺より十年上と言われても納得の妙な貫禄がある。眼鏡をかけていて、やたら動きにくそうな白い衣装に身を包んでいた。左手に分厚い蔵書を持っている。


「あぁ、フラウ。久し振りだね」


 二人は顔見知りなのか、親しげな様子だ。


「それでこちらが例の?」

「ああ。シゲオ・シャドウムだ」


 青年が尋ねて彼女が答える。俺は未だに初対面の人と話すことに抵抗があるので、ぺこりと会釈するに留めた。

 シゲオ・シャドウム。これがこの世界での俺の名前となっている。シゲオは門番に名乗ってしまったので変えることはできなかったが、カゲヤマのままでは異世界人っぽすぎてやめておいた方がいいということだった。その理由も勉強で知った。別の名字を名乗る時になにか案はないかと尋ねられ、英語だったらシャドウマウンテンかなともごもご言っていたのを聞いたアネシアさんが、「じゃあシャドウムだね」と言って決まった。両親から貰った名字だが、誇りもなにもないのでいいだろう。


「早速始めてくれ」

「はい」


 アネシアさんは壁に寄りかかる。神官らしき男性は俺を見て、


「ではこちらに」


 と指示を出してきた。果たして俺にどんな才能があるのか、はたまた才能は全くないのか。どんな魔法に適性があるのか。はたまた全てにおいて適性なしなのか。気になる。


 歩み寄ると手で制止されたのでそこで立ち止まる。


「では始めます。じっとしていてくださいね」


 フラウさんに促されて待つことにする。

 彼は手に持っていた蔵書を開くと、なにやらぶつぶつと呪文らしきモノを唱え始めた。


「――アル・エル・レ・アルカ。彼の者の持つ力を、此処に記せ」


 カタカナ二文字ぐらいの詠唱が長々と続き、最後に締めの言葉が紡がれる。詠唱中は俺の足元に魔方陣のような幾何学模様が描かれていた。蔵書から光が溢れ、やがて何事もなく収まる。フラウさんは光が収まった蔵書のページを捲り破いた。そしてそのページをこちらに差し出してくる。


「これが現在のあなたに備わっている力です。ご確認を」


 俺は紙を受け取り、異世界言語で書かれた内容を読み解いていく。

 記載されていた内容は以下の通り。


 魔法適性

 火 水 風 土 木 氷 光 闇 他

 微 微 微 微 微 微 無 微 無


 才能

 『闇に潜む者』

 【闇夜に乗じて】:闇、影のある場所や夜に身体能力が上昇する。

 【闇に溶けゆ】:闇、影や夜に紛れた状態で気配を潜めた時に存在が同化する。


 技能

 『家事』


 ……これは。


 とりあえずよく言うところのチートスキルではなさそうだが。

 俺の知っている才能が『勇者』しかないので基準はわからないが、強くもなく弱くもなく、ぐらいなのか? 魔法適性も悪いわけではなさそうだ。「微」という文言の使えなさそう感は置いておいて。使えない属性が光だけというのはいいような気がする。


 いやまぁ、微妙なのかな。


「ははっ! いい才能を持ってるじゃないかい!」


 ばしん! とアネシアさんに背中を叩かれる。痛い。どうやら俺が読んでいる間に横から覗き込んでいたらしい。


「一応規定なので補足の説明を。おそらくアネシアさんからもう聞いているとは思いますが、才能は増えません。生まれ持った力なので当然ですが。しかし才能が拡張されることがあります。表現は難しいのですが、なにかこう自分の中から力が湧いてくるような感覚があった時がその拡張です。一般には第一段階、第二段階、第三段階という過程を経てあなたが持つ全ての才能が解放されることでしょう。あなたはまだ第一段階。才能を磨けば、いずれ新たな能力に目覚めるでしょうね」


 フラウさんの説明は既にアネシアさんから学んでいた。今は身体能力強化と隠れる能力しかないが、もしかしたら今後攻撃能力も手に入るかもしれない、ということだ。まぁ高望みはしないが。


「……ありがとう、ございます」


 “才能の儀"を執り行ってくれたフラウさんに頭を下げて、なぜか上機嫌のアネシアさんに連れられ家に戻った。


「どうやらシゲオには、あたしの仕事を手伝うだけの才能が備わっている」


 帰宅して早々席に着いたアネシアさんが告げてきた。俺も向かいに座ってフラウさんに貰った紙を机に置く。改めて見ても日中はほとんど意味を成さない才能なので、多様性には欠けると思う。強いて言うなら【闇に溶けゆ】の方がかくれんぼ最強というくらいだろうか。存在を同化はかくれんぼでチートすぎる気がする。


「……ピンと来てない顔だね」


 俺の反応がイマイチだったからか少し不満そうだ。年甲斐もなく唇を尖らせている。


「じゃああたしの仕事について、説明しよう。それを聞いてから、手伝うからここに残るのか、他に宛てを探すのか選ぶんだ」


 突如というほどでもないが、アネシアさんは俺に選択を迫ってくる。

 そしていよいよ、アネシアさんの職業が明かされる。


「あたしの職業は暗殺者。それも政府お抱えのね」


 彼女の口から飛び出してきたのは、物騒な職業だった。しかも政府が関わっているとなると闇が深そうだ。正直に言って面倒としか言い様がない。


「暗殺者の仕事は簡単だ。依頼された相手を殺す。ただこれだけでいい。あたしのやり方として、依頼を受けた時の依頼料と達成した後の報酬を支払ってもらうのが、収入だ。依頼は頻繁に来ることもあるが来ないこともある。その割りに金額が高いのが特徴だね」


 平然と説明を続けるアネシアさん。しかし俺は、頭の中に一つの疑問が浮かんでいた。


 俺がこの手で人を殺せるのか、と。


 なにも殺人という行為そのモノがしたくないわけではない。本音を言えば他人がどうでもいいので、いくら周囲の人間が死のうが関係ない、とは思う。

 ただ俺の弱い心が、殺人を犯したという事実に耐えられるかが問題だ。人を殺めるという行為に手を染めて、脆い心が壊れてしまわないかを心配していた。おそらく罪の意識は、あまり生まれない。別にどうでもいいし。ただ俺がやったとバレたらどうなるのかとか、そういうことを考えて精神を擦り減らしてしまいそうだ。相変わらず自分勝手な理由だが。


「あんたには暗殺者の素質がある」


 本業の暗殺者が太鼓判を押す。


「元々あんたは影薄いからね。あたしくらいの美人になるといるだけで存在感があるけど、あんたにはそれがない。ただそこにいるだけなら存在が希薄だ。潜入やなんかに役立つ素質だよ」


 ……自分で美人と言っていることにツッコむべきなのだろうが、ここはスルーしよう。


「……そこはツッコんで欲しかったんだけど」


 頬を染めて少し恥らっているアネシアさんを見られる珍しい機会だからな。


「……んんっ。兎も角、暗殺者という仕事柄夜に身体能力が上がるのは便利だ。夜に活動することも多いからね。またもう一つの能力も強力だ。影に潜んで完全に姿が見えなくなるのなら、隠密行動もしやくなる。正直、暗殺者になるために生まれてきたようなもんだよ」


 それはいいんだろうか。

 いや、某暗殺を目的とした教室では、殺気を全く見せないで殺せるのが暗殺者の素質と言われていた気がする。極めて日常的に殺人を行える、という才能らしい。


 俺の場合は暗殺者に向いている節もあるが、要は隠密行動に適した能力なのだ。そういった中に暗殺者があるというだけ。とはいえ偵察やら諜報員など結局なにをしているかバレたら殺されそうな職業ばかり浮かんでくる才能ではある。


「暗殺と一口に言っても方法は千差万別だ。あたしのやり方だと単独で行うが、大勢呼べるなら対象が街の外へ出た時に馬車ごと囲んで殺す、という手法もあるけどね。あたしは好きじゃない、スマートじゃないからね」


 スマートか否かが判断基準の時点で、俺との価値観の違いが出ているようだ。


「あたしが主に行うのは、屋敷や大規模な会場での暗殺だ。対象が一人の時を狙って、殺す。あたしの場合は変装をして潜入することもしょっちゅうだけど、あんたは向いてなさそうだからやるとしたら誰にも気づかれずに潜入して暗殺、っていう方法になるとは思うけどね」


 もうそこまで想定しているらしい。

 そう言われると、確かに俺に向いた職業だと思えてくる。聞く限りだとどう足掻いても成長しないコミュニケーション能力が必要なさそうだった。パーティ会場に変装して潜入、となると全く初対面の人と会話する機会が多そうだし、場合によっては変装を変えながら人と接触する可能性も出てくる。イメージはHITM○Nだが。そうなったら俺には無理だ。何年かけても達成できる気がしない。


「なにより暗殺者は簡単だ。もちろん色々な技術や知識が必要になってくるが、なにせからね」


 アネシアさんがにやりと笑う。

 戦わなくてもいい。確かにそうだ。狙撃、は流石にこの世界では不可能だろうが。一方的に相手を殺すことを目的とするなら戦う必要はない。逆に言えば、正面からの戦いという点で難しい才能を持っていても可能ということだ。

 正しく俺の天職と言えそうだ。


 ただ、人を殺すことを生業にする不安は拭えない。


「もう一つ、シゲオにとってのいいことがある。それは、裏で政府が認めるあたしにつけば、あんたの身の安全が保証されるという点だ」


 裏で密かに邪魔者や危険人物を処理する代わりに、バックとしてつくという仕組みなのかもしれない。


 この世界には異世界人を守る法律が存在する。ただし、正規の手順でやってきた者に限る。

 つまり俺はこの世界の法律が適応されない代わりに人権すら保証されない立場にあるということだ。


 無論改定などによって異世界人からこの世界の人を守るように変わっているのだが。

 法律によれば異世界人が無作為に犯罪を犯した場合は法律に則って処罰される。ただし保護という名目で異世界人を保証する規定は存在せず、しかし世界を救ってもらうために呼んだ勇者を守る法律がないのでは安心してもらえないだろうということだ。


 ではなぜ非正規な異世界人は法律が守ってくれないのかというと。

 異世界から来た人間であるという証拠がないからだ。


 もちろんアネシアさんが俺にしたように異世界人かどうかを判断する術はある。ただ本当に異世界から来たかを証明することはできないのだ。まぁ服装という決定的証拠はあるのだが、要は消せる証拠は証拠じゃない。


 なにしろ異世界人の持ってくる知識はこの世界の人々にとっての未知だ。それを研究したいと思うのは当然だろう?


 異世界人の全てを法律の適応内としないのは単純に、非道な実験を行って知識を吸い上げた方が利点が大きいからだ。

 暗に大多数が容認しているとも言える。


 もちろん体裁はあるのでもし表沙汰になれば研究者を批判し処罰するのだろうが。


 そう考えると政府の後ろ楯が得られるという点で魅力的な提案だ。公認ならある程度保護してくれるという信頼が前提だが。


「――ただし。今までは中途半端を許したが、仕事となれば話は別だ。厳しくいく。今後も暗殺者としてやっていく覚悟を持て」


 アネシアさんが真剣な眼差しで告げてくる。

 とはいえ俺に選択肢はなさそうだな。


 ――そう思う時点で、俺はなにも変わっていなかった。


 この時のアネシアさんの言葉を真の意味で理解していなければ、当然のことだ。

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