第百三話 空が割れ、災厄は来たる

 外出していたリリィとノルンが戻ってきた後のこと。


「シゲオくん、今度いいモノ見せてあげるからね」


 とリリィが言い出して、ノルンと二人リリィの部屋に消えていってしまった。

 その時の外出の目的は聞いていなかったが、持って帰ってきた袋を見てコスプレ用の布地を買いに行っていたのだとわかった。ノルンも一緒である理由はわからなかったが。


 無粋だが推測してしまうと、彼女もコスプレに付き合うのだろう。


 と思ってから数日後のことだ。


「シゲオくん! ちょっと来てくれない?」


 リビングでのんびりとしていたら、二階からリリィの声が降ってきた。


 なにかと思って階段を上がり、彼女の部屋をノックする。ノルンも一緒にいるはずだが、なんの用だろうか。


「入っていいよ」


 許可が出たので扉を開けて中へ。


 そこには普段と違った装いの二人が佇んでいた。


 リリィは髪色を変えており、焦茶に近い長髪を後頭部で結っていた。白装束に緋袴という恰好で腰に刀を差している。

 ノルンは髪色を変えておらず、髪を頭の上で留めている。紫の装束を纏っていた。下はズボンだが上が扇情的で胸元を通る布が首の後ろを回っている、だけの布面積となっていた。


 リリィは堂々としたモノだが、ノルンはがら空きの背中や開けた胸元など上半身の布の少なさにそわそわしている。というか単純に恥ずかしいのだろう。


 コスプレ元のキャラクターを考えると、確かに二人の刀使いと忍者という立場をそのまま持ってこれる。


「どう、シゲオくん」

「……相変わらずクオリティ高いな」


 俺は流石に細かな装飾品までは覚えていない。だがこうしてコスプレ衣装を見てみると、細部まで作り込まれていてこういう装飾あったなと思わせてくれる。


「あの、主様……」


 ノルンが頬を赤らめもじもじしながら声をかけてきた。

 なにかと思って首を傾げていると、


「ほ、本当に主様の世界の忍者はこのような恰好をしていたのですか!?」


 ……割りと必死な様子だった。余程恥ずかしいらしい。いや、まぁそうだろうけど。


「……えっと」

「こ、このような服装、痴女ではありませんか!」


 言い得て妙。


「……とりあえず、実在した忍者とは違うと思う」


 俺の言葉に、ノルンが目を見開いてリリィを見ていた。だけでなく、手にクナイまで持っている。


「え? 私、実在する忍者なんて一言も言ってないけど?」

「いえ、リリィは確かにこの恰好をした忍者もいると……」

「うん。だから、歴史上の忍者じゃなくて、作品上の忍者の」

「……」


 しれっと宣うリリィに対して、ノルンが黙り込みぴたりと動きを止める。


「リリィ!」

「嘘は言ってないって!」


 そのままノルンがリリィを追いかけ回し、二人の鬼ごっこが始まってしまい部屋の外に行ってしまった。


「……」


 仲いいな。元々仲がいい方ではあったが、リリィのことがあってからより仲が良くなっている。まぁ、いいことだ。


 一応、よく似合っていたとだけ言っておこう。


 ◇◆◇◆◇◆


 ある日のこと。

 俺は独り森の訓練場に来ていた。


 魔物はすっかりいなくなり、森の中も異様な静けさに包まれている。

 この静かさを不気味だと言う人もいるが、俺は魔物という驚異的な存在がいないこの静寂は悪くないモノだと思っている。……まぁ、この後強化された魔物が襲撃してくるんだけど。


 最近はすっかり暇になってしまって、誰かと話したり遊んだり、こうして訓練をしたりしている。

 おかげで鈍ってはいない、と思う。ただ勘は鈍っているかもしれない。戦闘の勘はどうしても、敵がいないとならない。偶にフラウさんと手合わせすることで命の危機を感じながら感覚が鈍らないようにはしているのだが。


 そんなことを考えながら訓練を続けていると。


 ――パキ。


 


 はっとして顔を上げると、空にヒビが入っている。


「……災厄の段階が、進むのか」


 それはいいことでもあり悪いことでもある。

 災厄の段階が進んだということは、世界の滅亡に一歩近づいたということ。

 そして、勇者達が災厄の龍の討伐に成功したということでもある。


 空に入ったヒビは俺が見ている前でどんどん広がっていき、やがて空の全体に入っていく。これが世界滅亡寸前の光景でなくてなんだと言うのだ。


「……」


 嫌な光景だ。見渡す限りの空にヒビが入った後、昼過ぎだった明るく青い空が夜のような青黒い空に変わっていく。

 夜とは少し違うが、暗い空だ。災厄が終わるまで、日の光は世界を照らさないのだろうか。そんな暗い空に、亀裂が入っている。今にも壊れてしまいそうな、不安定な光景だ。見ていると心が不安になってくる。


 しかし、少しだけこうも思った。


 ……亀裂の入り方、タケの能力に似てるな。


 ◇◆◇◆◇◆


 空に亀裂が入って災厄の段階が進んでから、俺はすぐ家に帰ってきた。

 帰ってくると全員がリビングで待っていて、俺の顔を見るなりほっとした顔をする。


 災厄はここからが本番。亀裂が入ったことでなにか変化が起きて巻き込まれていやしないかと心配してくれていたのだろうか。

 俺が戻ってくるまでの間にも、街の人達が慌ただしく動いているのを見た。特に騎士団が大勢動いていた。


 これからやってくる、魔物の大群に対処するために。


「さて。シゲオも帰ってきたことだし、さらっとだけおさらいしておこうかね」


 俺が席に座ると、師匠がそう言った。

 普段呑気にしているミィアも今ばかりは神妙な面持ちをしている。災厄についてどの程度知っていたかわからなかったが、師匠から説明はあったのだろう。


「皆もう見たと思うけど、災厄の段階が次に進んだ。これは災厄の龍を勇者様達が討伐したってことだ」


 言葉にすると簡単だが、あの超巨大な化け物を討伐するとか、勇者一行凄すぎないか? いやまぁ、近くにいる人達の助力もあってのことだとは思うのだが。


「災厄の最後の段階は、空が割れる。この段階になると今まで姿を消していた魔物達が各地に現れて、群れとなって襲撃してくる」


 災厄の手先となり、普段より格段に強くなった魔物の軍勢が送り込まれる。これがあるせいで、災厄の龍の対処に全世界の強者を集結するといったことができない。それがなかったら師匠やフラウさんといった化け物じみた人達がこんなところで過ごしているわけがなかった。


「で、問題はその襲撃の数と時間なんだけど」


 師匠はそこで眉を寄せて険しい顔をしてみせる。


「どうやら、みたいなんだよねぇ」

「え」

「そんな……」


 とんでもない発言が飛び出してきた。そんなの初耳なんだが。


「不確定情報と言うか、勇者一行が旅の中で得た情報の中に、そういう情報があったみたいでね。勇者一行が災厄の龍を倒した後に各地の襲撃に対処していたら襲撃が終わらなくて滅亡したことがあった、とかなんとか……」


 師匠がこんなにも曖昧な言い方をするとは珍しい。余程出所のわからない情報、いや勇者一行が掴んだ最新情報なのだろうか。


「……襲撃を止めるには、勇者が災厄の大元? みたいなヤツをどうにかしないといけないってことですか?」


 魔物の軍勢による襲撃が終わらない。終わらせる術が一切ないのであればどう足掻いたって世界は滅亡してしまう。となれば、基本的に終わりはないが、終わらせる手段はあるのだろう。


「そう。シゲオの言う通り、魔物の軍勢は災厄が起こしてる現象なんだから、災厄の元を断てばそこで解決する」


 師匠は言った。ただ、表情は険しいままだ。


「けど、少なくともあたしはがどこにあるのかわからない」


 数多の情報網を持つであろう師匠が、わからないと断言した。


「どうやら災厄の本体が露出して、そこを叩くみたいなんだけど。それがどこにあるのかわからないし、各地を魔物が襲う状況じゃあどこにあるのかっていう情報を回せない。皆手がいっぱいになるだろうからね」


 各地の手が回らなくて情報が遮断されることになり、勇者一行が災厄の元を見つけ出すのも遅れる。そうして世の人々が疲弊、追い詰められていけば災厄をどうにかできたとしても生き残ったのが勇者一行くらいしかいなかった、なんてことにもなりかねない。


「まぁ、終わりはある、かもしれない。勇者様が災厄をどうにかできればね。ただ、あたしらからしてみれば災厄の終わりは、見えないんだよ」


 それが師匠が「終わりがない」と言った真意なのだろう。終わらせる手段はあるが、勇者が死ねばおそらく解決方法がなくなりどうしようもなくなる。

 俺達がこうして聞いた情報も不確かなモノで、この情報がない人達は「勇者様がなんとかしてくれる」という祈りにも似た心情で迫り来る魔物の軍勢を迎撃しなければならない。


 それがどんなに苦しいかは、想像に難くない。


 ……あの工藤が失敗するとは思えないが。


 俺はあの勇者様と会ったことがある。会ったのは俺が異世界に来た直後、もう随分前のような気がするのだが。あの頃も強かったと思うが、聞けばあの時はまだ異世界に来たばかりだったと言う。

 比べ物にならないほど強くなっていることだろう。あの災厄の龍すら討伐したのだから、大丈夫だとは思う。


「要するに、私達は全力で魔物を迎撃してればいいってことでしょ? 簡単じゃない」


 ただ、深刻な師匠とは打って変わってリリィが言った。


「そんな簡単な話では……」

「簡単な話よ。結局、災厄をどうにかするのは勇者なんでしょ? なら私達がその成功失敗を議論してても仕方ないじゃない。できることは、生き残ることだけよ」


 ノルンに対して、彼女はきっぱりと言い切る。こういうところも、リリィの美点である。


「頼もしいね」

「だって、そもそもこの街にどれだけ強い人がいると思ってるんですか? 私達含めても、魔物の軍勢程度に押されるような戦力じゃないでしょ」


 リリィは少しだけ呆れている様子だ。……確かに。最強暗殺者の師匠、『剣聖』持ちのリリィ、影分身も使えるノルン、肉弾戦最強のフラウさんもいる。よくよく考えて見ればこれ以上ない戦力ではないだろうか。

 となると他の街の援護に回った方がいいのだろうか、とすら思ってしまう。


「まぁ、あたしも弱気になってるわけじゃないよ。どれだけ魔物が来ようが迎撃してみせるとは思ってる。ただ、騎士団の半数は別の街に派遣してるし、冒険者も出払ってるからね」

「「え?」」


 ノルンとリリィの声が重なった。


「そりゃそうだろう? あたし達がいて、騎士団も全員いたら他の街の防衛に回った方がいいに決まってる。存分に戦うのに大人数だとデメリットになるヤツもいるくらいだし」


 フラウとかね、と言う。

 確かにあの人は周りに人がいると全力で戦えなさそうだ。というか最近魔物がいなくなったせいで戦えなくて欲求不満になっているらしく、手合わせの時うっかり殺されかけた。俺も正直フラウさんの近くで戦いたくはない。


「騎士団の半数が一方を抑えている間、他方向からの襲撃はあたし達戦える者が迎え撃つ。実に単純な話だ。ただ人数を減らした分、休憩とか交代とかが難しいからね。長期戦になるようなら覚悟は決めておかないといけない」


 だから最初に“終わり”の話をしたのか。


「当然、あんた達も数に数えてるからね」

「……っ。当然、いけます」

「全力を尽くします」


 リリィとノルンが応えた。俺は……大群相手だと正直力不足なので、ちょこちょこ不意打ちでどうにかするしかないかなと思っているが。迎撃とか向いてない。


 不意に、師匠が張り詰めた表情をして明後日の方向を向いた。なぜだろう、と思った直後に俺も察する。


「――来たね」


 無数の魔物の気配が、この街に近づいてきていた。

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