第百四話 影の軍勢

 魔物の大群が街に向かってきている。

 俺達が準備を整えて外に出る頃には、街の人達は全員家の中に籠もっていた。


 彼らの命はこれから戦う者達の手にかかっている、と。


 ……あんまりプレッシャーになるようなこと考えないようにしておこう。


 魔物の軍勢は二方向から迫っている。片側には騎士団が陣取っており、事前の準備も万端で加勢せずとも耐えられるとのことだ。

 騎士団がいるのは東の方角。四分の一だ。……あれ? 今はまだ二方向だけだけど、残り四分の三を守るわけですか? 人数と比率合ってなくないですか?


 途端に不安になってきてしまった。ただもうやるしかない。


「おや。ようやく全員揃いましたね」


 師匠が向かう先についていくと、フラウさん含む数人が屯していた。知った顔ばかり、と言うか知った顔しかいない。


「当然だ。と言うより、お前達が来なければ街の防衛もできん」


 軍服らしき服装でコートを肩に羽織った赤髪の美女。鞭を手に持って臨戦態勢である。監獄署長のベルベットさんだ。この人とは文通が続いているが、実際に顔を合わせるのは初対面以来。目が合ってしまったが関係値はほぼ初対面と変わっていない。軽く会釈するに留めた。そしたら獰猛な笑みを浮かべて舌舐めずりをされてしまう。……ひぇ。


「遅ぇよ、アネシア。『剣聖』様もな」


 二メートルはある長身に褐色の肌をした鬼の女性、グレウカさん。甲冑を着込みゴツいハンマーを担いでいる。リリィを見て皮肉げに笑っていた。

 リリィはなにも言わず唇を尖らせている。


「若い者が多くて助かりますな」


 いつか酒場のマスターとしてのみ登場したダンディな老人。これから戦いだというのにバーテンダーの恰好だ。これでも元盗賊のヤバい人らしい。


 この四人に師匠、リリィ、ノルン、俺、そしてミィアを加えた九人で三方向を防衛せよと仰せか?

 いくら師匠達が強いと言っても、流石に守る範囲広すぎでは。特に私、範囲殲滅能力とかないのでどう足掻いても単体毎に仕留めていく他ないんですが?


「さて。最初は……、やってみな」

「えっ?」


 師匠が言うと、ミィアはきょとんとしていた。

 俺も少なからず驚く。ミィア自身に戦闘能力はない。ダイエットのためと少しずつ運動はしているが、元々の運動能力が低いので戦いは無理だ。

 となると、彼女が持つ能力の方か。この場に連れてきたということは事前に話しているものと思っていたが、どうやら言ってなかったらしい。


「でもミィア、戦えないし……」

「あんたはそうだろうけど、戦える者を喚び出すことはできるだろう?」

「カゲさん達のこと……? でも、お母さんがカゲさん達は危ないから呼んじゃダメだって」

「大丈夫だよ。敵が明確なら、間違うことはない。あたし達も戦うけど、あたし達だけじゃ厳しくってね。手伝ってくれないかい?」


 師匠が言っても、ミィアは不安そうな顔で俺を見上げてきた。


「お兄ちゃん……」


 なんと言うべきか。なにを言えばいいのか。


 ここに来る前、俺は師匠から言われていたことがある。


『ミィアとミィアの能力を、よく見ておくんだよ』


 ミィアには自覚がないが、彼女の持つ能力は世界屈指の強力な才能である。


『そして、もしものことがあったらあんたが殺すんだ』


 冷たい忠告だった。

 今のミィアからは想像もつかないが、今の俺もかつての自分からは想像もつかない状況にいる。

 影の中であっても、【闇に溶けゆ】はミィアやカゲさん達を掻い潜ることができる。つまり、俺が唯一ミィアがどこにいても殺すことのできる者ということだ。


 ミィアの持つ力がそこまで危険なモノなのかは、俺にはわからない。だから見極める必要がある。


「……大丈夫。カゲさん達はミィアに力を貸してくれるから。ミィアのお願いを聞かなかったことはないんだろ? だから、大丈夫。ミィアの力で俺達を助けて欲しい」


 俺はミィアの頭に手を置いて告げた。我ながら拙い言葉だと思うが、それでもミィアは頷いてくれた。


「ミィア、やってみる」


 決意を秘めた様子で言うと、彼女は魔物の大群を見据える。隣に立っている俺の手を握ってきた。緊張か恐怖か震えている。しっかりと握り返して、彼女の力を見守ることしかできないが。


「……みんな、来て!」


 ミィアが手を前に突き出して言う。

 ミィアの足元からより濃い影が前方広範囲へと広がり、その中からズズ……と兜が出現してきた。


「これは……」


 ノルンが少し驚いた様子で呟く。


 兜から脚部まで出てきた騎士達は、綺麗に整列している。その数、数百。三百はいるだろうか。

 その中で異なる意匠をした騎士、通称カゲさんだけはミィアの傍に現れた。


「みんな、お願い! 悪い魔物さんをやっつけて!」


 ミィアのお願いに、彼らは傅いて応えた。


 これが『影の女王』の一つ、【影の軍勢】か。


 彼らは立ち上がると踵を返して魔物が迫る方へ進軍していく。

 そして正面に陣取り、広がって陣形を整える。ミィアはなにも命令していないが、自動で戦ってくれるのだろうか。


 待ち構える影の軍と、迫り来る魔物の軍が激突した。


 とはいえ、初動は呆気ないモノだった。


 影の騎士達の剣の一振りで、先頭の魔物は両断されていったからだ。


 その後も次々に襲い来る魔物を斬り伏せ、魔法の杖を持った騎士が闇の魔法を炸裂させて前線を援護する。


「なかなかやりますね」

「一個体一個体の実力もあり、指揮を取らずとも戦えるか」

「いい連中だ。使ってる装備も専用のモノみてぇだな」


 強者達が感心している。確かに、【影の軍勢】は強い。強化された魔物相手でもきちんと戦えている。


 ただ、これだけではないはず。


 なにせ一人サボっている(わけではないと思うが)ヤツがいるから。


「オオオオオォォォォォォ」


 影の騎士達が戦っている前線に、巨大な魔物が現れた。

 赤茶色の芋虫に獣の顔をつけて、上体を起こして左右に豪腕を取りつけたような魔物だ。でかい図体を生かして前にいる魔物を蹴散らし向かってきている。


 騎士達は盾を構えて押し留めようとするが、振り下ろされた豪腕の衝撃に吹き飛ばされ、巨大の突進に蹴散らされてしまった。


「みんな!」


 影の騎士は平均値は高いが特化していない。だからこうして対処し切れない強さの魔物には倒されてしまう。


 【影の軍勢】の陣形を強引に突破してきた魔物がこちらへ向かってくる。そいつの開けた穴に魔物の大群が続いていた。ここから一気に攻め込まれるか、というところで。


 ミィアの傍に控えていた騎士が動いた。


 彼女を守るように歩み出て、両手長剣を構える。


「カゲさん!」


 ミィアの呼び声には応えず、構えた長剣に漆黒のオーラを纏わせる。


 不安そうなミィアと違って俺は心配していなかった。このカゲさんは、見た目以上に他の騎士とは違う。


 カゲさんは長剣を掲げて、迫る巨大な魔物に向けて振り下ろす。黒い奔流が放たれて魔物を呑み込み、後に続いていた群れ諸共消滅させた。


「……カゲさんすごい!」


 ミィアは唖然としていたが、無数の魔物をまとめて蹴散らすカゲさんの強さに目を輝かせていた。

 確かに強い。そして彼女を危険視する理由もわかった。明らかにおかしい強さだ。ともすれば師匠やフラウさん達とも戦えるくらいの実力がありそう。


「強いですね。手合わせをお願いしたいくらいです」

「おいアネシア。アレは聞いてないぞ。あたしの知る『影の女王』にあんなヤツはいない」


 フラウさんは予想通りのコメントだったが、ベルベットさんは違う。師匠を鋭い眼光で睨んでいた。


「そりゃあたしも知らないからね」


 師匠はあっけらかんと言った。


「【影の軍勢】は数百単位で影の騎士を呼び出すことができる能力。平均値は高いけど突出した騎士はいないってのが前情報だったんだけどねぇ」


 どうやらカゲさんは特別な存在らしい。確かにカゲさんだけ見た目違うしミィアの魔力だけじゃなくて個別の魔力も持ってるし。


 カゲさんの攻撃で、突破されたかに思われた陣形が元に戻っている。


「まぁどっちでもいいでしょう。私もそろそろ前線に出たいので」

「お前はただ戦いたいだけだろう」

「他方向からも来てるぜ、加勢しねぇと」

「そうですね。まとめて相手にしなければ」


 第一陣の大群は【影の軍勢】が押さえてくれている。とはいえ数の優位はあちらにあるので加勢は必要だろうが。


「だね。じゃあ、そろそろあたし達も参戦するとしようか」


 師匠が伸びをしながら言う。あの災厄の龍すら相手にできそうな面子が臨戦態勢を整えていた。頼もしいことこの上ない。


 反対側の騎士団も善戦しているようなので、追加の大群に対処していれば、とりあえずは大丈夫そうだ。


「私の邪魔はしないでくださいね」

「あたしもお前に巻き込まれるのは御免だ」


 フラウさんが左に歩き出し、ベルベットさんは右へ。

 店主はフラウさんと同じ方向へ行き、グレウカさんがベルベットさんに続く。どうやら左右の穴埋めはしてくれるようだ。


「あたしはあっちに行くから、ノルンとリリィはそっちへ行きな」


 師匠が左前方を差して言い、二人には右前方に向かわせる。


「……俺は?」

「あんたは防衛、殲滅向きじゃないだろう? 好きにやりな」

「……はい」


 流石は師匠、お見通しか。魔物の大群から街を守るとか荷が重かった。


「主様、行って参ります」

「足を引っ張らないでよね、ノルン」

「リリィには言われたくありませんが」


 ノルンとリリィは言い合いをしながらも師匠に言われた方へ向かう。師匠もそれを見て歩いていってしまった。


「お兄ちゃんも行っちゃうの?」


 この場に残されたのは俺とミィアだけ。ミィアは不安そうな顔をしている。


「……ああ。ミィアのことはカゲさん達が守ってくれるし」

「お兄ちゃんは?」

「……ん?」

「お兄ちゃんは、危なくないの?」


 おや。ミィアが他人の心配をするとは。


「……まぁ、危なくないわけじゃないけど。多分大丈夫」


 自信はない。他の人達みたく真っ向から大群を相手にする度胸も実力もない。ただ、殺すだけならできると思う。


 俺はミィアの頭に空いている手を乗せた。


「……行ってくる。ここは任せたから」

「うん。いってらっしゃい、お兄ちゃん」


 ミィアは少し寂しそうな顔をしたが、握っていた手を離してくれた。


 俺は『気配遮断』を使用して【闇に溶けゆ】を発動する。


 発動できる暗い世界で良かった。暗くないと『闇に潜む者』がほとんど役に立たないからな。


 発動できたならこっちのモノだ。少しはマシに動けるだろう。


 さて、加勢が必要な人がいないか見て回るところから始めるとするか。

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